彼女にとってChaos.Cellでの目覚めは、かつてないほどに最低で最悪だった。
どうしても脳に焼きついて離れない、あまりにも惨たらしく悍ましいあの情景。
焼け焦げた臭い。人々の呻き声。記憶を奪われようとも忘れられるはずがなく。
ああ、またそこであの男が嘲笑っている。最期に母が触れたあの線の上で――。
「紅茶をお淹れ致しましたよ、お嬢様」
男に声をかけられてようやく、宇佐美ハルは我に返った。どうやら少し呆けていたようだ。
いつの間にかテーブルにはティーカップが置かれていた。澄んだ紅色からは仄かに湯気が立ち上り、まさに淹れたてであることを主張していた。
「ご気分がすぐれないようでしたら、お休みになられては?」
「ああいえ、少しぼうっとしていただけなんで。問題ないです、はい」
ティーカップに口をつける。華やかな香り鼻腔をくすぐって、ハルの頭を少しずつ活性化させていく。
男はまだ傍に立っていた。真っ黒で物腰だけは柔らかいサーヴァント。いまだにこの存在には慣れない、とハルは思う。長く一人で生活していたから誰かと暮らすなど、ましてそれが完璧すぎる執事であれば尚更落ち着かなかった。
とはいえ彼――アサシンのおかげでハルの生活レベルが格段に上がっているのはまぎれもない事実だった。母親は演奏会のために海外を飛び回っているという『設定』であり、本来家族で住むべき家はハル一人で暮らすには広すぎたのだ。
ほうと息を吐いてモニターを見やる。虚空に浮かぶそれには、電脳世界ではない現実の冬木市についての膨大な情報が羅列されていた。
なにをするにもまず情報がなくては始まらない。記憶を取り戻してからそう考えたハルは、Chaos.Cellのデータベースを流し読みしていたところだった。
「なにか分かったことでも?」
「正直なところ、分からないことの方が多いんですよね。これで、謎は全て解けたっ!とか言えたらかっこいいんでしょうけど」
そもそもハルは生い立ちが少々奇特なことを除いて、なんの変哲もない一般人だ。いきなり魔術だなんだと言われても、その道を知る人間に比べたら圧倒的に知識がたりない。
だからまずは聖杯戦争とその成り立ちについて調べる必要があるとハルは判断していた。そうして検索を重ねてたどり着いたのが、ここではない別の冬木市で行われた聖杯戦争であった。
「まず聖杯戦争ですけど、現実でも何回か行われたことがあるみたいですね。今回ほど規模は大きくなかったみたいです」
ハルが最初に疑ったのは、この聖杯戦争の正当性だ。なんでも願いが叶うなど、いきなり告げられて信じろと言う方が難しい。
しかし前例があるのならば話は別だ。その実態がどれだけ穢れた物だったとしても、勝てば聖杯を得られるということは間違いではないらしい。
とはいえこの聖杯戦争でもそれが当てはまるとは限らないから、あくまで最低限の保証といったところか。
「ただ気になるのは枠の数です。過去の例を見ても、勝者が二組というのはありません」
「確かにこのような戦いでは、最後の一人までというのが定番ではありますね。なにかそうしなければいけない理由があるということでしょうか」
「おそらくそうでしょう。さすがにその理由まではまだ分かりませんから、今のところは保留ですね」
ふむ、と顎に手を当ててアサシンが唸る。その仕草を見て、この男も自分からすれば十分に謎なのだがとハルは思った。
19世紀のロンドン。女王の番犬。そして悪魔という存在。
もちろんアサシン――セバスチャン・ミカエリスについてもリサーチ済みだ。データベースの正確性を確かめるために、彼の話とデータベース上の情報を照らし合わせていた。
そのあまりにファンタジーじみた内容に目眩さえしたのだが、そのおかげで聖杯戦争という幻想も容易に飲み込めたと言える。
「それでは、これからどうするおつもりで?」
「積極的に優勝を狙うっていうのは得策ではないでしょう。参加人数も分かっていないし、ルーラーとやらがどの程度干渉してくるのかも読めません。とにかく、敵を増やすような行動は避けたいと思っています」
「そうですね。まだ序盤ですし、焦って事を起こす必要はないかと。そうすると、しばらくは様子見でしょうか」
頷いて肯定を示す。表立って動き出すのは周りが活発になり始めてからで十分だ。それまでは他の主従を探りつつ、情報収集に努める程度で問題ないだろう。
なんなら同盟相手を探してもいい。本当に勝者が二組だというならば、相手がどんな立ち位置でも手を組むだけなら難しくはないはずだ。
「もし聖杯が信用に足ると分かれば、本気で狙いに行くつもりです。もしそうでなければ……そのときにもよりますけど、なんとしてでも元の世界に帰ります」
どちらにせよこの聖杯戦争、胡散臭いことに変わりはないとハルは考えていた。叶えたい願いはある。しかしその願望器が信頼に足るかどうか、まだ決め打つには早計だろうと。
とにかく圧倒的に情報がたりないのだ。遮二無二優勝を目指してもいいのだろうが、それを簡単に選べるほどハルは愚直でも短絡的でもない。この戦いの全容とは言わずとも、ある程度の形くらいは掴んでおきたかった。
対するアサシンはというと、その言葉を聞くとからかうようにくすりと嗤った。見るものを惹きつける蠱惑的な、けれど奥底に嗜虐性を潜ませるような。
「なるほど。それは願いを諦めても構わない、ということでしょうか」
