作者:山河晴天
豪州残留邦人救出艦隊
1:新艦長着任 ~生き残りし者~
広島県海上自衛隊呉基地 新世紀元年 8月1日 午前8時半
この日、一機の二式大艇が護衛のハリアーⅡを引き連れて呉に着水した。
機内から降り立ったのは第二次南太平洋調査艦隊の司令官に着任した嶋田繁太郎 海将である。
彼は部下を引き連れて呉の司令部に入るとすぐに第二次太平洋調査艦隊の出向に向けた準備へ取りかかった。
同じ頃、嶋田とは別に大型ヘリコプターで呉に到着した一人の士官がいた。
その制服から分かる様に、彼は見まごう事なき海上自衛隊の一等海佐である。
そして彼は時空融合後急速に増えたヨーロッパ系日本人の自衛官であった。
彼の名はオットー・アイゼンバルト・フォン・レヴィンスキー。
本来なら死ぬべきだったところを時空融合によって生き延びた人間である。
(不思議なものだ、あの時死を覚悟したのに私はこうやって生き延びただけでなくかつて敵国であったこの国で再び軍人としての義務を果たそうとしている)
そう思うとレヴィンスキーは自分の運命を変えたあの日を振り返っていた。
1950年12月27日 ニューヨーク沖 戦艦「フォン・ヒンデンブルグ」にて
既に大勢は決した。レヴィンスキーはその時ドイツ北米艦隊の最高位士官として各艦に撤退命令を発した。
「諸君、我等の夏は今日で終わった!しかし、秋と冬はまだ始まってもいない。堪え忍び、打ち勝たねばならない未来が諸君の前に待っている。さあ『ヒンデンブルグ』が君達を助けてあげられる間に撤退してくれ。未来に向かって脱出するのだ。幸運を祈る。さようなら。以上」
そう言って通信を終えた瞬間レヴィンスキーの視界は純白の光に包まれ彼は意識を失った。
意識を取り戻したとき、レヴィンスキーはベッドの上にいた。
周囲を見渡すと、至る所で自分と同じ北米艦隊の水兵達が手当を受けているのが見える。
そこへ数人の部下を引き連れて日本人の将官が自分の元にやってきた。
その時彼は、自分が日本軍によって助けられたのだと理解したのだである。
暫くして、彼は作戦会議の行われているであろう一室に案内された。
そこには自分が発した命令によって撤退したと思っていた艦の艦長や参謀といった将兵達が集まっていた。
そこで彼は謎の異常事態によって世界の様相が一変し、自分達も祖国である大ドイツ帝國と一切の連絡がつかなくなった事を初めて知らされたのである。
やがて先程の将官が入って来るとすぐに「貴官の意見を聞きたい」と切り出した。
それは要約すれば「我々は、本国と連絡が付いたので状況を確認するため帰国するが共に来るか否か」と言う内容のものだった。
当初は本国への帰還を考えたレヴィンスキーであったが、本国はおろか北米本土に展開しているはずの味方とも連絡の付かなくなった事態を前にして、彼は艦隊の最高位士官として部下の安全を保証することをを条件に日本に向かう事をその将官に伝えた。
そして彼は眼前の将官が日本最強の戦艦戦隊の指揮官、角田覚治 大将であることを知ったのである。
日本に到着後、レヴィンスキーと彼の部下を待っていたのは、祖国は出現していなかったという情報と海上自衛隊の自衛官にならないかという話だった。
祖国が時空融合で消失したことに落胆した彼であったが、自衛官になることには躊躇しなかった。
彼は軍人としての誇りを持っていたし、自分を信じて共に来てくれた部下達の将来を考えれば、自分が率先して自衛官にならないわけにはいかなかった――そして、何より彼自身に軍人以外の職へ就こうとする気がなかった。
その後の将官教育の後、今回彼は第二次南太平洋調査艦隊の旗艦の艦長に任命された(将官教育はまだ履修中であるが)のである。
彼が日本連合に来たのは7月の中旬であったからこの時点で艦長への任命は異例といえるだろう。
この事は、優秀な者であればかつての国籍は問わず高い役職に就けるという日本連合の柔軟な人事システムが働いている証拠なのである。
レヴィンスキーは再びあの日を思う。
(あの時空融合がもっと早いタイミングで起こっていたならば『ヒンデンブルグ』もここにいたのだろうか?)
