「ハーダー」を離れるゴムボートが複数。
それに対して「雷」のクルーは未だに機関銃の銃口を向けたままである。
一触即発、誰もがそう思ったであろう。
しかし、それは意外な乱入者によって破られることとなる。
ゴムボートの近くに現れる巨大な影。
それが急速に海面へ近づいたかと思うと、ゴムボートの一隻がいきなり派手に転覆する。
「な、なんだあれは……」
「一体何が起こった!いきなりゴムボートがひっくり返ったぞ!」
「あれを見ろ!」
クルーの一人が指差す方向に全員が注目し、そして誰もが絶句した。
彼らが見たもの。
それは海中に投げ出させたハーダーのクルーを咥え海中に潜っていく生物の姿だった。
しかも一匹や二匹だけではない、目を凝らせば複数の生物がハーダーのクルーへ襲い掛かり海中に引きずり込んでいく。
艦艇のサーチライトがその姿をハッキリと映し出した時、それを見た者は誰もが本能的な恐怖を抱いただろう。
生物の正体。
それは巨大ザメ“メガロドン”や海トカゲ“ティロサウルス”といった時空融合により古代の海から出現した肉食生物だった。
これらの生物が近寄るのを防ぐ為にサメ避け用の忌避剤等を準備していたが、どうやらそれすら連中の食欲を奪う事は出来なかったみたいだ。
そしてまた一人その獰猛で容赦の無い自然の驚異に喰らいつかれ海中に引きずり込まれていく。
そこかしこで悲鳴が上がり、ゴムボート上のクルーは仲間を助けるためオールを振り上げて反撃を試みる。
しかし、それより先に銃声が鳴り響き放たれた銃弾が海面に水煙を生み出した。
その直後、全身から血を流したメガロドンが苦痛にもがきながら海面から飛び出し、その口からハーダーのクルーを解放する。
銃弾を放ったのは雷の銃架に据え付けられたM2機関銃であった。
皮肉なことに、ハーダーのクルーに向けられていた装備が彼等の命を救ったのである。
これが切っ掛けだった。
その様子を見た生永も命令を発する。
「連中をサメのエサにするな!助けるぞ!」
同時に他の艦もサーチライトや暗視装置を海面に向け、ゴムボートや溺れたクルーの周囲にいるサメや他の肉食獣に機銃弾を叩き込む。
一方で舷側からは縄梯子やロープが下ろされ、ハーダーのクルーを拾い上げていく。
その様子をディーレイ以下ハーダーのクルーは茫然と見ていた。
先刻まで自分達が沈めようとした相手を助けるという行動は彼等には理解しがたいものがあったからである。
「彼らはなぜ我々を……」
「何をしている!早く上がってこい!」
思考を破ったのはゴムボートに接近する護衛艦から発せられた声だった。
日本語であった為、その意味は理解できなかったが艦に上がれと言っているのは状況から察することが出来た。
護衛艦の舷側に寄ったゴムボートからタラップや下ろされたロープを使い、ハーダーのクルーは救出される。
最初は海に落ちた者やサメや肉食獣に襲われ大なり小なり負傷した者を、続いて兵が優先されそれに士官と下士官が続く。
余り広いとは言えない雷の前甲板は、途端血にまみれた修羅場となる。
「負傷者は動かすな!応急処置が必要だ!トリアージ急げ!」
「こいつは親友なんだ!助かるのか!」
「なら気を持たせるために声をかけ続けろ!治療はこっちでやる!」
甲板のあちこちで負傷者の応急処置が行われ、同時に群がろうとする鮫や肉食生物を撃退する機銃の音が聞こえる。
ハーダーのクルーも自分たちを助けた艦のクルーが英語を話せる事に驚くより先に衛生兵の指示を聞き負傷した戦友に声をかけていた。
「おい、先に引き上げたのはこいつだろ!なんでそいつを優先するんだ!」
「そっちは待機判定だよ。こっちは緊急治療が必要なんだ。タグを見てから言ってくれ」
「タグ?この色付き札がなんだってんだ!」
一方で、ハーダーのクルーが現代の医療システムを理解しない為か混乱も起きていた。
負傷者の度合を選別するトリアージタグの意味が解らず、甲板に引き上げた順の治療を求めるハーダーのクルーと雷のクルーがもめ事を起こす場面もあり、改めて時代のギャップが浮き彫りになったと言える。
「現状での負傷者についてですが収容したのは現時点で55名。この内16名が負傷しています。内訳は重体4、重症2、他は軽傷です。死者は出ていません」
「重体及び重症の者はいずれもサメ等により咬傷を負ったのが原因です。救助と応急処置が早かったこともあり命に別状はありません」
「それらの者については最上到着後に移乗させろ。合わせて引き続き、救助と負傷者の治療を続けるように」
もたらされる報告に、生永は頷くと甲板上で繰り広げられる光景をじっと見つめる。
そして思うのは、雷を沈めた潜水艦のクルーを救うことになった事への皮肉と、そのクルーが一人も欠けず救出出来そうである事への安堵だった。
「工藤中佐、貴方も同じだったのですか?」
朝焼けの光が入り込むブリッジですっかり冷めてしまったコーヒーを飲みながら、生永は今はここに居ない上官の事を思った。
本来の歴史で英巡洋艦「エクセター」を沈めた際、その乗員を助けることを決断した工藤中佐。
葛藤が無かったわけではなかっただろう。
自らの記憶に無い敵兵救助の出来事。
しかし、皆が慕った工藤なら間違いなくやりそうな事だと生永は思った。
その時、副長が最後のクルーを収容した事とハーダーの艦長が面会を求めている事、司令官である吉川もこちらに向かって来ている事を伝えてきた。
「自分は潜水艦『ハーダー』艦長、サミュエル・D・ディーレイ少佐だ。貴官がこの艦の艦長か?」
「如何にも。『雷』艦長、生永邦雄 少佐であります」
これが、本来なら自分達の艦を“沈めた”潜水艦の艦長かと生永は敬礼しながら思う。
しかし戦闘前と異なり、相手に対する怒りや蔑みは心に湧いてこない。
ただ、目の前の人物に無事で良かったという気持ちだけは確かに存在していた。
「まずは、部下を救助してくれた事に礼を言いたい。あのままでは我々はサメのエサになっていたはずだ」
ディーレイの言葉に嘘偽りはないな、と生永は感じ取る。
同時に、部下を思いやる気持ちも。
しかし、同時にディーレイの表情やしぐさに「困惑」が有ったのも見抜いていた。
それはそうだろう、と生永は内心苦笑する。
まずは、緊張を解いてもらうのが先か。
「まずはコーヒーでもいかがですか?少佐。南国の海とは言え体は冷えてるでしょうし」
そういいながら、傍らのIHヒーターの上で温まっていたパーコレーターからコーヒーを注ぐ。
