79名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:44:45.07 ID:tnEyhn+j0
 『クールな応酬 饅頭(まんじゅう)の行方』


  女が饅頭を手土産に上がり込んできた。
  丁度お茶をいれようと思っていたところだったので、こちらとしても
 願ったり叶ったりだった訳だが……今考えてみるとあの時点で俺は負けて
 いたんだろうな。
  そうすると、上がり込むタイミング、いや、お茶をいれる時間帯まで――
  いや、いくら何でもそこまでは……
  いや――



  居間に胡座(あぐら)をかいた女は、持っていた包みを俺に見せた。
 「この饅頭は京都生まれでな、江戸時代から続く名菓なんだ。なかなか手に
 入らないんだぞ」
  饅頭の説明をしながら、包装紙を破く女。
  もっと綺麗に開けろと言いたかったが、どうせ捨ててしまうのであれば
 別に構わないし、俺との仲を考えての事だろう。
  良い気はしないが、少し嬉しいかもしれない。

 「しかし、そこら辺の饅頭と全く変わらないように見えるんだが」
 「ふふ……まぁ素人にはそう見えるかもしれないが、果たして君はこれを
 口に入れて、もう一度その台詞を吐けるかい?」


 80名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:45:09.54 ID:tnEyhn+j0
 「……何か入れたのか」
  ふと罠を予感したのだが、
 「失敬な。私から仕掛けた事が今まで一度でもあったかい?」
  逆に痛い所を突かれた。

  ――あったけどな。

 「では、お先に頂くよ」
 「ん、じゃ俺も一つ頂きます、っと」



  なんと。
  俺は饅頭という菓子を根本から誤解していたのかもしれない。
  生地の焼き加減、濃厚なこしあん、柔らかく溶け込むようで、
 尚かつしつこさを一切感じさせない食感の……なんと見事な味わいか。
  これは自主的に全国の和菓子屋へ向け謝罪の場を設けるべきだ。
  俺は饅頭を、文字通り甘く見ていたのか。少々不覚。

 「これは……えらく美味い饅頭だな」
 「うん、君にも分かるというのなら、この饅頭の美味しさは日本一かもしれない」
  いちいち俺の心を突く必要なんてないだろうが。


 81名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:45:33.76 ID:tnEyhn+j0
  だがそんな事など気にならない程に、この饅頭の美味しさは圧倒的だった。
  先日、莫大な量の唐辛子を集中投入したパスタを食べて以来、
 一切機能しなくなっていた俺の舌が反応するのだから間違いない。
  この饅頭は本物だ。

  が、一つ欠けたところがあるとすれば、いや、強いて挙げるとすれば、

  数が五個、ようは奇数だったと言う事だ。

  すでに饅頭はラスト一個。
  女は視線こそ逸らしているが、狙っている事はほぼ間違いないと言っていい。
  普段から俺と変わらない量をぺろりと食べて笑っているような奴が、
 よもや饅頭二つで満足するはずもない。
  腹の足しにもならないというのが正直なところだろう。

  饅頭を買ってきたのは女だが、お茶をいれ、場を設けたのは俺だ。
  ならば両者の立場は平等にして優劣性など皆無だと俺は思う。

  ……回りくどいか。正直に言おう、俺は何が何でも残りの一個を食べたい。
  何とでも言うがいい、食べた事のない奴に何が分かるというのか。


 82名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:46:05.41 ID:tnEyhn+j0
 「――男」
  頭の中でごちゃごちゃと考えていると、不意に女が話しかけてきた。
  向こうから先に仕掛けてくるとは珍しい。
  いいだろう、迎え撃ってくれん。

 「残りの一つは君が食べるといい。私はお茶を飲み過ぎたようだ。
 悪いがお手洗いを拝借するよ」
  と、言いつつゆっくりと立ち上がる。

  なんと。
  これは俺にとって予想外だったと言える。
  苛烈な心理戦になるかと思っていたのだが、実に呆気ない。
  ……こうなると俺が意地汚く見えてくるのは仕方のない事なのだろ――


 「ぁ」
 「――う」


  俺の目の前で、女が転んだ。
  足下に散乱する包装紙に足を取られ、それはもうド派手に転んだ。
  あまりにも珍しい光景だったために俺はしばらく思考が停止していたが、
 すぐに正気を取り戻す。


 83名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:46:30.27 ID:tnEyhn+j0
 「おい、大丈夫か」
 「ああ、いや、問題ない」

