個人戦2回戦SSその1


風が、嵐の気配を運んでくる。

大きな獣が唸るような、不吉さを孕んだ風だった。
夜。
海の水面は黒々と、すべてを飲み込む意志を持っているかのように波打つ。

揺れ始める豪華客船の甲板に、いま二人の少女の影がある。
彼女たちこそはこの夢への立ち入りを許された、シャーリィ・トリエントの友人。
その二人。

「……シャーリィ様」

赤毛のシスター、香取紅宇が呟く。
風の中でもなお、澄み切った響きを湛えた声である。

「シャーリィ様はご無事でしょうか。
 たったお一人では、やはり危険だったのではありませんこと?
 あの草凪悠真とおっしゃる殿方は、聞けば50000人のテロリストを
 神の身許に送ったグレート・クリスチャンという噂……」

香取紅宇の言葉は、憂いと不安を帯びている。
荒れ狂う風に怯える子供のように。

「あれが真実だとすれば、シャーリィ様の成し遂げようとしている試練は、
 まさに神の御使いに挑むようなものではありませんこと?」

「香取様」

黒髪のシスター、栗栖千夜の声には、諌めるような響きがあった。

「シャーリィ様は信じることこそが大事だとおっしゃいました。
 神の恩寵は信じる者にこそ与えられると」

いつになく饒舌な、栗栖千夜の言葉。

「私もそう、信じています」

「……ええ。ええ、そうですわね、栗栖様」

香取紅宇は、無理に微笑みを作った。
それでもそこには覚悟があった。自分は、自分のやるべきことをしよう。
その決意がこもった微笑みだった。

「いずれにせよ、私たちにできることは、祈ることだけ」

わずかに震える香取紅宇の手が、己の背中に伸びる。
ガシャッ、と、その手が大型で異形の器具を引っ張り出す。

「精一杯――私のバイオリンで、シャーリィ様の勝利を祈る音楽を奏でましょう」

香取紅宇が抱えるそれは、確かにバイオリンである。

より正確に言うなら、50を超えるバイオリンを束ね、
鉄で溶接して形成された、超巨大な鈍器であった。


それはまさに、バイオリンによって作られた殺戮戦鎚!


しかも、香取紅宇が握りを確かめるようにひと振りすると、その先端から炎が軽く迸った。
火炎放射器を仕込んでいるのは間違いないだろう。

「栗栖様、ティーパーティーの準備はできていて?
 シャーリィ様の無事を祈って、心穏やかに紅茶を頂きましょう」

「はい」

答えるのは栗栖千夜。
彼女もまた、背中に異様な器具を背負っていた。
酸素ボンベを10倍に膨らませたような、巨大なタンク。
その先端からノズルが伸びており、栗栖千夜の片手に抱えられていた。

「私の紅茶で、どんな方の心も穏やかにして差し上げます」

栗栖千夜の背負うそれは、超巨大な紅茶サーバーであった。
ただし、そのノズルから噴出される紅茶の水圧は、ダイヤモンドを削り、鉄塊を吹き飛ばす威力を誇る。
この紅茶デビル殺人ジェノサイド水流砲が直撃すれば、常人ならば死・あるのみ!

その頼もしい出で立ちに、思わず香取紅宇もにっこりである!

「そう……シャーリィ様は試練とおっしゃられましたが、
 私たちは信じております。神の御意志によって巡りあった、人と人同士。
 ともに美しい音楽を聞き、紅茶を飲み、語り合えば、きっとわかりあえますわ!」

「そうですね、香取様」

香取紅宇の熱意ある言葉に、栗栖千夜も無表情ながら共鳴するものがあったのだろう。
ギュイイイィィィーーーンと鋭い音を立てて、プラズマ殺人ビームサーベルと化した右手を旋回させる。
船の甲板が切り刻まれ、一つの英単語を描きだす。

すなわち――「DEATH」!

「さっそくお茶会に草凪様をご招待しましょう、栗栖様!」

「そうですね、香取様」

栗栖千夜の特殊義眼が光り輝き、バチバチと謎の殺人級エネルギーを飛び散らせる!
そのエネルギーの正体は良くわからないが、きっと瑣末なことであろう。
もはや彼女たちの隣人愛は最高潮!

――だが、そのとき!

「なるほどな……」

どこからともなく声がする。
そして、唸りをあげる風の音に紛れて、笛の音。
はるか異国のエキゾチックな情景を想起させる、独特の調べであった。

「お前さんたちが頼りにする、隣人愛と、絆の力」

草凪悠真。
ふと笛の調べが止まり、どこか飄々とした声が風の中に響く。

「それに比べれば、俺一人の力なんてちっぽけなもんだ。
 そんなご大層なモンじゃない」

「この声は――」

香取紅宇は警戒し、殺人バイオリン戦鎚を振りあげ、愛すべき隣人の気配を探る。
その姿が発見でき次第、美しき演奏会をおっぱじめるつもりだ!

