以下は、平沢進の歌詞をどうにかして解読するスレ2ループ目から引用
- 420 :Track No.774:2010/05/26(水) 11:17:02
- BOATの歌詞に出てくる鬼印ってなんですか?
ぐぐってもわからぬ…- 421 :Track No.774:2010/05/26(水) 11:28:59
- >>420
キ印、つまり基地外のこと- 422 :Track No.774:2010/05/26(水) 17:26:01
- >>421
なるほどー!そうすると内容もわかってくるなぁ~
ありがとうっつーか改めていろんな意味で凄いわ師匠- 707 :Track No.774:2011/08/17(水) 17:39:50.58
- BOATの歌詞の意味は北方領土の歌なの?
- 708 :Track No.774:2011/08/17(水) 20:26:49.84
- 興味深い
解釈の詳細を聞かせてくれ- 717 :Track No.774:2011/08/20(土) 17:44:09.74
- 707じゃないけどBOATのこと書きたかった
「お土産」ってのはイイもんじゃなくて過去の遺恨のような気がするんだけど。戦の歴史とか
だからあちらさんが怒り出したのかなって
考えすぎかな?- 718 :Track No.774:2011/08/20(土) 18:59:09.25
- 価値観とか文化とかコンテキストの違いで受け入れられないのと思ってたけど
- 719 :Track No.774:2011/08/20(土) 20:42:00.37
- BOATを語る上でSCUBA物語は必読だと思うんだがなぁ。読んでも全くわかんねぇけど。
その夜オゾノ・コブラノスキーの夢を見たよ。
彼は夢の中でこう言ってた。
「水面に浮ぶ島々とはだれが言ったか、あわれくさい」
目がさめるともうろうとしていて頭の中でブクブク音がしてたのさ、
物の本によるとどうもそのブクブクは頭の中で何かのスイッチが入った事らしい。
人づてに聞けば、何やらそのスイッチを好きな時に入れたり切ったりできるよう訓練してくれる所があるらしいんだ。
ボクはもういちどオゾノ・コブラノスキーに会いたくて、いそいそと出かけていったのさ。
んでわかったんだけどね、そのスイッチが入るとね、意識の深層と連絡がとりやすくなるのさ。
そこではイカした事がいっぱいおこるんだよ。
つまりなに、テレパシーっていうの?あれ。あれができるんだよ。
ボクは泣いたよまったく。
自分の中に深くもぐって行くと他人の事がわかるなんてね。
んで思ったんだけどね、何万年か前、ボクとキミの間に何かのタイヤが通ったにちがいないって。
そのあとたぶん雨が降ったんだろうな。
おかげで、こんりんざいこっちのボクと、こんりんざいあっちのキミとの間にたまった水の上に
ボートを浮かべてキミに会いに行かなきゃならない。- 720 :Track No.774:2011/08/20(土) 21:15:46.24
- >>719
SCUBA物語持ってないんだ、ありがとう
文章カワイイな、「んで」とかw
今のツイート(恥)がカワイイのもうなずける
つまり昔々はあっちとこっちは繋がってて解り合えてたんだ
という事は読み取れた- 721 :Track No.774:2011/08/20(土) 22:57:57.82
- >>720
参考までに。先人達が残していってくれた軌跡。
http://web.archive.org/web/20061203111144/http://canopus.page.ne.jp/p-model/word_s.htm
http://www22.atwiki.jp/susumuhirasawa/pages/32.html
これらを読むと、北方領土とかそういう直接的な問題を揶揄したのではなくて
もっと根本的な対人関係の歌の気がするんだよなぁ。
ユングの集合無意識とかシルバーマインドコントロールとか全然知らないが。- 722 :Track No.774:2011/08/20(土) 23:14:25.87
- それこそ平沢の詩的ライフワークである「キミとボク」の問題だな
これをじっくり解釈するとSCUBA物語も金星もいまわし電話もオハヨウも同義で扱えるようになり、
さらに突き詰めればロタディオンもパラネシアンサークルもウロボロスも世界タービンまでも
等しく地平で考えられるようになる
でも明日が早いから今日はもう寝させておくれ- 723 :Track No.774:2011/08/21(日) 01:57:29.33
- >>717
Wikipediaの「カーゴカルト」のページを検索すべし
BOATの歌詞そのままの現象ではないけれども
(というより、あの抽象的な歌詞にそのまま対応する現実の事柄は存在しない)
「その他の用法」を見れば、もうちょっと身近に起こっている事だと分かる筈- 724 :Track No.774:2011/08/21(日) 02:14:00.47
- このスレ読むと自分の頭の単純っぷりに悲しくなるな
BOATのお土産とか豚の丸焼きに喩えて解釈してた
こっちの島ではご馳走だけど向こうの島はイスラム教圏、みたいな- 725 :Track No.774:2011/08/21(日) 08:54:43.25
- BOATは寓話化してより広義な意味にしてるんだと思う
この曲に限らず、物事をより広義的に捉えた歌詞が多いと思う- 726 :Track No.774:2011/08/21(日) 10:33:30.92
- ずっとBOATのことを考えてたら夢にオゾノ様がでてきた...