「ありがたい、しかし出来る事なら部下にもお願いしたい」
「少佐のご意見を尊重しましょう」
生永は傍らに控えていた副長に、インスタントでいいからコーヒーやホットミルクをほかのクルーにも出してやれと指示を出す。
副長が消えると、生永はブラックでいいかと確認したうえでマグカップをディーレイに渡した。
そのコーヒーの入った容器に注がれる視線を見て、生永はあぁと気づいた。
パイレックス製のパーコレーターは第2次大戦当時のアメリカ人からすると相当珍しいものだろう。
それが駆逐艦の艦橋の電熱器でコーヒーを温めているのだから、珍しくないわけがない。
いつの間にか駆逐艦の艦橋で温かいコーヒーや紅茶が飲めることに慣れてたな、と生永はもう一つの保温マグにコーヒーを注ぎつつ苦笑する。
「どうぞ、少佐」
「LCC-23 IKAZUCHI」のロゴが入ったステンレス製のマグを手渡され、ディーレイは困惑しているようだ。
しばし逡巡を見せた後、ディーレイは一気にそのコーヒーをあおると、笑みを見せる。
「……まずいコーヒーだな。こんな状況じゃなかったら文句を言ってるところだ」
その言葉に、生永は苦笑する。
「我が国ではコーヒーが貴重品でしてね。民間に回すのを優先する以上我々が口にするのは多くが代用品です。先ほどお出ししたものはまぎれもない本物ですが」
「なんと……」
ディーレイに出したコーヒーは客人に振舞う為に用意した本物のコーヒーである一方、生永達が口にしているのはタンポポの根っこや大豆を原料とする代用品である。
これはコーヒー豆の主要な産地である中南米が人類の敵性体であるムーの手に落ちた事と無関係ではない。
新世紀元年から最初の一年半程は国内の在庫を放出することで不足分を補う事が出来たが、不足の状況が続けば確実にコーヒー不足となっていた筈だ。
幸い、太平洋調査艦隊の持ち帰った情報から赤道直下にある太平洋の諸国でもコーヒーが栽培されている事が判明し、これらの国々と国交の樹立と交易の開始に伴い大量のコーヒー豆が日本に輸入されたことで当面の危機は回避された。
現在ではゾーンダイクの脅威が大幅に減少したことでインドネシア方面や中華共同体の越国(ベトナムに相当)等から安定供給が行なわれている他、新世紀2年に出現したアフリカ大陸のZOIDS連邦でもコーヒーが栽培されている事が判明した為こちらからも輸入が行なわれている。
それでも融合前と比較するとまだ不足気味であり、官給品は一部を除いて代用コーヒーを扱っているケースが多い。
ちなみにZOIDS連邦ではコーヒーに塩を入れて飲むらしいが流石に日本連合でこれを真似する者はいなかったらしい……。
「グァムに着けば多分、美味いコーヒーをお出しできると思いますよ」
「そうか、期待しておこう」
と、ディーレイはそこで言葉を区切る。
「しかし、随分と変わった艦だな。まるでアメイジング・ストーリーに出てくるかの様だ」
続いて出てきた言葉に、生永は来たか、と思わずつぶやく。
「我々の艦を攻撃してきた武器と言い、あまりにも性能が隔絶してる」
確かに改装を受けた雷のブリッジは計器類のグラスコクピット化や操舵装置、はては機関の遠隔操作化が行われており第二次大戦当時の人間からするともはや宇宙船か何かの中のように思えるかもしれない。
冷静さを取り戻すと余計そういった要素は気になってくるだろう。
「驚かれるのも無理はありません。この艦だけに限らず他の艦にも少佐や自分の時代から半世紀以上未来の技術が投入されていますから」
「は?」
生永の一言にディーレイは拍子抜けした声を出す。
その様子を見た生永も(予想通りの反応だな)と思うのだった。
「詳しい事については、少佐のいらっしゃる状況を説明できる人物が到着予定です。我々としてはクルーの保護を最優先としましたので」
と、その時に船務長が通信文をもって生永のところにやってくると最上が間もなく到着することを知らせる。
船務長と生永が日本語で何かやり取りをしていることが気になったのだろう、ディーレイが顔をしかめて質問してきた。
「我々はどうなる?捕虜として扱われるのは覚悟しているが」
「それについては私の方から説明しましょう」
そこに現れたのは島風から移乗した吉川である。
自分達に先んじて敬礼した吉川に対し生永と、吉川の階級章を見たディーレイも立ち上がり答礼する。
「生永少佐、ハーダーのクルー救助ご苦労だった。負傷者は当初の予定通り最上に移し、その後我々はパラオに一度戻ってからグァムに向かう事となる」
「了解です。しかし、パラオに戻るとはどういうことです?」
「それについては、ハーダーのクルー一同を説得する為にこちらへ到着した人物が待っているからだ。それから重症者は航空機で本土に移送する手はずが整っている」
「なるほど……」
クルーを説得する為の人物が誰なのかという点に興味のあった生永だったが、そこは口に出さず了解しましたと言うに留まった。
一方の吉川は、ディーレイにも同様の説明を行ない同意を得ることが出来た為、護衛隊はパラオに戻る事となる。
「一つ聞きたい。我々の艦はどうなる?」
「ご心配なく、みすみす沈めるような事はさせません」
唯一、ディーレイが気にしたのは彼等の乗艦であるハーダーがどうなるかとの事だったが吉川が最上に曳航させる事を告げた為、安心した表情を浮かべた。
臨編第121護衛隊が海域を離れ、パラオへと引き返した頃には陽が暮れようとしていた。
パラオへ到着する頃にはハーダーのクルーも自分達の艦とは隔絶した護衛艦の性能と快適さに漸く馴染んでいたが、コロールに上陸して再び驚くこととなる。
小さな島国であるにも関わらず整備された近代的な港であり、活気に溢れたコロールの港とリゾート地。
それらは昨日まで戦場に身を置いていたハーダーのクルーにとっては久しぶりに得た安らぎの場であると言えた。
重症者についてはコロールのこれまた立派な国際空港から専用機に乗せられ日本連合へ優先的に送られたが、多くのクルーは数日間連合政府が用意したホテルにとどまる事となる。
すでに説得役の人物も到着しており、ホテルに到着後すぐに話し合いに入る事になっていた。
その人物は既にホテルのエントランスで一同の到着を待っていた。
数名の随員を伴っているその人物の所へ吉川や阿倍野といった第121護衛隊の幹部がディーレイを伴って到着する。
「遅くなった。東京から来たのは貴官だったか」