だが、周囲はあまりにも暗く、彼我の姿は定かならぬ!
こんな暗闇では、草凪からもこちらが見えているか、どうか。

「栗栖様、落ち着くのですわ。
 やつは必ず姿を見せるはず。見せなくても――」

香取紅宇は、殺人バイオリン戦鎚を虚空に向け、手元の神聖浄化免罪符付きトリガーを引き絞った。
途端に、聖なる音楽が鳴り響く。
美しい火薬の破裂音を響かせて、絶対ホーリー殺しても大丈夫弾丸がばらまかれる!

「――こうして! 穏やかな音楽会を開催して、あぶりだして見せますわ!」

「そうですね、香取様」

栗栖千夜の特殊義眼は、もともと暗視装置を持っている。
その瞳が光を放ち、敵影を捉えんと輝き始めた。
もはや草凪悠真が見つかるのも時間の問題!

だが、次の瞬間!

「あっ」

香取紅宇の短い悲鳴が聞こえた。

その美しい聖なる首筋に、まだらの紐――否!
極彩色のヘビが絡みついていたのだ。
エキゾチックな笛の音にあわせて、その蛇は獲物をとらえた歓喜に体をくねらせる。




「――ピット器官って知ってるか?」




専門用語! 能力バトル特有の豆知識の披露だ!

不気味な笛の音が束の間途切れ、草凪の声が聞こえてくる。


「ヘビってのは暗闇でも相手の体温を感知して、襲いかかるんだ。
 神様と、仲間との絆と、自分自身を信じる力、そして科学力に頼り切ったお前さんたちには、
 たった一つ。ヘビの力が見えていなかったんだ」


暗闇の甲板で、無数の蛇が蠢いているのが、栗栖千夜には見えた

「これが――これが、ヘビの力だ!
 お前さんたち人間がバカにする、ヘビの力だ!
 人間の絆なんてご大層なモノに比べれば、そりゃちっぽけかも知れないけどな?
 でも、だからこそ、こんな一発逆転の切り札になるのさ!」

ヘビの力、恐るべし!
ちっぽけなヘビの力が、人間の絆という神にも等しい存在に一矢を報いたのだ!

「そして、俺の笛でヘビは自由自在に踊り、お前さんたちに襲いかかるぞ?
 だいたいヘビの力が、人間の絆に勝てないなんて誰が決めたんだ?
 俺は、ヘビの力で、人間の絆! お前さんたちをぶっ飛ばしてやるさ!」

草凪は再び笛を口にくわえる。
怪しい旋律が谺して、無数のヘビが絆のシスターたちに襲いかかる!
殺人兵器で応戦するが、多勢に無勢。

草凪悠真は、笛の音によってヘビを操っているのだ。
なんたる機転だろうか。
Eランク能力者ならではの、能力に頼らない発想の勝利だ。

どんな凡人にでも練習さえ積めば可能な、笛によるヘビ操作というトリックで、
”人間の絆”という恐るべき暴君をまんまと出し抜いたのだ!

ちっぽけな凡人の力で、最強の相手を打ち破る。
これが典型的な能力バトルなのである!

「ギョエーーーーッ! 死にますわーーーっ!」
「ピーーーガーーーー。システムエラー。エンジニアに連絡してください」

二人の美しい悲鳴が、夜の豪華客船を引き裂かんばかりに響き渡る。
圧倒的なヘビの数の前に、いかに凶悪兵器で武装した彼女たちといえど、逃れる方法なし!

(すまない……)

草凪悠真はピーヒョロピーヒョロと笛を吹きながら、瞳の端に涙を浮かべる。
相手を倒してしんみりするのも能力バトルには付き物だ。

(こんな出会い方さえしていなければ、俺たち、仲良くなれたかな?
 ヘビの力を受け入れ、ヘビ人間として生まれ変わってくれたかな?

