個人戦4回戦SSその1


「でも、神様に逆らうことはできません――」

少女は、震える唇で、そう男に語り掛ける。
男はそんな少女の瞳をじっと見つめる。
神、運命――、か弱い夢見る少女にとっては、それは絶対的なものなのだろう。

『生きているのなら神様だって殺してみせる(※1)』とか――
『たとえ神にだって俺は従わない(※2)』とか――
あるいは『運命などに俺の人生を左右されてたまるか(※3)』とか――

いくつかの、それらに逆らうべき言葉が、男の脳裏に浮かぶ。
しかし、男はそれらを打ち消し、自分の中にある言葉で少女へ語った。

「――かもしれないな。でもね、家子ちゃん」

男の手には、いつの間にか黄金色の銃が握られていた。
その銃口が、ゆっくりと上げられる。
男は、もう片方の手で握った、くるくると丸められた紙でできた弾丸をその銃に込める――。

「俺は知ってるぜ。神様の騙し方ってやつを――」

――さあ、夢を見る時間だ。
男は、引き金を引いた――。





  • 登場人物紹介

弥永家子(やなが いえこ)……高校二年生。夢で見たことを現実にできる能力、『テクマク・マーヤ・ドリーム』の持ち主。心は繊細な少女だが、体はイエティ。
口舌院語録(くぜついんごろく)……探偵。能力で作り出した銃で撃ちこんだ印刷物、出版物を現実化する能力『語録燦銃(ごろくさんじゅう)』の持ち主。表向きは寂れた探偵事務所を営んでいるが、裏では実は大手探偵事務所「ハッピーリサーチ」の所長でもある。バツイチ。

白田(しろた)まさし……弥永家子の幼馴染。彼女とは両想いの関係。周囲には恋人同士だと思っている人も多いが、本人同士の関係はまだ一歩踏み出せていない。
氷堂萌華(ひょうどうもえか)……家子、まさしの中学時代からの親友。だが今はある事情で離ればなれになっている。自分の身体に付けた火を操る能力『本能寺の変』の持ち主。時代劇好き。

北条(きたじょう)……口舌院事務所唯一の所員。所長の意向で眼鏡をかけさせられている。よく名前を「ほうじょう」と間違えられる。コーヒーや紅茶を淹れるのが上手い。





「あら、家子ちゃん、いらっしゃい――」

弥永家子が喫茶店の自動ドアをくぐると、顔馴染みである女主人は笑顔で声をかけた。
彼女が店に来るのはおよそ一週間以上ぶりである。女主人はそうなった事情を既に知っているだけに努めて明るく振舞ったのだが、やがて彼女の陰に隠れた見慣れぬ男の姿に気づき、顔をしかめる。

やや童顔ではあるが、180程もあろう長身。黒いスーツを綺麗に着こなし、黒いポーラハットを深々と被ったその姿は、紛れもなく大人の雰囲気を匂わせる。
込み入った事情が無くても、知り合いの女子高生がこんな男と二人、店で食事をするとなれば良識ある大人としては気に留めるところである。
しかし、女主人が口を開くより先に、

<<ごめん、奥の席を借りていい?>>

弥永家子は申し訳なさそうな仕草で、その手に持ったタブレットへ打ち込んだ文字を見せた。



「――勝ちを譲りたい?」

男――口舌院語録は机の上に置かれた液晶パネルを見つめ、呟く。
右手に握ったコーヒーカップを置き、向かいに座る少女、弥永家子に視線を向け、その表情を深く観察する。
しかし、熟練の探偵である語録にも、生憎、(')(')(')(')(')(')(')の表情を読み取った経験は少ない。

(けど、嘘を言おうとしている感じではないな)

こうなると頼れるのは探偵としての勘、及び表情以外から読み取れる少女の空気である。
だがその巨躯に似合わず、出会った時からその少女には一切の混じり気が感じられない。

(『天使の顔して心で爪を砥いでいる(※4)』なんて輩には何度も出くわしてきたが――)

しかし、そんな疑念を抱くのも馬鹿らしい、と思わせるほどに、その少女の仕草には純な物しかなかったのだ――。


敗者には覚めぬ凶夢を。勝者には冷めぬ瑞夢を――。

譲れぬ想いを胸に、全力全能を以て眼前の敵に打ち勝て――。

対戦相手:『弥永家子』

戦闘空間:『特急列車』

戦闘開始時刻:『本日23時0分』


口舌院語録が無色の夢から目覚めたのは既に朝の10時を過ぎた頃であった。
一仕事を終えた後、すっかり疲れ果てていつの間にか道端で眠ってしまっていたのである。

幸いにも今日は休日であった。探偵業も勤務形態はサラリーマンと変わらない。土日、祝日は事務所を閉める。
もちろん、実際の調査がある時はそんなことを言ってられない場合も多いが、依頼の少ない口舌院事務所では土日は普通に休むのが大抵である。
(もっとも、土日以外も普通に事務所で休んでることが多いのだが、語録にとってあまり気にしたくない事実である)
だが、今日に限ってはこの後のんびりと事務所に戻ってもうひと眠り、というわけにはいかなかった。

「マジかよ……」

思わず一人ごちる。一難去ってまた一難。しかも昨日こなしたものよりもっと厄介な仕事が自らに振ってかかることとなった。
しかし探偵としての本分か。いついかなる時に依頼がこようとも、即座にスイッチが切り替わるようにはできている。

語録は頭を整理し、夢への戦いの考察を開始する。
戦闘に関して分かっているのは対戦相手の名前と、戦闘が行われる場所のみ。これだけでいかに今晩までに準備を整えられるか。

対戦相手のことにせよ、戦闘方法の考察にしろ、調査を行うには一度事務所に戻る必要がある。寝起きで乱れたままの服装も整えねばなるまい。
語録は身だしなみをいったん整え、自分の携帯を取り出しだが、そこで着信履歴があることに気づいた。
履歴の相手は――事務所唯一の社員である北条からであった。
今日は休みであるはずなのに何故――?と慌てて履歴からかけ直すと、「あ、所長どうしたんですか、何度もかけたのに――」と開口一番、文句から始まる北条を軽く制しながら要件を聞き出すと、その口から意外な言葉が語られた。