「ふざけるな」
間髪入れず、鋭い声。ハルの目が初めて眼前の悪魔の双眸を捉えた。
決意、覚悟、そして純然たる怒りを孕んだハルの眼差しを受けてなお、その表情は涼しげで変わらない。
むしろまるでその顔が見たかったとばかりに、一層深い笑みを浮かべた。
「あいつはこの手で殺す。絶対にだ。聖杯があってもなくても関係ない」
吐き捨てるように、噛みしめるように、自分に言い聞かせるように。ハルは紡ぐ。
「聖杯で叶えられないなら自分で叶えるだけだ。その前にこんなところで死ぬわけにはいかない、それだけの話だ」
そう、全てあの男のせいだ。目の前で母を奪われ、大好きだったバイオリンさえも奪われた。
だからハルは、なんとしてでも成し遂げなければならなかった。『魔王』を殺して、あのG線をもう一度奏でるのだ。
例えそのために、悪魔の手を借りようとも。
「――これは失礼を。わざわざ私が申し上げるほどでもありませんでしたね」
やがて、黙って聞いていたアサシンが頭を下げた。とはいえ人を食ったような笑みはいまだ絶やさずいたのだが。
元来の主人である少年のものとはまた違う、しかし確かな意思からなる復讐心に興味がないと言えば嘘になる。
だから彼は改めて、誓いの言葉を口にするのだ。
「仮初の契約なれどこのセバスチャン、全霊を以てお嬢様にお仕えさせていただきましょう」
その復讐がどこへ向かうのか、この目で確かめるために。
【クラス】
アサシン
【真名】
セバスチャン・ミカエリス@黒執事
【ステータス】
筋力B 耐久B 敏捷B 魔力C 幸運C 宝具A
【属性】
混沌・中庸
【クラス別スキル】
気配遮断:A
サーヴァントとしての気配を絶つ。
完全に気配を絶てば、探知能力に優れたサーヴァントでも発見することは非常に難しい。
ただし自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。
【保有スキル】
加虐体質:C
戦闘において、自己の攻撃性にプラス補正がかかるスキル。
変化:B
本来の姿は本人いわく無様で醜悪でえげつないが、人の姿をとることができる。
今回はファントムハイヴ家の執事として現界しているため、人間としての姿形は固定されている。
執事百般:A
専科百般と同等のスキル。良き執事として、マスターに求められたならばあらゆる専門スキルをこなす事が可能。
武術・謀術・隠密術・詐術・話術などの専業スキルについて、Cクラス以上の習熟度を発揮できる。さらに料理・洗濯・裁縫・知恵・教育など、100種類以上に及ぶ家業スキルについて、Bクラス以上の習熟度を発揮できる。
【宝具】
『御意、ご主人様(イエス、マイロード)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
アサシンの執事としての在り方が宝具として昇華されたもの。マスターの命令に対して一時的な魔力ブーストを得ることができる。
ただし命令を遂行できなかったとき、すべてのステータスが一定時間大幅に低下してしまう。
遂行難易度が高いほど効果も大きくなるが、転移など令呪の恩恵が必要な命令の場合は発動不可。また自身の回復のために必要な魔力を供給することもできない。
『あくまで、執事ですから』
ランク:C(A) 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
アサシンの悪魔としての在り方が宝具として昇華されたもの。現界において人間の執事という概念に縛られているためランクダウンしている。
人間からかけ離れた身体能力を持ち、Bランク相当の怪力・戦闘続行を発揮することができる。
悪魔の餌は人間の魂であり、Chaos.Cellにおいてはデータリソースに等しい。このため魔力を使用した回復において量・速度ともに通常のサーヴァントを大きく上回る。
魂食いについても同様で回復する魔力量が大幅に上昇する他、すべてのステータスに一定時間ボーナスが得られる。
【Weapon】
なし
【人物背景】
容姿・教養・武術などなんでもそつなくこなし、すべてにおいて完璧なファントムハイヴ家の執事。
その正体は悪魔であり、とある少年の魂と引き換えに、その復讐を遂げるまで彼の手足となって守り抜く契約を結んだ。
今回の聖杯戦争においても、マスターに対してそれなりの忠誠心はある模様。
【マスター】
宇佐美ハル@G線上の魔王
【マスターとしての願い】
『魔王』を自らの手で殺す。
【人物背景】
『魔王』を追う自称『勇者』。ぼさぼさのロングヘアーが特徴的。
出身は北極と言い張るなどマイペースな性格だが、僅かな矛盾や嘘を即座に指摘できる怜悧な頭脳と、年齢に見合わない大胆さを持ち合わせる。
幼少の頃、プロのバイオリン奏者だった母の演奏会に付き添っていたところを『魔王』によるテロに巻き込まれる。
その際に目の前で母親を殺されたことが強烈なトラウマとなり、以来仇である『魔王』を追い続けている。
バイオリンは母の教えもありCDデビューを果たしたこともあるほどの腕前だが、過去のトラウマより現在は封じている。
【参戦時期】
本編開始前、舞台となる学園に転校する直前。
【方針】
聖杯は気になるが聖杯戦争には懐疑的。今のところは様子見・情報収集。
最終更新:2017年05月17日 23:52