茂木デュ一郎プロローグその2
茂木デュ一郎vsサンプル太郎
鳥も黙る禅エリアの廊下に、気を練る短髪の大男が瞑想していた。
彼の名はサンプル太郎。筋骨隆々の見た目通り、パワー系魔人だ。
サンプル太郎は精神強化のため禅寺にて修業に励んでいたが、いつまで経っても悟りは得られない。筋肉が衰える危機感を持った。座禅をやめた。
いまだ悟らずの生臭坊主が、警策を食らわせるチャンスと内心ほくそ笑みながら近づく。
「サンプル太郎殿、いかがなされボヌッパャ」
サンプル太郎の剛腕が禅僧の顔面を貫き、フラッシュのように赤色がはじけ、廊下に巻き散る。
「死ね」
修業方法変更。禅僧を皆殺したら精神強化の業は完了、というていで行くことにした。
アクションゲームのように奥からわらわら現れる修行僧たちを、みな一撃によって、死に体へと変えていく。
キェーとかアチョーとかグベハとか叫ぶ声がこだましたあと、風さえやみ動くものが己だけになっても、サンプル太郎は寺の奥へと進む。
ーー禅寺の大ボス、三代目 j soul 空海。ヤツさえ殺せば俺はブッダだ。
一際質素な古びた襖を蹴り破る。
三代目空海の部屋に、確かに空海はいた。しかし、客も居た。テレビ越しにも見たことがある天然パーマの脳科学者・茂木デュ一郎。
「よう、茂木さん。あんたにゃ用はねえ。そこの空海を殺して俺はブッダになる」
血まみれ臓物まみれのサンプル太郎に、怯える空海。しかし茂木は正座したまま、眉一つ動かさない仏頂面でサンプル太郎を見上げる。
「あなた、空海さんも殺すつもりですか」
「俺は真剣(マジ)だ」
「なるほど…あなたが死にましょうか」
茂木は立ち上がった勢いのまま、ヤクザキックでサンプル太郎を蹴り飛ばした。あまりにも唐突な攻撃に反応できず、サンプル太郎はそのわき腹を蹴られ吹き飛んだ。床の間に背中を打ち付けた。
「ワシの掛け軸が!」
「空海さんはちょっと出て行ってください、安全がありませんので」
「あれは3000万もしたんだぞ」
「そりゃウケる」茂木の目が鋭く光る。「すぐ出ろ」
サンプル太郎は、飛んだ意識をすでに取り戻していた。が、そそくさと逃げる空海を追うことはしない。
ゆっくりと立ち上がって、茂木を観る。筋肉の山のサンプル太郎と比べれば、まるで大人と子供だ。しかし油断はしない。
「あんた、いい蹴りだな。殺しがいがありそうだ」
「茂木、キミは一撃で死ぬと思うの、アハ」
サンプル太郎は高窓の障子を引っこ抜き、胴を隠すような盾にした。
サンプルパワー。
身体エネルギーを触れた物体に与え、強度をオリハルコン並みに高める、サンプル太郎の魔人能力である。障子紙であっても、剣豪の名刀を防ぐことが可能となる。
「アハ、それで防御のつもり?」
サンプル太郎は答えなかった。
もともとサンプル太郎の超過密筋肉はナイフすら通さない。サンプルパワーを使わずとも、生半可な魔人の攻撃ならば十分対処できる。
しかし、茂木の一撃は重かった。不意をつかれただけではない。茂木のぱっちゃり体型・年齢を考えると、魔人にしても異様なくらい、重い蹴りだった。備える必要がある。
お互い部屋の角と角で対峙する。7mほどの距離がある。
茂木は釈然と立つ。
サンプル太郎は、茂木の指先、視線、呼吸を見る。足元。障子のない高窓からは暮れかけの陽が射しており、木の影が揺れている。茂木の自前のものと思われる真四角の緑色の鞄がある。中になにが入っているか…。
いつ襲ってくるか、なにでどう襲ってくるかは注意して見ている。サンプルパワーを使っている間、自身の身体能力は常人並になってしまう。だから油断はできない。臆病になっている。いつ襲われるか、恐怖している。
すでに返り血は乾き、汗が吹き出る。涙のように汗が伝い、ぽたりと落ち、サンプル太郎は我に返る。
なぜ俺はこんなにもビビってるんだ?