 俺は飄々としているのに一本筋が通っているので、
 いまは平気でも、後でお前さんたちを思い出して、
 きっと涙してしまうんだろうな……。

 急に思い出し泣きとかしたら嫌だな……。葬式とかどうしよう……。
 香典っていくら包めばいいのかな……。学生だしいらないのかな……。
 焼香のときの作法もわからないし、あとでネットで調べよう……)

悲しみに暮れる草凪悠真。
毒蛇に噛まれるシスター二人。
ヘビたちの晩餐が始まる。

――極大の轟音が響き、船が激しく揺れたのは、そのときだった。

「あっ」

草凪は思いきり転んで、甲板に頭部を打ち付ける。
そして気づく。
船が、沈み始めている。

「あ――」

光輝く、無数の泡のような球体によって、船体のあちこちが破壊されつつあった。

「キィィぇぇぇぇえええええ!」

今度は、草凪悠真が悲鳴を上げる番であった。

「なんだこれは――」

立っていられない。船が沈んでいく。
草凪は絶叫した。

「俺は飄々としているのに!!!!」

光の球体が、船の内側から溢れ出していく――。


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その光によって、豪華客船は一撃で航行不能に追い込まれた。
船体は中程から粉砕され、へし折られて、加速的に自壊していく。

この破壊を引き起こした者は、当然のように敬虔なる聖女――
シャーリィ・トリエント、その人であった。

「香取様、栗栖様――」

救命ボートのある船尾方向へ、ゆっくりと歩きながら、その瞳には涙が浮かんでいる。
だがそれは、決して悲しみの涙などではない。
あまりにも眩しい人間の魂の輝きを見た故の、どこか清々しい感動の涙であった。

「なんて尊い犠牲なのでしょう。お二人の魂に安らぎがあらんことを。
 これも神のくださった運命――」

二人の魂は、草凪悠真の足止めという大役を果たし、神の国へと旅立ったのだ。
なにを悲しむことがあろう。
これは喜ばしいこと。殉教の幸福、神が二人を迎え入れるであろうことへの祝福。
そしてこの戦いの報酬を払う必要がなくなったことによる愛の喜びなのである。

そして、自分は救命ボートという神のご加護により、この沈没から逃れる。
完璧なる神の運命である。

シャーリィの背後の通路が、悲鳴のような音を立てて裂けていく。
その断末魔の破壊音の狭間から、聞こえてくる声があった。

「――運命だって?」

まるでシャーリィの心の声を読んだかのように、そいつは震える声で呟いた。
大きく裂けた天井から、一人の男がぶら下がっている!
ロープ状に連結したヘビにぶらさがる男――それこそは、草凪悠真に他ならない!

「これが運命だとしたら……
 そんなもん、俺がぶっ飛ばしてやるさ!
 よくもこんなひどい事を――あの二人は仲間じゃなかったのかよ!」

声が震えているのは、単に怖いのだ!
ヘビを連結させ、ロープにするという超高等クレバー能力バトル的頭脳プレイで
辛うじてぶらさがっているが、その強靭性はあまりにも頼りない!

そう――草凪悠真といえども、平凡な高校生であり、こういうときはちゃんと怖がる
年相応の部分もあってそこが魅力の一つでもあるのだ。
飄々としている中にちらりと垣間見えるユーモラスな一面なのだ。

だが、ぶらさがる草凪悠真を見ても、シャーリィの穏やかな表情に動揺はない。

「ええ。仲間ですよ。あのふたりはかけがえのない友人であり、
 共に神に仕える仲間でした」

シャーリィの手が十字を切る。

「いまごろはあの世で聖なる喜びを噛み締めていることでしょう。
 彼女たち二人から借りていたお金をついに返せなかったことだけが、心残りです。
 このようなことで悩むなど、私もまだまだ弱いのですね……」

「おいおい、お前さんは弱くなんてないぞ?
 ただ少し、仲間を思いやりすぎただけさ。
 これから先、いくらでも取り返しはつくさ」

草凪悠真が飄々と肩をすくめる。
それでもシャーリィは、悲しげに首を振った。

「いえ。神の御意志、人の絆によって生かされている私は、
 あなたのように強い存在ではありません。
 この船の沈没も、神の定めた運命――私ごときが覆してはならないのです」

「――甘ったれんじゃねえ!」

これぞ好機とばかりに、草凪の熱い説教が火を吹く。
シャーリィが何を言っているのかよくわからないが、
いまが説教チャンスだと彼の中の直感が告げていた。

たとえ意味がわからなくても、劣勢でも、説教できそうな流れがあれば
とりあえず説教してみる! それが草凪悠真という男なのだ!

「だったら、これから一緒に強くなっていけばいいんだ。
 あの二人の分まで。さあ、もう無駄な戦いはやめにしよう。
 俺たちの手で、運命を――覆すんだ!」

そして草凪は口に笛をくわえた。
ロープに使っているヘビ以外にも、手駒にできるヘビはまだたくさんいるのだ。
言っていることとやっていることが全く違う――これが、これが草凪悠真だ!
綺麗事を熱く語りながらも、さりげなく相手を殺害せんと試みる!

「人の絆や運命なんかよりも強いものを、神様に見せてやろうぜ!
 そう――ヘビの力、ってやつをさ!」

言い終わるや否や、笛の音が鳴り響く。
ヘビの群れがシャーリィに襲いかかる。
能力バトルが再び始まる!