で、考えた結果なんだけど、
「手間ヒマボート」は自分の集合意識(集合精神)に潜る方法のことじゃないかな。
それはSCUBA物語に出てくる「スイッチの入れ方」でもある。
何万年か前、まだキミとボクが分断されていなかったときは
ボートみたいな科学的というか技術的な手段なんて必要なくて
もっと感覚的に、それこそテレパシーみたいにキミとボクを共有できた。
でも分断が起こってしまって以降、ボートがないと共有ができなくなってしまった。
にもかかわらず、どうしてもキミと意識(?)を共有したいボクは、
ボートを作って(マインドコントロールを習って)キミに会いに向うの島に行く。
ここで出てくる「お土産」ってのは「分断以降キミと共有できなかったボクのデータ」のイメージ。
「思い出の品」ってよりもまんま「思い出」っぽいけど。
それをもって集合意識に飛び込んでいきなり「さぁ共有しようぜ!」
なんて言ったもんだから、「キミ」(向うの島の住人)は驚いて
「冗談じゃない!俺の意識に干渉するな!」って怒ったんじゃないかな。
それからボクは「村の長の爺」のところまで逃げていくわけだけど
この「村の長の爺」は老賢者というか導き手っぽいと思う。
この村長は、手間ヒマボートにもどかしさを感じている。
ってことは、もっと原始的な、ボートを使わない意識共有の手法を知っていた。
村長は「ボク」に「ボートがなくてもあんたの海の底を探れば意識共有はできるのだ。こんなボートは不要なのだ」と言って、ボートを沈めようとする。
でも「ボク」は、その域に到達するのをためらう。
「ボク」はボートを失えば自分の島に帰れなくなる(自我崩壊?)んじゃないかと怖くなる。
だから村長の手法を断って、せっかくのハブ化を蹴ってまた自分の島に引っ込む。
すると今度は「ボク」と同じことをしようとするキジルシがボクの島にやって来る。
せっかくのデータ共有のチャンスも、もはや「ボク」にとって他人のデータは「ガラクタ」にすぎない。
(そもそも他人から見て自分のデータなんてガラクタにすぎないから最初の島で怒られたのかも)
結局、集合意識に飛び込もうと色々段取りを組んでいたはずなのに、
「段取りだんだん消えてく」ことになった...
長々と妄想スマソ。- 727 :Track No.774:2011/08/21(日) 11:36:42.57
- >>722
>SCUBA物語も金星もいまわし電話もオハヨウも同義で扱えるようになり
漠然と似たような内容の歌詞だと思ってたけど、頭が悪いのでそれを言語化できない。
>>726
なるほど。- 728 :Track No.774:2011/08/21(日) 15:05:55.42
- >>723
717だけどカーゴカルトってBOATに繋がるの?
