日本債券信用銀行問題


145 - 衆 - 予算委員会 - 18号 平成11年02月25日
中山委員長 これより会議を開きます。
 予算の実施状況に関する件について調査を進めます。本日は、本件調査のため、日本債券信用銀行問題について参考人に対して質疑を行います。ただいま御出席をいただいております参考人は、
前日本銀行総裁松下康雄君、前日本債券信用銀行頭取東郷重興君及び前大蔵省銀行局長山口公生君であります。
 各参考人には、日本債券信用銀行問題について、それぞれのお立場から御意見をお述べいただきたいと存じます。なお、委員の質疑時間は限られておりますので、お答えはできるだけ簡潔明瞭にお願いを申し上げます。
津島委員 参考人の皆さん、御苦労さまです。
 私から今さら申し上げるまでもなく、日債銀問題については、多額の公的資金が既に投入をされておりますし、今後ともその可能性があるということを念頭に置きまして、率直に事案の解明に御協力をいただきたいと思います。いいことはいい、間違ったことは間違ったと簡明にお答えをいただきたい。最初にお願いを申し上げておきます。
 さて、日債銀がいわゆる公的管理に入りますまでの過程をひもといてみまして、どうしても釈然としないところがあると一般に言われておりますね。それは二つの節目にかかわっておりますね。
九七年、平成九年四月から七月までの間の増資の経緯であります。
 これは、九七年の一月にムーディーズが格下げをいたしまして、その後また三月に再格下げを受けたということで、市中から資金がとれなくなっちゃった。それで、平成九年、九七年の四月に経営再建策を発表いたしまして、その際に、いわゆる三分類の、回収懸念のある債権は四千七百億だと言ったわけであります。
 同時に、これも七月に増資が認められる。幾つかの金融機関、たくさんの金融機関に奉加帳を回したやり方であるという批判も受けておるわけでありますが、大蔵省との間に五月、日本債券銀行は債務超過ではないという認識を確認されておる。その際、再び、いわゆる三分類の、懸念のある債権は約七千億と日本銀行に説明をしておられるわけであります。
 まず、東郷参考人にお伺いいたしますが、このときの七千億の根拠、それからこの七千億というものを大蔵省に対し、あるいは日本銀行に対してどういう形で説明を提示されたか、簡明にお答えいただきたい。
東郷参考人 それでは、お答えをいたします。
 平成九年四月の経営再建策策定の当初の過程で、第三分類が四千七百億という数字が最初に出てまいりましたが、五月中旬に、私ども各増資先に増資のお願いに参っておるときに、増資先から、当時既に大蔵検査が入っておりましたので、検査結果、中途でもいいから教えろ、こういう御要請がありまして、一通りの資産査定を終えたような段階で私どもが検査の方々からお聞かせいただいた数字を足し上げたものが七千億でございます。
 当初、最初に私ども経営再建策を発表する前に自己査定をした数字が四千六、七百億と言われていたと思いますが、それとの差は、系列ノンバンクに対して、貸出有価証券といいますか、貸し出し以外の債権もございました。それから、それ以外の一般的な、貸し出し以外のデリバティブズとかオフバランスのものもございました。それから、三月末、我々急いで自己査定したものと実際に大蔵省検査が入って精査していただいた間に多少の、厳密に積み上げるとここまでというところもあったかと思います。
 したがいまして、当初の四千七百億とかいうふうに新聞等で出ておりました差、七千億との差につきましては、デリバティブズ等、あるいは貸出有価証券等のオフバランスのもの、あるいは債務者の業況、担保の評価についてより詳しく見たその結果でございます。
津島委員 
 よく調べたら懸念のある債権はもっとあった、俗に言えばそういうことでしょう。そこで、次に、同じ平成九年、九七年の九月の十一日に、検査をしてきた大蔵省はその検査の結果として、いや、懸念のある債権は一兆一千二百十二億だ、こう示達をしているんですね、きちっと。あなたの方はこれだけ懸念のある債権があるよ、こういう示達をしている。ところが、九月十九日に日債銀は、日銀に対して、この検査の後であるにもかかわらず、まあ懸念のある第三分類は七千億ぐらいでしょうという報告をしておるということになっておる。これはどういう事情ですか。
東郷参考人 お答え申し上げます。
 平成九年九月十九日のことでございますが、私もそのときのことを日誌等で振り返ってみたんですが、事実、当日の午後四時過ぎに、私が当時の日本銀行信用機構局長を訪ねております。約十五分ほどの面談でございました。
