個人戦3回戦SSその1


未来。
砂嵐色の空が光のヴィジョンを鮮やかに反射する。
悠々と飛行する大小の飛行船の群れは、珊瑚の森を泳ぐ熱帯魚のよう。
並び立つビル群はすべて巨大な一枚板のディスプレイ。
そして、正午を迎える。それらが一斉に目覚める時刻。
毎日二分間の【政府広告】があまねく人々の目を釘付けにする。
喧伝される華々しき映像と音声は、事実よりも正しい真実。
優しく微笑みかけるは偉大なる指導者、皇国アドミラル、親愛なる建国の母。
人民は熱狂とともに口々に深く愛情を捧げる。
そんな夢のような世界。


 ◆ ◆ ◆


保坂一誠がまず開幕一番に辟易させられたのは、広々としたショッピングモールを行きかう人の多さだった。
彼が降り立った家庭用品店の奥行きは10メートルほど、すべては見通せないが幅は最低でも50メートルはあるだろう。
並び立つ商品のインテリアは、大小様々のデスクにチェア、収納用品や壁掛け時計、その売り場フロアが休日の午後を思わせる人混みでごった返している。
店外吹き抜けの天井からガラス越しに覗く光景が暗闇に浮かぶ満月でさえなければ、彼も現実とこの世界とを隔てる区別はできなかっただろう。
その神秘性を誇示するかのように時計の針は一斉に垂直に並びたち、真夜中の午前零時を指し示していた。

ここは戦闘空間、まどろみの泥濘の中にだけ存在する、夢の戦いのステージである。

安道ハル子。
保坂は『無色の夢』が告げた対戦相手の名を反芻し、溢れる人波に眉をしかめる。
これだけの人間の中から顔も知らぬ標的を探すのは骨が折れる仕事だ、と彼は考えた。
一方相手にしてみれば、マカマカ青年部のアイドル名鑑には保坂一誠の名から顔写真に年齢身長体重、座右の銘に好きな食べ物まで載っている。
情報戦における圧倒的な不利は明らかである。

彼はまず相手が取るであろう手と同じく、この雑踏に紛れることを選んだ。
今の保坂が纏っているのは地味な黒色のジャケットであった。
ここに野球帽を目深に被ると、彼の内に溢れる獣性は完全にその形を潜める。
絶え間なき闘争を運命づけられたアイドルのオフショットには必須のお忍びスタイルである。

『……さて本日ご紹介するのは、切れ味抜群、錆にも強い、ダマスカス鋼の包丁セット』
『そうなんですね~』
商品棚の奥から聞こえるテレビショッピングの音声がやけに保坂の耳を騒がせた。
自然と彼の足はその方向に歩みを進めていた。
はたしてその先、台所用品コーナーに置かれた小型のモニターにはスタジオ実演販売の様子が映されていた。

『ごらんください。ほら刃の立ちにくい鯛の骨も、まな板ごとザックザク』
『そうなんですね~』
『実はこの包丁、伝統工芸を受け継ぐ伊勢の刀匠が、あの妖刀村正のレプリカに魔剣ダーインスレイヴの因子を添加して鍛えた逸品なんです。だからこの切れ味!』
『そうなんですね~』
司会の男とアシスタントの女による軽妙な掛け合いが続く。
武器が必要だ、と保坂はおもむろに考え、商品棚に並ぶ包丁のひとつへと手を伸ばして刃渡り20センチほどの手頃なものを選んだ。
マカマカ少年部においてバックダンサーからの昇格、メンバー選抜の条件に絶海の無人島における一ヶ月のサバイバル生活が試験として課せられていることからもわかる通り、料理技術は一流のアイドルにとって欠かせない素養の一つである。
もちろん刃を用いた実戦格闘においても保坂の腕前は白眉と呼べるものであった。
したがって彼はそのとき己の内から急に湧いたこの物欲に対してなんら疑いを持たなかった。

『一枚が二枚に切れる。二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十と六枚、十と六枚が三十と二枚。三十と二枚が六十と四枚……』
いつしかモニターの周りには人だかりができていた。
いずれも皆ナイフや包丁を手に取りその刃先に光る灯りの反射をうっそりと眺めている。
あの司会は誰だ、とここで保坂は違和感を覚えた。
あの口上、そして包丁さばきは、間違いなく人体を効率よく破壊する手法を修めた格闘者のものである。
アイドルと流派を異にするにせよ、道を極めたタレント(与えられしもの)であることに疑いの余地はない。
しかし、保坂は同業者であるはずのその顔にとんと見覚えがなかった。