ウィキ読んでてちょと悲しくなったけども
考えすぎどころか本質はもっともっと深いんだな
難しくて(頭というより感性の問題?)よく解らない(´・ω・`)- 729 :Track No.774:2011/08/21(日) 22:03:43.84
- >>725
もちろん、意図して抽象度の高い歌詞にしてあるんだと思う
でもそこは広義的というより普遍化、普遍的と言った方が良いかもしれない
…抽象的な、というのは「わけの分からない言い方」の
意味に受け取る人もいるけど、むしろ
「ある特定の事象から引き出された共通する性質を
一般的な法則や概念の形にまとめて考えること」
そういう作業を経て現実の物事から離れた「概念」として語っている歌詞を
わざわざ現実の何か特定の事象を意味しているものとして処理してしまうのは
先立って行われている抽象化作業の努力を台無しにするものであって
これは良くありがちだけど、残念な方向性に感じるような、そんな感じ- 730 :Track No.774:2011/08/21(日) 22:31:39.11
- >>724
いや、そういうもので良いんじゃないのかな
ただ、あなたと違う誰かの間ではそれぞれ大事にしているものが違ったりする、
というのは宗教や組織や利害関係も特に関係の無い個々人の間でも良くあること
それこそ友人・家族の間でも、あなたとわたしは違う人
お互いの思惑がすれ違わない事なんてないくらい
それでも分かり合える部分が全く無い訳ではなく…
という状況の順番のどっちを重視するかで世界観はがらっと変わるわけだけど- 731 :Track No.774:2011/08/21(日) 22:47:59.03
- BOATの積荷を自我と読み替えることもできそうな気がした。
でもBOATで海をゆく方法は「劣化コピー」にすぎない。
正しい道は長の示す海の底。でもボクには怖くてできない。
BOAT(自我)を失うのが怖いのかもしれない。
あっちの島とこっちの島に分かれて見えているけれど(表層)、
実態は海底で続くひとかたまりの地面。
だから、海の上をゆくというのは正しそうに見えても間違ってる。
海はすなわちあっちとこっちを隔てているように見える違いそのもの。
海をゆくのでなければBOAT=自我は要らない。
なんか、考えすぎてヘンなところに迷い込んでしまったかも。- 732 :Track No.774:2011/08/21(日) 22:56:58.44
- >>729
まったく同意
具体化するんじゃなく、概念を理解するなり感じるなりすればいいと思う- 733 :Track No.774:2011/08/21(日) 22:59:32.97
- 歌詞通りの解釈としては>>724>>726や>>730-731などの言うとおり
普遍的な(ユング的な)解釈では音廃本の解説を引用すると
>>島→分断された個人の意識
>>海の底→それらがつながった普遍的無意識
それについての平沢自身の解説は>>719の引用部分だね
SCUBA物語をじっくり朗読してみると
なにを言わんとしてるのか少し消化できるかも- 734 :Track No.774:2011/08/21(日) 23:17:38.08
- 面白いなあ。
概念を理解しようとすると、歌詞論
具体化しようとすると、作者論になるかもしれないね
(どういう具体的な出来事でもって、ヒラサワがこの歌詞を書くに至ったか)- 735 :Track No.774:2011/08/21(日) 23:51:20.87
- >>728
カーゴ(英語:cargo)=「船荷、積荷、貨物」にまつわる思い込み&勘違い
ただしやってる当事者達は本気で必死、という意味でね
悲しくなるのは、それがどうやってもうまく行かないやり方だったのが
分かってorz なのかなと思うけども
BOATの歌詞の最後の最後がどうなってるのかと言えば
懲りずにセイルボーなので、そんなに落ち込むことでもない、というか
まだ落ち込んでいられない、もう一度、もう一度って姿勢なのも見て取れるよね- 736 :Track No.774:2011/08/22(月) 00:11:08.07
- >>731
ううん、ユング派は普遍的なものではなくて、
世の中にいろいろある物事の見方の方法論のひとつでしか無いものだよ
(キリスト教カトリックだとCatholic=「普遍な」と名乗ってるけど
ユング派でそこまで言う程自信満々な態度な人の本は読んだ事が無いよ)
平沢/P-MODEL関係では、まず音廃本に載っている解釈や解説を
基本の下敷きにしていくと話が早い、というのは確かにそうだけど
そういう場合には「音廃本まで買って読むファンの間での一般的な解釈としては」