 私は、頭取就任の二カ月前まで資金調達担当の常務取締役をしておりまして、信用機構局のラインには数カ月一度の割で、資金繰りを中心に事情説明に行っておりました。当日も、そういった定例報告のために四時過ぎに局長を訪問いたしました。ちょうど九月末の決算見通しがまとまっておりましたので、その話もあわせて報告したと思います。
 その際、償却、引き当て等処理が必要となる、将来の回収に懸念のある債権約七千億円と、回収不能で直ちに引き当てを要する債権の金額として約百億円の数字を申し上げたように記憶しております。
 私としては、当日は、検査の報告に行ったというよりは、通常の定例報告の感じで参りましたので、検査資料を持ち合わせておりませんでした。ですから、余り詳しくは申すことはできなかったと思いますが、私の記憶するところでは、そういうことでございます。
津島委員 そこで、この辺のところはもう少し究明したい点もあるのでありますが、次の節目の話に参ります。
 それは、翌年の平成十年、
九八年三月、これはいわゆる金融再生法というものが成立をいたしまして、それで金融危機管理審査委員会、いわゆる佐々波委員会ができて、それで日本の主要銀行に資本注入をしようという作業が始まった
ことは、皆さん御存じのとおりであります。その際にも、いわゆる懸念のある債権は六千億程度である、これは平成十年三月、その年の三月の見込みとしてこれを日本債券信用銀行が自己査定をして、これを報告しておられる。この点がやはり非常に問題になる。
 さっきの九月のお話は、多少日にちのずれがあったというような話で説明されるのかもしれませんけれども、もう翌年になりまして、しかも資本注入をやる、公的資金もいただく、そういうときに改めて六千億だとおっしゃっておる。一体その根拠は何なのか。一兆一千二百十二億というものとの乖離についてはどういうふうに考えられたか。そして、その際の大蔵と日銀の対応について、東郷さんからお伺いをしたいと思います。
東郷参考人 
 平成十年三月の佐々波委員会への、公的資金の注入の際でございますが、公的資金注入申請の際に、私ども、正式申請書類として経営の健全性確保のための計画を提出しましたが、そのほかに、三月末現在の自己査定を試算して提出するように求められました。
 平成十年の四月からいわゆる早期是正措置がスタートすることになっておりまして、その三月末の決算から新しく自己査定というものをやらなきゃならなかったわけですが、佐々波委員会は、それに先駆けてといいますか、三月の上旬に提出を求められた自己査定について、三月末の見通しということで自己査定を急遽やってほしいということでございました。私どもの銀行の中で新しく策定された自己査定基準に基づきまして作業をいたしました。その結果、約六千億という第三分類を御報告したかと思います。
 そのときの考え方は、津島委員の御指摘の点は、その前の年の大蔵検査のときに第三分類が一兆一千億あったではないかという御指摘だと思うのですが、実は、私どもが支援をしております子会社グループというところがございまして、そこの支援姿勢が明瞭であり、かつ合理的な事業計画があるならば倒産の懸念はないという御認識を九月の検査のときにいただいたものですから、私ども、自己査定に当たりましては、債務者区分として要注意先というか、第三分類に当たるものというものが破綻懸念先であるとするならば、要注意先の方に該当するというふうに認識をし、第二分類といたしました。
 自己査定のやり方は、要するに最初に債務者区分がございまして、その債務者区分にのっとって担保等を試算しまして必要な額が分類されるという考え方でございますので、私ども、子会社グループについては、私どもの支援が、支援姿勢が明確であるならば倒産の懸念がないということで前回の検査でも認識していただいたというふうに思いますので、それを要注意先とし第二分類とし、その上で、したがいまして第三分類は約六千億。その間に、私ども、引き当て、回収その他第四分類に移っていったものもございますので、当初、九月ぐらいの段階で我々七千億と申し上げた数字が、約六千億になったわけでございます
津島委員 
 一兆一千億と六千億とか七千億との数字、大蔵検査で示された数字と、皆さん方が自己査定して、私はこう思うという差額が四、五千億ある。その四、五千億について、新聞報道などでちゃんと言っているんですね。その違いというのは、日債銀から、いわゆる受け皿会社、三十一社ほどあって、その三十一社に対する貸し付けが四千五百億に上っている。当たらずといえども遠からずの数字であり、実態はこれだと思うんですね。