『なんと今回、この出刃包丁に、刺身包丁、菜っ切りに、無限度数の砥石までつけて、お値段はおどろきの49800円』
『そうなんですね~』
『いかがですか? もう今回限りですよ! 皆さんもこの切れ味をぜひ試してみたいとは思いませんか? 一度知ったらもう戻れません! やみつきになりますよ~。さあさ、ほらこうやって』
映像の司会は自らの首筋に包丁を当て、すっとその手を引いた。
頸動脈からほとばしる鮮血が画面を赤く汚した。
そしてそれは映像の内側のできごとだけではなかった。
保坂は己の首に当てられた冷たい刃の感触と、そこから滴り落ちる血の一滴の生温かさを覚えた。
そこに走る一条の赤い線はまぎれもなく己の右手で自身に刻みつけた真新しい傷であった。
我に返った彼の周囲には、同様に自らに刃をつき立てた犠牲者があたりの床一面を血に染めて、折り重なって倒れていた。
群衆のひとりが悲鳴をあげ、保坂の耳を鋭くつんざいた。

『と。まあ、魔人が相手となると、これで決着がつくのはよっぽど無防備なバカか、自傷願望の持ち主でないとね』
画面に残る女が血しぶきの奥からそう続けると同時、保坂は手に持った刃をモニターへと突き立てていた。
砂嵐が吹きすさぶ機械はしかし、確実にその内部までもを破壊されてなお、ノイズにゆがむ女の声を流し続けた。
『保坂一誠。あんたの欲望をかなえてあげる。とびっきりの夢を見せてあげ――』
そこでぷつりとテレビショッピングの幻想は途切れた。

「テメェが安道ハル子か……」
首筋の傷をなぞりながら、未だ姿の見えぬ敵に向かって保坂はそう呟いた。
「上等ォ……」
恐るべき敵の攻撃を味わってなお、保坂の顔にはかえって野蛮な笑みが浮かんでいた。
それは満場のオーディエンスを余さず虜にする、獰猛で貪欲なパーフェクトスマイルであった。

この騒動を遠巻きに囲む群衆のうちから、やがてざわざわと声が上がり始めた。
「嘘……! 本物……?」
「あ、あれ……保坂……一誠!」
「保坂一誠! テレビで見るよりずっと美人……!」
そしておずおずと何人かが彼に向って歩みを進めた。

「こっちを見てくれた……! 夢みたい……」
「ああ、その透き通った眼球……とても、きれい」
「長くて細い指……ほしいの……ね、一本でいいから……お願い?」
ある者はドライバーを、別の者はハンマーを。
ノコギリ、カッター、大鋏。
皆その場にある売り物の工具を手に持り、じりじりと保坂へと歩み寄ってきた。
その目はどこか熱病に浮かされたかのようにおぼろげだった。

そこではじめて保坂は店内の壁を埋め尽くすポスターの山をみとめた。
そこに描かれた人物は他でもない、駆け出し中の若手アイドル保坂一誠、彼自身の姿である。
鮮烈なコピーがA2サイズの紙面にいくつも踊っていた。
【《マカマカ公認》あの保坂一誠がドリームマッチに参戦!?】
【憧れのアイドルと夢のひととき】
【夢の戦いを見届けよう! 保坂一誠、いまあなたと触れ合う瞬間】

やがて周囲を取り囲む人海は徐々に総量を増していき、じわじわとその輪を狭めていった。
「あー……マネージャー通せって言いてえところだが……」
保坂の顔にまた一段と極上のスマイルが刻まれた。
そしてその身を覆い隠す変装を素早く脱ぎ捨てる。
そこに現れたのは七色のスパンコールがきらめく純白のパンタロンスーツに包まれたアイドルの姿であった。
足を肩幅に開き脇を締め、握った両拳を顔の横に置く、元気はつらつアピールのポージング。
古代琉球王国に護身武術として伝わったその型は、三戦の構えとも呼ばれている。

