個人戦5回戦SSその2


 数日前まで、主張はなくとも確かに自分以外の存在があった我が家。今ではわずかな明かりすらなく、深海のような静けさを湛えている。
 その中の一室。こぢんまりとした6畳間の洋室の中には、禍々しい形のナイフや、世界各国の殺人事件を特集した雑誌が、整然と並べられている。
 この趣味の悪い部屋が、私のお姉ちゃんが暮らしていた部屋だ。
 お姉ちゃんが、自分の部屋をこれほど趣味の悪い内装にしているということは、私が“対馬堂穂波”を奪い、出入りを禁じられていたこの部屋に入ってから、初めて知ったことだ。

 私は、黒で統一されたゴシックのフォーマルドレスに身を包み、その趣味の悪い部屋に置かれた、簡素なベッドに横たわっていた。身じろぎすると、薄手の素材で仕上げられた全円のロングスカートが、きめ細やかな衣擦れの音を立てた。流石に、ドレスは寝心地が悪い。
 『無色の夢』で確認した戦闘場所を考えると、決して機能的な格好とは言えない。通気性のないドレスは、運動をするためのものではない。靴だって、ピンヒールは戦闘に不向きだ。スニーカーに体操服、そこに、今はいているスカートを着込めば、戦闘服としては一番機能的だろう。

 だが、『ホンモノ』の“対馬堂穂波”はそんなことはしない。

 “対馬堂穂波”は、常に美しいから。

 私が、死ぬほど嫌いで、殺したいほど憧れていたお姉ちゃんは、もういない。私が、“対馬堂穂波”の全てを奪ったから。
 今は私が、“対馬堂穂波”だ。お姉ちゃんから奪った顔と体。お姉ちゃんから奪った知恵と記憶。お姉ちゃんから奪った魔人能力。その全てが、『ホンモノ』だ。
 だだ、私にはまだ、『ホンモノ』の“対馬堂穂波”になるために、足りないものがある。思い返すのは、“女子高生”という言葉……。『無色の夢』が私に伝えた対戦相手。

 “対馬堂穂波”は、絶対に負けない。
 『ドリームマッチ』の完全なる勝利を以て、私は『ホンモノ』の“対馬堂穂波”となる。

 私は、体がベッドに沈み込む感覚に身をゆだねた。



 一瞬の浮遊感。両足に地面を感じて、ゆっくりと目を開ける。
 薄暗い室内は少し肌寒く、じっとりと湿っぽい。空気はカビと埃の臭いがして、呼吸をするたびに喉に張り付き、咳き込みそうになる。

「……本当に、夢の中なのかしら?」

 周囲を見やると、薄汚れたネズミのような色の壁はところどころ剥がれ、折れた鉄骨が突き出している。決して広くはない真四角の部屋の端には、汚れたシーツなどを放り込むのだろうダストシュート。中央に鎮座するのは、丸く大きな手術台。それに寄り添うように置かれた、メスやハサミが置かれたキャスター付きのアルミ製の台には、赤錆がところどころ覗き、否応なく血の赤を連想させる。
 開け放たれた、出入口扉の奥、狭苦しい廊下の窓から木漏れ日のように淡い光が差し込み、舞った塵を幻想的に映し出す。窓の向こうには、どこまでも続くかのような鬱蒼と茂る森が見えた。

「言葉の響きからして夜かと思ったのだけど……昼に来ても趣があるものね」

 真昼の廃病院。ここが、私が夢に見た戦闘空間。
 ここが私の、勝負の場所。


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「ふみぃ……ここ、ど~こ~だぁ~???」

 本日、アチシがやってきたのはぁ、なんとぉ~~~オドロオドロ~でさみぴさがエモエモな、ビョーインさんだったのでした! マジこわたんだよぅ;;
 あ、このSSを読んでくれてるズッ友しょくんっ、おこんばんにゃ~☆(作者注:この読者に対する語り掛けはあくまでも古典的表現であり、『第4の壁突破』等の魔人能力、特殊能力とは一切関係がありません)
 アチシは、そんじょそこらにステイウィズミーの、ただのかわいい女子高生! なう迷子状態で、しょんどいとこ~。学校どこ~?
 ガンダッシュでイチキタしてから もっかい学校いこっかな~とか思っても、家すらわかんなぁーいとか鬼だわwww
 なんかぁ、昨日変な夢を見たような気がしないでもないよーな気もするんだけど、思い出すのもマジメンディー↓↓↓ まあ、覚えてないなら大したことじゃないよネー☆

「とりま、テンアゲして ぼーけんっ☆ ってのも、ありよりのありなりぃ~♪」

 ちゅーわけで、アチシが第一歩目を踏み出したその瞬間、後ろから「ばうわう」と声が聞こえてきたの。そして振り返るとー……そ、そこにはなんとぉ! ちーっちゃくてぇ~、ふぅ~わふぅ~わでぇ~、あいくるしくてぇ~、まーんまるおめめのぉ~!

「ふわああああ! チワワちゃんだー!」

 元気のよくて、はいいろっぽいおべべを着たワンちゃんが、キャンキャンっていいながらきてくれてぇ、アチシ、テンアゲ、オルタナティブ~!


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「……この鳴き声、ほねっこ1か。姉御、敵は3階だぜ」

 冷たい風が吹きすさぶ、廃病院の屋上。軍帽をかぶり、ユニバーサルカモの迷彩服を着た愛くるしいチワワは、ドスのきいた渋い声で、私に索敵の結果を報告した。

「ご苦労様。軍曹(サージェント)

 私は、いくばくかの敬意をもって、自らの能力『スカートの中の戦争』で解放した『武器』の労をねぎらった。
 “対馬堂穂波”の記憶は、私に囁いてくれた。戦いにおいて、最も安全かつ最適な勝利とは、何か。それは、敵に見つかる前に勝つこと。
 つまりは、不意打ちだ。
『無色の夢』で得た情報は、戦闘空間が廃病院であることと、そして相手が“女子高生”であること、その二点のみ。完全なる勝利のためには、索敵こそが最も重要だ。
 私が、開始直後にスカートの中から取り出したのは、多くの動物兵器の中でも最強と恐れられた特殊部隊、『チワ・フォース・ワン』。その隊員は全て改造手術を受けたチワワであり、ド―ベルマンを超える戦闘力を持つ上、ICチップを頭部に埋め込み人間との意思疎通を可能にしたのである。最近の科学ってすごいね。
 その『チワ・フォース・ワン』を率いるのは、「紀州犬殺し」と恐れられる軍曹、マロンショコラである。マロンショコラは、一糸乱れず整列する『チワ・フォース・ワン』に向き直り、甲高く吼えた。