「いえ、無事全員到着したと聞いて安心しました。そして、そちらが今回の揺り戻しで出現した……」
「そうだ、『ハーダー』のディーレイ艦長だ」
説明を受けた人物は、ディーレイに見事な敬礼をすると一言。
「お初にお目にかかりますディーレイ少佐。自分は反チラム組織『ID(インディペンデンス)4』太平洋方面艦隊所属、ジョセフ・ウェンライト中佐です」
ウェンライトは新世紀元年に日本連合の本土近海に揺り戻し出現した潜水艦「アーチャーフィッシュ」の艦長である。
彼はアーチャーフィッシュの浮上降伏後に他のクルー共々日本連合に投降したが、その後はアメリカに渡らずそのまま日本連合に残留する道を選んだ。
2050年代の自由無き自由の国となったアメリカは彼等を失望させるのに十分だったと言える。
その後、ハルゼーの太平洋艦隊がカナダに人員もろとも売り飛ばされ、更にアメリカが軍政権による全体主義国家であるチラムに変貌した事から彼の選択は正しかったのかもしれない……。
その後はID4の創設にも関わり、日本とハワイ、南洋諸島、時にはアリューシャン列島経由でアメリカ本土にも渡る等忙しく活動しているのだが今回は大戦期の潜水艦クルーへの説得任務と言う事もあり、急ぎ東京経由で駆けつけてきたとのことだ。
ディーレイはウェンライトの顔を見て、思わず目を丸くしていた。
所属している組織の名前等は頭の中で?マークがちらついたりもしたが、このような場所で本来なら敵同士であった国の人間がごく普通に会話をしているという事実がまず驚きだった。
(これは、昨日までの考えを改める必要があるな……)
パラオ到着までの間に、現状の説明を受けていたディーレイをはじめとするハーダーのクルーだったが、その反応は半信半疑であった。
だが、コロールの港や街並みに続いて自分達の前で到底戦争中とは思えない光景を見せられては事実と受け入れるしかないだろう。
「立ち話というのも宜しくありません。食事の後にでも現状の詳細な説明に入りたいのですが?」
ウェンライトから話を振られたディーレイは半ば茫然としてただ首を縦に振るだけだった。
「にわかには信じられんな。自由の国であった祖国がナチも真っ青な全体主義国家に化すとは」
「ええ、私も事実を知った時は悪い冗談と思いましたよ」
食事の後、ディーレイ以下ハーダーのクルーに対する現状の説明は彼らにとって衝撃的なものだった。
説明に用いられたホールにて、ノートPCで説明用の動画を見せた時は最初多くの者が「……携帯型のテレビだと?」「テレビで映画を見れるのか!?」と驚いたが、その後の時空融合発生から現在までの経緯やアメリカの現状はそれ以上の衝撃をもたらしたのである。
自分達が最終的に爆雷の攻撃でハーダーと運命を共にしたという本来の歴史に関する情報は彼等に衝撃を与えたが、アメリカが軍政による全体主義国家となった事実はそれらすら吹き飛ばすものがあった。
「こんな事実を突きつけられては、我々は何の為に戦ったのかと虚しくなるな」
「それは、私も同じです。いえ、祖国の急激な変化に耐えきれず国を脱出した多くの国民にとっても……」
知らなかった方が良かったといううんざりした表情のディーレイに対してウェンライトも表情を曇らせる。
アメリカがチラムへとその国名を変更し、民間人の海外渡航を著しく制限するまでの間に少なくない数の国民が海外へ脱出している。
一般に「脱米者」と呼ばれるこれらの人々は日本連合や中華共同体、英連邦等の各国に渡った。
この脱出劇以前にもアメリカの全体主義化に危機を抱いていた人々は存在しており、それがウェンライトやこの場にはいないニミッツ、ハルゼーといった2050年代以前の時代から出現したアメリカ人だった。
そういった人物が集まり、日本連合をはじめとするアメリカの軍国化を危惧していた国々が後ろ盾となって設立したのが反チラム組織「ID4」だったのである。
組織を構成する人員の多くは米軍の元将兵からなり、活動拠点は後ろ盾となる国の各地域に複数存在する。
ただ、その司令部ともいえる本拠地だけは秘匿されているが……。
無論、ディーレイ以下「ハーダー」のクルーは今後ID4のメンバーとして勧誘するが、クルーの中にはそれでもムーと言う祖国の危機を救うために戻りたいと考える者も居るだろう。
そう考える者を引き留めるか、それとも自由にさせるか。
ID4の事はまだチラム政府に知られてはならないだけに、ウェンライトは頭を悩ませていた。
自分とアーチャーフィッシュのクルーはある意味運が良く、同時に割り切っていた。
逆に目の前の事実によって祖国に失望した結果、日本連合に留まる道を選びその事が後にニミッツやハルゼーといった名将が祖国から放逐された際に日本連合へ迎え入れる窓口としての役目を果たすこととなった。
それが巡り巡ってID4の設立につながったのだから自分の判断は間違いではなかったと思っている。
だが、ハーダーのクルーはどう考えているだろうか。
そう思い、あえてウェンライトはディーレイの言葉を待った。
「……少し、考えさせていただいてもいいか?これは私一人で判断していいモノではない」
しばらく置いて、ディーレイは絞り出すような声で答える。
ディーレイ個人の意思はほぼ固まっていたが、ほかのクルーはどう判断するか、彼には測りかねていたのだ。
今のアメリカは自分達の「曾孫」の時代とはいえ、間違いなく祖国だ。
全体主義に染まった祖国を救うべきなのか、南米全ての人間を虐殺し今祖国を狙うムーと戦うべきなのか。
「了解しました。時間はありますので良い決断をされるまで我々は待たせていただきます」
ウェンライト達が席を立つと、ディーレイは残された副長以下のクルーを前に口を開く。
「諸君等も先ほどの話を聞いて衝撃を受けたと思う。私個人としては全体主義と化した祖国に戻って我々の処遇は良いものではない以上一旦日本連合に向かうべきと考える」
ディーレイの言葉に全員が頷く。
次に口を開いたのは副長だった。
「艦長、自分も戻ったところで100年以上先の世界から来た本国で生きていけるとは思いません」
「それに、係累もいるのかどうか……頼る者がいないとなると戻る意味も失われます」
副長に続いて口を開いた水兵の一人が口にした言葉に、全員の表情が重苦しいものになる。
彼らの多くは祖国を守るために戦っていたが、祖国にいる家族の為に戦ってた者も少なくない。
いや、国家の為にというのはそれこそ建前であり本音は家族や愛するものの為に戦っていたはずである。