「おう、来いや。ファンサービスもアイドルの仕事のうちだ」
その言葉が彼のソロライブの開演を告げるMCとなった。


 ◇ ◇ ◇


「ドリルを買いに来る者が求めているのはドリルではなく、穴である……」
安道ハル子が新米広告屋の時分に叩きこまれたマーケティングの格言の一つであったが、
「いや、嘘だね」と彼女は一人続けた。
今にしてみればとんだ時代遅れのたわごとだと知っている。
愚かな大衆はドリルこそを欲しているのだ。
それが何に使うものかも知らぬままに。

「さすが新興宗教、連中たんまり金持ってやがる……」
戦場と化した家庭用品店から遠く離れて、陳列棚の影に隠れつつ、ハル子は己の持つ残弾を確認していた。
手に持つ端末に表示されたそれは、すなわちマカマカ教団本部から預けられた、保坂一誠その人のためのプロモーション広告費。
その残高は彼女の目前でみるみる減少していった。
「……ありがたく使わせてもらう。あたしのために」

目線を隠すサングラスに透かして、ハル子は保坂の戦いを覗き見る。
しなやかなバク転は、アイドルなら誰しもが学ぶ基礎ステップの一つ。
そこから繰り出されるサマーソルトキックに襲撃者は軽々と吹き飛ばされていく。
マカマカが提供した広告費用80万円のうち既に半分以上を、彼女はこの包囲攻撃のために消費していた。
なにせ通常の人間が耐えられる限界の10倍もの広告情報量を、哀れな犠牲者の脳髄に叩き込んでいるのだ。

ハル子の広告は金をつぎ込めばつぎ込むだけ強力になる。
彼女にしてみてもこれだけの大金を一度に動かしたことはかつてなかった。

なぜ保坂の飼い主であるマカマカが、わざわざ敵であるハル子に力を貸すような契約を?
その疑問を解くために彼女が仕掛けたのが、あの最初のテレビ広告による攻撃であった。
五感を通しての精神支配という自身の能力の一端をあえて晒すリスクを負ってまでハル子が得た確信。
それはこの戦いが茶番であるということだった。

あの映像は、保坂だけではなく通行人をも巻き込んで宣伝効果を発揮した。
そして実際、人数分の広告訴求に対する対価が銀行口座から現実に消費されていた。
すなわちそれは、この場にひしめく人々は全てお飾りの人形などではなく、意識を持った本物の人間であるということを意味する。
保坂やハル子と同じく、彼ら一般人も現実世界のどこかでショッピングモールをさまよう共通の夢を見ながら眠りに落ちているのだ。

夢幻の戦いに実在の金を持ち込む理由はただ一つ。
彼女に課せられた使命は勝利ではなく、戦うことですらない。
ただただドリームマッチという鳴り物入りのイベントで無防備な衆目を集め、その閲覧数を広告主のために捧げること。
選ばれた舞台が商店ひしめくショッピングモールであったことも偶然ではないだろう。
あの保坂一誠ですら新興宗教マカマカ教の信者獲得キャンペーンの客寄せ存在でしかない。
要するに、魑魅魍魎が蠢くドリームマッチという坩堝の中で、ハル子の勝利を望んでいるプレイヤーなど本当は誰一人として存在しないのだ。

ふざけるな、とハル子は唾を吐き捨てたい衝動をかろうじて抑えた。
あの男――虫唾の走る上司は「勝敗は問わない」と確かに言った。
彼女は冷たい怒りでもってその言葉を文字通りに受け取ることにした。
つまり勝ってもよいという許可。
どんな手を使おうと、いくら広告主の金を無駄に費やそうとも、あの保坂一誠を本気で叩きのめして構わないということだ。

この勝負のあとも、ドリームマッチとやらの運営はこの興業を続けていくのだろう。
ハル子はそれに相乗りせんとするプランについて想像をめぐらした。
まず、寝入りばなの瞼に60秒の全画面動画広告。
こいつはスキップできない。
それが終わったところで視界の端には常にバナー広告を挿入する。
また眠りにはレム睡眠とノンレム睡眠の二種類があるという。
この切り替えの前後にアイキャッチ。
15秒動画が二、三と差し込まれる、夜明けまでその繰り返しだ。
バカげている!

一晩のアガリはこれで一人あたり100円足らずといったところだろう。
だがこれに母数の70億人を掛けてみろ。
全人類の安寧の時間は、これからは連中の小銭稼ぎの道具になるのだ!