「準備はいいか糞犬ども!」

「「「「Bow,Yes,Wow!!」」」」

「ふざけるな! 大声を出せ! トレーナーにしつけられたか!」

「「「「Bow,Yes,Wow!!」」」」

「よし! いいか貴様ら、貴様らはクズだ。骨ガムにも劣る、地球で最も下等なオエッてなる存在だ!」

「「「「Bow,Yes,Wow!!」」」」

「だがな、この戦いに勝利することで、貴様らは『ファインペッツ』になる! Sランクドッグフードになるのだ!」

「「「「Bow,Yes,Wow!!」」」」

「貴様らは『愛犬元気』か! ホームセンターに売られている、安さだけが取り柄のEランクドッグフードか!」

「「「「Bow,No,Wow!!」」」」

「そうだ! 我々は、コストと栄養価に優れた、実は人間でも食べられるドッグフードだ! 最強のドッグフードに、敗北はない! 我々は勝利するのだ!」

「「「「Bow,Yes,Wow!!」」」」

 プルプル震えながらキャンキャン吼える軍曹と、一糸乱れず隊列を組みキャンキャン吼えている隊員。もちろん全員チワワだ。かわいい。私は、ちょっとにやける口を押えた。
 戦いは既に始まっている。余裕があるわけではない。しかし、この連中は、こう、なんというか、ずるい。今すぐ戦いを放棄して、隊列にダイブしたい気持ちにすらなる。
 軍曹は、戦い前の険しい顔つきから、ふっと優し気な表情を浮かべ――といってもチワワなので大した変化はないが――小さく言った。

「戦いの前に、何か言っておきたいことがあるやつはいるか」

「よろしいでしょうか! Bow!」

「チワワチワ太郎1! 微笑みデブが、俺に言いたいことがあるのか! なんだ!」

 やっぱりチワワだから、微笑んでるのか、デブなのかも定かではない。チワワチワ太郎というコードネームもどうかと思う。何も言わないけど。
 チワワチワ太郎1は、懐から写真らしきものを取り出し、祈るように胸に当てた。

「わ、私には故郷に彼女がいます! この戦いが終わったら、結婚しに帰る予定です! 私は、必ず勝利し、生き残ります!」

「チワワチワ太郎1! 戦いの前に、動物の形をしたふわふわボールの如くふぬけたことを叫ぶとは、いい度胸だ! お前のその度胸で、我々に勝利を導くがいい!」

 軍曹は、チワワチワ太郎1の腹の辺りを尻尾で思い切り叩いた……つもりなのだろうが、実際にはふわふわの毛並の尻尾が、すべすべのお腹をぺちぺち撫でるだけであり、もう、お前らただじゃれているだけだろう。私は、顔を真っ赤にしながら悶えた。

「あ、ありがとうございます! Bow!」

「では、出陣だ糞犬ども! 目標は“女子高生”! この戦闘が終わるとき、我々に栄光がある! すすめぇー!」

「Bowwwwwwww!!!!!」

 一斉に駆け出すチワワの群れ。何匹かは、屋上から3階に至る階段を曲がるところで爪が空回りして転んだり、階段を踏み外して滑り落ちたりしている。限りなくただの犬コロである。
 私も、彼らの跡を追おうとしたその時、床上に一枚の紙片が落ちているのが目に入った。真四角の光沢紙。おそらくは、チワワチワ太郎1が落としていった、彼女の写真だろう。
 なんの気なしに拾い上げ、表面を見た。そこには、バーで楽しそうにミルクを飲むチワワチワ太郎1。その隣で肩を組んでいるのが、彼女ということか。

 その写真に写っているのは、まぎれもなくスコティッシュフォールド……猫だった。

「……業が深いわね」

 交配しても子孫を残せない、自然の摂理を超えられない関係。それでも、恋い焦がれる思いだけは、誰にも止められない。
 私は、チワワチワ太郎1の叶わぬ恋を思い、少しだけ切なくなった。ほんの、少しだけ。


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 うわぁーい、チワワちゃんだぁ☆ かぅわーいいーーなぁぁ。 アメちゃんあげるよアメちゃんー!

「ば、バカな……、こんな、かわいい少女を、殺せというのか」
「狼狽えるな貴様ら! いけ! 噛み殺せぇ!」

 アチシになついてるのかな?  キャンキャンゆいながら、アチシにあつまってくるワンちゃんたち! もう、チワワだけにキャワワすぎてあげぽよにも ほどぽよってかんじー!

「な、撫でられたい……かわいすぎる……ああ……」
「何をしているほねっこ1! 不用意に近づくな!」

 きゃーん☆ お腹すべすべー!

「ぐぅはぁ!」
「ほねっこ1! ば、ばかな!」

 なでなでしちゃうー☆

「ああ……なでなで気持ちいいギャアア!」
「ちくしょう、なんだこいつ! なんだこいつ! ヒイィ!」

 アチシぃ、ワンワンのおひげちゃんの辺りを触ってぷぅにぷにするのー、大好きぃー☆

「軍曹! 軍曹ぉー!」
「て、撤退! 撤退だぁー!」

 かぁいいものいーっぱいで、アチシしあわせマックスバリュー☆

「お、俺、帰れない……。スコ子、ご、ごめキャン!」
「チワワチワ太郎ワァーンッ!」

 けれど、その態度はいただけないわネェ! 可愛がるだけでは、ダメというコト! 少々躾が必要でありますことヨォー!

「このワタクシに牙を剥くことが何を意味するのか、教えて差し上げてもよくってヨォー!」

 誤解しないでいただきたいですネェー! ワタクシ、犬は悪しからず思っておりますのヨォー! ただし、躾の良くできた、下僕としての犬なら、ですけどネェー!