 この考え方は、要するに、受け皿会社はうちの子分であって、そこには支援するんだから大丈夫だということだ。ところが、今、常識的に見ると、大半は回収困難だ、今から改めて見ると、そう言われてもしようがない状態になっておったんですね。ここに私は、やはり銀行としての姿勢が問われるわけで、時間がないからこれ、この点は一応、次に参りましょう。(発言する者あり)皆さん方がどうせ聞かれると思います……
津島委員 そこで、今度は山口参考人にお伺いをします。
 そこで、今の二つの節目に関係をいたしまして、九七年の四月から七月の増資完了まで、いわゆる奉加帳を回して皆さんから増資をしてもらった。それを検討する過程で、日債銀は、自分たちは七千億ぐらい回収懸念のある債権がありますよと言い続けておった。
 その上に立ってかどうかわかりませんけれども、大蔵省は債務超過ではないという意見を何度も言っておられるようであります。そればかりじゃなくて、同じ年、九七年の四月には、日債銀の経営について、いや大丈夫でございますという確認する趣旨の文書を出資要請先の金融機関の幾つかに出した、こうされておる。この点について山口参考人のお話をちょっと伺いたいと思います。
山口参考人 お答え申し上げます。
 いろいろな数字がございますけれども、結果的に、
債務超過ではないという認定のもとに再建策もつくられておるわけでございます。
 それはまず、四月に経営再建策をつくる前に公認会計士が全部引き当て、償却すべきものをチェックした上で、それでも資本金が約一千億残るということで、それを基準に数字がつくられ、再建策がつくられたわけでございます。その後、確かに七千、五千五百から七千とかいう数字の変遷はございますけれども、それも公認会計士が一応目を通しておった債権のものでございます。
 あくまで分類と、償却、引き当てというのは別の概念でございまして、償却、引き当ては公認会計士がやるというルールになっておりました。
公認会計士の目で見ても債務超過ではないということで、そういう前提でやっておったわけでございます。
 それから、確認書というようなことをおっしゃいましたが、これはちょうど五月の時点で日債銀がいろいろ説明に回ったときに、大蔵省にもいろいろ問い合わせがありました。大蔵省は一体どういうふうに考えているんだということをいろいろ聞かれ、担当官がその応接をしております。それを内部で、いろいろ会社の中でも説明しなきゃいけないという事情があって、メモにしてほしいという要請がありました。各レベルで、全部の出資行でありませんが、物によっては確認書あるいは応接録というような形でメモが取り交わされておるということでございました。
 内容的には、日債銀の再建は可能であると大蔵省は考えているということ、それから、本件が金融システムに大変重大なかかわりがあるというようなことが内容でございます。
津島委員 
 そこで、次の大蔵省、あなたの方で検査をして、四月から検査を始めて、そしてその年、平成九年の九月十一日に、さっき言ったように、懸念のある債権は七千億円ではなくて一兆一千二百十二億だと示達をしておる。山口参考人、この数字を局長として知った時点はいつか。それから、その一兆一千二百十二億を示達したときに、七千億という注書きもあった、これはどういう意味であるのか。これについて御説明を願いたい。
山口参考人 
 一兆一千億という数字を、示達の附属資料であります検査報告書に書いてございます。これを知りましたのは、ちょうど示達の決裁をするときでございますので、九月の上旬だと私は記憶しております。
 それから、注書きがあるという御指摘でございます。これは確かにあります。私、ちょっと正確ではございませんが、うろ覚えになりますが、一兆一千二百幾らという数字と、それから六千幾ら、七千弱だったと思いますが、数字が括弧書きで書いてあったと思います。その差は、関連会社であって、日債銀が支援を続ける意思があって、その意思に反して倒産する危険のないものとか懸念のないものとか、そういった文章になっておりました。そういうことが書いてございます。
津島委員 
 ですから、さっきお話ししたように、要するに、私が助けるつもりだから大丈夫だ、日債銀の意見をそのままうのみにすればそういうことだ、こういうことを言ったんだと受けとめております。