「珍しいですよ。仕事の依頼が朝からメールで届いていたんです。 依頼人の名前は『弥永家子』さんです。知っています? 内容も私にはよく分からなくて――」





「そういわれても、やはり素直に受け取ることはできないな」

語録は目の前の少女に対して慎重に言葉を選ぶ。
机の上にはコーヒーカップと、既に空になった皿がいくつか置かれている。
時計に目をやれば時刻は昼の12時半。
一度事務所に戻って身支度を整え、()()()()()を終えて、電車で弥永家子が指定した場所へ向かうまでに約2時間程。
その間、食事を取る暇などなかったが、今こうしてようやく美味しいサンドイッチとコーヒーにありつけている。
もう一度熱々のコーヒーを口に運ぶ。北条の入れてくれるものに劣らない味である。先ほどの女店主の腕が余程良いのだろう。起きてからずっと働き詰めであった頭が癒される。

一方で、弥永家子の前にはミルクの入ったコップが置かれているだけであった。
そのサイズは語録の持つコーヒーカップの三倍以上はある。しかも家子はほとんど手をつけていない。

「そりゃあ、あのメールを見れば興味は出る、話を聞こうか、という気にはなる」

語録はここに来るきっかけとなった、『弥永家子』からのメールについて触れる。



件名:夢での戦いについて

口舌院語録様

始めまして。弥永家子と言います。
休日に急なメールですみません。
ですが、今晩行われる無色の夢での戦いについて、どうしてもお話ししたいことがあります。
できれば直接貴方の事務所にうかがいたいのですが、おそらく私が行っては大変目立ってしまい、ゆっくり話ができない可能性があります。
申し訳ないのですが、可能であれば以下の場所まで来ていただけないでしょうか。

○○駅 B××出口 △△像前

私がうかがえない理由は添付した画像を見ていただければ分かると思います。
これが私、弥永家子の姿です。

=======

私立希望崎学園2年C組 弥永家子



――丁寧なメール内容。その割に依頼する相手に直接こちらに来い、などという不躾な態度。
しかし、その理由はなるほど、メールに付随した画像を見ればよく分かった。
希望崎学園の制服を身に着けた女学生の姿――しかしその大きさは優に二メートルを大きく超え、全身には白い体毛、茶色い鋼鉄の皮膚、巨大な四肢に生える指は四本。

――まごうことなき、ヒマラヤ伝説のUMA、イエティである。

(流石の俺も、最初にあの画像を見たときは目を丸くしたが……、まあ正直、うちに来る依頼はこうした変わり種も多い)

語録は回想を止め、再び家子へ視線を戻す。

「けど、あれで警戒されて、何も反応が返ってこなかったらどうするつもりだったんだ?」

「……………」

少女は押し黙る。
長身である語録よりも遥かに大きなその巨体はしかし、今はやけに縮こまって見える。

(何も深い考えはないのか、それとも――)

語録はもう一度コーヒーに口をつける。気づけば既に空になっていた。
今の彼にはいくつもの気がかりなことがある。それらにどう対処していくかで頭が一杯であった。

今晩起こる夢での戦いへの対処。
目の前で自分に対し、その戦いの勝ちを譲りたいと語る少女の真意。
この町に来る前に依頼した調査の行方。
そして――。

(隠れているつもりなんかね、あれ――)

語録は家子から一度視線を外し、店の奥の方へ意識を向ける。
探偵という職業柄、語録は常に周囲を警戒しながら行動する習性を持つ。
語録は今、この店の中で自分たちへいくつかの視線が向けられているのを感じていた。
そのほとんどが、女主人やこの店の常連客、おそらくは家子を知る人達からのものである。多くは彼女を心配するもの――見た目からは想像もつかぬ彼女の人気の良さが見て取れる。
だがその中でも一つ変わった視線が――。

「……失礼。ちょっと、別の用件だ」

そこで語録は鞄からノートPCを取り出し、机の上へと広げる。
その直前、語録のポケットに入っていた携帯が振動し、彼にある知らせを告げていた。

どうやら気がかりの一つ。
目の前の少女、弥永家子に関する調査結果が出たらしい――。
語録はノートPCを立ち上げるとメールソフトを開き、ハッピーリサーチ社から届けられた文書に素早く目を通した。

「……………」
「……………」

沈黙。
家子も、語録も、女店主も、店の中にいる他の客たちもしばらく動きを止める。
やがて語録はPCを閉じ、そして顔を上げると、唐突に家子に告げた。

「家子ちゃん」
「ハ、ハ―――」


家子は驚き、辿辿しく声を上げる。
だが、次に告げられた言葉は更に彼女の予想の外にあるものだった。

「おじさんとこれからデートしようか」





「へえ……なかなか良い図書館だな」

午後1時。
口舌院語録と弥永家子はその町で最も大きな図書館に来ていた。

「『古い本には、人の秘密が詰まっています(※5)』な~んて言葉を知ってるかい、家子ちゃん?」

語録は狭い本棚のスペースに入り、立ちながら本をペラペラとめくっている。
家子は少し離れたところからそんな語録を見守っている。
彼女の体格では語録の近くにはいけない。

家子はこの図書館の常連であり、今更館内で目立つことは無いのだが、流石に彼女に合わせて図書館の作りを変えることまではできない。
こうした狭いスペースにある本を取ってくるのは彼女の()()()()の仕事であった。

「うーん、やっぱり中々そう都合の良い文章は見つからないな、こりゃ」

語録は本を棚に戻し、家子の方を向き直す。
本のタイトルは『塩狩峠』と書かれていたものであった。

「ん、なんでこんなところに来たのって感じだな?」

語録は未だ廊下にて戸惑ったまま立ち尽くす家子に声をかける。
語録はそんな家子の手前にゆっくりと近づくと、ひゅっとその手を差し出した。
その手にはいつの間にか黄金色の銃が握られている。
家子ははっと息を呑む。

「これが俺の能力でね……。名前は語録燦銃(ごろくさんじゅう)

驚く家子に語録は言葉を続ける。

「一言でいえば「文章を現実化する能力」さ。この銃に印刷物や出版物の紙片をシリンダーとして装填し、対象に撃ちこむことで、その紙に書かれた内容が対象に発生する。対象が適正であれば有り得ないようなことも起こる」

「一見便利に見えるけど、案外にそうでもない。文章に男って書かれてるのに、相手が女だったら何も起きないし、自分で自分に都合の良い文章を創り上げるのは駄目。きちんと状況に適した印刷物をその時に俺が持っていなければいけない。中々とっさに使うには難しい力さ」

そこまで言うと、語録は家子に向けられた銃を消した。
銃を出した瞬間、彼らとやや離れた場所でやんごとなき気配が生じたが、それは語録が視線を向けたのを見てとっさに本棚の陰に隠れた。
家子はまるで気づいていない。まだまだ緊張が解けていないな、と語録は思った。

「そんなわけで、仕事に挑む前にはこうしてそれに適した文章を探すのが必須ってわけ。今回の戦闘場所は『特急列車』だって言うからそれを題材にした本を探してたんだが……」