彼が艦長として乗艦していた「フォン・ヒンデンブルグ」は時空融合後に彼等が救助された後、損傷著しく曳航する事も難しかった為「播磨」の主砲一斉射撃によって沈められたという。
そして生き残った北米艦隊の戦艦二隻「フォン・モルトケ」「ロスバッハ」の二隻はそれぞれ長崎と佐世保で近代化改装を受けている。
それならば「ヒンデンブルグ」もここにいたのは間違いないと、彼は思ったのだ。
そこまで考えて彼は頭を振った
(いや、全ては過ぎたことだ。今は新しい艦と乗員達の事を考えるのが第一なのだから。それに今の世界には人類が共同で対処しなければならない敵がいる。 そしてこれから私が赴く先にもそれはいるのだ)
レヴィンスキーはそう思い自分が艦長として乗艦することになる戦艦の方に向かって歩き出した。
多くの人々に多大な試練を与えた時空融合は、本来なら死んでいたはずのこの男にも新しい未来を与えていた。
2:参謀長の多忙なる一日 ~天下無双の戦狂い~
広島県海上自衛隊呉基地 新世紀元年 8月1日 午前10時
この日から艦隊出航までの期間最も多忙であったのは嶋田司令ではなく艦隊の参謀長に任命された真田忠道 海将補であった。
参謀長というと聞こえは良いが、実際の所は横須賀からこっちの方に飛ばされてきたようなモノである。
というのもこの真田 海将補、外見は中背小太りの普通の男なのだがその性格は傲岸不遜、沈着冷静それでいてとてつもない行動力と実行力、勇猛果敢さと克己心を兼ね備えているのだ。
それだけなら優秀な軍人で済むのだが、もとの世界であれこれやりすぎて多大な武功をあげると共に周囲からずいぶんと恨みを買っただけに留まらず時空融合でこっちの世界に来てからも海上自衛隊の幕僚長となった山本五十六海将を「あの気分屋の博打打ちには司令部艦橋よりモナコのバカラ・テーブルの方がお似合いだ」と罵ったのである(これに対して当の山本海幕長はそれを笑い飛ばしていた)。
指揮官としても参謀としても非常に優秀なのだが、この様な性格では艦隊の参謀長という肩書きで呉に飛ばされたのもある意味仕方がなかった。
それでも当の真田はそんな事は気に留める様子もなくいつもの調子で呉基地の自分に割り当てられた一室で部下と共に艦隊の行動計画の準備に取り組んでいた。
「なんだこれは。 いつの間に決定したんだ」
そう言った真田の手にしていた書類には南極観測隊の出航時期が当初予定されていた11月初めから10月18日に変更された事が記されていた。
「それですか? 確か昨日の深夜に決定したばかりですが」
融合前からの真田の副官である矢沢 一尉が返事を返す。 こちらの方はいかにも切れ者という雰囲気を漂わせている人物である。
「これでは来週からの訓練に支障が出るな。 おい、すぐ司令官室に行くぞ」
「訓練に関する意見ですか」
「決まっているだろう。ただでさえ二ヶ月出航が早まったところへ、ニューシドニー村に南極観測隊が寄港するとなると現在のスケジュールが更に早まるはずだ。今の訓練スケジュールでは艦隊の行動に支障が出るぞ」
言うが早いか真田は矢沢を伴って司令官室に向かった。
司令官室に入ると挨拶もそこそこに真田は嶋田に意見を述べ始めた。
「嶋田司令、我が艦隊の訓練スケジュールについてですが、現在の9月30日出航予定でのスケジュールでは間に合いません。 すぐにスケジュールの変更が必要です」
「それは私も分かっている。 しかし航行しながらの訓練では駄目なのか?」
嶋田の言葉に真田は思わず呆れそうになりながらも言葉を続ける。
「何を悠長なことを仰っているのですか。 航行中の訓練がどれほど困難なものなのかは司令もよく存じていらっしゃるはずです。 訓練の開始は明日からすぐにでも行わなければ出航に間に合いませんよ」