くらいに言っておいた方が無難だと思う
(それでも「私は違う」という音廃本購入者の人も絶対にいるものだし)
あと、いまは真夜中なので、熟読がおすすめだよ- 737 :Track No.774:2011/08/22(月) 00:16:48.15
- >>727
キミとボクの間を隔てるなにかが
「水」だったり「オハヨウ」だったり「ケーブル」だったり
でも実はそれこそがお互いを繋ぐ為の手段だったりするのだけど
あのおっちゃんはそういうのに頼ったりするのが
面倒くさいのかもどかしいのか、そういう「間」をすっとばして
「そいで、いきなり海だが、水面に浮ぶ島々とはだれが言ったか、
あわれくさい。だれぞボクというツボをひと押しして
キミとの間の海溝をふるわしちゃくれないだろか。」とか
「ホイっ、ほんとは常夏の海にめいっぱい賛成だから
キミもジャンルのないこのボクを好いて下さい。」とか
要約すると「キミの全部と直に触れ合いたい」的な
かなり強引な事を言ってしまう人 可愛いといえば可愛いけど
そんな事言っちゃっておいて、ストーカーにつきまとわれても知らないぞ
(Twitterでも時々うっかり素でそれっぽい発言が出てしまいそうでハラハラするよ)- 738 :Track No.774:2011/08/22(月) 01:38:35.92
- 金星以外でソロ期に「ボク」って使ってる曲あるのかな。
今ふと思いついて手持ちの曲を見てみたんだけど、「夢みる機械」の「わたし」の他は主語がなかった。
これは単に書かなくてもボク・わたしの視点なのはわかるよねという意図なのか、
(たとえで出すと、「静かの海」で化石を踏み、キミを呼んでいるボク)
ボクとかいう年じゃないしという照れなのか、
あるいはボクという視点を超えてキミを見ているのか。
(これもたとえで出すけど、人体夜行で「歌えよ」とか「掘り出せ」とかキミに言ってる存在はあるけれど、
金星のボクよりもっと大局的な視野でキミを見ているように読める)
その場合、どこからキミを見ているのかがちょっと気になった。
もしかしたら、年を経るごとにキミの存在をロングショットで見るようになってきたのかなー、とか考えてみたり。
見落とし&誤解があるかもしれない。そのときはごめんなさい。- 739 :Track No.774:2011/08/22(月) 01:51:36.88
- >>731
海をボートで渡って行く方法が劣化コピー、間違いということは無いと思う
(それは言葉を介してやりとりしている今の状態の事だし、
これがNGになってしまうと世の中いろいろ大変な事になってしまう)
SCUBAのテーマは意識の深層に潜って行く事がテーマだけど
そもそものもとのスキューバの意味は「潜水用の水中呼吸装置」
身ひとつでは潜っていけないところまで潜っていく為の「道具」
「こういうやり方もあるよ、慣れないうちは怖いけど、すんごい面白いよ」
というくらいのノリじゃないかなぁ- 740 :Track No.774:2011/08/22(月) 02:22:40.63
- >>739
「カーゴ・カルト」のあたりからの連想だったんですけど、
確かに全部直で!ってなったら混乱しますね。
それに、つながるのは個としてのキミではなく、全体でしょうし。
ちょっと考えすぎでしたね。失敗です。- 741 :Track No.774:2011/08/22(月) 13:06:08.04
- >>738
歌詞の内容が対、人でなくなって来たと同時に、「ボク」の立場も
もっと広い、自然とか事象とかを第三者の俯瞰の目で捉えるように
なってきたからだと思う。
P-MODELの歌詞が正にそうだったし。- 742 :Track No.774:2011/08/23(火) 00:11:05.70
- インターネットの登場(平沢さんは「パソコン通信」の時代からの人だけど)で
意識の表層/深層レベルの概念の操作無しに
本当に文字通りに個々人がそのまま全体と繋がることができるようになった
(実際はそうでもないけど、理念としてとりあえずそういう事ではある)
…という時期がどのアルバムの辺りか、考えてみるのも面白いかもね- 743 :Track No.774:2011/08/23(火) 00:15:06.24
- マーシャル・マクルーハンのグローバル・ヴィレッジネタの石碑だかを
タイの辺りにぶち立ててきたのが「賢者のプロペラ」の頃だっけ?- 744 :Track No.774:2011/08/23(火) 01:12:54.80
- インタラの開始時期も考慮に入れないといけないかも
舞台監督として全体を統轄しなければならない「ヒラサワ」に