「ア……アノーー」

「ん?」

そこまで話してようやく家子は口を開いた。
言って家子ははっとなり、慌てて手にしたタブレットの方に文字を打ち込む。

<<なんでそんなことを教えるの?>>

家子の差し出した文字を見て、語録は「ああ」と言うと人差し指を一本立て、

「まあ『戦いの前に自分の能力を仔細に説明する馬鹿はいない(※6)』なんて捻くれた奴は言うが、家子ちゃんは俺に勝つ気は無いんだろ?」

「ウ、ウン……」

「なら、良いじゃないか。俺は俺のやり方で勝たせてもらうよ」

「…………」

語録は家子の前を静かに通ると、また隣の本棚の合間へ入る。
視線を棚へ向けながら、語りを続ける。

「さっき読んでいた本はな、列車の連結器が外れて暴走しちまうって実際にあった事故を元にした小説で、上手く使える描写は無いかと見てみたんだが、中々列車に実際に撃ちこんで切り崩せるような描写は無かったな」

「………」

笑顔の裏で、容赦のない思考を告げる語録に家子の心は震える。

「家子ちゃん、なんかこう……今度の戦いで使えそうな小説とか知らない? 結構読書好きなんでしょ?」

語録はうーんと悩みながら、家子に問いかける。
家子は驚き、再び文字を打つ。

<<なんで分かるの?>>

「ん、図書館にいる人、家子ちゃんを見て驚く人少ないじゃない? 皆、結構家子ちゃんを見慣れているからだと思うけど」

家子ははっ、と周りを見渡す。
見ればいくつかの客の視線が家子達に向けられていたのにようやく気付く。
語録の方は、慌てて更に奥の方に引っ込んでいった気配にまで気づいていた。

<<名探偵、なんですね。語録さん>>

「こんなもの、推理でも何でもないさ。誰でも自然と分かることだよ」

関心する家子に語録は首をすくめて答える。

「それより、やっと結構喋ってくれたな、嬉しいぜ」

「…………」

家子の体からはいつの間にか緊張が解けていた。
語録は一際()()()()が強まるのを感じつつ、更に明るく家子に語り掛けた。

「まあ、とにかく今日の戦いに使える弾丸を探すぜ。『寝台特急殺人事件』 『夜行列車殺人事件』『蜜月列車殺人事件』『特急さくら殺人事件』『四国連絡特急殺人事件』……これ全部同じ作者かよ、流石に全部目を通すのは無理だな、こりゃ」





「いやー……やっぱり、何度見てもいいぞ、この映画は」

午後の5時過ぎ、既に夕暮れ。
語録と家子は二人並んで映画館から外へ出る。
図書館で二人、ひとしきり色々な本を調べた後、語録は「この後映画を予約してある」と言って、町の映画館へ家子を誘い出した。
その映画は女子高生達が戦車道という、戦車に乗って戦う武道を嗜む、世間でも大人気のアニメの映画である。
公開から約三ヶ月を過ぎても未だ大盛況であったが、休日にも関わらず、僥倖にも当日のネット予約で席を確保することができたのだ。

<<私、初めて見ました>>

家子は既にすっかり語録に心を許したか、二人の距離は近い。

「ん、そうなの? 友達と一緒にアニメ映画とか見にいったりしない?」

<<私も友達も、あまりアニメとかとは……。少女漫画とかは読みますけど……>>

「マジかよ……」

女子高生とのギャップに落ち込む語録。
この差異は図書館にいた時から既に感じられていた。

語録はライトベルや漫画など、サブカルチャー的なものを好むが、家子は生真面目で好む小説も文学的なものばかりである。
特急列車を上手く活用できるライトノベルというのが語録にすぐ思いつかなかったので最初はミステリ小説から当たることになったが、やがて本の話を色々としていくと二人の読む者には非常に大きな隔たりがあった。
結局、こんな二人のズレも合って、映画の時間までに望むような描写のある小説は見つからなかった。

<<でも良かったです。TVシリーズも見てみたくなりました>>

「ん、そうだろ、そうだろ~」

幸いにも映画の内容は家子にも好評であり、二人は会話が弾んだまま、しばらく並んで歩みを進める。

<<はい、ともd >>

そこまで打って家子の手が止まる。

「ん、どうした……」

<<いえ、何でもありません>>

慌ててバックスペースで文字を消し、打ち直す家子。
自然と二人の足も止まる。

「何でもない――か。でもなあ、これで()()()()()()()()()が一つできちゃったんじゃないのか?」

「……………」

ちょうど立ち止まったところで、語録は再び周囲に意識を回す。
映画館の外に出た時から、再度昼から感じていた強烈な視線が向けられているのを感じる。
今、二人は人気の無い裏通りにいる。語録が家子に気づかれぬよう、自然とその場所に誘導していたのである。

(さて、こんだけ時間を使ったんだ。そろそろ何かのアクションがあるかな――)

語録は沈黙を続ける家子に対し、声色を努めて明るく切り替えて語りかけた。

「さて、この後はどこに行く家子ちゃん? ちょっと早いけど、食事に行くか、それともどこか別の場所へ――」




「いいえ、これから行くのは地獄よっ!!」





突如、雄たけびと共に空から小さな火の玉が凄まじい勢いで口舌院語録の頭上に振ってきた!

(げっ、そっちが先かよ!!)

語録は、思わぬ方向からの攻撃に反応が遅れる。
しかし、そんな彼を庇う巨大な白い影――、家子は彼よりも素早くそれに反応し、その巨大な腕を持って火の玉を防いだ。

「さ、サンキュー、家子ちゃん」

語録は感謝を述べつつ、自分より反応が早かった家子に心の中で感心する。
おそらくは彼女に備わった野生の勘、というものか――。

「――って、何であんたが防ぐの!!」

二人は炎が飛んできた方角に目をやる。
暮れなずむオレンジ色の空からしゅたっ、と一つの赤い影が二人の前に舞い降りた。

それは、全身を赤の意匠に身を染めた少女であった。
赤い仮面、赤い兜、赤い甲冑――。
これは――。

「私は、謎の真田仮面!! 女の子を勾引かす輩を成敗しに来た!!」

高らかに名乗りを上げる謎の甲冑少女。
唖然とする語録と家子。

(――真田丸、面白えよな)

語録も今年の大河ドラマは見ていた。

「アーーアーー」

語録の隣で家子は口をパクパクさせている。
ああ、そりゃ気づくよねと語録は思い、再び真田仮面に視線をやる。
見ればその赤い甲冑は炎に包まれ、より際立った赤いオーラを発しているではないか。
先程の火炎弾はあれから発せられたものか。

(――ってか、その能力まで使って正体隠すもクソもねえだろ!)