「嗚呼、主よ――」

ヘビの力を前に、シャーリィが行ったのは、ただ祈ることであった。
両手を組み合わせると、彼女の無垢なる祈りに応えたとでもいうのか。
黄金色の輝きがほとばしる。

「光あれ」

呟くと同時、クモの脚のごとき禍々しい光が、彼女の足元から伸びた。
それは四方八方に放たれ、襲い来るヘビの頭部を片っ端から射抜く。
すべては一瞬。

「えっ」

草凪悠真は硬直した。

「な、なんだって……? ヘビの力が……負ける……!?
 これが、神サマの力だってのかよ!?」

「これが、神のご加護です」

シャーリィはゆっくりと一歩だけ草凪に近づく。

「さあ、草凪様。神の愛を語り合いましょう」

「ち、近づくな! 俺は飄々としているんだぞ!」

草凪悠真は威嚇する。
明らかに動揺していた。
信じていたヘビの力が、神の力によって容易く討ち滅ぼされた――
その事実が、彼の戦う気力を萎えさせていた。

草凪悠真にも、ときには恐れ、戦意衰えることもある。
ただ強いだけではない。
挫折を知り、敗北を知る。
そうした人間的な弱さもまた彼の魅力の一部であるのだ。

「だいたい卑怯じゃないか! 俺は最低最弱のEランク能力者だぞ?
 御託はいいからアホみたいに俺に対して能力を使えやっ、このアバズレ!
 そんで能力コピーされて負けろ! ヘビを狙うな!
 そうしないと、もっと俺は飄々とするぞ! 芯も一本通すぞ!」

「ヘビを憎んで人を憎まず、という言葉が聖書にもあります」

シャーリィ・トリエントは優しく微笑んだ。
相手が草凪であっても、あくまでも人を傷つけたくはないというのか。
慈愛あふれるその微笑――まさしく聖母マリアのごとし。
背後に後光すら見えるではないか。

「いくら貴方と戦う運命でも、私に人を撃つことなどできましょうか」

「ク、クソが~~~~っ! なんでもいいんだよ、そんなもん!
 とにかく俺の思い通りになれ~~~っ!!!」

草凪悠真は怒りのあまり、ひらりとヘビのロープから飛び降りた。

「もうクソヘビどもには頼らないぞ……!
 俺は俺の力で、運命を切り開いてみせる!」

草凪はついでに笛を床に叩きつけてへし折り、
そして、背中から長ドスを抜き放った。

にやりと不敵に笑い、長ドスを腰だめに構える姿――
それはまさに草薙の剣を手にしたヤマトタケルのごとし!




「剣道三倍段って知ってるか?」




専門用語! 豆知識だ。これこそ能力バトルの真骨頂、そして醍醐味である。

「剣道の有段者と素手で戦うには、三倍の段位が必要って意味さ。
 そして俺は剣道部の女子を一ヶ月間つけ回したほどの剣道マニアだ。
 つまり――素手のお前さんは、剣を手にした俺に対して圧倒的に不利ってことだぞ?
 さあ、かかってきな! そして不用意に能力を使って俺にコピーされろ!」

「神よ――」

シャーリィは慈愛の微笑みを浮かべながら、両方の拳を顔の前に持ち上げる。
その拳にメリケンサックという名の祝福が填められているのが、一瞬だけ見えた。
そして素早く踏み込む。
草凪の反応をはるかに超える、恐るべき加速。

「祝福を!」

「へげッ!」

あまりにも俊敏な神の祝福だった。
草凪悠真が長ドスを振り回すまえに、左のジャブ。
顎を打ち抜き、草凪が白目を剥く。

「こ、このクソアマ、わかってんのか!
 俺はこう見えてもやるときはやる!
 普段は優柔不断だけど、仲間とかのためには命を惜しまず――」

御託を並べるその顔面へ、右のストレートのような神の祝福。
草凪にとっては、閃光が瞬いたようにしか感じなかっただろう。
鮮やかなコンビネーションであった。

反撃しようとするが、速すぎる。
シャーリィの速度は、人間のそれをはるかに超えていた。

「――ぶふっ!」

鼻血をまき散らしながら、草凪悠真の体が傾いた。
長ドスを取り落とし、倒れていく。
――背後にぱっくりと開き、今もなお拡大中である、船体の亀裂へ向かって。

「嗚呼、草凪様――」

シャーリィ・トリエントは、ヤクザキックのような神の祝福で
草凪悠真の体を船体の狭間に蹴り落とした。

「ぎゃぁあぁぁぁぁぁああああ!」

落ちていく草凪の体に、彼の支配を脱したヘビたちが絡みつき、噛み付く!
彼の過酷な労働体制によって、ヘビたちはストレスと怨念を募らせていたのだ。
まさに自業自得!