「ではそうするとして具体的にはどの様な方法を採るというだ? 明日から始めるとしても訓練を途中で切り上げる事になりかねんぞ」
「現在の訓練スケジュールでは週末ごとに港へ帰還する事になっていますがこれをやめて燃料、武器弾薬の続く限り外洋での訓練を行います。 そして訓練時間とシフトは24時間連続交代無しを採用します。 これで出航が早まってもかなりの技量を有した状態で出航できます」
「24時間ぶっ通しの訓練を出航まで行うだと! そんな無理をしてみろ、過労で倒れる者が出るばかりか最悪死人が出る可能性もあるぞ、それでもやるというのか!?」
真田の提案に嶋田は思わず声を荒げる。
しかし真田は臆することもなくこれ以上にない辛辣な言葉を嶋田に叩き付けた。
「あなたにしては随分と軟弱な発言ですな、嶋田司令。 あなたの部下であった者の話ですとあなたはかつて猛訓練で殉職者が出ても平然としていたばかりか『味方の足手まといになる前に死ね』と言っていたそうではないですか。 その結果付いたあだ名が『味方殺し』『人殺しの繁太郎』『殉職者量産提督』だったとか、それとも伏見宮の後ろ盾が無くなってからは博愛主義者に転向なさったのですか? ご立派なことですな」
はっきり言って部下が上官に対して言う言葉ではない。
最も真田にしてみれば事実をありのままに言っているだけでしか無かったし、その口調も冷静なものであった。
「…………」
何も言い返せない嶋田の表情を見て真田は相手の出方を待っていた。
いっそのこと激発して後生大事に持っている軍刀で自分を斬りつけてくれば良いものを、そうすれば嶋田は罷免され後任にはもっとまともな人物が就くだろうと考えているのであった。
事実、時空融合で出現し現在海上自衛隊に籍を置いている旧海軍提督の中でも開戦派だった大角峯生、永野修身といった者達はいずれも閑職に回されたり、地方に左遷されていた。
そしてその先の部署でも部下から「あなた達のせいで我々はえらい迷惑を被った」と露骨に文句を言われているのである。
そんな中で嶋田だけが今回、調査艦隊の司令官という大任に就いているのは彼が元々は「軍人は政治に関与するべからず」をモットーとする人物であり、伏見宮の腰巾着であったとはいえ基本的には中立の立場の人物だったからであった。
一部では「嶋田司令は山本海幕長と同期であることを理由に強引に自分を売り込んだ」という不穏な噂も流れたがこれは全くのデマであった。
それにしても、開戦派であった提督達は現場での露骨な中傷によく耐えていると言っても良いだろう。
これは彼等も江田島の将官教育における歴史認識で自分達が開戦を叫んだ結果の敗戦、無条件降伏を見せられて半端ではないショックを受けたことと、そのせめてもの償いに例えどの様な閑職に回されようとも与えられた職務をこなす以外に信頼回復の余地はないと腹をくくったからである。
さて、当の真田と嶋田は暫く無言の睨み合いの状態であったが、真田が激発するのではと読んでいた嶋田の口から出たのは意外な言葉であった。
「君の言うとおり私が殿下の、いや伏見宮の腰巾着であったことは否定しない。 だがな、それとこれとは話が別なのだ、世間体というものを考えてくれ。 いくら我々自衛隊が必要な存在であるとはいえ演習中に死者が出ればマスコミや世間が黙ってはいまい、分かってくれ」
「つまり、演習中の事故死ではなく名誉の戦死ならば世間が黙っているとでも仰るのですか」
「そんなことは言っていない。 私はただ現実を述べているだけだ。それにな、私が演習で部下を死なせたとあっては加治首相や山本に迷惑がかかる、そう考えると無茶な演習を行うことはできん。 私一人の首で済めばそれで良い、だが周囲の人々まで私の不祥事で苦しんでもらいたくはないのだ(あの時全てが分かっていれば私は開戦に反対していたよ)」