心の中突っ込む語録。
とはいえ、相手がこの場に無理なく(?)甲冑を着込む姿で現れてきたことに感心する。

彼女の能力は着ているものが燃えにくいほど持続時間も長くなる。といっても年頃の少女が常に日頃から武装しているわけにはいかないから、もっぱら普通の服にならざるを得ない。
なので普段はフルにその能力を活かすことはできなかったのだろうが、なりふり構わぬ状況になっている今は厄介である。

――とはいえ、事前に調査を済ませていた語録の予想の中にはこの展開もあった。
いきなり頭上から火炎弾を降らせされるとまでは思ってなかったが、こうした相手に挑む『弾』はある。
語録は手の中に黄金銃を出す。

「させないよ、覚悟――!!」

謎の真田仮面が語録に向けて再度火炎弾を繰り出す。
語録は身を躱しつつ、その銃を()()()()()()、撃った。

「!!?」

謎の行動に真田仮面と家子がはっと息を止める。
次の瞬間、黒い雲がたちどころに空を覆っていった。


ザアアアアアアアア―――――――――


そして、天空から猛烈な勢いで雨が彼女達の身に降り注いだ。
その勢いはあっという間に真田仮面の身に纏った炎を消していく。

「なっ、こんな――!!」

突然の予期せぬ天候変化に驚く真田仮面。
彼女は詳細を知らぬが、これは無論、語録の能力によるものである
語録の能力は「対象さえ適正であれば、通常起こりえない様なことも起きる」。
故に天空に向けて撃つことで、例え天気予報で降水確率0%の晴れ模様であっても、その姿を変えることができるのだ。

ちなみに先程撃った弾は『雨がシャワーのように機械的に連続して降る』という大岡昇平著『野火』の一節である。
語録が日頃から容姿してある弾丸の一つだ。

――真田仮面が止まった隙に、語録は家子の方を向き直す。

「さて、家子ちゃん、今の内に」

「…………?」

「『逃げるんだよォォォーーーーーーッ(※7)』」

語録は家子の手を取って全力疾走。
家子も真田仮面が気になりつつ、結局走って付いていくことにした。

「あ、こ、こら待てっ、逃げるなっ!!」

追う真田仮面だが、突然の雨と着慣れぬ甲冑に思うように動きをが取れず、その姿を見失ったのだった――。





シャアアアア……


部屋に響くシャワーの音。
弥永家子はベッドの上に腰かけ、そわそわとその音を聞いていた。

語録の能力によって、びしょ濡れになってしまった二人は逃げ延びた後、とにかく雨宿りができる場所を探した。
そこで語録の提案で入り込んだのがこの場所。
外を見れば煌びやかなネオンの明かりが照らしている。
――ラブホテルの一室である。

「あ~、あったまった。どうだい、家子ちゃんもシャワー浴びる?」

そんな家子の前に湯上りの語録が姿を現す。
語録は下半身にバスタオルを一枚巻いただけである。
家子は思わずひゃっ、と飛び上がり、視線を逸らす。
それだけで部屋全体が大きく振動する。

「いや、そう警戒しないでよ……。別に何にもしやしないから、このままじゃ風邪ひくぜ」

語録は家子の隣に腰かけ、ゆっくり語り掛ける。

「しっかし、びっくりしたなあ。さっきのは。一体なんだったんだ」

「サ、サ、サッキーーーーノーーーハーーー」

家子は未だ落ち着かず、上ずった声を上げる。

「まあ、とんでもない女の子だったよ。ありゃあ、何だ? 変な仮面つけて、いきなり人の事襲って、ろくでもねえ――」

「チーーーガーーーウーーーー!!」


ドンッ

先程よりもっと大きな振動が部屋全体に走る。
家子は、体全体を震わせ、急に雄たけびを発していた。
それはこの部屋を、ホテル全体を揺らす程だった。

「モーーーエーーーカーーーハーーーチーーーガーーーウーーーー!!」
「すまなかった、落ち着いてくれ、家子ちゃん」

語録は何とか家子をなだめる。

「大切な人、なんだな。あの子は」

コクコク……

家子は首を振って答える。

「でもなんで、あの子は顔を隠してたんだ?」

家子はようやく落ち着きを取り戻し、再びタブレットで文字を返した。

<<私と顔を合わせられないんだと思う>>

「何で?」

<<……喧嘩したから>>

「そりゃ大変だ。仲直りしなきゃな」

<<それは、できない>>

「どうして?」

<<私がイエティだから>>

「なんだそりゃ」

<<私がイエティだから、萌華とも白田くんとも、仲良くしちゃいけない>>

「……『俺の分かるように説明しろ(※8)』

家子は押し黙る。
明らかに少し困ったような様子である。
――やがて、再びその指が動く。

<<精神的に向上心の無いものは馬鹿だ>>

「…………ん?」

<<私は、そうしないといけない。だから悪夢を見ないといけないんだと思う>>

「…………」

<<だから、私は語録さんに勝ちを譲りたい>>

(夏目漱石……か。流石にそれは俺もいくつか読んだことがあるが……)

弥永家子が引用した文章は夏目漱石の『こころ』。
主人公とヒロイン、お嬢さんとの三角関係に悩む友人Kに対し、当の主人公が言い放ったセリフである。
恋だのなんだの俗物的なことに捉われるなという責めの言葉。
kはこのセリフを言われた直後に自殺してしまうが……。

(それと同じような覚悟ってわけか……だが)

文学的なセリフで返したのは、語録に対する意趣返しの意味もあるのだろう。
語録は続けて彼女に語りかける。

「『零点の答えだ(※9)』」

「…………」

「なあ家子ちゃん。本当に負けたいと思っているのか?」

<<うん、私には見たい夢なんかない>>

「だったら、何でわざわざ俺を呼び出した?」

<<それは >>

「別に勝ちを譲りたい、なんてメールする必要ないだろ。勝手に夢の戦いに来て、勝手に負ければいい」

「それをしないってことは。家子ちゃんの中であるんだろ、勝ちたいって気持ちが」

「見たい夢がある。だから対戦相手の事が知りたかった」

「対戦相手が自分が負けて良い相手か、それとも勝って良い相手か、見極めたかったんじゃないのか?」

家子の身体は震えている。

「なあ、家子ちゃん」

語録は今度は口調を優しく変えて語り掛けた。

「家子ちゃんの見たい夢って、なんだ?」

コンコン。

そこまで言って、唐突に部屋のノアのノック音が響く。

「あの~~フロントの者ですが……」

先程の巨大な振動に、驚いて様子を尋ねにきたホテルの人間だった。





「こりゃいける、『ヒラメがシャッキリポンと、舌の上で踊るわ(※10)』」

夜の8時30分。
語録と家子は向かい合い、食事をしていた。

「オーーイーーシーーイーー」

家子もまた舌鼓を打つ。
場所は町で最も有名な海鮮料理の料亭である。
このチョイスは語録によるものだ。彼は家子が海産物好きなことを調査によって知っていた。

(――財布の中が悪夢だが、今は気にしないようにしよう)

