30年前の鄭周永会長の”技術盗み”
”技術を盗む”のは事実上国際的慣行だ。とても有名な国際多国籍企業たちも、今も休まずに試みているし、経済大国の夢を見ている新興国家たちも同様だ。私たちも同じだった。
(中略・・・70年代の鄭周永さんによる現代重工業創建物語。他の財閥が引き受けない中、造船業を引き受けた鄭周永会長。そんな中、技術力がないと気づく。1万5000トン級ぐらいまでしか作った事が無かったのに、うっかり30万トン級の受注を受けてしまったのだ。そんな彼らが取った手段は・・・)
現代造船に必要な技術力を取り揃えてくれたのは当時世界造船業界をまさに席巻していた日本の造船業界だった。
しかし当然日本の造船業界は韓国を極度に警戒した。韓国の手助けをすれば虎の子を飼う愚を犯す事が明白だったからだ。
芸者”とまで呼ばれた接待の達人の鄭会長。親しかった日本のK造船会長に真心をつくし、遂にその接待術にK造船会長に「何か手伝
えることはないか」と申し出させたのである。)
この時鄭会長のした頼みは
「2人だけ研修生をK造船で1年間だけ引き受けてくれないか」
というものだった。
K造船会長は気経にこの頼みを聞き入れた。
鄭会長の下心は確かに見え透いていたが、巨大な造船業の実体をただ2人の研修生だけで1年以内に把握するということは不可能だという判断であった。このようにして現代造船の若い二人の職員が、日本のK造船で研修を行ったのである。
これらに下された'特命'は簡単だった。
「なんでも役立つに値するものはすべて持って来い」だった。
この時から二人の職員は綿が水を吸いこむように次から次に記録を集めた。不法も厭わなかった。
当時の日本は一月に一度わが国が行っている民防訓練のように、地震の避難訓練を行っておりサイレンが鳴れば全ての職員は待避所に避難しなければならなかった。このとき現代造船の若き研修生2人はトイレに隠れて誰もいなくなると、
K造船が見せてくれなかった設計図を密かに取り出してコピーした。
退勤時にはモンキスパナも一本こっそりと懐に入れて持って帰った。なぜなら造船所で使うボルトを締めるモンキスパナは一般のものとは違うからだ。
こうして集めた資料をひっきりなしに国内に送った。「このとき持っていったものはコンテナ2台一杯になった」と創業の功臣
は伝える。
こんな過程を経て今日、現代重工業は日本の有名な造船所を追い抜き世界一の座に上ることが出来たのだ。
30年前に金をもらって技術を渡した”日本人”はいなかった。
最終更新:2013年07月11日 08:32