 そこで、さっき言いましたように、当時の制度では、こういう懸念のある債権についてどのぐらい引き当てをしておけば金融機関として通用するかの判断は、実は、昨年、私どもは与野党で大変な議論をして再生法をつくってから、行政の責任においてもある程度のきちっとした対応をしなきゃならぬということはわかってきたけれども、当時は公認会計士の世界の話であった。それはそのとおりなんですね。だから、そういう意味では私は、公認会計士さんにも意見を聞かなきゃならない。天下の公認会計士、企業会計を守る立場の人がちゃんとやったかどうかという問題はございます。
 それを置きながら、それでは、九八年二月の安定法が成立した三月の、さっき申し上げた佐々波委員会のときの資本注入の審査について、東郷さんにさっき伺いましたが、山口参考人には、債務超過でないということを言われて、それを基礎として委員会で審議をされた。前のときは、一兆一千億という数字はなかった、検査結果はなかったときに、前の年は債務超過ではない、公認会計士もこう言っておる、こういうあれなんだが、このときは一体どういう判断で債務超過でないと言われたか。それから、当時の大臣にはどういう報告をされたか。そして、それを受けて佐々波委員会ではどういう審議をしたか。山口参考人の知っている立場からお話をいただきたい。
山口参考人 
 十年の三月時点で債務超過でないという認識を持っておりました理由を申し上げますと、示達があったのは前年の九月でございます。その九月の示達の結果を踏まえた上で、中間期、つまり九月期決算が組まれております。これは公認会計士が全部チェックして、中間決算が組まれております。たしか、私の理解では、資本勘定が四千億ぐらいになっていたと思います。したがって、九月の中間期において、公認会計士が判こを押されておりますが、これは債務超過にはもちろんなっておりません。
 その後、じゃ三月まで、あるいはその時点までに大きな変化があり得ただろうかというところがもう一つのポイントだと思いますが、そういった四千億強の自己資本を全部毀損するような大きな事象はなかったというように考えざるを得ません。したがって、当時、債務超過という認識はしておらないわけでございます。
 それから、大臣への報告は、そういったことの事実関係と、なお、先ほど六千云々の話がありましたが、資産査定のところを見ると、どうも二と三が、三のはずと思っているものが二になっているというようなことで、それは甘いと。甘いといいますのは、間違っていると決めつければもう一回検査で入る必要もありますが、少なくとも甘いと。それは、ただ、資産査定そのものをその場で、審査委員会で議論する場ではありません。これは入れるにふさわしいかどうかを議論する場でありますので、しかし、そこの場で出てきた関連会社についての考え方、つまり、支援を本当に続けられるのかどうか、あるいは続けるのかどうかをきちっと聞いてくださいということを大臣に申し上げたわけであります。
 その後、大臣もそういう御発言をなさって、東郷頭取をお呼びになっていろいろ聞いて、いろいろな御議論があった末、結果的には資本注入が認められたというふうに聞いております。
津島委員 
 そこで、いわゆる佐々波委員会の正式委員であった松下参考人にお伺いをしなきゃならないわけでありますが、改めて伺いますが、前の年の九月に、大蔵省の検査の結果、一兆一千二百十二億円懸念債権がある、こう言われておるが、日本銀行は、この佐々波委員会までは全く聞いていなかった、こう言っておられるのですが、それは、日債銀の方からそういう七千億ぐらいでございますという説明があって、それをもう疑いもなく受け入れていたのかどうか。そして、佐々波委員会にお出になるときに、当時の総裁として、どのような報告を受け、どのような認識でお出になったか、そしてどういう議論をされたか。参考人のお立場の方からお話を伺いたいと思います。
松下参考人 
 日債銀の不良債権の金額につきましては、ただいま委員御指摘がございました大蔵省の検査結果に基づきます計数につきまして、私どもは当時も、また、昨年の年末近くだそうでございますけれども、その時点まで連絡を受けることもなく、また内容について承知をしていなかったのでございます。
 しからば、どういう判断によって、新金融安定化基金からの出資あるいは佐々波委員会での出資の決定に参画をしたかということでございますけれども、それは、古い話になりますが、平成七年二月に私どもが実地考査を実施いたしまして、その後はこれの追跡調査ということで、その後の日債銀の不良債権その他の経営内容の変動につきまして後追いをいたしていたわけでございます。