休日出勤に駆り出されたハッピーリサーチ社に支払う給与も含め、今日一日で語録は法外な出費を迫られている。
女の子との付き合いにはお金がたくさんかかる。大人の男の悩みどころである。

(さて、ここまでお膳立てを整えたんだ、先を越されもした)

語録はぐつぐつと煮え立った海鮮鍋へ箸を進めながら、心の中で一人ごちる。

(そろそろ自分の足で来てもいいんじゃないか、少年――)

その時だった。
外で騒々しい物音が響いた。
おそらくは旅館の女将と誰かが言い争う音、やがてドタドタと大きな足音が家子と語録のいる部屋へと近づいてくる。
戸惑う家子。一方の語録は――。

(――来たな)

と思うやいなや、ガラッ、と大きな音を立て、彼らの部屋の襖が開かれる。

「家子ちゃんっ!!」

彼らの前に現れたのは一人の少年。
家子にとっては良く見知った顔――。

「シ、シーーロ」

「ごめん、僕は臆病だった!!」

開口一番、彼は頭を下げ、一気に言葉を続ける。

「ずっと、ずっと、自分の本当の気持ちと向き合っていなかった!」

少年は顔を上げ、家子の方を真っすぐな眼差しで見つめる。

「ずっと今のままの関係が続けばいいのかなって――それがずっと楽しくて、でも萌香ちゃんがあんなことになって……それでもどうすればいいのか分からなくて……」

少年は息を切らせながら話し続ける。
おそらく走りながら二人を探し続けたのだろう。
無論、この場所に行きつくようなお膳立てはしてあったのだが――。

「君が今日、そこにいる知らない人と二人でいるのを見て――何があったのか分からなくてずっと追いかけていた――! 僕の事なんかもうどうでも良くなったのかなって、ずっとずっと……胸が苦しかった!」

少年は家子の前に立つ。
二人の視線が重なる。

「でもはっきりと今日分かったんだ」

少年はぐっと息を飲んで、叫んだ。

「僕は君が好きだ、家子ちゃん!! 君を誰にも……渡したくない!!」

告白。
そしてしばしの沈黙。
家子も、少年も、固まったまま、互いを見つめあったまま時が流れる――。

が、その沈黙を破ったのは口舌院語録だった。

「あー……少年」

その手には、いつの間にか黄金銃が握られている。

「よく勇気を出したな。感動したぜ。だから――」



「『わかってるさ、安らかに寝ろ(※11)』」



そう言って、語録は引き金を引き、弾丸を少年に撃ちこんだ。
その内容は、今喋ったある小説の名台詞と同じものである。
その弾丸を受け、少年は「うっ」と呻いてその場に倒れる。

「『ゆるせ、こうするしかなかったのだ(※11)』少年よ」

「シーーシーーローー」

慌てて少年を抱き起そうとする家子。
しかし、少年はすやすやと寝息を立てて眠っていた。

「大丈夫、眠っているだけだ。せっかくの告白の後で悪かったが……」

語録は帽子を上げ、頭を掻きながら申し訳なさそうに、家子に語る。

「俺達には今日まだ片付けなきゃいけないことがある……だろ?」





わずかな街灯と隣家の明かりのみが夜の闇を照らしていた。
白い巨体が一人ポツンとブランコに腰かけながら、キーコ……キーコと揺れている。
夜の公園。立てられた時計台の針は22時50分を指している。
告げられた夢の戦いの開始時刻まで、もうあとわずか――。

「いやー、ようやく準備が整ったぜ」

そこに、男が姿を現す。
口舌院語録。
男と少女は、もう数分もすれば互いに夢の中へと誘われる。

「結局あれから大分時間を食っちまったが、何とかこの時間でもやっている本屋はあったよ」

語録はその手にこの町の本屋の名前が入った包みを持っていた。
それを開け、中に入った本のページを破いて弾丸にする準備を始める。
あれから旅館の人と話をつけ、眠ってしまった白田君を家に送り届けるまでにかかったのが一時間程。
語録は「ようやく戦う方法が見つかったよ」と家子に告げて、その準備のために一度家子と別れていた。
既に行く当てもなかった家子は待ち合わせの場所にこの公園を指定した。

単にこの時間に人気の無い場所で思い当たるのがここしかなかったからである。
昔、まだ人間だった頃に白田君と遊んだ場所――。

「これで家子ちゃんの望みは果たせそうだ」

家子は黙ったまま、ブランコに揺れている。

「負けたらどのぐらい悪夢を見ることになるのかな。短い時間ならいいが……数ヶ月、数年なんてなったら洒落にならねえ」

家子の揺れは続く。
語録は、自然とその隣のブランコに座っており、自身もまたブランコを揺らし始めた

「俺はどんな夢を見ようかねえ……可愛い女の子を犠牲にして見る夢なんて、良いもんじゃない気がするが……」

二人のブランコの揺れはばらばらな状態だ。
家子は喋らない。彼女の気持ちを代弁するタブレットも、今、彼女の手元にはない。

「そういえば白田君……だったかな。あの少年と、あと、真田仮面……あの二人に何か言っておくことはあるか?」

そこまで言うと――。
家子の揺れが止まった。

「……家子ちゃん?」

瞬間。
家子の姿は、白いイエティの巨体から、突如人間の少女のものへと変わった。
街灯と、わずかな月明かりとに照らされたその顔は……語録が思わず感嘆するほどに美しかった。
語録もこの展開は全く予測に無かった。驚き、目を丸くする。

「私……私は……」

家子は口を開き、自分の言葉で語り始める。

「わたしは……勝ちたいっ!!」

その眼には涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「白田くんとデートしたい……萌華と仲直りしたい……もっともっと皆のためになることがしたい、人として生きたい!!」