  と、そこまで言われて、ようやく俺は先手を取られた事に気がついた。
  このクソノロマな頭はどうにかならないのか。

 「おっと箱ごと……これは勿体ない事をしてしまったな。実に残念だが、
 こんな潰れた饅頭を君に食べさせるのは私自身が許さないよ。これは私が
 責任をもって処分するとしよう」
  と、言うが早いか、膝にべったりと張り付いている饅頭をはがす。

  なんと、あの女がここまで強硬手段をとるとは、流石の俺も
 全く予想が出来なかった。

  ――が、少々甘かったな。
  俺の目は節穴ではない。
  転倒のどさくさだか何だか知らないが、その饅頭――




  何故中身が粒あんなんだ?


 86名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:47:21.37 ID:tnEyhn+j0
 「いやはや、実に残念だ。また今度買ってくるとしよう」
  何が残念なものか。

  つまりはこういう事だ。滅多に見せない転倒のどさくさに紛れて饅頭を入れ替え、
 俺が何も言わなければ二種類の饅頭を独り占め。
  もし取り合いに敗れたとしても、本物の饅頭は確実に女の腹に入るという二重の策。
  まさか饅頭の取り合いになる事を予測した上で偽物まで用意してくるとは、
 もう流石としか言いようがない。普段から良く食べる奴だが、太らない理由は
 これか。
  まぁ、頭の回転が良い事は身にしみて(正確には舌にしみて)理解しているが、
 今回ばかりは甘かったな。
  粒あんではなく、こしあんの饅頭を用意すべきだったのだ。いや、見た目が
 似ている物がこれしかなかったと考えるのが妥当か。


 「気にするな。ほら、立てるか?」
  俺は立ち上がり、女に向けて右手を差し出す。

  もうお分かりだろうか。
  握手は右手と左手では出来ない。

  つまり、俺が出した手を自然と握るには、出さなければならないのだ。
  その、自らの身体の影に隠している、右手を。


 87名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:47:54.92 ID:tnEyhn+j0
 「すまない、ふっ……我ながら実に無様だな」


  あれ


  女は何の躊躇も焦りもなく、極々自然に俺の手を右手で握り、立ち上がった。
  そして間髪入れずに潰れた饅頭を口に放り込み、トイレへ向け歩き出す。


 「……あれ」
  俺が呆然としていると、女は振り返り、にやりと

 「ふふふふ……ふふっ」
  笑った、もとい、笑いやがった。

 「あの饅頭は私も大好物でね」
  おい。
 「負ける訳にはいかなかったのさ」
  待て。
  どういう事だ。説明しろ。
  お前は饅頭の中身を入れ替えたのか? 衣服の何処かに隠したのか?


 88名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:48:23.26 ID:tnEyhn+j0
 「今回は少々卑怯と言えるかもしれない。君は“食べられない”からね。
 ……まぁ、あえて言うとすれば、私が包みを破り裂いた理由を考えてくれ」
  そう言うと女は足早に退室していった。


  理由。
  つまりは包みを破る事により発生するメリット。
  破り裂くという事、それはようするに包みを調べられると困るという事か。
  そしてどうやら俺は“食べられない”らしい。
  と、すると答えは簡単だ。



 「……あいつ、道中に一つ食いやがった」



  偽物の饅頭を用意したのは、すり替えのためではなく、単純に見た目の数を
 合わせるためだったという訳か。
  偽物を箱の一番端に置き、自分が逆側から先に食べ始めれば俺は
 それに続く形で饅頭を取り始め、恐らく偽物はきちんと最後に残るだろう。

 89名前:修験者(三重県):2007/04/28(土) 21:48:48.97 ID:tnEyhn+j0
  まぁそう考えるとわざわざ転倒してまで中身(粒あん)を俺に
 見せたりする必要は全くないんだが、どうやら女は偽物の饅頭まで
 腹に入れたかったらしい。
  偽物と分かれば(本物とすり替えたと思わせれば)俺はそんな物には
 見向きもしないだろうし、勝手に勝利の妄想を膨らませてにやにやする俺は
 さぞかし滑稽な見せ物だっただろう。

 「……今回は饅頭対決だけに甘かった、というのは」




  ……こんなことだから勝てないんだろうか。

 「惚れた弱み……いや、それも負け惜しみだ」

  俺はお茶の残りを一息に飲み干し、女がトイレから帰ってくるまで、
 敗北の味を嫌というほど味わっていた。





 END

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最終更新:2007年05月04日 17:34