「さあ、おいでなさい……。皆さん、まとめて調教して差し上げますわヨォー! オーッホッホッホッホッホッホォー!」


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「オオオーッヒオッホッホッホヒヒッフフッホイッヘエヘ! タノチィーですわネェー!」

 そこにいたのは、絶世の美少女だった。
 きめ細やかな肌。愛くるしい笑顔。その姿を見た人は、誰もが魅了されるであろう、魔性のかわいさ。それは、厳しい訓練を積んだ百戦錬磨の軍犬でも、例外ではなかった。
 だらしない顔をして近づく『チワ・フォース・ワン』隊員たちを、なでなでしたりスリスリしたりと弄んだ次の瞬間には、隊員の首が真反対を向いている。それも、次々と。まさに大暴れだ。悪夢と言って差し支えない。
 私は、廊下の陰に隠れながら、この悪夢的光景の様子を伺っていた。『チワ・フォース・ワン』の全滅は問題ではない。戦闘型の魔人ならば、この展開は想像に難くなかった。ここまで一方的になるとは思わなかったが。
 私が驚いたのは、少女の顔……というか、外見全体が、骨格から根こそぎ変わったことだ。
 音もなく、静かに、一瞬にして、黒髪セミロングでコロコロ変わる表情が魅力的な少女は、金髪縦ロールを引っ提げたつり目が印象的な高飛車系お嬢様へと変化していた。その姿は、わがままなお姫様といった感じで、あり余る華やかさを振りまいていた。
 それなのに、何か虚ろを見ているかのように静かで冷たい目だけは変わらない。そのギャップに、空恐ろしさを感じた。

(間違いない。あれが、彼女の魔人能力……)

 心を奪うほどかわいい少女に、外見を変化させる能力。しかも、瞬時に。
 正直、あまりひどい目に会わせたくない気持ちが浮かんでくる。できれば、話し合いで解決できないだろうか。そんな甘い考えを、頬を叩いて追い出した。この感情は、相手の能力の所為だろう。流されないよう、強い気持ちを持たなければならない。
 大丈夫。私がとるべき行動に変わりはない。

「ち、畜生! この、ギョウチュウ検査のシールにも劣るカスがぁー!」

 最後の一匹となった軍曹が、自滅覚悟で“女子高生”に走りこんでいく最中、私は小さく「解放(オープン)」と囁いた。

「オォーッホッホッホッホッフォーゲッホゲホゲホゲホオェ。……あ、あら? わんちゃーん。どこに行ったのかしら」

 スカートから取り出したソードオフショットガン……射程は短いが、拡散性と殺傷能力に優れる散弾銃と引き換えに、軍曹が姿を消した。重火器はあまり得意ではないが、屋内線での不意打ちにこれほど適した武器は他にない。
 “女子高生”が、消えた軍曹を探して辺りを見回す。ちょうど、私に背を向ける形だ。距離は、約五メートル。場所は、躱しようがない狭い廊下。これならば、当たる。
 ショットガンを持ち上げ、“女子高生”の背中に照準を合わせる。引き金を引こうとした、その瞬間。

 “女子高生”が、こちらを見もせず、真横に飛びのいた。


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 まあ、なんてことでしょう! ワタクシは、背後からの痴漢的な妖しい気配を感じ、すかさず窓ガラスを破って病室に飛び込んだのですわオォーッホッホッホッホッホ!
 お痴漢様は知らなかったようですわネェー! ワタクシは、女子高生流痴漢撃退術の習熟者! 背後からやってくる痴漢の気配を感じ取れないなど、あり得ないのですワァー!
 廊下から響く轟音! おそらくは散弾銃! なるほど、硬いモノをすごい勢いで何個も突き刺そうとする、圧倒的俗物的痴漢行為でございますわね。
 何たる非道! クズでド変態のカス野郎ですわオォーッホッホッホッホホフォフォゲッホゲホゲホゲホオエ。
 しかし、このアタシに、ショットガン程度で打ち勝てると思うとはなぁ……。 戦いの場において、自身の五体以外のものに頼ろうとは、脆弱惰弱薄弱貧弱ッ! 卑怯な心には、それに見あった肉体しか宿らないものだぜ!

「誰だか知らねえが、てめえの腐った性根、このアタシが叩き直してくれるぜーッ!」

 勢いよく病室のドアを開け廊下に戻ると、10メートルくらい離れた位置に、痴漢野郎は立っていた。
 アタシは、目を奪われた。
 その子は、とても小さい顔に、真っ白な肌。ツヤのある長い黒髪には、引き込まれそうになる。体は小柄だが、アタシより出るところは出ていて、ちょっと羨ましい。
 右手には、5メートルはあるかという鞭の節々に、金属の刃がついた武器を携えている。長大かつ重厚であろうそれを、新体操のリボンのように地面につくことなく操りながら、こちらを不敵な目で見据えている。
 アタシは、こみ上げる笑みを抑えきれなかった。
 ついに、ついに出会えたのだ。


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 私は、ショットガンを放棄した。反動が大きく、体に大きな負担がかかるし、もともと扱いが不慣れな武器だ。実戦で正確に照準をつけられる自信はなかった。
 結局のところ最も頼りになるのは、扱いになれた武器と言うことになる。私の右手には、研いだ金属片を鞭状につなぎ合わせた剣、蛇腹剣がある。
 私が、お姉ちゃんが、一番得意な武器だ。
 一見したところ、敵は技術があるものの、パワーもスピードも私の方が上だ。おそらくは真っ向勝負で勝利できるだろう。
 だが、念には念を、だ。もう一つの布石は、巻いておく必要がある。

 バン、と病室のドアが勢いよく開いた。
 姿を現したのは、赤髪ショートカットの、好戦的な笑みを浮かべる美少女。陸上競技の選手のような服装になり、覗き見える四肢のしなやかな筋肉が印象的だ。思わず触れたくなる気持ちを、必死に抑える。
 私は、動揺を隠しながら、スカートの裾をちょいとつまんで、軽く会釈をした。

「挨拶が遅れたわね。私は、対馬堂穂波。あなたのお名前を伺ってもいいかしら」

 背後からショットガンを撃っておいてよく言ったものだ、と自分でも思う。“女子高生”は、一瞬呆けた後、明るく笑いながら、粗野な声を響かせた。

「お……おうおうおう! アタシは名を捨てた、ただのそこら辺にいるかわいい女子高生だ! よろしく!」

 こいつ、すげえな。私は、思わず吹き出しそうになるのを懸命にこらえた。

「随分元気な脳細胞をお持ちなのね、“女子高生”さん。正直、あの一撃を躱されるとは思わなかったわ。何か、運動部にでも入っているのかしら」
「い、いやあ、照れるなあ! 部活は入ってねえよ。張王(ちゃお)の付録に載っていた、女子高生流痴漢撃退術を反復練習しただけなんだけどさ」