堰を切ったように彼女は語り続ける。

「だから……だから……もっと夢が見たい! 夢を見れば……それを叶えることができる!」

家子はブランコを降り、語録の前に立った。

「これが私の能力……です。名前はテクマク・マーヤ・ドリーム。夢で見た自分になれる力……夢で見たことを現実にできる力」

家子は夜空を見上げながら語る。

「これがあれば……私は瑞夢(ずいむ)を見ることで、夢を叶えることができる。もっと人間でいる時間を増やせることも、何でも……」

家子は、そう言って再び語録へ視線を落とした。

「それが私の望み、です。」

はあ、と息を漏らし、家子は語るのを止める。

「……家子ちゃん」

語録もまたブランコから立ち上がり、その肩に手をかけて語り掛ける。

「満点の答えだ。ようやく本音を聞かせてくれたな」

「……語録さん」

「でもさ、俺思うんだけど、本当に夢に頼る必要あるのかな?」

「……え?」

「今日あったことを思い出してみろよ、白田君も、萌華ちゃんも、町の人達も、皆、家子ちゃんがイエティなんてこと、気にしてたか?」

「それ……は」

「だからさ、本当に見たい夢が何なのか、それはもう少し考えてみても良いんじゃないかな」

「……はい」

家子は頷き、その手で涙を拭う。
しかし、はっと顔を上げる。

「あと一分。もう戦いが始まります」

「そうだな。さて、どうする?」

「私は……勝ちたい、です。でも語録さんにも悪夢を見せたくありません」

「そうだな。俺も、悪夢はともかく事務所を長く閉めるのはまずい。北条(ほうじょう)ちゃんにも依頼人達にも迷惑がかかっちまう」

「でも、どうすれば――」

「ま、何とか神様に逆らってみるさ」

語録はそう言って自分の腕時計の秒針に目をやった。
夢の戦いまであと30秒――。

「でも、神様に逆らうことはできません――」

家子は、震える唇で、そう語録に語り掛ける。
語録はそんな家子の瞳をじっと見つめる。
神、運命――、か弱い夢見る少女にとっては、それは絶対的なものなのだろう。

『生きているのなら神様だって殺してみせる(※1)』とか――
『たとえ神にだって俺は従わない(※2)』とか――
あるいは『運命などに俺の人生を左右されてたまるか(※3)』とか――

いくつかの、それらに逆らうべき言葉が、語録の脳裏に浮かぶ。
しかし、語録はそれらを打ち消し、自分の中にある言葉で家子へ語った。

「――かもしれないな。でもね、家子ちゃん」

語録の手には、いつの間にか黄金色の銃が握られていた。
その銃口が、ゆっくりと上げられる。
語録は、もう片方の手で握った、くるくると丸められた紙でできた弾丸をその銃に込める――。

「俺は知ってるぜ。神様の騙し方ってやつを――」

――さあ、夢を見る時間だ。
語録は、引き金を引いた――。





ガタンゴトン……。
口舌院語録は気づくと、揺れる列車の中にいた。
戦闘空間――夢の戦いの場へといつの間にか転送されていたのだ。

語録は窓の外へと目をやる。
果てしなく広がる荒野……外には人造物は一切なく、地面にはごつごつとした丘陵、岩、砂だけが広がっている。
その中を金属製のレールだけが無限に続くかのように伸びており、彼が今乗っている巨大な列車は大きな金属音を立てながらその中を走っていた。

「『時の列車……次の駅は過去か未来か?(※12)』」

思わず、語録の中にあるこれに類推した光景の例えを述べてみる。
しかし、これがおそらくは神代に近い『過去』であることを彼は察していた。

(どうやら、上手くいったかな……?)

語録は列車のドアを開け、隣の車両へと進む。

(……間違いないみたいだな)

それは夢の中とはいえ、異様な光景であった。
そもそもこの列車自体が『普通の人間が乗る大きさ』では無かった。天井は高く、10メートル程はある。幅もそれ相応に広く、椅子同士の合間も5メートル以上は有る。
語録はその広々とした空間をゆっくりと進む。

そして何より異様なのは、その椅子に座る列車の乗客達。
全てが白い体毛に、鋼鉄の皮膚を持つ巨躯――イエティ達であった。

しかも彼らの恰好は家子とはやや違った。髭を生やし、革の帯を締め、剣や弓で武装する。
その姿、さながらイエティ兵――。
しかし彼らは物々しく列車の座席に居並びながらも、語録に襲い掛かる様子はない。

(まるで決闘場に向かうようだな――)

語録は一歩一歩、歩を進める。
語録は後から知ったことだが、通常、この特急列車という戦闘空間は無人の場所になるそうである。
だが、今は()()()()によりイエティ兵たちが占拠する古代の戦闘列車である。

おそらくこの先には彼らイエティ兵たちの代表。
語録がこの夢の中で戦うべき相手がいる。
ドアを開け、車両の中を次々と進む。
どうやら語録は列車の最後尾近い車両にいたらしい。ならば先頭車両から彼女も向かってくるだろう。
そして、中央近い車両へ近づいた時――。


オオオオオオーーーー

盛大な歓声が聞こえた。
どうやら彼らが崇拝する対象がその車両に来たようだ。
語録はゆっくりと目の前のドアを開く。

「…………!!」

語録ははっと息を呑んだ。
そこにいた少女は語録がこの夢に来る直前で出会った姿のままである。
長い黒髪にすらっとした長身。
そして極立って端正な顔立ち。
こうして明るい場所であらため見ると、語録の感性から言っても美少女である。


家子は白い装束を身に纏っていた。
その容姿と合わさって、神々しさも感じさせる。

家子が語録に対して微笑む。
その表情を見て、語録は家子もまた『何を仕掛けられたか』を察していることが分かった。
わざわざ意匠までここに来るまでに合わせてきてくれるとは、流石文学好きな少女――。

なら、これから自分たちがやることも決まっている。
ことによると、語録は()()()負ける必要がある
もしかしすると自然とそうなるのかもしれないが、しかし神様を騙そうというのである。
それなら全力でやらねばなるまい。まして結末が運悪くということは……。

「お互いが全力で戦った結果ってこった!!」

叫ぶやいなや、語録は銃を取り出し、弾丸を打つ。
しかし少女は大きく跳躍してそれを躱わす。
どうやらイエティの身体能力は少女の身であっても変わらないらしい。

「ハアッ!!」

少女の口から白い冷気が語録に向かって吐き出される。
周囲のイエティ兵達から歓声が上がる。

(まさにアウェーだな……)

躱しきれないと悟った語録は「全身が燃えるように熱かった」という弾丸を自分に撃ち、冷気に耐える。
何とかいきなりの氷漬けは避けられたが、冷気と文章による熱とのダブルパンチで、全身が激しく霜焼けしたかのような痛みに襲われる。

(長期戦は不利だな、こりゃ……)