己の武器によって己自身が滅びる、これこそ能力バトルの真髄!
いま、最高に能力バトルしている!

「あなたにも神のご加護がありますように」

じゅううぅぅ、と、シャーリィの背中から蒸気が吹き出した。

神の加護をその身に宿したシャーリィ・トリエントにとって、
《インパルス連動加速装置ご加護システム》を使用した後には、
決まってこうした排熱冷却という名の祈りが必要になる。

ちなみにこの《インパルス連動加速装置ご加護システム》の実装には、
香取と栗栖の臓器を勝手に担保にして借りた金という
”人の絆”が組み込まれており、さらにシャーリィに力を与えているのだった。

「できればそのままお陀仏なさってください、草凪様。
 神の愛に抱かれて――母なる海にお還りください――」

シャーリィは十字を切り、踵を返す。
自分まで船の沈没に巻き込まれてはたまらない。

なんとか自分だけでも、この船の悲劇から助からなくては。
それが、生き残ってしまった自分の、せめてもの贖罪だと思うから――。



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海に落下した草凪悠真は、冷たく荒れ狂う波によって、
その体ごとすり潰されんばかりに水中でもがいた。

(これで――終わりなのか――?)

馬鹿な。自分は飄々としているのに。
Eランクの最弱能力者だというのに。
こんなことが許されていいのか。

だが、体が重たい。沈んでいく。

(もうだめだ……寒い……苦しい……)

草凪の心に去来するのは、諦めの二文字。
そしてシャーリィ・トリエントや、クソ使えないヘビどもに対する、
理不尽な逆恨みの怒り――憎しみ、妬みであった。

(恨めしい……憎い……おのれ……
 許さぬ……許さぬぞぉぉ……オォォォォォ――――
 俺の思い通りにならぬクズどもめ……飄々としながら許さぬぞぉぉ――)

あまりにも強すぎる、草凪の負の感情は怨念となり、海中に発散される。

当然のごとく、そんな怨念に引き寄せられる者たちがいた。

『憎い――我々も憎いぞ――』

魂まで凍るようなぞっとするつぶやき。
その声の主は、あな恐ろしや!
壇ノ浦に沈んだ――平家の末裔たちではないか!

『源氏武者ども――生者ども、許すまじ――』

平知盛のような青ざめた武者が、海の底から浮上してくるのが見える。

(これは……亡霊? まさか、俺の熱いココロに共鳴して……?)

草凪は最後の力を振り絞り、怨念をさらに強く投射する。
それは海中を伝わって、さらなる古代の暗黒怨霊たちを呼び覚ます。

『恨めしい――ああ、苦しい――』

(これは――タイタニック号!)

そう、それはあまりにも有名な沈没豪華客船、タイタニック号の怨霊。
まだまだ怨霊は集まってくる。
それはまるで怨霊大集合のサプライズ呪い放題バイキングパーティーの様相であった。

『俺も人間が憎いぜ、ゲッゲッ!』
(人間に住処を奪われた半魚人……)

『現代人に終末の予言をもたらしたい』
(沈没した超古代文明・ムー大陸の人たち……)

『海水浴客を俺のハサミでズタズタにしたい』
(化けガニ……)

『ふしゅるるるるるる』
(クトゥルフ……)

『俺たちもいるぞ!』
『ヨーホー』
(カリブの海賊たち……)

湧き上がる涙を抑えきれなかった。
なにがヘビの力か。
自分はヘビの力に溺れるあまり、大事なことを見失っていた。

この世でたったひとつ、大事なもの。
それは――

(わかったよ、みんな)

ぐっ、と草凪は拳を握った。
草凪悠真、成長のとき――!

「このセカイでたったひとつ、かけがえのない力があるとすれば、それは!
 怨霊のちか――」

『SSSSHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』

草凪が言いかけたその瞬間、なんということだろうか!