嶋田の脳裏には将官教育の歴史認識の講義で見た、終戦後焼け野原になった日本各地の風景と焼け跡から必死になって立ち直ろうとする人々の姿が鮮明に浮かんでいた。
(随分と変わられたな)
一方、真田は以前の嶋田からは出るはずもなかったであろう言葉の数々に内心驚いていた。
そして、その表情から今のままではこっちの提案が聞き入れられる余地はないと踏んだのかもう一つの――実のところこちらが本命と言うべき――案を述べることにした。
「お気持ちはよく分かりました嶋田司令。 ですが訓練の内容が当初の予定通りというわけにはまいりません。 そこで提案ですが、24時間訓練の態勢はそのままに三交代制のシフトで行ってはいかがでしょうか?これならば1つの班が訓練中は残る2班を休ませることが出来ます」
「同じ24時間の訓練でも乗員の疲労が少なくて済むと言うことか。ならばそうしてくれ」
「了解しました。 ではこれより全艦の将兵に伝えなければなりませんので」
「すまんな、迷惑をかける」
こうして、翌日からの訓練航海が決定したのだった。
一方、嶋田の部屋を後にした真田と矢沢は以下のような会話を交わしていた。
「それにしても嶋田司令が参謀長の意見を否定するとは思いませんでした」
「将官教育の影響だ。 矢沢君、自分達が勝つと思って始めた戦争の結果が無条件降伏では開戦派はみんなああなってしまうモノだよ。 嶋田司令の場合はそこに加えて自身の頭の固さによるソフトフェアと人命の軽視を指摘されていたからな。 あそこまで考えを変えてしまうのも無理はない」
「ですが訓練で殉職者が出るとお思いですか?」
「出はせんよ。 個艦レベルでの乗員のレベルは現在でもかなり高い。 今の彼等に必要な訓練は改装後に搭載した装備の習熟訓練と艦隊行動の訓練だ。第一、仮に出たとしてもクビになるはずがない。あの山本海幕長ですら演習中に殉職者を出した経験があるんだ。 嶋田司令は将官教育の影響で慎重になりすぎている」
「確かにそうですが出ないに越したことはないですね」
「そうだ、貴重な戦力を失うわけにはいかんからな。 さあ、これから忙しくなるぞ、 部屋に戻ったらやることはいくらでもあるんだ」
再び自室に戻った真田は再び山のような書類と格闘し始めた。
現在艦隊を切り盛りしているのはこの真田参謀長である。
真田は艦隊の派遣が決まった時から派遣される艦艇の手配から全体的なスケジュールの調整までの殆どの仕事をこなしているのである。
それでも、艦隊の行動計画と出航までの準備は真田の行動力をもってしても容易ではなかった。
大体、出航時期が二ヶ月も早まるというこの状況は彼もかつて経験したことのない事態であった。
ここで、第二次南太平洋調査艦隊の編成から現在までの状況を述べておこう。
当初の予定では11月の初めに出航する予定であった南極観測船「そうや」の護衛と物資の輸送、ニューシドニー村に留まっている太平洋漂着民の救助を想定し、艦隊の編成も巡洋艦及び駆逐艦の改装型護衛艦を中心にした艦隊の予定であった。
しかし、7月14日にオーストラリアの調査を行っていた古賀 海将率いる第一次南太平洋調査艦隊から防衛庁(防衛省の運用は7月20日から)に「敵性体の存在を示す痕跡を発見」との報告が入る。
これによって、艦隊の任務にニューシドニー村の住民保護と最悪の事態に備えた敵性体との戦闘が加わり出航が二ヶ月短縮される事になってしまった。
悪いことは続くもので、分遣艦隊の指揮官を務める予定であった山口多聞海将補がメキシコ在留邦人救出の為に急遽救難艦隊を率いて日本を離れることになってしまったのである。
そしてそれは調査艦隊にとって最悪の時期に起こった出来事であった。