明らかに身体能力に勝る彼女に列車内という限定された空間で正面から戦っては勝ち目は薄い。
運悪くどころか普通に力負けである。
語録は「壁に大きな穴が開いた」という弾丸ともう一発、用意していた弾丸を銃に装填する。

(さてーー)

家子は着地し、そのまままっすぐ自分に向かってくる。
語録はすんでで横に飛んで躱し、イエティ兵が座る椅子の前へ出る。
イエティ兵は無言で座ったままである。この戦い自体には一切干渉する気は無いのだろう。
語録は家子に向けて弾丸を発射。しかし彼女は難なく軽く身を捻ってそれを避ける。
しかし実際の狙いは家子ではなく、彼女の後方の壁――。
巨大な穴が開き、激しい風が車内へ吹き抜ける。

「!?」

突然の突風に家子は驚き、その黒髪がなびく。
語録は続けざまに家子の方へ後ろ向きになって(’’’’’’’’)飛びかかり、更にもう一発の弾丸を、自分に向けて撃った。
内容は『後方に時速70キロの速度で吹き飛ぶ (※13)』
壁の穴に気を取られ、更に急加速した語録を家子は避けることができない!

「ああっ……!!」

家子と語録は共に車外へと飛んで行った。
家子は咄嗟にイエティの姿に戻る。
多少でも衝撃を和らげるためか。
だが位置的に、家子の方が先に戦闘領域外へ飛んでいくだろう。
このまま共に飛んでいけば語録の勝ちである……が。

ガンッ

家子の身体は、しかし車外にあった大きな丘陵にぶつかり、弾き戻された。
一方で、語録はそのまま下方へ落ち、そのまま戦闘領域外――列車から30メートル離れた位置へと転がっていった。

(なるほど、こりゃ運が悪い――)

家子は空中で咄嗟に態勢を立て直して、地面へと着地する。
家子が語録の元へと駆け寄ってくる。
勝負はついたのに、やっぱり優しいな、と語録は思う。

「……せめて、最後は可愛いほうの家子ちゃんの顔を見ながらが良かった……ぜ」

語録はそう語ると、全身を激しく打ち付けた痛みによって気絶した――。





――次に目を覚ますと、語録は全身が傷だらけの状態で、地面に打ち据えられている状態であった。
周囲には、先程列車に座っていたイエティ兵達。
既に列車内ではなく、無限に広がる荒野の中。

(『これからが本当の地獄(※14)』――いや、悪夢か)

語録は覚悟を決める。

目の前には周囲に比べて一際大きく、恰好の良いイエティ。
おそらくは敵の大将格であろう。
弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、酒甕(さかがめ)を伏せたようなものの上に腰をかけていた。
その顔を見ると、鼻の上で、左右の眉が太くつながっている。髪剃(かみそり)で剃れよと語録は思うが、この時代には無いのだろう。
語録は捕虜の立場だから、腰をかけられるはずもなく、草の上に胡坐(あぐら)をかいた状態である。
足には大きな藁沓(わらぐつ)を穿いていた。

イエティの大将は篝火(かがりび)で語録の顔を見て、死ぬか生きるかと聞く。
これはイエティの習慣で、捕虜には誰でも一応はこう聞くそうだ。
「生きる」と答えると降参するという意味で、「死ぬ」と云うと屈服しないと云う事になる。

語録は一言「死ぬ」と答えた。
イエティの大将は草の上に突いていた弓を向こうへ投げて、腰に釣るした棒のような剣をするりと抜きかけた。
それへ風に(なび)いた篝火(かがりび)が横から吹きつけた。
語録は右の手を(かえで)のように開いて、(たなごころ)をイエティの大将の方へ向けて、眼の上へ差し上げた。
待てと云う相図である。大将は太い剣をかちゃりと(さや)に収めた。

語録には今の時代にあっても想う恋人がいた。
現代で彼女の事務所の所員であった北条(ほうじょう)ちゃんである。
語録は「死ぬ前に一目、思う北条(ほうじょう)ちゃんに逢いたい」と云った。
イエティの大将は夜が開けて(とり)が鳴くまでなら待つと云った。
(とり)が鳴くまでに北条(ほうじょう)ちゃんをここへ呼ばなければならない。
(とり)が鳴いても北条(ほうじょう)ちゃんが来なければ、語録は逢わずに殺されてしまう。
イエティの大将は腰をかけたまま、篝火(かがりび)を眺めている。
語録は大きな藁沓(わらぐつ)を組み合わしたまま、草の上で北条(ほうじょう)ちゃんを待っている。

夜はだんだん更ふける。

時々篝火(かがりび)が崩れる音がする。
崩れるたびに狼狽えたように焔が大将になだれかかる。
何故か対象の(まゆ)だけは真黒で、その眉の下で大将の眼がぴかぴかと光っている。
すると誰やら来て、新しい枝をたくさん火の中へ抛なげ込こんで行く。
しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る。暗闇を弾き返かえすような勇ましい音であった。

この時北条(ほうじょう)ちゃんは、裏の(なら)の木に(つな)いである、白い馬を引き出した。
(たてがみ)を三度撫なでて高い背にひらりと飛び乗った。
(くら)もない(あぶみ)もない裸馬であった。
北条(ほうじょう)ちゃんは長く白い足で、太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆け出した。
誰かが(かが)りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。
馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。
鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。
それでも北条(ほうじょう)ちゃんは細い足でしきりなしに馬の腹を蹴っている。
馬は蹄の音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。
北条(ほうじょう)ちゃんの髪は吹流しのように闇の中に(なら)を曳いた。
それでもまだ(かがり)のある所まで来られない。

するとまっくらな道の傍で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。
北条(ほうじょう)ちゃんは身を空様(そらざま)に、両手に握った手綱をうんと控えた。
馬は前足の(ひづめ)を堅い岩の上に発矢(はっし)と刻み込んだ。
こけこっこうと(にわとり)がまた一声鳴いた。
北条(ほうじょう)ちゃんはあっと云って、()めた手綱を一度に緩めた。
馬は諸膝(もろひざ)を折る。
乗った人と共に真向(まとも)へ前へのめった。
岩の下は深い(ふち)であった。

(ひづめ)の跡はいまだに岩の上に残っている。
鶏の鳴く真似をしたものの顔を見れば、別れた語録の妻であった。
お前が天探女(あまのじゃく)かよ、と語録は思った。
この蹄の痕の岩に刻みつけられている間、天探女(別れた妻)は語録の(かたき)である。