海中から巻き起こったどす黒い渦が浮上した。
その黒い渦は雑多な悪霊どもや邪神どもを飲み込み、人型を形成する。
それは鯨を超える巨躯と、なぜか細長い柄杓を持っていた。

圧倒的にパワフルな力。有無を言わさぬ存在感。
のっぺりとした黒い坊主頭を持つその妖怪を、
古より人々はとある妖怪の名をもって呼ぶ。

「かけがえのない力――それは」

草凪はごくりと唾を飲み込んだ。
そして言い直す。

「――海坊主の力だ!!!」

草凪の常人離れした怨念に惹かれて寄ってきたそれ――すなわち海坊主は、
海面に頭を突き出し、声にならない声で咆吼した。
同じ怨念を持つ者同士、何かが惹かれあったというのだろうか。

だが、生者への妬み、そねみ、物事がうまくいっている奴への憎しみ!
草凪悠真はそれが人一倍強い、人情の男なのだ。
自分のエゴ、薄汚いもの、見たくないものひっくるめて、それが人情。
人間らしさ。
つまり、人間の素晴らしさなのだから……。

(そうだ。俺は間違っていた)

海坊主は片手に持っていた巨大な柄杓の柄を、まっすぐ悠真に差し伸べてきた。

(なにが能力バトルだ。なにがヘビの力だ。ましてや怨霊などクソの役にも立たぬ……
 これからの時代は、海坊主バトルだ!
 海坊主こそがすべてを救う! そう、柄杓で海水をすくうようにね!)

これが新たなる時代――そう、海坊主バトルの幕開けであった!


============================================

「主よ、あなたの御心に感謝します」

シャーリィは救命ボートという名の神の加護に乗り、ひとり海域を漂っていた。
荒れ狂う夜の海の中でも、なお光を失わぬ瞳。
胸の前で手を組み、天に祈りを捧げる。

「夜は暗く、恐怖に満ちています。
 ですが主よ、あなたのご加護でまた夜明けを迎えることが――」

「なにが夜明けですの、シャーリィ様ぁぁぁぁ……!」

シャーリィの祈りを妨げるのは、悪霊のごとき怨嗟の声。
黒々と波打つ海面から、二つの影が現れ、
むんず! とシャーリィの救命ボートのへりを掴んだ。

「私たちを捨て駒という名の神の生贄に捧げましたわね!?
 決して許さぬので戻ったら慰謝料を徴収しますわ!」

「そうですね、香取様」

片方は香取紅宇! もう一方は栗栖千夜!
ヘビに噛まれた上、海上に投げ出され、なおもまだ生きていたのか。
否! 生きていられるはずがない!
シャーリィ・トリエントは、冷静にそう判断した。

「ええい、立ち去りなさい!
 ここはあなたたちの住む世界ではありません!
 だいたい重量が嵩んでボートが沈んだらどうするおつもりですか!」

シャーリィのヤクザキックのような神の加護が、
ボートを掴む二人の手を蹴る!

「これは私のボートですよ。悪霊退散! 悪霊退散!
 ノウマク サンマンダバザラダン!」

ありがたい神の真言が二人を襲うが、構わずシスターたちは
ぐわしぐわしと救命ボートに乗り込んでくる。

「シャーリィ様! 私たちは幸いにも悪霊ではありませんわ!
 もしも悪霊であったなら、即座にあなたを呪い殺しているはず!
 そうですわね、栗栖様!?」

「ええ。いまごろ全身の穴という穴から血を噴き出しています」

ずるずると二人のシスターがボートに乗り込んでくる。
シャーリィは嫌な顔ひとつせず、さりげなく二人に向けて拳を構える。

「確かに……一理ありますね。
 でも、あなた方はさすがに毒ヘビに噛まれ、
 おくたばりになられたはずでは?」

「毒ヘビではありませんでしたわ」

ぜえぜえと荒い息を付きながら、香取はどうにか言葉を絞り出す。

「ただのヘビでした。
 草凪悠真様はどうやらヘビのことをまったくご存知なかったようですわ。
 色が派手なので毒ヘビだと思い込んだのでは?」

「ええ。都合よく毒ヘビだったらいいな~っという希望的観測で
 我々にヘビをけしかけてきたとしか思えません」

的確な栗栖の推測。
だが、それは、シャーリィに新たな視点をもたらした。
くわっと目を見開いて

「ということは、あのときヘビに噛まれて
 不幸な海難事故に巻き込まれた草凪様は――」

『SSSSSSSHIIIIIIAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

刹那、響き渡る咆哮。
海中からぬらりとした巨影が姿をみせる。
波が逆巻き、嵐よりも激しい怨念が大気を満たす。

「――確かに、夜明け前ってのは、最も暗い時間さ」

草凪悠真は、海坊主の手にがっしりと握られていた。
しかも逆さ吊りであった。

「でもな? 明けない夜はないんだぞ?」

そんな状態でも、草凪悠真は偉そうに説教を解き放つ。
明けない夜はない――!
その程度の情報をいまさら堂々と語る輩が、こんなところに実在した!
そして、ヨアケ好きに媚びる姿勢! もはやなりふり構わぬ!