この時期ようやく11月の派遣を前提とした艦艇の改装とそれに合わせた艦隊訓練のローテーションが決定したばかりであり、おまけに艦艇の七割が改装の真っ最中という状態でこれらの出来事が一度に起こったのである。
この出来事が一月早く起こっていれば艦艇の改装を遅らせて出航することが出来たし、一月遅ければ艦隊訓練を航海中に行うと割り切って出航することが出来たのである。
さらに、敵性体との戦闘を想定した艦艇の大幅増加もあって艦隊の編成を最初からやり直さなければならず、現在の艦隊は頭数だけは揃っているという状態であった。
そんな中で、個艦レベルでの乗員の練度が高いのは唯一の救いであると言っても良いだろう。
これらの艦艇は真田が各地の基地と造船所に問い合わせ、乗員の練度が高く尚且つ近代化改装の終了していた艦艇と、旧自衛隊の艦艇をリストアップして片っ端から集めたものであった。
もちろんそれが全て上手くいったわけではない。
当初は後に小澤 海将が大西洋調査艦隊で率いることになる佐世保基地の護衛艦もリストに含まれていたのだが、これは小澤 海将に断られていたし、任務上本土を離れることが出来ない艦艇もあったからだ。
それでは必要な数が揃わない為、真田は意外な艦艇と人員も加えた。
それは……。
3:任務は下る ~はみ出し者達~
静岡県下田市 須崎半島福浦 新世紀元年 7月26日 午前9時半頃
のんびりとした空気が流れている。
しかし、港の沖に停泊している艦艇がここに自衛隊が駐屯している事を示している。
そしてその近くで水兵と士官がカッターを漕いでいる。
傍目から見れば、それはカッターの漕練中にしか見えない。
「漕ぎ方、やめい! 全員特殊戦闘訓練用意!」
すると士官の怒声と共に水兵達は漕ぐのを止め、カッター後方の帆布の中から釣り道具を取り出す。
「参謀長、なぜ今になっても我々はこんな事をしなければならないのでしょうか?」
「馬鹿野郎! 特務艦隊の最重要訓練たる“糧食確保訓練”を怠れるか!」
「でも今は食糧の心配はないではありませんか」
「万一の場合という事がある。 それに特務艦隊の伝統を今更止められるか」
質問をしてきた水兵に参謀長と呼ばれた髭もじゃの士官、轟勘太 一佐が答える。
彼等は海上自衛隊の自衛官であるが、時空融合から三ヶ月以上が過ぎた現在でも配置が変わるわけでもなく、出現場所であり根拠地であるこの地に留まっている。
海自内でも彼等の所属は仮に「下田方面艦隊」となっているが、任務を与えられるわけでもなく、こうして毎日海に出ては食糧確保のために釣りをしているのである。
彼等こそ海上自衛隊で――融合前同様に――はみ出し者の集団と称されている通称「愚連艦隊」であった。
この艦隊、元々は海軍内部の札付きのワルと入隊不適格とされた丙種合格者を更正の意味も込めて集めた海軍の吹き溜まりのような場所であった。
その為、時空融合以前の世界ではその存在そのものが「特務艦隊」という事もあって秘匿されていたのである。
こういった事情もあり、彼等に回される予算は少なかったため彼等は必要経費の幾ばくかを、食糧の自給自足や地元の地引き網や漁を手伝う事で賄っていたのだ。
そんな彼等の生活も時空融合によって大きく変化した。
時空融合が発生したとき彼等は丁度就寝中であり、日本各地で起こっていた出来事を知る由もなかった。
翌朝、彼等が目を覚ますと基地からほど近い下田の町がいつの間にか1990年代の世界から来た下田市になっていた。
最初は状況がよく理解できなかった彼等であったが、艦隊司令である大官寺重蔵 少将の指揮の下、横須賀に向かったのである。
その後、詳しい事情を知らされた彼等は自衛隊に編入されたのだがここで問題が起こった。
食糧や衣類といった生活必需品の支給は他の部隊と同様に行われるようになったのだが、経歴を調べると彼等の多くが前述の通り札付きのワルであった為、配置転換をしようにもどこの部隊も受け入れを拒否したのである。