大将を含む、イエティ兵たちが剣と弓とを持って語録に詰め寄る。
これから自分がどのように殺されるのか、そればかりは知るものはもう誰もいない。
語録は心の中でこんな悪夢に付き合わせて死なせてしまった北条(ほうじょう)ちゃんに深く詫びつつ、イエティ兵たちの死の儀式を受け入れた――。





「――はっ!」

そして、語録は目を覚ました。
周囲を見回す。そこは見慣れた場所、口舌院探偵事務所のオフィスであった。

「あ、目が覚めましたか。思ったより早かったですね、所長」

見れば、事務所には唯一の所員である北条もいた。

「――あ、北条(ほうじょう)ちゃん、おはよう。なんか、ついさっきまでいたような気もするけど」

「きたじょうです。どんな夢を見てたんですか。随分うなされてましたけど」

「……ん。あんま覚えてない……な」

そこまで言って、語録はああ、と頷く。
どうやら全てが上手くいったらしい。時計を見れば、日付は昨日から一日しか過ぎていない。語録はただ一晩で終わる悪夢をみただけである。
――そのような夢を見るように、仕向けたからなのだが。


語録が机の上を見ると、昨日買ってきた本が置かれていた。
夏目漱石著『夢十夜』
語録はこの第五夜の頁を破いて夢への戦いの直前、自らに撃ちこんだ。
それがどんな夢であったのか――夢の戦いのルール上、語録にはもはや思い出すべくもないが、しかしこの本に書かれた悪夢は一夜限りの出来事である。

「ところで、昨日の晩の電話って一体何だったんです? 事情は聞かず、今晩だけ自分の恋人になってくれってーー」

「ああ、悪いね……。仕事の都合でどうしても必要だったからさ」

「まったく……。ま、休日出勤分の給与が貰えれば、私は良いですけど」

「ドライだな~~。俺、割と本気だったかもよ?」

「……冗談はよしてください」

北条はそう言ってぷいと顔を背ける。
語録はそれを見て、ふと「俺のために白い馬に乗って駆ける北条(ほうじょう)ちゃんの姿は覚えておきたかったな~」と思う。
語録はその後、はっ、となって、北条に問いかけた。

「――てか、休日出勤って言ったら今日はどうしたの? 日曜でしょ、今日は」

「そうそう、今日もまた依頼のメールがあったんです。……と言っても昨日と同じ、弥永家子さんからなんですけど」

「……なんだって?」

語録は北条の近くへ歩き、彼女の見ているディスプレイを覗きこむ。



件名:夢での戦いのお礼につきまして

口舌院語録様

弥永家子です。
昨日は本当にありがとうございました。

差し出がましいかもしれませんが、眠ったままの貴方を何とか事務所まで送り届けました。
(勝手ながら鍵は持ち物から取り出して開けました、ごめんなさい!)

多分、一晩で貴方は悪夢から覚めると思いますが、昨日から色々あって本当にお疲れだと思います。
なので、これを見ている所員の方、是非起きたばかりの所長さんに熱々のコーヒーを用意してあげてください。
私からの追加の依頼です。

昨日の依頼の分も含め、今回の件の報酬はいずれ必ずお支払いいたします。
あと、添付した画像を一枚、語録さんに差し上げます。

それはもう、語録さんだけに持っていて欲しい物なので。

ではまたいずれ報酬の件でお会いしましょう。

最後にもう一度、本当に、本当にありがとうございました!

=======

私立希望崎学園2年C組 弥永家子



「――ですって。では、私はコーヒーを入れてきますね」

そう言って北条は席を立つ。
語録は代わりに席へ腰かけ、メールに添付された画像を開いた。
それは――。

「ところで、どんな仕事だったんですか、昨日は」

コーヒーを淹れながら、北条は語録に問いかける。

「うーん……話すと長くなるな」

「じゃあ、ゆっくり聞かせてください。……その画像の少女の事も含めて」

北条の言葉にはやや棘があるようにも感じる。
まあ、これだけ可愛けりゃなーと語録は思いながら、しかしその画像を消去して、言った。

「いやこれは――」

「もう、夢の中にしかいない少女さ」





ガヤガヤ……と学園内のあちこちが大きな喧騒に包まれている。
今日は希望崎学園祭の日。
華やかなムードの中、一つの白い巨体と、一人の少年とが楽しく様々な出店を回っていた。
学園外から来た人間の中には奇異な目を向けるものもあったが、それを気にするものはもうどこにもいない。
皆、微笑ましくそんな二人を見ている。

「……………」

その視線の中の一つであった一人の少女は、やがてその二人の姿に背を向け、学園の外へと足を運ぶ。
校門を抜け、塀の脇を歩き、学園からと遠ざかろうとした時――。
ひゅっ、と白い巨体と少年とがその目前に姿を現した。

<<見つけたよ、真田仮面さん>>

白い巨体はタブレットの画面を少女の前へ出す。
「どうして――?」問いかける少女に茶色の指が素早く文字を打ち込む。

<<夢の中で練習したから。萌華はきっとここに来る。そうしたら逃がさないようにって>>

少女の眼から涙が溢れる。
白い少女は、そんな彼女にそっと布を差し出して、その涙を拭うのを待つ。
少年は、その二人を温かく見守る。

――やがて白い少女は二人の手を取って走り出す。
見上げた空は雲一つ無い青空。太陽が眩しくて少し暑い。

ここはもう、夢ではない。
これからどこへ行くのかは分からない。楽しいところとは限らないかもしれない。でももう迷わずに力強く走っていこう。

この現実は、願わなくともまだずっと続いていく。
けれどもう、少女が夢に願うだけで眠る日々は終わったのだから――。




  • 出展作品一覧

※1 奈須きのこ著『空の境界』
※2 サンライズ制作 『装甲騎兵ボトムズ』
※3 田中芳樹著『銀河英雄伝説』
※4 テレビ朝日・東映・旭通信社制作『宇宙刑事ギャバン』OP主題歌「宇宙刑事ギャバン」(作詞:山川啓介)より
※5 三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』
※6 架神恭介著『ダンゲロス1969』
※7 荒木飛呂彦著『ジョジョの奇妙な冒険 第2部 戦闘潮流』
※8 ダイナミック企画・「真ゲッターロボ」製作委員会制作 『真ゲッターロボ 世界最後の日』
※9 芝田優作著 『ヨアケモノ』
※10 雁屋哲・花咲アキラ著 『美味しんぼ』
※11 ◆EreM42GXZo著『FINAL FANTASY S』
※12 石森プロ・テレビ朝日・東映・ADK制作 『仮面ライダー電王』
※13 荒木飛呂彦著『ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない』
※14 鳥山明著『ドラゴンボール』
最終更新:2016年03月07日 20:43