それが偶発的な事態とはいえ、いきなり100年以上未来の世界――正確には祖国であるアメリカのみだが――に放り込まれ、更にその祖国がナチスも真っ青な全体主義国家と化していたとあっては失望しない方が可笑しい。
「2050年代……我々からすればそれこそ孫か曾孫の時代だな」
調べれば「孫」「曾孫」は居そうではあるが、実際にどれだけ居るのか。
大体チラムとなったアメリカが「違う世界」の可能性も有る以上本当に血縁者と言えるのかも怪しい話だ。
ディーレイの言葉に、その場は水を打ったように静まり返る。
まさしく、右も左も上も下もない空間に突如放り込まれたようなものだった。
(だが、我々は生き残る事が出来た。本来なら既にこの世の者ではないという「結果」を知った以上、最悪の結果ではないと言える)
ディーレイは机の上にあるファイルの一つに目を落とす。
それはハーダーが撃沈された際の戦闘記録。
軍人である以上は死も覚悟の上だが、自分達が結果的に祖国の勝利を見届ける事は出来ず全員死亡したという事実。
しかし、その悲劇は回避することが出来た。
(ならばこそ全員が無事に生き残る為の方法を考えねばなるまい。その選択肢は……)
迷いが無いわけではないが、今の本国に戻るのは最悪前線送りという結果になりかねない。
それでは意味が無いのだ。
「全員、落ち着いて聞いてほしい。現在得られた情報を総合した上で、私は日本に向かうべきだと考えている」
ディーレイの言葉に全員が注目し、続きを待つ。
「諸君等の中に本国へ戻る事を希望する者がいるなら手を挙げて欲しい。その者についても不利な扱いを受けることが無い様に私が交渉にあたるつもりだ」
その言葉にざわめく声がそこかしこから上がったが、やがておずおずと挙手する者が数名現れた。
会議室の後方にいた若い水兵もいれば古参兵もいる。
(希望者は全部で10数名か、半数ぐらいと予想していたが案外少ないものだな)
帰国を希望する者の数が少なかった事は意外だった。
しかし、僅かでも身内のいる可能性があれば帰国を望むのは当然なのかもしれない。
「よろしい、挙手した者については本国へ戻れる様に取り計らう事にする」
こうして、ハーダーのクルーによる話し合いは終わった。
同時に話し合いの結果を聞いたウェインライトは帰国希望者についてチラムの交渉担当者へ連絡すると同時に、脱米者の中にクルーの身内がいないか調査する事をディーレイ達に伝えている。
その後、帰国希望者がチラムへ発った直後に脱米者のリストからクルーの身内が発見され一度帰国した者が経由地の布哇でその話を知らさせるやすぐ日本連合に戻ったという話もあったのだが……。
少なくとも、この戦いで双方に不幸な死者が出る事が無かったのは幸いと言うべきだろう。
新世紀4年 8月8日 13:00分
太平洋上
パラオに一度戻った臨編第121護衛隊は準備を整え一路グァムを目指す。
それぞれの艦に分乗させたハーダーのクルーを伴い、同時に最上はハーダーを曳航してのことである。
20ノットの船旅は二日もあればグァムへ、さらに3日も有れば日本本土へ到達するだろう。
「もうすぐグァムね。久しぶりだわ」
「私はどうなるのかしら?クルーの話を聞くと今のままでは時代遅れとのことだけど」
最上の右舷後方を航行する雷の艦橋に立つ雷の船魂に語りかける声。
雷が振り返ると、ハーダーの艦橋に水着姿の少女が姿を見せていた。
彼女がハーダーの船魂である。
「多分、一通りの調査が終わったら近代化改装で練習用の潜水艦になると思うわよ。多分実戦への投入や即解体は無いと思うわ」
「出来れば……練習用がいいかな」
「その可能性は高いわよ。大戦型の潜水艦は近代化改装しても使える物は少ないって工廠の人たちも言ってたわ」
どこか安堵した様なハーダーの表情に雷は、彼女も戦いを望まない性格なのだろうと思った。
同時に、殺し殺されという悲劇を生むのは自分達を動かす人間なのだという事も再認識する。
そして雷が言うように、新世紀の世界ではハーダーの属するガトー級や日本海軍の伊号潜水艦といった太平洋戦争の前後に建造された潜水艦は一部を除いて実戦に堪える艦は非常に少ない。
近代化改装が行なわれている大戦型潜水艦の多くは、AIP(非大気依存推進機関)の実験用や練習潜水艦として運用されていた。
僅かに実戦で運用されている艦も近海警備用に用いられているぐらいである。
自分達とて兵器である以上は「戦う」事は避けられない。
残念ながら、一度も敵と相対することなく一生を終えた「三代目」のように自分達もむらさめ型の「四代目」らも穏やかな一生を過ごせず時空融合からこの方、ムスカやガーフィッシュ、そして本来の歴史と同じ太平洋戦争時代のアメリカ艦船と矛を交えている。
最初はムスカが爆砕されるときにまき散らされる血と臓物に嫌悪感を覚えていたが、今はすっかり感覚がマヒしているようにすら思える。
もっとも、自分達姉妹と同様LCSに改装された「夕立」の様にムスカの虐殺を「素敵なパーティー」と称する船魂もいるにはいるのだが……。
(だとしても好きになれないわね……)
雷は嬉々としてムスカを狩って喜んでいた夕立の様子を思い出す。
夕立をはじめとした白露型はその姉妹の一人「涼風」をゾーンダイク軍とのファーストコンタクトとも言える戦闘で失っている。
だからこそ、旧海軍引継ぎ駆逐艦たちの中でも特に白露型の船魂の多くは「勝利に関係なく、ゾーンダイク軍の残党はこの世から全て駆逐してやる」と事あるたびに口にしていた。
今回の出来事は雷に「生物を殺す事とその凄惨さへの嫌悪感」を思い出させる機会だったともいえた。
憎しみとは何なのだろうか。
人によって作られた存在であり、人の集う物であるがゆえに心を持った「船魂」。
人ですら人の心は解らない所は多い。
はたして自分達にそれが理解できるだろうか。
(そんなの分からないわよ……でも)
今はこうやって本来なら失われたかもしれない命を救えた。
それで十分だと雷は思う。
ふと甲板を見ると、雷のクルーと分乗しているハーダーのクルーがあれこれ話しているのが見えた。
数日前の殺気だった雰囲気が嘘の様な光景。
思えばこの光景こそ自分が守りたかったものだ。
(そう、これで良かったのよね。なら、悩む必要なんてないじゃない)
納得した様に頷く雷。
彼女がそれまでに無い気配を感じたのはその時だった。
(何……この気配?)