 一昨年四月一日の日債銀の抜本的再建策を講じられるに当たって、私どもも金融安定化基金からの出資の決定をいたしたわけでございますけれども、その前にもう一度日債銀の方からは、当時の私どもの持っておりました個別の資料に基づきまして、最近の経営状況についていろいろと具体的な内容を聞き、そして、その決定をいたしました後も、実際に出資を実行いたしましたのはその夏のことでございますけれども、それまでの間、日債銀の経営の内容についてはいろいろの手段で追跡調査を続けていたわけでございます。
 また、大蔵省との間では意見、情報の交換を行っておりましたけれども、それは主として日債銀の全体としての債務超過の状況があるかないかという点が主眼でございまして、この点につきましては、債務超過の状況にないという判断を引き続いて持っていたわけでございます。
 佐々波委員会が始まりましたときには、そういう背景のもとで、私どもは、日債銀は七年四月のあの抜本的な再建対策、非常に厳しいリストラの計画というものを本当に一生懸命に熱心に実行しようとして努力をしているという判断を持っておりました。
経営内容につきましては、先ほどのような基礎的な、これは債務超過に陥っている銀行でないという判断をいたしておりまして
実際、具体的には、佐々波委員会に対して提出されました資料は日債銀が作成をいたしました経営資料でございますけれども、これを事務的なチェックをいたしまして、それらを総合して、この件につきましては私ども全体として日債銀の要望に応じる方向で考えていくべきものだという判断で委員会に臨んだわけでございます。
津島委員 
 日本銀行は、平成七年二月以来考査はしていない、こう言っておられる。しかし、日本銀行は、マネーセンターバンクと言われる大きい都市銀行とは毎日巨額の取引をしている、取引相手だ。その相手方がどういう状態にあるかというのは、中央銀行としてばかりではなくて、金融市場におけるプレーヤーとして重大な関心を持たなきゃいけない。
 あなたも御存じのとおり、
アメリカのFRBは、どれだけ厳しく主要銀行に実地調査を入れておるか。常駐させているくらいである。  ← 突っ込みどころ満載。それならば、なぜリーマンショックが起きたのか
そういう状態のときに、今のお話のように、日債銀の経営については不安に思わなかった、そして八百億の資本注入の片棒を担ぎ、そして、佐々波委員会ではああいう状態である。
 今から考えてみますと、それは参考人、利付金融債が、ムーディーズにやられてから日債銀では八%も金利を払わなきゃとれないまでになっちゃっているんだ。お金を八%でとってきて、貸出先には五%で貸していくのも大変な状態であった。一体これで不安がないと言えたかどうか。私は今から考えると、全くこれは納得が私はいかない。
 何かその点について御意見があったら。
松下参考人 
 私としましては、日債銀の経営自体に不安がないというふうに判断したということではございませんで、今御指摘もございましたように、平成七年四月の日債銀の抜本再建策を講じますまでの間に既に、前年の阪和銀行破綻をきっかけといたしまして、非常に我が国の金融市場、資本市場における不安感が高まっていたのは事実でございます。
 殊に、日債銀につきましては、格下げを行われるというようなこともございましたし、また当時日債銀の発行する金融債を保持しておられる方々が、もし何か問題が生じた場合に果たして保護を受けられるものかどうかという点についても、コンセンサスができていなかったという実情でございます。
 このような情勢でございますので、私どもといたしましては、日債銀を仮にそのまま放置をいたしまして、これがそういう金融債あるいは金融インターバンクの市場での信認を失うようなことが万が一発生をするといたしますというと、それは非常に深刻な問題を内外の金融市場に投げかけることになる、我が国の信用制度自体が揺らぐことのきっかけになりかねないという認識は持っていたわけでございます。
 そこで、私どもは、日債銀につきましては、ただ、現状のような公的資金の注入の方策でありますとか、強制公的管理というような制度も当時はまだございませんでした。私どもが活用できる方策といたしましては、その前年に成立をいたしました新金融安定化基金を活用いたしまして、日債銀自身の真剣なリストラの努力とあわせて、不良債権の大幅な整理をやり、その結果生じる自己資本の毀損について、これを充実をしていくことによって日債銀を銀行としてやっていけるようにすべきである、それを行うことが当時の日本の信用制度の維持のために極めて緊要なことだという認識は持っていたのでございます。
津島委員 