「お前さんたちが救命ボートなんぞに頼って、
 自分たちだけは助かろうとしている間に――
 俺は運命に逆らい続けていたのさ!
 いつかは明ける、夜のために!」

『SSSSSSSHHHUUUUUUUU――』

海坊主が異様な呼気を漏らした。
草凪悠真は拳とともに振り上げられ、血の気を失いながらも大声をあげる。
精神的な優越感を味わえそうなタイミングは見逃さない。
それが草凪悠真の、一本通った”芯”である!

「第2ラウンドだぜ! シャーリィ・トリエント!
 お前さんが神様に祈るというのなら、その神様!
 この俺がぶっ飛ばしてやるさ!」

「……香取様、栗栖様」

シャーリィはボートの底に手を伸ばすと、AK47を三丁ほど取り出した。

「いま、過去のことは水に流し(海だけに)、
 絆の力を示すべきではありませんか?」

「やぶさかではありませんわ! ねえ、栗栖様!」

「そうですね、香取」

そして最終決戦の火蓋が切って落とされる。
勝つのは人の絆か、神の奇跡か、己を信じる心の力か。
それとも、海坊主か――。

「さあ、最高にイカしたUBB(海坊主バトルの略)の始まりだぜ!
 ファンタスティックにカッとんだUBB、ブチかまそうぜ?
 見せてみな――お前さんたちご自慢のUBフレンド
 (海坊主バトルで使用される海坊主のことだと思われる)を!」

ぺらぺらとしゃべり続ける草凪悠真!
明らかに顔に血の気がないので滑舌が悪い!
おそらく自分で何をしゃべっているかもわからないであろう。

だが、それでいい。
たとえ間違いであっても、それすら飲み込んで呵呵大笑(かかたいしょう)する器。
相手よりなんとなく心理的優位にたった感覚を味わえれば、
それだけで草凪悠真は満足なのである!

もちろん、シャーリィは草凪悠真の妄言など一切無視。

「――みなさん、ファイア!」

「ファイアですわ!」

「Fire!」

シャーリィの清らかな号令とともに、三丁のAK47が火を吹く。
絆で結ばれた三人の、聖なる物理攻撃。
銃弾は海坊主の肉体を容赦なく削り取る。
さすがは神の恩寵が宿った弾丸である。

しかしその程度では海坊主は止まらない。
肉体を削ぎ落とされながらも、海坊主は勢いよくシャーリィのボートに近づく。


「ふっ――」

草凪悠真は振り回されながらも不敵な笑みを浮かべた。

「これが――これが海坊主の力だ!
 神の加護と人の絆と科学力と己を信じる力と知恵と勇気に頼り切った!
 お前さんたちが、たった一つ見落としていたものさ!」

海坊主の拳が、草凪悠真ごと振り上げられた。

海坊主の力。
これこそは、能力持たぬ凡人が使う力。
SSランク能力者には思いもつかぬであろう――海坊主を使うなどということは。

だがこれは、一般人でも――否!
怨念さえあれば無能力者でもできる海坊主の使役というトリックで、
草凪悠真はこの能力バトルに挑むのだ!

これこそ! 能力バトルの醍醐味!
環境をうまく利用し、豆知識を披露して、誰にでもできる方法で相手をぶち殺すのだ!

「お前さんたちの力に比べれば、海坊主なんてちっぽけな、
 取るに足らない昔話の怪奇現象かもしれない。
 でもな? 実在するぞ?」

そして、一撃。
草凪悠真もろとも、叩き込まれる。

「海坊主を――舐めるなっぎゃああああがががががが!
 いてええぇぇぇぇえええええ!」

当然の帰結。
草凪悠真はボートに叩きつけられ、全身の色々な箇所が満遍なく骨折!

「ぴぃぃゃやあああああああああぁぁぁぁーーーーですわーーー!」

「Fuck!」

不運にも香取紅宇と栗栖千夜は吹っ飛ばされて、海の藻屑と消える。
海坊主の力は、人間の絆に打ち勝ったのだ。

そして、シャーリィ・トリエントもまた無事ではすまない。
ボートは転覆し、彼女も海の波間に投げ出される。
そして彼女にしがみつく、全身骨折の男!