 お、おう。
 頭を掻きながら、照れくさそうに笑う“女子高生”。さっきから、相手の回答は予想の斜め上を行く。しかし、悪くない。推測が、少しずつ確信に変わっていく。

 そもそもの違和感は、『無色の夢』において知った敵の名前が、“女子高生”ということだ。超自然現象に理屈を求めるのは間違いとも思ったが、それにしても不自然だ。
 その上、かわいい女の子限定の変身能力と、年齢分不相応な戦闘技術を持つ。こんなもの、裏があると考えない方がおかしいだろう。そこを抉り出せば、必ず隙を生む。
 言葉で相手の弱みを突き、解体し、動揺させる。お姉ちゃんが最も得意とし、好んでいた戦法だ。

「自己流なの。素晴らしい練度ね。一体、どれほどの鍛錬を……」
「ま、まあさ。その辺のことはどうでもいいじゃんか」

 “女子高生”は、溢れ出る笑顔を隠すように俯きながら、もじもじと手をこする。ボーイッシュな女の子のこういう仕草は、妙にかわいく見えるものだ。ついさっきの、チワワへの蛮行を目撃していなければ、だが。

「なんでアンタが、ショットガン撃ってきたのかわかんないけどさ。それはもう、どうでもいいや。いきなりでなんなんだけど、ト、トモダチにならないか?」

 罠だ。私は瞬時に判断した。
 話に脈絡がなさすぎるし、そもそも相手も『無色の夢』を見ているはずだ。戦いのルールを知らないはずがない。
 勝者には覚めぬ凶夢を。勝者には冷めぬ瑞夢を。“無色の夢”を見た者は、互いに争う運命にある。
 それにしたって、お粗末すぎる発言だ。私は、“女子高生”を鼻で笑った。

「そうね……。私に触れることができたら、トモダチとやらになってあげてもいいわよ」

 私は、蛇腹剣を試すように振った。
 高速の金属鞭は、目にもとまらぬ速さで、周囲の空気を切り裂く。鞭は、数多ある武器の中でも、重火器を除けば最速の速さを出すことができるものだ。よほどの熟練者でなければ、近づくことすらできないだろう。
 しかし、“女子高生”はさらに顔を明るくさせ、重心を落とした。カモシカのようにしなやかな脚に、力を込める。これは、いつでも私にとびかかれる構えだ。

「お、おう! いいなあ! 友情の握手! じゃあ、握手したら、トモダチになろうぜ。約束だ」

 白々しいことを言う。私は、明るい声を出す“女子高生”に、できるだけ優し気に語り掛けた。

「できるものなら、ね」


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 アタシが、対馬堂ちゃんに向かって走り出す。対馬堂ちゃんはそれと同時に、蛇腹剣を肩口に放ってきた。照れてるんだな。かわいいやつだぜ!
 アタシがほんの少し右手を回した。手刀は、的確に蛇腹剣の刃がない鞭の部分を叩く。ただそれだけで、蛇腹剣はその軌道をずらし、明後日の方向に飛んで行った。対馬堂ちゃんが、驚いた顔を見せる。

「本当、同年代とは思えない動きね」
「ほ、ほめてくれてるのかい? うれしいなあ!」

 対馬堂ちゃんは、後退しながら何度も蛇腹剣を放ってきた。アタシは軽く手や足を動かし、数センチ残して回避しながら距離を詰め続ける。
 だが、対馬堂ちゃんは余裕の表情をまるで変えない。バックステップで距離を取りながら、普通に会話するかのように話しかけてくる。

「あなた、学校はどこ? 私は、妃芽薗学園に通っているのだけど」
「おお、自己紹介の続きだな! アタシは、希望崎に通ってるんだ!」
「それは、おかしいわね。希望崎と妃芽薗は、学校間交流が盛ん。こんな技術を持つ生徒がいれば、耳に入ってきそうなものだけど」
「そ……そうなのかい。おかしいな」


 ズキッ、と頭が痛む。異様な不快感が、全身を襲った。なんだ、これ。なんでこんな、イヤな感じになるんだ。
 なおも降りかかる剣撃の雨の中、アタシは懸命に前に進む。それでも対馬堂ちゃんは涼しい顔で後退し続け、なかなか距離を詰めさせてくれない。

「クラスは何組。クラスメイトの名前、教えてくれる。他のクラスでも構わないわ。先輩でも、後輩でも」
「ア……アタシ、バカだから! 忘れちゃったんだ! ハハハッ!」
「あら、答えられないの。自分のことなのに」


 ズキズキと、さらに頭が痛くなる。目がかすんでくるみたいだ。なんでこんなに、嫌な予感がするんだ。
 アタシはただの女子高生なのに、それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、言い知れない不安感が胸を包む。
 もうこれ以上、喋らないでくれ。

「あなたは、今何年生なの。学校には、どんな部活があるの。購買に売っている品物は。なんなら、近所の友達の名前でもいいわ。一人でいいから、名前を答えてみて」
「う……うるさいうるさいうるさーい!」


 対馬堂ちゃんとの距離は、あとちょっと。これ以上、イヤなことを聞きたくない。声帯ぶっ潰して、余計な口をきけないようにしてから、ゆっくりトモダチになればいい。大丈夫、ケンカや殴り合いなんて、青春ではよくあることのはずだ。
 アタシは、対馬堂ちゃんの首元めがけて、渾身の抜き手を放とうとした。

「あなた、女子高生ではないわね」

 心臓が跳ね上がるような衝撃を受けた。息ができなくなり、一瞬時が止まる。視界が真っ白になる。
 腹に、重い衝撃。たまらず吹き飛ばされる。ゴロゴロと転がりながらも、頭痛は治まらない。
 寝坊したアタシを、いつも迎えに来てくれる幼なじみ。彼の名前を思い出せない。ちょっとイケメンの教育実習生。あの人の名前も思い出せない。隣の席のいじめッこも、一緒に下校する仲良し三人組も、お母さんも、お父さんも。
 なにも思い出せない。誰の顔もわからない。そもそも、学校はどんな形をしているのかすら、ぼんやりとしかわからない。希望崎学園。それがアタシの学校。でもアタシは……。
 頭が更なる痛みに襲われる。

 熱砂の世界。異常進化した動物。争い、奪い合う人々。

 なんだ、この記憶は。どうして、アタシはこんな風景を思い出せるんだ。

 朽ち果てた東京タワー。ポッキリと折れた都庁。広すぎる東京湾。初めて両の脚で立った東京。その直後の轟音。悲鳴。

 アタシは、東京湾に浮かぶ希望崎学園の姿しか、思い出せない。

 アタシは、学校に行ったことがない。

「ア、アタシは……」

 アタシは、アチシは、ワタクシは、俺は、ワッチは、私は、ボクは、ミーは、余は、我は、アテクシは、あたしは……。
 頭を抱え、膝をつく。失われた記憶が、失おうとしていた記憶が、濁流のように押し寄せる。脳がパンクしそうな苦痛の中、ついに決壊したそれを目の当たりにして、