 そういう認識が日銀においても大蔵省においても基礎にあってのいろいろな措置をとったというお話であろうと思うのですが、翻って考えますと、昨年の十月に、私ども与野党同僚議員と大変真剣な議論をしまして金融再生法を成立させた。その再生法によりまして、新しい、厳しい基準で日債銀の不良債権額を調べてみたところ、実に、これまで言われていたものより一兆二千億も多い二兆七千二十億も第三分類があるということになったと言われる。そのままでいくと、ことしの三月には、二分類、三分類、四分類、全部合わせて不良債権が三兆七千四百六十四億に及ぶと言われております。これは日債銀の総与信、つまり貸し出し全体の三七%、四割も腐っておったというのですね。
 こういう状態の中で、どうしてもこれは東郷さんにお聞きをしなきゃいかぬのだが、いわゆる公的管理に入ったときに、当行としては特別公的管理に該当しないと認識しており、甚だ遺憾だと、いわゆる恨み節を述べられた、こういうことになっています。この点にちょっと一言お願いをしたい。
東郷参考人 
 あのときは、十二月の中旬であったかと思いますが、私ども、確かに、その年の夏場の金融監督庁検査ですね、そのときは、金融監督庁検査において、やはり不良債権の問題でいろいろ議論があったという認識はしておりました。ただ、さはさりながら、私どもとしては十二分に対応できるということを思っておりましたし、実際に今、津島委員の言われた、たしか第三分類の数字は、私の記憶違いかもしれませんが、一兆三千億円ほどの第三分類が金融監督庁が十一月十六日の示達のときに言ってきた数字ではなかったかと私は覚えておりますが、その数字も、私自身は十一月の十六日の示達のときに初めて知ったということでございますし、その中には、先般の御説明の中でも出てまいりました私どもの子会社グループに絡まる四千数百億の債権も、もちろん入っていたわけでございます。
 もちろん、金融監督庁が発足しまして、新しい金融行政の流れが出てきたということでございますので、それはそれとして私どもとしては受け入れざるを得ないところでございますが、私、そのときは、経営再建策自体は非常に順調に来ておりましたし、資金調達も非常に順調でございましただけに、ややびっくりしたというところがありまして、それがそのまま素直に言葉に出てしまったということでございます。
 法治国家でございますから、当然、そういう行政措置がおりればそれを受け入れるのが金融機関の務めでございますから、私どもは特別公的管理という枠組みの中で日債銀が再建されることを希望して、我々旧経営陣は総退陣し、その旨を記者会見の中で述べたところでございます。
津島委員 
 聞きたいことは山ほどありますが、同僚議員に時間の関係で譲らなきゃなりませんけれども、日債銀の問題というのは、実は、東郷さん、あなたが頭取になられてからじゃないんですね。三代以前までの頭取時代に、例えば、新聞報道を見ましても、幻のゴルフ場へ百二十四億もやった、そしてそれがほとんど焦げついているとか、あるいは、ほかにもありますけれども、ダミー会社を七十六社もつくっておいて、そこに一兆三千億も移しておいた、こういうことがまかり通っていた。つまり、あのバブル時代の日本の金融機関の姿勢というのは、ちょっと今から考えると常識を外れておった。そして、経営陣の中には、失敗したからお金をどぶに捨てるつもりだと言わんばかりのことをおっしゃる方もありました。
 そういうことで、ひとつ、皆さん方の経験を他山の石として、これからも日本の金融機関がきちっとやっていただきたいということをお願いして、私の質問を終わりたいと思います。
中井委員 自由党の中井です。
 参考人の皆さんには御苦労さまです。与えられました時間は二十分でございますので、重複を避けながら簡単に聞いてまいりますので、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
 日債銀救済をしなければならなかった背景等は、ただいま津島議員の質疑の中で明らかにされたと考えています。ただ、ああいう状況でありました銀行を、私は、市場に任せて、そして破綻をしたときに日銀が出ていって金融秩序の崩壊というのを防ぐ、そういうやり方はあったんじゃないか、こんなふうに考えております。そういう方策を当時大蔵省はお考えにならなかったのか、この点についてお尋ねをいたします。
山口参考人 お答え申し上げます。
当時の背景でございますが、