「いや、あたしだ」
ハル子は自ら訂正する。
「待ってろ……上に立つのはあたしだ! バカどもの寝てる上にあぐらをかく連中を、あたしがさらに支配してやるんだ!」

不意に、ハル子は日中に覚えた白昼夢のことを思い出した。
古びたディストピア小説のような近未来世界だった。
欲望を支配されて飼いならされる下層階級市民。
そこに君臨する王は他ならぬハル子自身だ。
果たしてそれはハル子が思い描く理想の姿なのか?

戦の喧騒が次第に近づいてくる。
ハル子は首を振って余計な思考を頭から押しやった。


 ◇ ◆ ◇


軽やかなステップからのグラン・ジュテ。
保坂の足先がナイフを振り上げた男の首骨を折る。
着地後、振り返りざまの投げキッス。
その指先は正確に背後から奇襲する女の両目を破壊した。
かの格闘技は複数人を同時に相手取るときにこそ最も力を発揮する。
アイドルたるもの、居並ぶ観客の誰か一人にだけ特別の笑顔を向けることなど許されないからだ。
欲望に操られたあわれな襲撃者たちは次々とその場に倒れ伏していく。
もとより格闘術を身につけた強力な魔人にただの人間が敵うはずなど万に一つもない。

だが、保坂は己のパフォーマンスにひとかけの違和感を覚えていた。
自分ではない誰かのモーションキャプチャーをなぞらされているような、漠然とした不安を。

やがて激しいライブが引き起こした失神死体の山でフロアすべてが埋め尽くされたころ、彼の前に悠々と女が現れた。
金の長髪、サングラスにピアスと、美麗なコーデにきらめく保坂とは対照的な安っぽい姿だった。

「これで手は終いか? 安道ハル子。あとはテメェがいい夢を見る番だ」
「……違うね。のこのこ出てきたのは、準備が終わったから」
そう言うとハル子は足元の犠牲者が武器に使っていた商品のナイフを保坂に投げつけた。

「スパムの本質は圧倒的な物量。【アリクイ】だろうが【立太子ボタン】だろうが――万に一つ、たとえ9999人に見向きされなくとも、たったひとり餌にかかる者がいれば十分にペイする」
眼前で受け止めた鈍く光る刃を視て、保坂は鳥肌が立った。
ナイフの刃の両面に、眼には見えないほどの細かい文字が偏執的なまでにびっしりと刻まれている。
「それ一本だけで5万円使ってる。『サブリミナル広告』。たとえ自覚し得ない意識下の刺激であっても、ニューロンは貪欲に認識し潜在的欲望に働きかける」
このまま眺め続けることの危険を察知し、彼は直ちにそれを投げ捨てた。
だが先程までの一見して一方的な戦闘のさなか、彼はすでに気づかぬまま致死量の広告を摂取させられていたのだ。

ハル子は後ろ手に両手を壁についた。
「そしてあたしは知ってる。幾千、幾万ものキャッチコピーのうち、あんたの脳ミソが何に見とれて、何を無視したか。あたしは全て理解した。だからもっとも効くヤツを出せる。いま自分がどこにいるかわかる? ……これが『ターゲティング広告』!」

二人が相対するそこはショッピングモール内のありふれたカジュアル衣料品店であった。
彼は知らず知らずのうち無意識の欲望コントロールによってこの場に誘導されていた。

「保坂一誠、あんたを内から支配する欲望は、食欲でも性欲でもない……」
ハル子の手から流れ出す青白い電光が四方の壁全体を覆いつくすと――
「自己顕示欲だ! 図星だろ! 保坂一誠!」
地味な服飾店は、一瞬にして光めくるめくファッションショーの舞台へと変貌していた。


……優美を誇るパリ・コレクションであろうと、その目的は新作発表という販売促進行為。

それが宣伝である以上、安道ハル子の『興國アド魅ラル』に再現できぬ道理はない!