「死にたくねえ……死にたくねぇぇよぉ~~~~っ!
 俺は全身骨折している! 飄々としているのに骨折している!」

「お放しください、草凪様。
 このままでは二人共、神の元に召されてしまいますわ」

シャーリィは辛うじて動く右足で、
草凪悠真にヤクザキックのような神の祝福を見舞う。
だが、水中では威力半減。
なにより、今の一撃でシャーリィもまた全身各所を骨折していたのだ。

「ここは草凪様だけでも助かってください。
 あなた一人ならば、きっと陸地まで泳ぎ切れます。
 私はここでひとり、沈む運命を受け入れましょう……」

「嘘つけ! いますぐ能力使え!
 そして俺にコピーされろ! そしたらお前さんも助けてやるぞ?
 俺は飄々としていながら、約束は守るタイプなんだが?
 なんでもいいから、俺の思い通りになって欲しいんだが?」

「能力に頼り切った草凪様にはわからないかもしれませんが、
 私たちはそれぞれ別の道をゆくべきです。
 神はそうおっしゃっています。いいから離れろ」

「は? 俺ぜんぜん能力に頼りきってねーし。
 Eランクだし。最弱だし。なに言ってるわけ?
 てめーらの方が頼りきってるし!」

「私は神の使徒。信じるのは神の奇跡のみ。
 頼りきっているはずがありません」

「はい、いま言いました~~~!
 ”頼りきっている”って言った! 能力頼みのシスター確定だな!」

「ごちゃごちゃうるさいので、お黙りください。
 いい加減にしねえとその首から上を切断して――」

そのように騒ぐ二人を、海坊主が見逃すはずがない。
過剰な怨念により、草凪悠真のことなどもはやどうでもよくなった海坊主は、
柄杓を構えて柄をまっすぐにつき出してくる。

その柄は鋭く尖っており、まるで槍のようだ!

「うわああああ! シャーリィ、いやシャーリィ様!
 能力使って! 能力うぅぅぅ! 能力バトルぅぅぅぅ!」

「黙れクソ死ね」

シャーリィは中指を立てると、渾身の力をこめて草凪悠真を蹴飛ばした。
槍のように尖った柄杓の柄が、まっすぐ草凪悠真を狙う。

そして、一撃!

「ぎゃあぁぁぁぁあああああああ! 飄々~~~~~っ!!!!」

柄杓の柄は、草凪の肛門から背骨までをまっすぐ貫通。
こうして草凪悠真は、名実ともに、芯の一本通った男になったのだった。

『SSSSSHHHHHHUUUUUU…………』

柄杓に草凪を串刺しにした海坊主は、なんらかの鬱憤が晴れたのだろうか。
穏やかに目を細めると、ゆっくりと海中に沈んでいく。

「神よ――」

シャーリィは胸の前で両手を組んだ。

「感謝します」

その言葉には、いままでとは違い、1%ほどの真実の響きがあった。

そしてシャーリィは能力を展開。
黄金色の泡に包まれ、穏やかな波に揺られて、戦闘領域を無事に離脱した。





シャーリィ・トリエント――戦闘領域離脱により、敗北。



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一方、草凪悠真は、いつ終わるとも知れぬ暗黒の夢に閉じ込められていた。
これこそが海坊主という、強力な妖怪のなせる技である。
海坊主自身が悪夢そのもの。もはや脱出など不可能であった。

海坊主の掲げる柄杓の柄によって串刺しにされ、海上を彷徨う。

「ふ――」

悪夢に囚われ、海坊主とともに夜の海を歩みながら、それでも草凪悠真は微笑む。
彼は飄々としているのだ。
いまでは物理的に一本の芯が通っている。

「やれやれ、またとんでもないことになっちまったな?」

草凪悠真の手には、小さなガラクタのような装置がある。
それは旧式の大型CDラジカセだった。
おそらく、豪華客船からこぼれ落ちた機材なのだろう。

「でも――俺にはこのラジカセと、お前がいる。そうだろう?」

『SHHHHHAAAAAA!!!』

海坊主は咆哮をあげ、草凪を海面に叩きつける。
うるさい! 死ね! そう言わんばかりの暴行である。さすがは怨念の妖怪。
もちろん草凪は海水を大量に飲み込み、大きく咳き込んだ。
それでも飄々としている!

「この野郎、そのうち絶対にぶち殺してやるんだが?」

そして草凪は、CDラジカセのスイッチを入れる。

「こいつがなかったら、本当にイカれてたぞ。
 さて、どこに行こうか?」

おそらく、どこへも行けはしない。
ここは悪夢の真っ只中だ。
草凪悠真は雰囲気だけで喋っている。
ただの強がり、現実逃避以外でも何者でもない。

ラジカセを手にしたのも、なんかいい感じの音楽でシメれば、
雰囲気がよくなるかな~っと思っただけに過ぎない。

しかし、これでよかったのだ。
警察官から逃げ続ける、もう一つの現実から、こうして抜け出せたのだから。
あとにはひたすら広がる、嵐渦巻く悪夢の大海原だけ――。

CDラジカセからは、陽気な音楽が流れ出す。
やがて海水でショートし、煙をあげて停止するまで。



「Come And Get Your Love」 / Redbone。





草凪悠真――勝利。永遠の悪夢を漂う。なんか雰囲気だけで救われた気分になる。
最終更新:2016年03月03日 18:03