もしそのまま破綻の状態に立ち至るまで放置しておったと仮にいたしますと、まず、先ほど出ました金融債の問題が重大な問題としてありました。そのほかに、もっと私が重大だと考えましたのは、受け皿銀行がないということなんです。これは十五兆規模の銀行でございます。受け皿銀行がありますと、そこに金融三法で、附則でもって資金を注入して全部保護ということが可能ですが、受け皿銀行がないと、その破綻銀行にそのまま入れるというわけにはいきません。そうすると、どういうことが起きるかといいますと、一番激しく起きますのは、インターバンク取引がまず壊滅状態になると思います。銀行間の貸し借りがだめになると思います。それから、もちろん取引先も一瞬にしてその銀行を失うということになりかねません。
 それから、もっと重要なのは、外国での反応なんです。つまり、日銀が出せばそれは可能かもしれませんが、その日銀が出す理由がないということになりますと、そこに日本発の金融危機、つまり、外国でクレジットラインを切られてしまうことになります。これはもう日本発、大変なことになるという、少なくとも、私はそういうふうに認識しておりました。そういうことを考えたときに、なかなかそういう手はできないというふうに考えたわけでございます。
中井委員 
 日銀総裁は、いかが当時お考えでしたか。日銀が出ていって、そういう処理で、市場に任せてさばくということはできなかったということについて、お考えをお聞かせいただきます。
松下参考人 
 当時の状況につきましては、先ほどお答え申し上げたように、日債銀が仮に破綻に陥るということになりますと、それが内外の金融市場等に及ぼします影響は極めて深刻なものになったに違いないと思っております。私ども日本銀行の使命の中には、国の信用秩序の維持を図るということがございまして、我が国の金融システム、信用秩序というものが揺らぐことがないようにする義務を持っているわけでございます。
 当時の状態におきましては、他に十分な手段がございませんでしたために、私どもの新金融安定化基金からの出資ということによって、自己資本を強化をしながらリストラを進めさせて、そしてこれを健全な銀行に復活させてまいるということが本当に唯一の選択肢であったという気持ちを持っております。
中井委員 
 そういう御認識のもとで、大手都市銀行や長信銀が、今までつぶしたことがなかった子会社を、母体行方式でもなければ修正方式でもなく、プロ方式で三つをつぶすというようなことを含めた大胆なリストラをやられて、ぎりぎりかつかつの再建策をおやりになったのだろう、このように考えております。
 その中で、お尋ねしたいことが幾つかございますが、東郷頭取は日銀に九月の十九日、先ほどは信用機構局長にと、こういうお話でしたが、第三分類は七千億であった、こういうことを申し上げたと言われておりますが、日銀はそのときにどうして大蔵の示達書を見せろ、こうお言いにならなかったんでしょうか。
松下参考人 
大蔵省検査は法律に基づきます行政権の発動としての検査でございますので、また、同時に法的な制約もあると存じます。
したがいまして、守秘義務等の関係からいいまして、検査の内容そのものを、検査の対象銀行は別でございますけれども、他の第三者機関にそのまま提示するということはやってきていないと存じます。
 ただ、そのときに、検査において大蔵省が日債銀全体の経営状況についてどのように判断をしているか、どの点が問題であると考えているかという点につきましては、それは日銀も考査局等を持っておりますので、双方の情報の交換、意見の交換は行っているわけでございます。そういうものの中から、私どもといたしましては、日債銀につきまして、不良債権の問題はあるけれども、その規模はおおむね七千億円程度であって、現在債務超過というふうな判定をする段階でないと感じたわけでございます。
中井委員 
 私は日銀が、他の都市銀行等も含めて、大蔵の示達書を見ていないとは思っていません。ここのところを見せろと言われなかったところが今回非難をされている一つの原因をつくっていらっしゃると考えております。自分たちのフォローアップで大体四千五百億、こうされておって、七千億という数字はそう違わないからまあまあというところで納得されたということはわかりますが、そこのところが、東郷さんが日銀OBなだけに、いろいろと憶測を招くのではないかと私は考えています。
 逆に、大蔵省にお尋ねをいたしますが、この五月の時点で、日債銀が各銀行に大体検査の中間報告に回った、これはどうしてこんな時期に回らせたのだ、検査を待つまで待てなかったのか、これが一つ。それから、七千億という数字でどうして結構だと大蔵省が、日債銀が各行を回るのを許可したのでしょうか。お答えをいただきます。
山口参考人 お答え申し上げます。
