鳥河貫太郎プロローグ
鳥河貫太郎プロローグ
『死神店員ストライク』
ピッ。シーチキンおにぎり。108円。
ピッ。アダマン寒ブリおにぎり。129円。
ピッ。ビタミンこれ全部。セール10円引きで98円。
「以上3点で、335円になります」
スーツ姿の中年男性は、財布から千円札1枚と十円玉1枚を取り出し、無言でレジに置き、財布を懐に仕舞う。
俺は指導されたマニュアル通りに、無駄な質問をする。
「ポイントカードはお持ちですか?」
お客さんは無言で微かに首を横に振る。
わかってる。
この人は、このコンビニの近くに勤めていて、週に3度は来る常連だ。
もしかすると、俺の顔も覚えているかもしれない。
でも、対応はマニュアル通り。
これでいい。
これが心地よい。
「千と十円からのお預かりになります」
レジを「千」「1」「0」と叩き、「50女性」のキーを押す。
レジの前に立っているのは男性で、50歳は越えてなさそうに見えるが関係ない。
このキーが最も押しやすい場所にあるし、他のバイトもみんな同じことをしている。
客層の把握に支障が出てくるのだろうなあとは想像しているが、オーナー店長に注意されたこともない。
「六百七十五円のお返しになります」
チーン。ベルの音とともに開いたレジの引き出しから、6枚の硬貨を取り出して釣り銭を返す。
お客さんの顔に(しまった小銭の出し方を間違えた)という表情が一瞬浮かんで消えた。
そして、懐からさっき仕舞った財布を再び取り出し、受け取った小銭を入れる。
また財布を出すのはわかってるのだから一度仕舞う必要はないのに、と思いながら、レジ袋SSにおにぎり2個と野菜ジュースを詰めて差し出す。
「ありがとうございました」
作り物の笑顔で軽く一礼。
返事はなく、無言でレジ袋をひったくるように掴んで去ってゆくお客さん。
マニュアル通りの、形式的なやり取りが心地よい。
遊び友達からの誘いで始めたコンビニのバイトは、どうやら俺の性質に合っているようだ。
「ドロボー!!」
店の外で、叫び声が上がった。
ガラスウィンドウ越しに、女物のカバンを脇に抱えて走る男が見えた。
本物の、ひったくりだ。
「ギンガ君、レジの奥のボールを!」
ジュースの棚の裏で商品補充をしていた店長からの指示。
俺は電子レンジの横に置いてある蛍光オレンジのボールを手に取った。
つるりとした薄い樹脂カプセルには違和感があるが、ソフトボール大のサイズは手によく馴染んだ。
マウンドに立った時の高揚感が甦ってくる。
「いけます!」
俺はレジを飛び越え、突き飛ばすように扉を開き店外に躍り出た。
窃盗犯までの距離はおよそ50m。
外野からホームベースまでの距離より近い。
俺の肩なら楽勝だ。
ピッチャー鳥河(ぎんが)、振りかぶって第一球――――投げました!
魔人となった俺が「本気でボールを投げ」たら、ボールが「空気抵抗」で潰れてしまうのではないか、と心配する人もいるかもしれない。
しかし、その心配は無用だ。
ボールは猛スピードで空気を貫き、一直線に窃盗犯目掛けて飛んでゆく。
普通なら標的の足元を狙うのがセオリーだが、俺の制球力なら話は違う。
当たれば最も確実なヘッドショットだ。
バキッ。頭部に命中!
噴出する液体!
噴き出した液体で頭部をべっとりと濡らした窃盗犯は、崩れるように路面に倒れた。
路上に広がる鮮やかな染み。
生臭い悪臭がたちこめる。
「死神」「死神」「死神」「死神」
誰もが俺のことをそう呼んだ。
面と向かって言われることはないが、言葉はどこからともなく伝わってくるものだ。
俺はただ、勝ちたかっただけなのに。
卑怯な奴に、負けたくなかっただけなのに。
「死神」「死神」「死神」「死神」
呪いの言葉が俺を追い詰める。
そして俺は、ダイヤモンドに背を向けた。
頭部から蛍光オレンジの液体をしたたらせた窃盗犯を押さえ付ける。
鼻をつく腐ったチーズのようなにおい。
犯人の負傷は、後頭部の小さなタンコブと、倒れた時のひじの擦り傷のみ。
盗まれたカバンに、防犯カラーボールの塗料とにおいが少しついてしまったのは失敗だったかもしれない。
俺の制球力ならば、50m先の標的に命中させるのに本気を出す必要なんかない。
だから『人投零打(ペネトレイター)』は発動せず、カラーボールが頭部を貫通してしまう心配もない。
そう。本気を出さなければいいんだ。
本気さえ出さなければ、俺は死神にならずに済むんだ。
カバンの持ち主は、何度も何度も御礼を言ってくれた。
可愛い子だったらお茶にでも誘っていたところだが、残念ながら母親と同じぐらいの年齢だった。
店長が呼んでくれた警官に窃盗犯を引き渡し、コンビニ店員のバイトに戻る。
御覧の通り、本気になどならなくても、この世界は案外楽しく生きてゆけるものだ。
店に戻ると、ちょうど店内放送で、高校野球地区予選の様子を伝えるニュースが流れていた。
野球を辞めてすぐの俺だったら「甲子園」と聞いただけで心がざわついていたが、今ではそんなことはない。
本気で甲子園を目指して汗を流していた頃が懐かしくはあるが、ただそれだけだ。
本気になったって、良いことばかりあるわけじゃないから。