距離があるのか気配は僅かにしか感じられない。
しかし、まるで刺す様な殺意を含んでいるのは確かだった。
(運ガ……良カッタワネ……)
続いて聞こえたのは、心に直接響いてくるかのような声。
振り返ると、ハーダーの船魂が身をかがめて震えているのが見えた。
「な、なんだったのあの声……」
「今の……ハーダーに向かっての言葉だった……!?」
そして、その声を耳にしたのは雷とハーダーだけではない。
他の船魂の耳にも届いていたのである。
「あ、あの子が……“あの子”が見てる……」
「島風、どうした?」
いきなり顔色を変えた島風の船魂を前に阿倍野は思わず声をあげていた。
そして直後に自分の周囲に誰もいなかったのを確認し安堵する。
と、船務長の森川中尉が通信文のプリントアウトを持ってやって来た。
「艦長、電文が入りました。暗号化コードはE-3.解析済みです」
「どこからだ?」
防衛軍では通常作戦行動時であっても暗号を用いている。
暗号コードはその秘匿性に応じて複数の種類が存在し、E型コードは秘匿性の低い平時の通信に用いられるものだ。
「臨編第133護衛隊、旗艦『三隈』からです」
その言葉に阿倍野はホッとした顔をするが、島風の浮かない顔が気になった。
三隈から入った電文の確認と返答文の指示を出した後、艦長席の端末で133護衛隊の編成を確認した阿倍野は顔を曇らせた。
「第39護衛隊 DDE-1999-8『美月』」
その名を見た時、島風が顔色を変えた理由にも納得が行った。
同時に自然と呟きが漏れる。
「そうか、噂をすればなんとやらか」
島風が急におびえたのは、多分に船魂同士の『何か』で美月が干渉してきたのだろうと阿倍野は見当を付けた。
本来の歴史で孤独なまま駆逐隊をたらい回しにされていた島風は美月の事を気にかけてたのだが、不思議と彼女らは接触することが無かった。
一方、送られてきた電文の内容を要約すると以下のようになる。
「南太平洋方面の輸送船団護衛に向かう第12護衛隊は日本連合本土からの出航に際し、第39護衛隊を指揮下に加え臨編第133護衛隊として再編される」
機密指定を受ける事も無く、後日の官報あるいは防衛軍広報に記事として載るならわずか一行程の出来事。
三隈から送られてきた電文にはそれらに本土出航までの時系列、第12護衛隊と第39護衛隊を編成する艦艇の名称・型式、隊司令以下艦長・副長クラスの官姓名が記載されていた。
そこに護衛対象となる貨物船や客船等の民間船舶についての情報が事細かに記され、船舶の目的地から海難事故に際して保険を引き受けている会社名まで載っている。
全ての情報をレポート用紙にすれば10枚分ぐらいにはなるだろう。
だが、阿倍野の興味はその情報よりも本土で「謹慎状態」にあった美月が再び太平洋に投入されたという事実に向けられていた。
「美月の艦長、アルバコアの時と同様に一悶着起こすつもりか……」
それに答える者はいない。
しかし、阿倍野も含めて誰もが知っている事がある。
美月に関しては、時空融合後の発見当初から半ば呪われたかの様な逸話を残して来ていたことを。
近代化改装の工事中に足場が崩れ作業中の工員や艦を訪れていた擬装員長が重傷を負った。
改装後の公試運転で艦内に排気煙が流れ込み、ガス中毒によりクルーが多数倒れるという事故を起こした。
船団護衛中に機関トラブルで落伍した直後にゾーンダイクのムスカが船団を狙い、危うく護衛隊の旗艦が撃沈されるという事態となり時の艦長が非難の矢面に立たされそのまま左遷された。
南極でのゾーンダイクとの戦いでは、南極海に向かった所で暖房装置が故障しクルー全員が凍死寸前となりオーストラリアの前線基地に撤退し笑いものとなった。
大観艦式の演習中に航法ミスで他の艦列に接触しかけ、この時の艦長は大観艦式から美月が外された事で昇進もお流れとなりそのまま退役した。
それ故に「海上防衛軍の鬼子」「忌み子の艦」と陰口を叩かれてきたというのが新世紀4年春までの美月に対する評価である。
美月の艦長は、大観艦式の後に現在の艦長が着任したが現在の所特に目立った事故は起きていない。
アルバコアの一件も「過去の汚名を返上する為の行動だったのでは?」という声もあったほどである。
「わからんな」
阿倍野は独り言ちる。
美月の艦長やクルーが本気で過去の汚名を返上するつもりなのか、あるいは全く別の事を考えているのか。
「私は……あの子がわかんなくなってきたな」
と、阿倍野の耳に声が入る。
「島風?」
「本来の歴史なら、私もあの子と同じだって聞いてたから話せるかと思ったけど……」
島風は表情を曇らせたまま、呟くように言う。
「美月と話したのか?」
阿倍野の問いに、島風は黙って首を横に振ると話せなかった、と答えた。
「姿を見せてくれなかった。気難しい性格だと思うけどそれだから余計になのかな」
「そうか……」
言われてみれば、美月はいずれの型式にも属さない「型式不明」の駆逐艦として分類されている艦の一隻である。
サイズや武装から駆逐艦であるのは間違いないが、設計図や他の並行世界に存在した艦艇との共通点が見いだせない存在。
しかし、本当にそれだけで話そうともしないものだろうか?