 私は、「認識」をした。


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 細身の“女子高生”が、くの字に体を折り曲げ、開け放たれた手術室に吹き飛んでいった。
 私が渾身の回し蹴りを放った右脚には、重厚な足甲が装着されている。“稲妻の脛当て(グリングリーブ)”。インパクトの瞬間、足鎧を展開させて、打撃の威力を底上げしたのだ。
 正直言って、相当に追い詰められていた。蛇腹剣の連撃を、あれほど事もなげにかわされたのは、さすがに予想外だった。
 しかも、“女子高生”が使っていたのは、魔人能力でもなんでもない。基本に忠実な体捌きと、基本に忠実な受け。錬度が高いだけの、ただの技術だ。
 なのに、まるで洗練された演武のよう。一体、どれ程の経験を積めば、実戦でこんな動きができるというのか。
 相手が、私の言葉に想像以上の反応をしてくれなければ、負けていたかもしれない。
 もうひと押し。私は、手術室の最奥で蹲る“女子高生”に、最後の仕上げをすべく、声をかける。

「あなたは、何者なの。女子でも、高校生でもないわね」

 私は、スカートの中から再度蛇腹剣を取り出した。銃火器は得意ではない。地対空ミサイルは威力がありすぎる。バルカン砲は、設置する時間がない。手榴弾は、投げ返されたときに対応しようがない。結局、最後に頼りになるのは、使い慣れた武器なのだ。

「あなたは、女子高生の『ニセモノ』。正体はなにかしら。女子高に潜入したい変態? 若さを取り戻したかったオバサン? それとも、もっと別の誰か?」

 もはや、“女子高生”はなんの反応もしない。私は警戒をしながら、手術室に足を踏み入れる。蛇腹剣の有効射程5メートルに入った。今剣を振り下ろせば、それですべては終わる。

「答えられないなら、そのまま消えなさい」

 私が、蹲った“女子高生”に毒牙をかけようとしたその時、

 “女子高生”が、耳をつんざくような悲鳴を上げた。

 思わず耳を塞いだ。“女子高生”の口からは、何人もの女性の悲鳴が不協和音で重なり、甲高い異音を奏でている。何重にも重なった超音波のような高音は、廊下のガラスを砕き、手術室に置かれたメスなどの金属類をガタガタと震わせた。
 “女子高生”は、ブルブルと体を震わせながら、拳を思い切り握りしめる。巨大な力が溢れ出すのを抑えるように。黒い何かが噴き出るのをこらえるように。“女子高生”の外見が、恐ろしい速度で変わっていく。もはや、何になっているのかわからない。さながら高速のスロットのようだ。

 “これ”は、一体なんだ。

 こいつは、ヤバい。私は、開けてはならないパンドラの箱を、開けてしまったのではないか。背筋に冷気が走り、思わず後ずさった。
 急に、無音になる。
 “女子高生”のサブリミナルは止まり、蹲った姿勢のまま、戦闘開始時の黒髪少女の姿になっていた。動く様子はない。私は、“女子高生”の様子を伺うように、目を細めた。

 その瞬間、“女子高生”が、私に向かって弾けるように走ってきた。

(しまった!)

 蛇腹剣を振り下ろそうとするが、遅い。既に“女子高生”は、目と鼻の先だ。蛇腹剣を振り下ろせる距離ではない。
 私はすぐに蛇腹剣を手から離し、空いていた左拳を“女子高生”の顔面に向け突き出した。“女子高生”は、それを知っていたかのような反射速度でスウェイバックをしながら、私にローキックを放つ。

 ここだ!

『スカートの中の戦争』、発動。私の両足に再度、腿まで囲う重厚な足甲が装着された。こんなものを全力で蹴れば、激痛が走ることは間違いない。とにかく一度攻撃を止めて、距離を取る必要がある。
 しかし、“女子高生”の下段蹴りは、足甲に当たることなく、空かされた。
 見ると、“女子高生”の姿は、先ほどまでの姿よりも20センチメートルほど身長が低い、幼さを残す少女になっていた。足の長さも、明らかにさっきまでの姿より短い。“女子高生”はローキックが当たる直前に変身し、リーチを短くして蹴りを外したのだ。
 それでも、“女子高生”はローキックを空振りした勢いのまま、体勢を崩している。まだ私の優位には変わりない。追撃を加えようと、息を吸い込んだその時。

 ふわっと、バニラのような甘い香りがした。銀の絹糸のように細く流れる、美しい長髪。その奥に覗き見える愛くるしい真ん丸の目と、全身を包むサックスブルーのワンピースは、不思議の国のアリスを彷彿とさせる。まるで、童話の世界から抜け出て来たかのようなそのかわいさに、惹きこまれた。

 “女子高生”のかわいさが私の目を奪った時間は、刹那。でも、“女子高生”はその隙を見逃さない。
 ゴキッ、と軽い音がした。遅れてくる激痛。左手首を掴まれ、外された。“女子高生”はそのまま私の左手を捻りながら引き寄せ、左肘を押し上げるように背負い、地面に投げ落とした。
 ボキボキッ。
 肘関節がへし折れる音が、体内に響く。苦悶の声をあげる間もなく、背中から地面に叩きつけられる。

「カハッ……!」

 肺から空気が飛び出す。左手はいまだ、“女子高生”にロックされている。私の脳裏に、首を捻り殺されたチワワチワ太郎1の姿が浮かんだ。
 “女子高生”が、右手を振り上げた。思わず短い悲鳴を上げ、目をつぶる。反射的に、全身を硬直させた。
 しかし、いつまでたっても痛みは訪れなかった。
 代わりに、手の平が包まれる暖かい感触。ぽたぽたと、顔に冷たいものが滴った。

「……あくしゅ」

 か細い、不安そうな声が耳に届いた。
 目を開けると、少女のような姿の“女子高生”は、その両の瞳から涙を溢れさせていた。その表情に、今まで感じていた異常さはない。無機質な光を湛えていた目に、絶望を孕んでいるものの、はっきりと意思の光が見える。
 “女子高生”は、呆気に取られる私に向かい、鼻水を垂らし、よだれと涙でぐちゃぐちゃの、長い髪が張り付いた顔で、絞り出すように呟いた。