サンプル太郎は、呼吸をするように闘い、闘いのために生きているような猛者である。そのくせ今は臆病にも盾を用意し、一歩すら近づけずに茂木の様子を窺っているだけ。
やつに屈服しているのか…? 最強の俺が…?
サンプル太郎は自身への怒りが湧いてきた。名に恥じた。この恥は決して許せるものではない。
自身への恥が怒りに、怒りが茂木への殺意に転換される。
「殺す」
サンプル太郎は身を豹のように突進したーーつもりだった。彼はイメージとは全く違い、つるっと転び、受け身もとれず顔から畳へぶつかった。
この絶好の機会を逃すことなく、茂木は距離を詰め、
「ナイス・スリップ・アンド・ナイス・」
勢いよくサッカーボールキック。サンプル太郎の頭を蹴り飛ばした。
「アハ!」
丸太のような太い首は、雷にうたれた枯れ木のように割れ、鮮血を噴いた。
サンプル太郎、死亡。
茂木がぷらぷら足をふり、一息ついた。
「アハだ」
茂木の魔人能力「天啓的体験」は色を変え、その変化に気づいた瞬間脳にダメージを与える。茂木は、これを使用して勝利したーー一体いつ使ったのか?
答えは、ずっと。揺れる木の影。木の影が揺れているように見せた色の変化。畳の色が黒に、影が畳の色にと変化させ、動いているように見せた。
しかし、色の変化速度と威力は反比例する。木々が動いているように見えるほどの速さでは、ダメージは余りに小さい。無視できるほど、気付けないほどだ。だが返り血がすっかり乾くほどの時間、継続して小さなダメージを積み重ねれば、ついには神経の混乱さえ生ずるのだ。
「ちりも積もればアハとなる…。アハ! ちりがふと山なんて、さぞアハよ! アハ! アハ!」
茂木の右足の甲にいびつな赤い円が浮かび上がる。サンプル太郎の首をへし折った一撃は、自身への反動も凄まじい。完全に骨折していた。その痛みを、まるで他人の今朝みた夢の話のように関心なく、自前のカバンを拾って、地に足着けてしっかりと歩き出した。
「空海さーん、もう大丈夫ですよー」
人気の死んだ禅寺に、茂木の伸びた声が広がる。
ムンクの「叫び」一歩手前な死にかけ顔を覗かせた空海、笑いながら茂木に近づく。いまいましくつぶやく。
「あの野郎うちのもんをみんな殺しちまってやがった必ず地獄へ堕ちるようわしゃ死ぬまで念じーー」
茂木は笑い返すと同時に骨折した足を踏み出して、居合いのように左手をすべらせ、空海の右足を断ち切った。
「ボギャババババババ」
空海は叫び血を吹き出し、茂木はゆっくりと鞄を開ける。手術道具一式と怪しげな機器。空海は既に気を失っていたので、応急処置の止血だけをする。自身の足には包帯で固定。痛み止めは結局打たなかった。
「ブッダゲット! アハ!」
気絶した空海の残った左足までこの場で切ると失血死するだろうからラボに帰ってじっくり脳波を観察しつつ切ってみようと茂木は思った。覚者で実験が出来るならだいぶ面白いものが見れるだろう。
茂木は微笑み、隻足(かたあし)の僧を、骨折しているまま負ぶい、血の海の禅寺を背に石階段を一歩ずつ降りていく。正面には、世界を終わらせるような大きな夕陽が焼けていた。
夕焼けの色は赤だ、この赤は俺の脳が、クオリアがそう見せているんだーー
茂木の目に一筋の涙が流れた。
最終更新:2016年01月25日 19:39