――トップアイドルに、あこがれていた。
TVの向こうできらめく存在に。


「アイドルなんて、うわべだけの存在だ。わかってるだろ、保坂一誠。外見がすべてだ」
「がッ……は……違え…………違えよ、くそ…………」
「嘘だね」
膝をつき胸を押さえ、荒く息を吐く保坂に対しハル子は冷酷な言葉を投げかけた。

洋服店内に陳列されたさまざまな衣類、そのどれもが保坂に訴えかける。
わたしを着て。わたしを身につけて。
そうすればあなたは望むがままのあなたになれる、と。

質素なレジ前はもはやスポットライトが降り注ぐ華やかなランウェイ。
今の保坂の目には、安物を着せられたマネキンが極上のプレタポルテを纏ったトップモデルにすら見えていた。
着飾りたい、自分をよく見せたいという激しい欲求が彼の心をとらえて離さなかった。

「あんたは見せかけのコーデを欲してるんだ。ごてごての衣装。ちっぽけな自分を覆い隠す虚飾を。それさえあればステージで輝くあこがれの存在になれる、形だけでもね。そう思ってるんだ」

「だか、ら……何だ! 潰すぞ、てめえ! 御託はいいから来やがれ!」
保坂は朦朧とした意識でせめてもの啖呵を切った。
「ハッ……あたしに近づいてほしいのか? バーカ」
一方ハル子にしてみても、空間そのものに貼り付けるここまでの誇大広告を解き放つのは初めてである。
一度に消費した金額の桁の大きさに、内心冷や汗を流していた。
だから確実にここで仕留めると、そう決意してハル子は動いた。

「殺るのはあたしじゃない。準備ができたっていっただろ……準備してくれたのはあんたさ、保坂!」
ハル子は倒れ伏す死体の頭をわしづかみにした。
その手に閃光が走ると、死体は筋肉に電流を流されたかのように跳ね起きた。

「! 何、だ……」
保坂は驚愕する。
白目を剥いて硬直するその人間の様子は、先程までの精神の操られ方とは明らかに違っていた。
「意識が抜け落ちた夢の空間のアバター。裏口が開きっぱなしのアカウントだ……だから侵入できる。広告を貼り付けた。こいつはもうあたしのゾンビ人形」

【……………………強く……】
【…………強く】
死体が口を開いた。
その声は涅槃の向こうから響くかのように保坂の耳に直接届いていた。
その口は次にはっきりとこう続けた。


【強く推薦レイバンのサングラス特価優遇2499円】


「……行けッ!!」
ハル子が指さすと同時に、壁を破って現れた数十体ものスパムbotが保坂へと躍りかかった。
恐るべき違法宣伝リプライでもって生者のアカウントを食らい尽くすために。


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無数のbotが、アイドルの四肢に食らいつく。
それを跳ね除けるダンスパフォーマンスは今や泥酔者のようにふらつく有様。

【レイバン】
【レイバンの】
【サングラス】【サングラス】

もはや己の夢も、夢の戦いのことも忘れ、保坂の思考はただ一つの欲求へと収束しつつあった。
――サングラスチョーカッコイイ!

「ほら、保坂。あんたが欲しいのはこれ。欲しいんでしょ? すっごく」
顔から外されたそれが、ハル子の指でもてあそばれていた。
保坂は飢えの淵に立たされたような形相でその至宝を見つめた。
打ち砕いてもそのたびさざ波のように寄せて返すゾンビbotの包囲網は、徐々にその数を増していった。

そしてハル子の顔が邪悪な歓びに歪んだ。
「土下座して。這いつくばって、コレが欲しいって言って……」
すべては虚飾だ。
このサングラスだって、本当はただの偽ブランド品。
大衆は何も気付かない。
本当に望むものはなんなのか。
だから自分にはそれを踏みつける権利がある――

「強情だね……いいよ、あげる。そら」
ハル子は山なりにサングラスを放り投げた。

保坂は鈍化した時間感覚の中、上を見上げた。
無防備な彼のもとに数多の死体が群がっていた。
頭上から、ゆっくりと降ってくる、彼の望み。内なる欲望。
彼はそれに手を伸ばし――


「…………『いら……ねえ!』」

一呼吸のもとに握りつぶした。


 ◆ ◇ ◆


――古今無双の殺人術、アイドル。
秘められた歴史を遡れば、その源流は古代の巫女にあると言われている。
まだ祭りが祀りと不可分であったころ、穢れなき乙女たちは想像を絶する過酷なレッスンのもと、自らを神に奉げる偶像へとプロデュースしたのである。
スポットライトは松明のかがり火。
厳かに並び立つバックバンドを背に、無垢なるファンの祈りを一身に受け、神懸かりの舞を舞い歌を歌う。
神聖なるその儀式は人の身にして神のもとへと旅立つライブツアーであった。