「私はただの、女子高生だよ……」

 それは、まるで祈りのように。

「ひとりぼっちは、もうやだよぉ……」

 “女子高生”は私の手を放し、地面に額を擦り付け、声にならない絶叫をあげた。


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 “女子高生”が能力を手に入れ、“女子高生”として地面に降り立ったその時から、世界は崩壊の引き金を引いた。

 結論から言えば、“女子高生”は学校に通うことができなかった。日本の大部分が壊滅状態に陥り、学校どころではなくなってしまったからだ。
 “女子高生”は崩壊した東京都でただ一人、落ちている少女漫画雑誌を拾って読んだり、痴漢撃退用の護身術を磨きながら、高校に通うことを夢見続けた。しかし、そんな“女子高生”に、世界は歩調を合わせてくれない。連鎖的に発生した大災害により、学校の整備など置き去りにしたまま、世界は崩壊し続けた。

 荒廃し、人々が争い続ける世界。そんな中、“女子高生”は自らを偽り続けることで、自分を保っていた。
 頭が悪いのは、世界の惨状に気づかないように。方向音痴なのは、学校にたどり着かないように。そうやって、自分自身を偽り続けることで、一万年の永劫とも言える時間を耐え抜いてきたのだ。

 しかし、記憶の扉は、対馬堂穂波によって開かれてしまった。

 一度気づいてしまえば、一万年は長すぎる。
 胸キュンな学園恋愛ものも、ドタバタ学園コメディも、望めない世界。認識しないことで保ってきた心に、一万年分の絶望がのし掛かってくる。
 そんな重荷を背負うことなど、ただのかわいい女子高生に、できるわけがない。
 もはや戦闘を継続できる状態ではなかった。

 “女子高生”は、完全に戦意を失った。


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 私は、体を起こす。
 手を伸ばせば触れられるほど近くで、地面に頭を押し当て、大声で泣きじゃくる“女子高生”。その姿を、ただ黙って見ていた。
 この子は本当に、自分と友達になりたかっただけなのかもしれない。ひょっとしたら、『無色の夢』のことなど、本当に何も覚えていなかったのかもしれない。無防備な今の姿を見ると、そう思える。
 紛れもなく、今が勝機だ。
 私はスカートの中から、小ぶりなコンバットナイフを取り出した。



 あたしは、お姉ちゃんのことが、死ぬほど嫌いだった。

 あたしはお姉ちゃんが大好きだったのに、お姉ちゃんはあたしにまるで関心がなかったから。

 大好きな人に嫌われるなら、まだいい。でも、気にもかけてもらえないのは、心をかきむしられるほどに辛かった。だからあたしは、お姉ちゃんを死ぬほど好きな分、死ぬほど嫌いになるしかなかった。
 でも、嫌いになろうとすればするほど、触れないようにすればするほど、完璧な“対馬堂穂波”という偶像に対する憧れは強くなり、自分の矮小さが目に移った。
 どうしてあたしは、お姉ちゃんのように頭が良くないのか。どうしてあたしは、お姉ちゃんのように運動ができないのか。どうしてあたしは、お姉ちゃんのように完璧になれないのか。
 日々募る自己嫌悪。それに反比例して膨れ上がるお姉ちゃんへの憧憬。

 いつしかあたしは望んでいた。あたし自身が、“対馬堂穂波”になることを。

 そしてあたしは、『軌道辿(みちた)りし幽霊走者(ゴーストランナー)』という能力を発現し、お姉ちゃんの全てを、“対馬堂穂波”という存在を奪ったのだ。

 でも、違った。
 お姉ちゃんの人生を奪い、初めて分かった。お姉ちゃんは、完璧な存在なんかじゃなかったのだ。
 お姉ちゃんは、苦しんでいた。周囲から期待と羨望の眼差しを受けることに。両親がいない中、たった一人であたしを育てていくことに。
 それを打ち明けられる友達もおらず、頼れる大人もいない。お姉ちゃんはたった一人で、大きな荷物を抱えながら、歯を食いしばって歩いていたのだ。

 そのストレスを、大事な人を殺すことで発散していた。

 お姉ちゃんは、人殺しに愉悦と快楽を覚える異常者だったのだ。誰も知らないところで、その悪魔的な頭脳と、魔人能力を使い、証拠を一切残さず、何人もの友人を殺していた。
 両親を殺したのも、お姉ちゃんだ。あたしが物心つく前、5歳のお姉ちゃんに向ける、疑問の眼と断末魔の声が、お姉ちゃんの記憶に焼き付いていた。
 お姉ちゃんがあたしを避けていたのも、“対馬堂理玖”を殺さないため。あたしを、大切に思わないようにするためだった。
 あたしを大事に思えば思うほど、殺したくなる。けど、たった一人だけ残った家族は殺したくない。ちゃんと学校を卒業して、お嫁さんになる姿をこの目で見たい。二律背反する、欲望と理性の葛藤。
 好きな夢を見る権利を得たとき、あたしを思う存分殺しつくしたお姉ちゃんの心が、いったいどれほど慰められたことか。

 お姉ちゃんは、あたしが思い描いていた完璧な“対馬堂穂波”ではなかった。
 己の性癖と周囲の期待に苦しむ、ただの異常殺人者だったのだ。
 こんなのは、あたしが全てを手に入れたいと思った、“対馬堂穂波”ではない。こんな真実は認めたくない。

 だから、“あたし”は決意した。

 “私”が、完璧な“対馬堂穂波”を演じ続けることを。

 そうすれば私は、私が思い描く、『ホンモノ』の“対馬堂穂波”になれる。
 超然とした美しさを持ち、全てを思い通りに動かし、決して負けない。そんな、『ホンモノ』の“対馬堂穂波”に、私はなる。
 そう決意して、私は『ドリームマッチ』に挑んだのだ。



 右手にナイフを持ち、振り上げる。狙うは、“女子高生”の無防備なうなじ。
 『ホンモノ』の“対馬堂穂波”ならば、“女子高生”にとどめを刺すはずだ。“対馬堂穂波”は、常に勝利と共にある。確実なる死をもって、勝利の首級とするだろう。

 でも、私はやっぱり『ニセモノ』だ。

 ナイフを捨て、泣きじゃくる“女子高生”の顎に手を当てた。
 “女子高生”は、とめどなく溢れる涙と鼻水に塗れた顔を上げた。その目には疑問の色を浮かべ、泣きすぎて止まらないしゃっくりを懸命に我慢しているようだ。それでもなお、神々しさを感じるほどのかわいさを持つのは、能力故だろうか。