それ以上に、今の艦長が着任してからはこれといったトラブルに見舞われてないという不可解さが阿倍野には気になった。
(いや、今はまだ何も起こってないというべきなのか?)
いくら考えてもここで答えが出るはずもなかった。
新世紀4年 8月14日
東京都内
場所は変わって、ここは鷲羽ちゃんの研究室。
デスクの上に置かれた書類へ目を通した彼女は一人つぶやく。
「これは、興味深い内容ね」
そこにあったのは臨編第121護衛隊がハーダーの出現から拿捕に到るまでの詳細を記し、海上防衛軍司令部に提出した報告書である。
本来なら彼女の注目することもない文章だが、今回の文書には明らかに霊的な存在――明らかに船魂――の関与が認められる内容が含まれていたからだ。
報告書の該当箇所は以下のようなものだった。
『ハーダーの拿捕に際し、LCS「雷」が反撃の為に発射したアスロックの自爆に際し不可思議な現象が見られた』
この一文から始まる報告内容を要約すると、雷から発射されたアスロックの自爆は当初自爆コードの発信により行なわれたと思われていたが、通信ログ解析の結果自爆コードはその発信タイミングから間に合わなかった事が判明した。
続けて報告書には当時の雷で何が起こっていたかを調査した結果、今回の不可思議な現象に関連すると思われる二つの出来事を確認したとある。
1.雷の艦長、生永少佐が自爆命令を発する直前に雷の船魂が姿を現しハーダーの撃沈を止める様忠告した。尚、生永少佐が船魂を目撃したのはこれが最初である。
2.自爆コードの発信直前、雷のアンテナマストで放電現象が起こっていた。これはアンテナマストに蓄積された静電気が原因と考えられる。
3.上記1.の内容から雷の船魂がアスロックの自爆を促したのは間違いないが、これと2.の関連性については不明。
以上のような内容を踏まえた上で報告書は結論を次のように記している。
『通信ログと自爆タイミングの不整合についてはコンピュータ側のプログラミングミスにより生じたバグの結果と推測される』
海上防衛軍はこの報告書について疑問を呈することは無かった。
だが、そのコピーが神秘学と霊力工学に関しての情報を広範に収集していた鷲羽ちゃんの元へ回された時に彼女の興味を惹いたのである。
(バグなんてものじゃないわよ。これは間違いなく雷の船魂が自分で自爆に必要な電波を発したものね)
コーヒーを飲みながら鷲羽ちゃんは一人考える。
ただでさえ「霊魂を得た情報生命体とでもいうべきAI」が東京を支配しようとしかけたってのに、また一つこんな興味深い事件が起こるとは。
だが、今回はAIなどの電子プログラムとは関係なく古来からの船に宿る精霊とでも言うべき存在が引き起こした事だ。
先の事件とは似て異なるモノだと考えるべきだろう。
(ただ、雷の船魂も自分が「自爆コードを無意識に発した」事は気付いてない無い筈……)
報告書は最終的にこの現象は「バグ」であると締めくくっている。
これは護衛隊の隊司令である吉川大佐や副司令である阿倍野少佐も同様の見解を示している。
当初は船魂に触れるという阿倍野少佐がなんらかの関与をしたと思われたがこれは少佐本人が否定した。
しかし、鷲羽ちゃんは通信ログの内容と自爆した前後に雷で起こった一連の出来事からある結論を出していた。
(雷の船魂が艦長に忠告した後の自爆コードは当然間に合わない。そして、その際に船魂自身がシステムに介入したとしても無理よね。そうなると考えられるのは一つだけ)
その結論とは「雷自身の“心の叫び”が『自爆コードとして発信される電波の形』になって、本来のモノより先にアンテナマストから発信された」というものだった。
(霊力は電気に変換されると言えど、随分無茶をする船魂がいたものね。機会があれば調べてみたいわ)
学術的に説明しようとするならば、その現象は雷の思いがアンテナの静電容量として貯まっていた電気を自爆コードの発信波形として放ったといえるかもしれない。
(でも、あえて言うならそんな説明は野暮よね)
鷲羽ちゃんは頭を振るとある言葉を呟く。
「想いが生んだ奇跡。それでいいじゃない」
案外、船魂をインストールできるような演算記憶装置を作れば「船魂がコアプログラムとして機能するAI」を作れるかもしれないな。とすら考える。
それだけのAIとなると「赤城」などの統合戦略指揮艦でもないと今はまだ無理だが、いずれはできなくもない、と鷲羽には思えた。
一つ考えられるのは、精霊石を半導体として用いるCPU。
だが、これは分子サイズが大きいと言う精霊石の物理的特性で半導体としての微細加工が難しく断念している。
もう一つは生体素子を用いたバイオコンピューター。
精霊石と異なり使用する素材の目途が立っていないが、加工と量産性という点では精霊石より幅が広がると考えられている。
実は、鷲羽ちゃんはこの時点でまだ気が付いてないのだがナデシコのクルーが用いているIFSにそのヒントがあった。
この事が判明するのはもう少し先の事である。
「それよりも、こっちはどうにかならなかったのかしら」
鷲羽ちゃんが手にした書類。
そこにあったのはハーダーが破壊した観測ブイについての報告をまとめたものだ。
「残骸とブラックボックスの改修は成功したけど、修復の余地はまるで無しか……嫌になるわね」
幸い沈没した地点が海洋とはいえ深海ではなかった為、ブイの残骸は回収出来たしこれまでに収集したデータも無事だった。
だが、今後も同じようなケースで破壊される可能性も十分ある為何らかの対策が必要になるだろう。
緊急時に潜水可能とする等、いくつかの改造案は出されているが未だに決定打となるモノはない。
(配置した数が多すぎたかもね)
観測ブイの配置はゾーンダイクが南極海の戦いで壊滅して以降その数が増やされた。
実際に揺り戻しの観測ではその数に見合った成果を挙げているが、こういった事が起きると考えものである。
(要するに破壊されない為には「発見されなければいい」わけだから……)
その時、鷲羽ちゃんの脳裏にある事が浮かぶ。
そして手慣れた手つきで普段から愛用しているPCのデータベースからあるファイルにアクセスする。
「そういえばこんな物もあったわね」