そしてその起源を手繰ればまたひとりのアイドルへと辿りつく。
原初のアイドル、芸能を司る一柱の神――その名をアメノウズメという。
その最古のライブの記録は岩戸隠れの神話として広く頒布されているとおりである。
曰く、暗闇のステージに降り立った神代の巫女のあまかわキュート&いたずらセクシーなパフォーマンスはあまねく神々をも虜にし、大地にとどろくコール&レスポンスは稲妻となって世界を震わせた。
その魅惑の足さばきが刻むステップはやがて魔を祓い、厚い岩盤をも割り砕き、太古のステージを光で満たしたという。


「卒業には……まだ早え……」

アイドルは強い。
アイドルは負けない。
それは保坂にとってまこと『自明なる公理』。
彼は己に言い聞かせる。

「こんなもの……無くたってなあ!!」
保坂は己の纏うコーデを引きちぎった。
引き裂かれた装いの奥からなまめかしい胸板に乗った厚い筋肉がのぞく。
その姿はもはやアイドルと呼ぶには過剰なまでにワイルドで、あまりにもセクシー過ぎていた。
「俺が。俺自身が、アイドルなんだッ! 他の誰でもねえ、俺だ!」

「な、……そ、そんな……」
ハル子は狼狽する。
そんなはずはないと。
内なる欲望に逆らうことのできる人間などいるはずがない!

不可能はない。
保坂は己に言い聞かせた。
そしてそれは現実のものとなる。
『自明なる公理』。
いま彼の目に映っているものはただの欲望などではない。
その先にある、野望!
彼は己に言い聞かせる。
なんだってできる。
今までできなかったことも。
作詞、そして作曲。
言うなればそれは、トップアイドルすらも遥かに凌駕する、真なる芸達者(アーティスト)。
人はその存在を、スターと呼ぶ。
夜の終わりとともに空に現れる、明けの明星――


~《夜明けのGolden☆Star》~
作曲:保坂一誠
作詞:保坂一誠

「♪君と二人過ごしたあの夜♪」
右の裏拳。敵のみぞおちに食い込む。

「♪涙 流し見つめあったね♪」
膝蹴りの金的。股間を破壊。

「♪Fu……どうして大事な こと♪」
脇腹に鈎突き。

「♪Woo……いつも見つけられない♪」
顔面への足刀。ゾンビbotの首を刈り取る。

「♪ほら、ああ、一番星が♪」
左拳。

「♪Ah それは輝きの Message……♪」
右拳。

「♪夜明けは 夜明けは 夜明けは近い♪」
乱打。乱打。乱打。
「♪夜明けは 夜明けは 夜明けは近い♪」
乱打。乱打。乱打。


「……なん……だよ、そりゃあ……」
ハル子は素っ頓狂な声を出し、床にへたり込んだ。


「♪ヨアケは ヨアケは ヨアケは近い♪」
「♪ヨアケは ヨアケは ヨアケは近い♪」
乱打。乱打。乱打。

「ばか、おまえそれ、き、気の狂った……ス……ステマじゃねえか!?」
彼はそんな言葉など意に介さない。
信じるのは己の魂が発する言葉だけだ。
何より、よりによって前の試合のやつとネタがまる被りしたからといって、もはや引き返す時間など無いのだ!

「♪ヨアケは 近い……♪」
抒情的なアウトロとともに、天井に開いた窓から夢の時間の終わりを告げる朝日が射し込んだ。
もはやその場に立っているものは、彼を除いて他にない。
保坂一誠、これが本当の彼のDebut Single。


「ち……畜生。ちくしょう。来るな……来るな!!」
ハル子は恐怖した。
人智を超えた理外の存在に。
がむしゃらに床に手をつくと、手持ちの残金全てを消費する青天井の広告掲載を発動した。
無数の文字が、無数の色彩が、暗い石の下から這い出る虫のようにあたり一面に広がった。

【世界初】【月50万】【稼ぐ】【中まで浸透】【今だけ】【もれなく当たる】【キャンペーン】【実施中】【詳しくは】【みんながやってる】【業界最安値】【本当の私へ】【最大75%OFF】【成功実績】【キャッシュバック】【知ってる?】【年齢に負けない】【誰でもできる】【噂の】【すっきり】【実際】【安い】【人には言えない】【コレひとつで】【あなた】【お探し】【まだ見ぬ世界】【実質無料】【欲しかったあの】【安すぎる】【毎日の】【世の中の裏を】【大人気】【だから】【刺激】【こんなにも】【限定】【もう抜け出せない!】【人気の秘密は】【なんでも】【必見!】【うるおい】【無料】【各種が】【閲覧注意】【簡単!】【評判の】【ポイント】【無料】【お得な】【無