 私は、右腕だけで“女子高生”を抱きしめる。“女子高生”の、息を飲む音が聞こえた。左腕に激痛が走るが、構わない。

「……ここは、夢の中なの」

 私は、“女子高生”の耳元で囁いた。
 “女子高生”は、『ニセモノ』として、これまでどんな生を歩んできたのだろうか。その辛さを想像すると、胸がつぶれるように痛くなる。
 私もまた、『ニセモノ』だから。

「これは、夢の勝負。現実じゃない」

 自分の理想があるのに、決してその通りには動けない。人生を、記憶を、能力を奪っても、それはあくまでも、“対馬堂穂波”の皮を被った“対馬堂理玖”でしかない。
 “女子高生”が『ホンモノ』の女子高生になれないように、私が、『ホンモノ』の“対馬堂穂波”になることなんて、できるわけがなかったのだ。
 それでも私は、理想と現実の狭間で苦悩しながら、“対馬堂穂波”として生きていくしかない。それが、お姉ちゃんの人生をすべて奪ってしまった、私の罰。

「だから、あなたが負ければ、記憶を失う。自分が『ニセモノ』だと気が付いてしまった記憶も、全て」

 でも、そんな思いをするのは、私だけでいい。
 ゴロゴロと、スカートの中から零れ落ちたのは、大量のプラスチック爆弾。無線式のスイッチを押すことで、爆発する。これだけあれば、この部屋を吹き飛ばすことなど容易い。

「あなたは、ここにいて。きっと、苦しいのは一瞬。それで、元のなんでもない現実に帰れるから」

 この子は、全てを忘れて、現実に帰るべきだ。
 自分が『ニセモノ』であることを忘れて、何も知らない現実に帰る。それが、『ニセモノ』の“女子高生”の、一番の幸せだろう。
 だけど、せめて私は、この子のことを覚えていよう。
 美しい『ニセモノ』がいたことを。
 本物の女子高生よりも『ホンモノ』を希った、“女子高生”がいたことを。

「さよなら」

 私は、部屋の片隅に駆けだした。行く先は、1階まで続くダストシュート。その、ギリギリ入り込める程度の狭い穴に飛び込むと同時に、スイッチを押した。
 手術室から、轟音と共に爆炎が上がった。


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 さよならと言って駆け出す対馬堂さんは、何かを我慢するかのように、唇を強く噛んでいた。
 でも、彼女の言葉をきっかけに、『無色の夢』のことを思い出していた私は、彼女の表情の意味を考える余裕もなく、ただ茫然としていた。



『ここは、夢の中なの』

 対馬堂さんの言葉が、頭の中で反響した。

 そうだ。ここは夢の中なんだ。

 それは、一日前に見た、不思議な夢だった。
 真っ白い、ただ広いだけの空間。その中で、私は知った。

 夢の中で闘うルールを。
 対戦相手を。
 戦闘空間を。
 褒章と罰を。

 敗者には覚めぬ凶夢を。
 勝者には冷めぬ瑞夢を。

『あなたが負ければ、記憶を失う。自分が『ニセモノ』だと気が付いてしまった記憶も、全て』

 女子高生になりたかった。
 かわいくて、美人で。明るくて、冷たくて。笑顔で、無表情で。ちょっと優しくされたら、すぐに恋をしちゃうような、そんな女子高生に。
 学校制度自体がなくなっても、信じて待ち続けた。信じていれば、いつか必ず夢はかなう。私が本で読んだ女子高生は、みんなそう言っていた。だから、ひたすら耐え続けた。何十年も、何百年も、何千年も。
 だけど、一万年経っても世界は変わらなかった。私は、『ニセモノ』の女子高生にすら、なれなかった。女子高生と言う概念が存在しない中で、ただ一人存在する“女子高生”。そんなもの、『ニセモノ』でも、『ホンモノ』でもない。ただの異形でしかなかったのだ。

 今ならば。

 私が勝てば、夢を叶えることができる。それは、現実ではないのかもしれない。泡のように儚い、ただの夢なのかもしれない。
 それでも、たとえ夢の中だとしても。

『元のなんでもない現実に帰れるから』

 『ホンモノ』の女子高生になれるなら、現実なんていらない。



 私は立ち上がり、駆け出した。対馬堂さんが飛び込んだ、ダストシュートに向かって。
 私は、今最も勝利に近づくことができるであろう、“かわいい女子高生”に姿を変え、ダストシュートに飛び込んだ。


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 私は、ダストシュートを3階から1階まで下り、着地した。折れた左腕を襲う激痛に、一瞬顔が歪む。上を確認すると、爆炎を背に落ちてくる黒い影が見えた。

 バカな子だ。あのまま爆発に巻き込まれていれば、苦しい思いをしないですんだものを。

 私は、スカートからコンバットナイフを取り出した。“女子高生”の戦闘スタイルは、流麗な動きで攻撃を避けながら密着し、零距離からの超近距離戦を挑むものだ。
 だが、空中で、しかもこれほど狭いダストシュートの中では、私の斬撃を躱しようがない。相手に掴まれ首を折られる前に、私が“女子高生”の心臓を貫ける。
 “女子高生”が落ちてくるのを、ナイフを構えながら待ち構える。爆炎が消え、その姿をはっきり確認できるようになったとき、

 私は息を飲んだ。



 私は、全てを失ってから気が付いた。

 私は、“対馬堂穂波”になりたかったわけじゃない。ただ、お姉ちゃんに近づきたかっただけなんだと。

 世界で一番大好きなお姉ちゃんに、私を見てほしかっただけなんだと。



「てめえがその姿になるなああぁぁ!」

 特徴的な長い黒髪。小柄ながら肉付きのよい体躯と、可憐な美貌。ゴシックドレスに身を包み、膝下まで伸びるロングスカートを履く。

 落ちてくる“女子高生”は、他でもない“対馬堂穂波”の姿を模っていた。

 一瞬で、全身の血管が沸騰するような怒り。なのに、がちがちと歯が鳴る。涙目になる。ダメだ。とても刺せない。刺せるわけがない。
 世界で一番大好きなお姉ちゃんを、二度も殺すことなんて、できるわけがない。


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 動揺し、手に持つナイフを振るわせる対馬堂さんを見て、私は勝利を確信した。
 やはり、自分の姿をした相手を殺すのは抵抗があるのだろう。明らかに、致命傷を与えられるような握りではない。このまま密着して、首を捻れば、私の勝ちだ。