ディスプレイ上に表示されたのは、光学迷彩に関する資料であった。
この所ずっと神秘学と時空融合の研究と調査に没頭していた事もあり、半ば忘れかけていたのである。
(電脳化やサイバネ技術を持っている新浜由来の光学迷彩技術ならブイのカモフラージュに使えるかもしれないわね)
義体に実装出来る光学迷彩ならばその消費電力も小さいのは間違いない。
ならば迷彩装置の作動に必要な電力はブイのバッテリーから得る分でも十分足りるだろうと鷲羽ちゃんは考える。
現在の光学迷彩は湿度に弱いとの事なので、海上に配置する以上弱点の克服は必須課題だ。
しかし、既存技術の応用なら短時間で改良は可能だろう。
そう考えた鷲羽ちゃんはアイデアをまとめるべくノートPCのキーボードを叩き始めるのだった。
広島県呉市 海上防衛軍軍港
鷲羽ちゃんが東京で自らのアイデアをまとめていた頃、臨編第121護衛隊はパラオからグァムを経由し呉の港に到着していた。
本来なら本拠地である横須賀に戻る予定であったが、東京都内で起こった一連の騒動の余波もあって事態が収束するまでは呉に寄港する措置がとられた為である。
到着後、第66護衛隊の暁型LCS4隻は点検の為に大型ドックへまとめて入渠し、一方第11護衛隊の最上と島風型4隻は簡単な点検と物資の補給を受けた後で再び太平洋に向けて出港する事となる。
拿捕されて日本連合まで運ばれたハーダーは調査の為、大神工廠へ送られている。
そして阿倍野は、島風の点検や補給の間を縫って入渠している「雷」を訪れていた。
ハーダーの拿捕作戦が成功した時に島風と約束した通り雷の船魂を褒めてやる為に。
「そうか、君も気配を感じたのか」
「うん、多分あの声は島風が言ってた通り『美月』って艦の船魂だと思うわ」
パラオで初めて会った時とは異なり、クルーの大半が艦を降りており人影が殆ど無い艦内で阿倍野は雷の船魂と本土に戻る途中の出来事について話していた。
当の雷はというと、阿倍野の姿を見るとすぐ姿を現し嬉しそうに手を握ってきた。
その様子を見て阿倍野は自分が相当気に入られたみたいだと思い、もし雷の艦長を任されていたらどうなっていたかを想像し小さく笑う。
だが、今はそれ以上に雷から話を聞く必要があった。
島風はあの後、美月の船魂は多分ハーダーに向かって意識を向けていたのではないかと言ってたのである。
ハーダーが呉に停泊してない以上その近くにいた雷から話を聞くのが一番だと阿倍野は考えていた。
「君はどう思った?」
「どうって?」
「そうだな、美月の気配を感じ取った時の事だ」
阿倍野の問いに雷は僅かだが表情を曇らせる。
「怖かった……のかな?」
「どういう意味だい?」
「うん、私に向けられたわけじゃないみたいだったもの」
「そうか……島風はハーダーに向かって意識を向けていたと言っていたが君もそう思うかい?」
「わからないわ。ハーダーはものすごく怯えていたけれど、多分私達にも向けられていたかもしれない」
「?」
雷の言葉を聞いて阿倍野は首を傾げる。
「あの時聞いたのは『運が良かったわね』という言葉だけだったのよ。聞き方次第でどうとでも取れると思うの」
「それが、君の聞いた美月の声か」
「そうよ。本当にそれだけ、あとは気配も何も無かったわ」
そこまで話を聞いて阿倍野も納得が行った。
運が良かった――それがハーダーに向けられたものなら「自分に沈められなくて“運が良かった”」という意味になるし護衛隊所属の艦艇に対してなら「戦闘で沈められなくて“運が良かった”」という意味になるだろう。
確かに、どちらにでも取れる言葉である。
「ありがとう、貴重な話が聞けたよ」
「それならよかったわ。ね、少佐それじゃもう少しお話ししていかない?」
やはり雷も堅苦しい話は嫌だったのだろう。
ずっと自分の手を握って――阿倍野もしっかりと握り返していたが――いたのは単に懐いているだけではないらしい。
「そうだな、今日はまだ時間もあるからそうさせてもらおうか」
「わかっているじゃない少佐。そうでなくちゃね」
阿倍野の言葉に笑顔を浮かべる雷。
結局、その後の長話により阿倍野が島風に戻ったのは夕方近くになっていた……。
島風に戻ると、何やら艦内が慌ただしい。
艦に深刻な事態が起こったとかそういうものではないみたいだが、上陸前とは明らかに空気が異なる。
「艦長、戻られてましたか」
「何が起こった?」
自分の姿を見るや向かってきた副長の吉岡大尉を前に阿倍野は頭に?マークを浮かべる。
東京や横須賀でまた騒乱でも起こったならもっと大騒ぎになっているはずだが、そういうわけでもないみたいだ。
「これを、10分前に受信したものです。最上の方でもちょっとした騒ぎになってますよ」
差し出されたのは通信内容を書き写した紙片。
行数も三行という短いものだ。
「これは……」
「既に横須賀の司令部でも情報が飛び交ってます。扱いをどうするかはこれから決めるみたいですが」
「だろうな。しかし、よりによってこの艦が揺り戻しで出現するとは」
電文の内容を前に阿倍野の眼光が鋭くなる。
『本日、臨編第133護衛隊はマリアナ諸島テニアン島近海において、揺り戻しにより出現した米海軍巡洋艦と交戦しこれの拿捕に成功せり。艦艇の艦名は「インディアナポリス」』
インディアナポリス、それはテニアン島に原爆を運んだ帰路に日本の潜水艦により撃沈されたという太平洋戦争における米海軍が最後に喪失した大型艦艇。
知名度から揺り戻しで出現しても可笑しくないと言われていたが、まさかそれがこの時期に出現し既に拿捕されたとは……。
撃沈されなかったのは幸いだったが、阿倍野は言いようのない不気味さが電文から滲み出ている様に思えた。
太平洋上 マリアナ諸島テニアン島近海
既に太陽は水平線に沈もうとしている。
大海が夕闇に支配される中、その場所だけは違う色だった。
停船した大型艦とその周囲を取り囲む複数の小型艦艇。
小型艦艇から放たれる探照灯の光線により大型艦の姿が晒し出される。
そして、大型艦の両側には輸送艦が接舷していた。
「戦闘が終わった以上、クルーの移乗を急ぐ必要はない。だが不審な行動をする者には注意せよ」
「持ち込んでいる私物の類は?」
「それ位は許可してやっていい」