結局、彼等は今まで通りにこの下田の地に要地防衛の名目で留まっているのであった。
話を今に戻すと、轟参謀長が部下と釣りをしている所に海自から支給された内火艇がやってきた。
轟に向かって三尉の階級章をつけた士官が声をかける。
「参謀長、すぐに司令部へ戻って下さい。 長官がおよびです」
「何事だ、とうとう艦隊の解散が決まったのか?」
「いえ、どうやらその逆です。 とにかく早くして下さい」
「分かった、すぐそっちに行く」
カッターから内火艇に飛び乗った轟は彼を呼びに来た士官、寺中雪之丞 三尉と共に福浦にある艦隊司令部に向かった。
かつて存在した鉱山跡を流用した半地下式の司令部内にある艦隊司令長官室は、融合前と違い空調が完備されコンクリート剥き出しの天井も改装されていた。
そこへ轟と寺中が入ってくる。
「大官寺長官。 轟参謀長をお連れしました」
「おう、ようやく来たか。 これで面子が揃ったようじゃの」
そして、この部屋の主が自衛隊内最年長の将官であり明治の遺物、維新の影の立て役者とも噂される七七歳の大官寺重蔵 海将補であった。
「まあとにかく座れ」と大官寺に促された二人は席に着く。
「来てもらったのは他でもない、儂らの艦隊に出撃命令が下ったんじゃ」
「出撃ということは、政府が計画している調査艦隊に加わると言うことでしょうか?」
「そうなんじゃよ、昨日儂の所に今度出航する艦隊の士官が来おってな、艦隊を編成する艦が足りんから参加してくれと言ってきおったんじゃ」
「頭数を合わせる為我々に艦隊へ加われと言うのですか? あまり嬉しくないですな」
大官寺の言葉に轟が呆れたように言う。
「そうなんじゃが何でも艦隊の方でも色々事情があるみたいなんじゃよ」
そう言って大官寺は、二人に前日司令部を訪れた矢沢から手渡された書類を見せた。
そこには、現在編成中の第二次南太平洋調査艦隊が出撃を前にして艦艇と熟練の乗員が不足状態であり、練度の高い乗員とまとまった数の艦艇を有する愚連艦隊に参加を要請するという内容が書かれていた。
「なるほど、これは参加せん訳にはいきませんな」
「ですが肝心の艦艇はどうするんですか? 今の我々には『陸奥』も高速打撃艦も無いんですよ」
轟の言葉にとっぽい顔の寺中がツッコミを入れる。
寺中の言う様に、現在の愚連艦隊にはそれまで艦隊の主力であった実験空母『陸奥』と陸奥が実験艦であった時の主砲を高速輸送船に固定砲塔(!)として取り付けた高速打撃艦『多良』以下五隻がなかった。
これらの艦艇は調査の為に柱島泊地に集められた際にトンデモ艦としてそのまま柱島に留まっているのである。
したがって、今の愚連艦隊の艦艇は対空・対艦実験駆逐艦『松』級(これは愚連艦隊が懇意にしている「海南造船所」が新規建造した物で戦時中に大量生産された松級とは別物)と対潜・対艦実験駆逐艦『梅』級を改装した物がそれぞれ十隻ずつ(うち予備艦二隻)あるだけで、艦隊本来の能力を発揮できない状態であった。
「不足分の艦艇については向こうで揃えてくれるらしい。 どうじゃ、行くことにするか?」
「そうするしかないでしょうね。 以前ならともかく今の我々は正規の自衛官です。それにいつまでも鼻つまみ者のままでもいられませんから」
「ここで一気に愚連艦隊の汚名返上と言うところじゃな。 それなら決まりじゃ。すぐに全艦に通達、これより呉に向かうと伝えるんじゃ」
大官寺の命令を伝えるため轟が長官室から走って出ていく。
ちなみに轟が出ていったあとの長官室で寺中は大官寺とこんな会話を交わしていた。
「あのー、長官もしかして本当はただ暴れたいだけなんじゃありませんか?」
「当たり前じゃ、儂だってひと暴れしたいわな」