 勝つとはすなわち、彼女を殺すことだ。

『あくしゅ』

 私の心中に、言い知れない動揺が現れた。
 殺人ならば、これまで何回もやってきた。生きるために、身を守るために。今更、他人を殺すことに抵抗はない。

 だが、対馬堂穂波は、『トモダチ』だ。

 一方的だろうとなんだろうと、初めて手を握った、初めての『トモダチ』なのだ。

 その『トモダチ』を、私は殺すのか。

 私は、落下の勢いのまま、対馬堂さんに抱き着くように、のしかかった。今手を動かせば、それでおしまいだ。私の勝ちだ。でも、それでも。
 永遠にも思える、一瞬の思考。
 それは、対馬堂さんが私の胸にナイフを突き刺すことで、終わった。


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 “女子高生”は、私に抱き着くような体勢で、その動きを止めた。震えが止まった手に、不快な感触が伝わる。ナイフがぶつぶつと肉を切り裂き、骨を突き破る感触。できた穴から、少しずつ命が零れ落ちていく。
 お姉ちゃんは、こんなものが好きだったのか。
 私には、とても好きになれそうにない。
 ゲホッと“女子高生”が吐いた血が、私の顔にかかった。お姉ちゃんは、殺せない。でも、お姉ちゃんの『ニセモノ』ならば殺せる。



 私に抱き着いたときの、殺すことを戸惑うような“女子高生”の顔。それが、私を冷静にさせた。
 お姉ちゃんが私を殺すとき、そんな顔をするわけがない。
 私が奪った記憶には、お姉ちゃんの見た夢の記憶も残っていた。『ドリームマッチ』でお姉ちゃんが勝利し、褒章として得た夢の記憶。私を思いのまま、殺しつくした夢の記憶。
 鏡の中のお姉ちゃんは、私が見たこともないような、心の底から嬉しそうな笑顔だった。



 肌と肌が密着し、お互いの体温を感じる。“女子高生”の実力ならば、今すぐにでも私を絶命させることができる距離だ。それをしないということは、もう技を出す気力もないのだろう。
 “女子高生”の体が冷たくなっていく。心臓の鼓動が、少しずつ小さくなっていく。あと僅かで、決着がつくのだろう。
 私はナイフを抜き、もう一度“女子高生”を抱きしめた。もう道が交わることはないだろう彼女への、せめてもの手向け。どうか安らかに、眠るように帰ってほしいという思いを込めて。











「……ごめんなさい」

 か細い声が聞こえた。

 お姉ちゃんの声。でも、私ではない。

 “女子高生”が、最後の力を振り絞って出した、一言。

 その意味を考える間もなく、対馬堂穂波は巨大な質量に潰され、一瞬にしてその意識を深い闇に手放した。


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 苦渋の選択だった。

 最大の問題は、魔人能力を解除しても、自我が保てるかわからなかったことだ。重ね掛けは何度もしたことがあったが、完全解除はしたことがなかった。また“女子高生”に戻れる保証はない。
 “女子高生”であることは、全てだ。
 ここが夢の中でなければ、あとわずかで死を迎える状況でも“女子高生”としての死を選んでいただろう。

 “それ”は、人ではなかった。

 当然だ。如何に“女子高生”といえど、人は一万年以上生きることは出来ない。一万年存在し続けることができたのは、“それ”がもともと持っていた資質によるものだ。
 “それ”が、いつ頃から自我を持ったのかはわからない。いつ頃から“女子高生”になりたいという夢を持ったのかも。
 華やかで、楽しそうで、誰もが羨望の眼差しを向ける“女子高生”。その夢を叶える魔人能力に目覚めた瞬間が、世界崩壊への引き金となったとは、なん足る皮肉だろうか。

 太平洋プレートごと地面を引っこ抜き、東京を、日本を、大地震と大津波で壊滅させた張本人。一万年の時を紡いでも滅ぶことがない、星そのもの。

 面積5,257,65平方キロメートル。総人口6,224,027人。廃病院を砕き、周囲の森林をなぎ倒し、その重みで地面に深々と突き刺さる、巨大な岩と土の塊。

 “千葉県”は夢の中で、1万年たってもまるで変わることのない、その雄大な姿を表したのである。


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―――戦闘終了―――


氏名:対馬堂 穂波 
能力名:スカートの中の戦争

 千葉県に圧殺され、即死。

氏名:“女子高生”
能力名:はっぴぃ☆みらくる☆みるふぃ~ゆ☆(千葉の幸せな奇跡)

 “女子高生”としての自我をなくし、物言わぬ千葉県に戻るも、その前に対馬堂穂波が即死していたため、勝利。
 “女子高生”として願った褒章を、受け取る。


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 キーンコーンカーンコーン……。



 遠くから聞こえるチャイム音。うるさいなあ、もう。思わず身じろぎしながら、むにゃむにゃと声が出る。

「あと、20分……」

「いや、寝すぎでしょおバカ」

 ピンッ、と爪をはじく音とともに、おでこに鋭い痛みが走った。思わず飛び起きる。

「ふにゃあ! な、なになに?」

「移動教室。春眠暁を覚えずとは、まさにこのことね。50分寝続けるのはあり得ないわ。生物の茂木先生、顔真っ赤にして怒ってたわよ」

 前の席に座るホナミちゃんが、完全に呆れた顔でため息をついた。周りを見ると、クラスメイトは皆ガタガタと席を立ち始めている。私は、顔が熱くなるのを感じた。

「も、もう1限目終わり? なんで起こしてくれなかったのさ!」

「何回も起こした。あと5分を6回くらい聞いたわ。何度も揺すると殴ってくるし。はた迷惑よね、ほんと」

「むぐぐ……」

 何も言い返す言葉がない。仕方なく、ごそごそと移動教室の準備を始める。ホナミちゃんがあきれ顔でため息をついた。いつもの風景。いつもの学校生活。これが、私の日常。
 ふと前を向くと、ホナミちゃんが驚いたように目を見開いている。私の方がびっくりする。

「なに? どうかした?」

「……ごめんね。次からは、ちゃんと起こすわ。だから、泣かないで」

「な、なんの話……」

 あれ? あれあれ?
 ぽたぽたと、地面に涙がこぼれていた。

「えええ! な、なにこれ」

「ほら、使って」

 差し出されたハンカチで一回拭うと、涙はもう出なかった。何が何だか、さっぱりわからない。
 けど、珍しくホナミちゃんの焦ってる顔も見れたし、よしよしと頭も撫でてくれる。それが何だか気持ちよくて、悪い気持ちはしなかった。

 春の穏やかな昼下がり、今日も私は、トモダチと一緒に学校にいる。

 青春なんて、きっとそれだけで、十分なんだ。
最終更新:2016年03月07日 20:40