 五月時点で、私の知るところでは、各出資要請先の銀行等から早く教えてくれと、検査の状況はどうなんだということをかなり激しく聞かれたというふうに聞いております。銀行としても、それは検査が終わるまで待てればそれはそれでよかったと思いますが、そのときにお答えをどうしてもしないとこのスキームが成り立たないという気持ちが強かったようでございます。そこで、私どもが回らせたということではありません、銀行が検査を受けているときにつかんでいる数字、これを積み上げまして、七千という数字で各行に説明に回られたということでございます。
 それで、それに関していろいろお問い合わせが、現にいろいろ各レベルであったようでございます。そのときに、銀行がそういった認識を持って、かなり確信を持って積み上げておるのであれば、あえて否定するような材料もございませんでしたので、そういう事態、回ることは容認していたということでございます。
中井委員 
 五月にそういう形で、検査の途中で回ったということは、私どもが聞いておりますのは、五月の終わりから六月に各金融機関が株主総会がある、この了解を得なければ将来出資ができない、こういうことで事前に、検査途中であるが回ったと聞いておりますが、その点について、再度御確認をいたします。
 同時に、七千億で回って、まあ回らせたか回ったか、それはいずれにいたしましても、各金融機関からも問い合わせがあった。それに対して、大体そうだという答え方をしたとマスコミ等では報じられておりますが、この七千億を日債銀からお聞きになって、同じ大蔵省の検査部に尋ねるというのは僕らからすれば常識なんですね。銀行局はこういうときに検査部に尋ねないのか。尋ねたけれども返事がなかったのか。その点、山口局長、いかがですか。
山口参考人 
 出資先銀行の事情については、私はよく詳しくは存じません。恐らくそういったこともあったと思います。
 それから、七千億で日債銀がいろいろ説明に回っていたということでございますが、それは、日債銀が検査を受けております。非常に細かい資料まで積み上げて数字をつくったものでございますので、それをあえて否定する材料もこちらもございません。検査部に聞きましても、検査はまだ途中でございますので、これだという数字を持ち合わせてもおりませんので、そういうことはなかったと思います。
仙谷委員 
 新聞を改めて読み返してみますと、日本生命さんはとりわけ厳しい反応を示しておったようですね。その他金融機関にも、まあ裏に回ると、ぶつぶつ言うといいますか、大変渋りが強かった。
 それは、元局長も御存じのように、四月一日にクラウン・リーシングほか三社の関連ノンバンクを一挙に破産申請した。他の金融機関から見ると、母体行責任を問うてくれると思っていたのに、比例方式であれよあれよという間に大変なものをかぶることになったのに、何とかに追い銭のようにこんな申請が来た、要請が来たということで、気持ちがよかろうはずがないわけですね。
 それで、先ほどおっしゃったようないわゆる確認書等をお出しにならざるを得なくなったんだろうと思うんですが、これ、大蔵省の方で名前を書いた、さっき担当官とおっしゃいましたけれども、局長はまず、あなたの名前で出された確認書的なもの、応接録でも何でもいいんですが、あるんですか。それとも、審議官、銀行局総務課長、この方々の肩書つきの名前で出されたものはあるんですか、ないんですか。
山口参考人 
 私の記憶でございますので、私自身の名前のものはございません。それで、今おっしゃったような名前の人の場合は、応接に当たった人が出しておりますので、そういった人もあるかもしれません。今はっきりと、だれがどう出したかというのは、私はよく覚えておりません。
仙谷委員 
 金融監督庁に移行するまでの大蔵省銀行局には、当然のことながら写しは残っておりましたでしょうね。現在も金融監督庁に残っておるはずでございますが、先ほどおっしゃられたような中身の書面ですと、大蔵省が何らかの保証をしたものでもない、あるいは約束をしたものでもないということのようですが、その種のものであれば、それほど秘密性が高いとか外に出してはまずいとかいうものではないんじゃないでしょうか。いかがですか。
山口参考人 
 私は既に退官しておりますので、その点につきましては、ちょっと御答弁は差し控えさせていただきたいと思います。
仙谷委員 
 いよいよ各金融機関に対して株主代表訴訟が起こってくるようでございますので、大蔵省がどういう立場でどのようなことをお書きになったのか、極めて重要な問題でございますので、当委員会に、この題名がそれほどはっきりいたしませんけれども、複数あるようでございますので、すべて提出方、提出をされるように取り計らっていただきたいと存じます。
最終更新:2013年08月01日 19:22