この会話が嶋田司令や真田の耳に入らなかったのは幸いと言うべきだろう。
尤もこの様な会話を気にしているほど調査艦隊司令部の方に余裕があったわけではないし、大官寺も耳に入ったところで気にする様な人間ではなかったのだが。
この日の夕方、全ての準備を終えた愚連艦隊の護衛艦18隻(予備艦2隻は留守番)が下田の地を後にした。
同じ頃、霞ヶ浦と厚木で訓練を行っていた陸奥飛行隊の航空機80機も呉に向かって飛び立った。
この様に真田は利用可能な戦力をありったけかき集めていたのである。
そしてその余波は海自以外の組織にも及んでいた。
場所は変わって真田の執務室。
真田は方々に電話をかけ戦力となる部隊と装備がないかを調べていた。
しかし、この日の電話はその内容がいつもとは異なっていた。
受話器の向こうの相手は海自から空自に配置転換し現在では要撃航空団司令をつとめている源田実 空将補である(これは戦後の自分が航空自衛隊の幕僚長に就任した事を知った源田が転属を希望した為である)。
「源田君か。取石 一佐のお嬢さん達をお借りしたい。 ああそうだ、彼女たちに航空機を後方基地から呉へ輸送してもらいたい」
相手の役職(階級は同じだが)を無視した態度で話していた真田だがこの言葉のあと暫く源田の言葉に口を閉じざるをえなくなった。
「そちらの事情は存じている。 こういう時だからこそ彼女達の操縦技量が必要なんだ。それにいつまでも芸能活動をしているより飛行機に乗れる方が彼女たちもいいだろう?そうか、分かったそれではお願いする」
電話を切った真田に矢沢が訊ねる。
「空自に航空機の輸送を頼む必要はないのではありませんか?それに彼女たちは子供でしょう。それなら我々がパイロットをよこした方が良かったのでは?」
「むこうも子供とはいえ自衛官と言い張っているからな。だから任務を与えたまでだ。それに今、航空隊の精鋭は使用可能な空母と共に調査艦隊に参加している。我が艦隊の訓練中のパイロットに機体輸送を任せるよりも空自のベテランに任せた方が良い。そうすれば機体輸送でこちらのパイロットの訓練時間を無駄せずに済む。本当は彼女たちにも戦場に出てもらいたかったのだがな」
「子供を戦場にですか!」
その一言に矢沢は思わず叫んでいた。
それでも真田の方はいたって冷静に話を続けた。
「矢沢君、現在我が国が置かれている現状を考えて見ろ、一見平和に見えるが周囲には人類の敵性体が多数存在する。その敵性体と我々は戦争状態なのだ。これが人間同士の戦いならば適当なところで休戦する事が出来る。だが相手がこちらを滅ぼすまで戦うというのならこちらも総力を持って迎え撃つ。それにこの『総力戦』に銃後というものは存在しない。使える物はとことん利用するまでだ」
真田は横須賀の海上自衛隊司令部にいたときから、自分なりに日本連合の政治、経済等を分析しこの国の潜在能力がきわめて高く、大国として成長していく余地が充分にあると考えていた。
そして、そんな日本連合が設立直後から強大な敵性体と戦わなければならないという状況を不幸に思い、この国が生き残るためには現在使える全戦力をもって総力戦を挑み、その一方でこの戦争で生じる損害を最小限に抑えるべきだと考えていた。
「ですがその様な事を加治首相が納得するでしょうか」
「あの人が納得するわけないだろう。この前の記者会見が全てを物語っている。だが、納得しなくてもこの戦争が長引くようならおのずとそうせざるを得まい。あの人は理想主義者であるが一方で現実主義者だ、今は別としてもいずれは認めるさ」
実際には日本連合が真田の考える程の深刻な事態に陥ることはなかった(勿論、これは程度の問題だが)。
この時点で彼は日本連合の潜在能力を正しく評価していた一方で加治首相の政治手腕と信念、日本の防衛力を過小評価していたといえるだろう。