「了解です」
命令を受けた士官が部下を伴って大型艦へ向かっていく。
包囲され監視下に置かれた大型艦、それが米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」であった。
「こちらからの説明は以上です。くれぐれも移乗後に無用の誤解を生む様な事はなさらないでいただきたい」
「我々はどうなる?」
「ご安心を。少なくともジュネーブ条約に則った扱いをする様に上からは厳命されています」
その説明を聞いた白人の士官――「インディアナポリス」艦長、チャールズ・B・マクベイⅢ世 大佐――は安堵の表情を浮かべた。
目的地であるテニアン島まであと僅かの所で空が急に紅色の光を放ったかと思えば、直後自分達の周囲を囲むように日本海軍の艦艇が現れたからだ。
反撃を試みるより先に複数の方向から砲撃を叩き込まれ至近弾により艦が大きく揺れたかと思えば、いきなりの降伏勧告である。
最初の段階で勝ち目は無く、自分達が極秘任務を受けて運んでいた「荷物」の事も失念しただ降伏するしかなかった。
すぐに「荷物」の事を思い出したマクベイや副長であったが、今となってはどうしようもない。
自分達ですらあれの中身は知らず、目の前にいる日本兵が関心を持たないで欲しいと神に祈るのみだったがどうやら杞憂に終わりそうである。
そう思った直後、説明の為に乗り込んできた士官の背後で控えていた別の士官が口を開く。
恐らく先ほどの士官による説明の補足ではないかとマクベイ達は思った。
「貴方達が運んでいた積荷を改めさせていただきたい」
「な……!?」
その言葉を聞いた瞬間驚愕する事になったマクベイは眼前の士官の顔を改めて見る。
士官の表情は穏やかだが、その眼光は冷たく鋭い。
いや、それ以上に味方にも極秘であるはずの「荷物」についてなぜ知っているのかという疑問が浮かぶより早く士官は言葉を続けた。
「心配は無用だ。あれは貴方達の物であり我々が持っていても意味の無い物だ。ご理解いただけたなら我々はこれより改めさせていただく」
「待て!なぜ知っているのだ!?あれの中身は我々すら知らない!!」
「それについてもこれから説明があるだろう。なぜ、日本人が知っているのかという事も積荷の正体も……使われた者なら子供でも知っているあれの恐ろしさも」
淡々とした口調で話す士官の言葉を前にマクベイ以下の艦橋にいたインディアナポリスの主要なクルーは凍り付く。
同時に自分達が知らない間にとんでもない物を運んでいたのだと思い知ったのである。
あとから現れた調査員たちが仰々しい、まるで潜水夫のようなスーツを身に着けて奇妙な計測機器……ガイガーカウンターを持っている姿を見てマクベイは既に彼らがこの艦に積まれている物体が何であるかを全て知っていることを理解した。
同時に、それが一切の言い訳が不要であるという事も。
マクベイ達は、自分達の間を抜けて艦内へ続く階段を降りてゆく士官とその部下を茫然と見送るしかなかった。
インディアナポリスのクルーが輸送艦へ移乗していた頃、その様子を艦橋の上から見守る少女の姿があった。
それは、インディアナポリスの船魂である。
「私達は……どうなるの……?」
「突然だけど、質問いい?」
不安と恐怖と困惑を混ぜ合わせた表情を浮かべ呟く彼女が突然の声に振り向くと自分の本体を包囲する艦艇の一隻で最も近い駆逐艦らしき艦艇のマストに船魂が出現していた。
軍帽をはすかいに被り首からカメラをぶら下げた従軍カメラマンの様な外見の少女は戦場にいるとは思えない表情でインディアナポリスに話しかける。
「あなたは?」
「ああ、ごめんごめん。私は『朱木(あかき)』よ。今から暫くの間そっちのクルーを監視しておく様に言われてたんだけど暇だったからね。それでさ、あなた自分が何を運んでいたか知ってる?」
「ええ……禍々しい物よね。詳しい事は知らないけど」
インディアナポリスの表情が険しい物となる。
クルーが知らなくとも、極秘任務で運んでいた「積荷」の中身を彼女は知っている。
その原理までは知らないがそれがとてつもない殺戮兵器である事も。
「それを分かってたら結構よ。まー、クルーの人達はともかくあなたの場合はこっちに来て幸せだったかもね」
「どういうこと?」
「ま、その辺はウチの本土まで行ってからお友達に聞くといいわよ。今は横須賀や呉に間借りしているのが結構いるから」
かんらからと笑いながら話す朱木の言葉に首を傾げるインディアナポリス。
だが、そこで彼女の視線は少し離れた所で周囲を警戒する艦艇に向けられる。
一瞬だが、異様な空気を感じたからである。
朱木もそれに気が付いたのか、その方向を見ると肩をすくめてみせる。
「ああ『美月』ね。気にしなくていいわよ。彼女はいつもあの調子だから」
気難しい子なのよと言う朱木は苦笑しながら話すものの、インディアナポリスはどこか不安な気分を隠せなかった。
今、自分の宿る艦の中に同じ空気を発する者がいるからである。
「ここか。封印を外せ」
「了解」
厳重な封印を施した扉の前にたどり着いた士官と調査員は封印を外し内部へと進入する。
その中心部にあるのは厳重に梱包された巨大な木箱。
ガイガーカウンターを向けると放射線を検知した際の不快な音が響きメーターの針が振れる。
「梱包を外せ」
士官の短い命令が発せられると調査員と共に来ていた屈強な体格の兵士がバールで木箱を解体していく。
数分後には架台に固定された物体、つまりその「中身」が姿を現した。
未だ兵器としての体を成してないものの、組み上がればそれは凶悪な兵器と化す。
そう、日本の歴史を学んだ者ならば誰もが一度はその名を耳にしたことがある存在。
「これですな。実物を見るのは初めてですが」
「ああ、本来なら我が国に落とされる筈だった核爆弾……“リトルボーイ”だ」
そう言った士官は後を調査隊に任せると自らはその場をあとにする。
誰もいない艦内の廊下を歩きながら彼は唇の端を釣り上げて静かに笑う。
上官や部下にすら見せる事の無い表情。
それは、この世界ではもはや徒花と成り果て時代遅れの存在と化したリトルボーイへ手向けた「嘲笑」であった。
最終更新:2015年03月31日 12:16