「……『効か』」

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「『ねえ!!』」


たった一撃のアンコール。
全力の踏み込みからの右の正拳。
それはハル子がはじめて直にその身に触れた、本当のスター存在だった。
『自明なる公理』が、あふれだす広告を、嘘だらけの言葉を、そして彼女自身を、全て吹き飛ばした。

「虚飾? 虚勢? ……馬鹿言え。カッコつけるのも、中身のうちだろうが」


ショッピングモール内、吹き抜けの広場の壁に、ハル子は叩きつけられた。
壁に蜘蛛の巣上の亀裂が走り、肺からは全ての空気が絞り出された。
彼女にはもはや、逃げ出す体力も、戦うための口座残高も何一つなかった。
ぼんやりと思い出すのは、いつの日かの自分……。


――ああ、夢……
かつては確かにそんなものがあった――


そのとき、彼女がずるずるともたれかかった壁一面に、稲光のパルスが生じた。
ハル子の『興國アド魅ラル』は、当人すら意識をしないままに、最後の広告を掲載していた。

その光景に、保坂一誠は息を呑んだ。
騒動から身を隠していた生存者も、店内からおずおずと顔を出し、すべてその30メートル四方はあろう巨大なパネル広告を見ていた。

ハル子自身も満身創痍の呆けた様子でそれを見上げた。
そしてその目に涙がにじみ、やがてあふれ出した。
「あ……ああ。これ……そうだ……」

子供が描いたような拙いクレヨンの絵。
そこに添えられた手書きの未熟なコピー。

【焼きたてがおいしい! 安道ベーカリーの食ぱん!】

「『自社広告』だ。……あたしの、貯金だ。あたしが、あたしに望んで、出した」

ハル子が生まれて初めて描いたポスター。
ただただ、知ってもらいたかったのだ。
尊敬する父親の誇るべき仕事を。
それが今、あまねく人々の目を確かに釘付けにしていた。
「やめろよ……見るなよ。もう、無いんだ。親父の店。終わった。終わったんだ……」
そしてその夢はもう、叶うことはなかった。

「ああ、消える。消えていく」
彼女の圧倒的な広告掲載能力は、それ相応の無慈悲な対価を要求する。
己の役割を果たした巨大広告は、端から徐々にその色彩を失っていった。
「よってたかって夢を食い散らかそうとするハイエナどものじゃない。掃き溜めのクソみたいなヌシどものでもない。あたしが……あたしのためだけに、望んで……くそ。あたしの、貯金……全財産……借金も全額返済して、200万、貯めたんだよ……5年間も、クソのような男の下、クソみたいな仕事をして、クソを世の中にばらまいて」

保坂はその嗚咽をただじっと見守っていた。
居並ぶ人々も、誰も声を発することはなかった。
「ちくしょう。見るな、見るなよ。畜生……消える……消えていく……」


 ◆ ◆ ◆


うなだれるハル子に対し、保坂はしばらくかける言葉が見つからなかった。
そうして立ち尽くしたのち、彼は決意に満ちた目とともに、こう切り出した。

「……俺は、本物のアイドルになる。誰も見たことのない、最強のトップアイドルに。伝説の存在に。必ずなる」
無遠慮な台詞にハル子は思わず噴き出してしまった。
そして自嘲的に呟いた。
「そうだね……あんたは、それができる。あたしは降参。なんにもない。夢の続きは、あんたに任せる」
「ああ」
保坂は力強く言葉を返す。
「約束する」

ハル子はその顔を見上げようとしたが、瞳は逃げ惑うようにふらふらと定まらず、やがておっかなびっくりの様子で手を彼のもとへと伸ばした。
差し出された手に戸惑いを見せる彼に対して、彼女はこう告げた。
「……保坂一誠の。ファンに、なります」

若きスターは照れ隠しのように一瞬はにかむと、その手を強く握り返して新たなファンの声援に応えた。
天窓から降り注ぐ朝の光が、そのシルエットを淡く照らしていた。
最終更新:2016年03月05日 18:03