そして、真田が加治首相への評価を改めるのはもう少し後のことである。
ともあれ、真田があちこちに連絡を取り派遣艦隊の戦力を揃える事が出来たのは確かで、翌8月2日から始まった艦隊訓練(16日からは明智海将補の分遣艦隊も加わった)も当初心配された自衛官の殉職事故も起きることなく無事進んだのであった。
そして出航を翌日に控えた9月7日、司令部では出航前最後の会議が行われた。
この会議では、これまで幾度となく話し合われてきた艦隊行動のスケジュールと調査艦隊の任務等の最終確認が行われた。
第二次南太平洋調査艦隊の主要任務は以下の通りである。
1:オーストラリア・ニューシドニー村の漂着日本人の救出。
2:南極観測隊「そうや」の物資運搬とバックアップ。
3:古賀海将率いる第一次南太平洋調査艦隊から引き継ぐ南太平洋海域及びオセアニア、オーストラリア大陸の調査。
4:現在艦隊の駐留基地となっているトラック諸島への物資の輸送。
(付記:1のニューシドニー村の漂着日本人の救出活動には、敵性体との戦闘及び地元住民への生活物資の提供、援助も含まれている。これは、今後オーストラリア大陸から地下資源を採掘、輸入する上で地元住民の協力は欠かせないという連合政府の判断である)
会議の最後に嶋田 司令は、幕僚、艦長達に深々と頭を下げた。
それはかつての彼ならば決して行わなかった事であった。
「どうじゃ司令。 今夜は無礼講といかんか?」
会議の後、嶋田に声をかけたのは大官寺であった。
出航前に無礼講の宴会を盛大に行って艦隊の士気を高めようと考えたのである。
もっとも大官寺本人には単純に酒盛りがしたいだけという側面もあったのだが。
「これは、大官寺閣下。無礼講といきたいのはやまやまなのですが、現在こちらに向かっている輸送船の事を考えますとそれは……」
声をかけられた嶋田は思わず敬称つきで大官寺に言葉を返す。
嶋田は階級が自分より下である大官寺に対して敬意を払って接している。
なにしろ相手は自分が士官候補生だった頃、日本海海戦において東郷大将と共に「三笠」に乗り込んで戦った大先達だからだ。
大官寺が一部で「大魔王」などと呼ばれてたりしていたからではないはず……である。
「ふむう、確かにそうじゃのう。儂としては出撃前に未練がないようにしたかったんじゃがな」
派遣艦隊に参加するタンカーと輸送船は呉にはいない、タンカーは樺太のオハで護衛艦の燃料を満載し、輸送船は日本各地の港で物資を積み込んで今頃全速力で呉を目指している。
そう考えると嶋田は自分達だけが宴会をというのは流石に拙いと思った。
「ではこうしませんか、宴会の方はトラック基地に着いてから行うということで」
「それならいいじゃろう。 出航前に出来んのは残念じゃがな。 それにしても嶋田司令、おぬしは随分と変わったそうじゃの。儂の知っとるおぬしは東郷元帥の様になりたいと言って伏見宮に取り入っていたものじゃよ。じゃが今のおぬしからはそういった雰囲気は感じられん」
大官寺は、自らが元いた世界での嶋田繁太郎はともかく自分達の指揮官である今の嶋田に悪い印象を持っていない。
少なくとも一から新しい時代に適応するべく努力をしているならその点については評価できると思っている。
もっともそれは大官寺本人にも言えることだが。
「自分で言うのも変ですが私も閣下と同じ気持ちです。 思い返せばあの頃は名誉欲に捕らわれすぎていました。 それに江田島の将官教育で自分の失敗を指摘されたのが良い薬になりましたよ」
「そうか、なら安心じゃよ。 明日からのおぬしの艦隊指揮に期待しておるぞ」
この会話の後二人はそれぞれの艦に乗艦し明日にそなえることにした。
こうして、呉の夜は更けていくのだった。
最終更新:2010年09月17日 23:26