「ボク」とか言ってられる余裕は無さそう
とか考えていたら、点呼する惑星インタラの内容がBOATの歌詞、
というか主に長の爺のお説教パートのような気がしてきた
こっちでお説教してるのはヒラサワ本人なのだけども- 745 :Track No.774:2011/08/23(火) 02:16:14.01
- 長の爺もオゾノも点呼インタラでのヒラサワも
すべてユング心理学の「老賢者」の役割
元型についてのwikiオススメ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B- 746 :Track No.774:2011/08/23(火) 20:57:30.51
- pdfだけど、この「ゲゲゲの鬼太郎とユング心理学」にも
微妙に詳しい元型の解説が
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006595551
さらに河合隼雄の『昔話と日本人の心』の
浦島太郎パートをネタにした高専の授業の例
http://www.sogogakushu.gr.jp/kosen/jissen_2_111urashima.html
乙姫様といいましょうか、ナンファーといいましょうか
となれば「ボク」/Astro-Hue!は永遠の少年といったところ
(そして永遠の少年と老賢者は表裏一体)
元型といえば、BOATの曲がトリックスターである
コヨーテの曲になってるところもオモシロ
なんだかどうもうまく行かないもやもやなままで終わるBOATに対して
最悪なんだけど最高に結果オーライなコヨーテ 両極端でなんか良い- 747 :Track No.774:2011/08/23(火) 23:59:14.24
- >>740
そういえば、カーゴカルトのWikipediaに
UFOもカーゴカルトの一種って話が載ってたけど
ユングもUFO本書いてるんだよね
http://www.asahi-net.or.jp/~we7n-hkt/ufo1.html
冷戦期の東西対立構図、鉄のカーテンの出現に対して
世界の失われた円球的統一性を回復させようとした宗教的心性の現れ、UFO
…というところまで来てみると、案外>>707の北方領土ネタ説も
そんなに大ハズレってわけではないのかもしれないな~っと
(>>707はこういう道筋で考えてた訳では無さそうだけど…)- 748 :Track No.774:2011/08/24(水) 23:22:21.90
- 調べました。超ざっくり。
1993年、P-MODELとして「bigbody」をリリース。1994年にはソロで「AURORA」をリリース。
インタラ開始は1994年。この年は一年に三種類のインタラライブをしている。
「オーロラ伝説」、「TOKYOパラネシアン」「Adios Jay」
(「Adios Jay」はAmiga開発者の追悼ライブ)
P-MODELとしてインタラっぽいことをやったのは、1996年の「電子舟訪日行脚」
1998年(「WORLD CELL」)から「在宅オーディエンス」システムがスタート。
インターネットの台頭は1995年ごろ。
(それ以前からもニフティや草の根ネットなどもあったけれど)
日本では1994年に高度情報通信社会推進本部が設置され、
2000年から本格的にいわゆる「IT革命」がスタート。全国で高速回線の敷設が始まる。
(この時期は「賢者のプロペラ」「LIMBO-54」らへん)
というわけで、何かヒントがあるとすれば、「bigbody」「AURORA」あたり。
個人的には「AURORA」はなんとなく目の前が真っ暗になるほどの幸福や陶然としてしまうほどの絶望、
みたいな、相反する表現が出来るナニかを感じます。ナニかはわかりませんが。- 749 :Track No.774:2011/08/25(木) 00:03:13.32
- >>748
ざっくりまとめ乙です
1994年すごいな いろいろやってみたくて仕方なかったんだろうか
個人的に「AURORA」収録曲は「~になり」のフレーズの繰り返しが
妙に印象に残っているアルバムです- 750 :Track No.774:2011/08/26(金) 13:33:49.28
- ラジオのテクノ実験工房をやってたのも1994年~1995年
テクノ実験工房ですでに将来のネット社会のこととか色々話してるから面白いよ- 751 :Track No.774:2011/08/26(金) 14:09:45.15
- 将来のネット社会についてならPAUSEのライナーノーツ
後の改訂Pについての声明はあそこから始まってると言える
あれも1994だ- 752 :Track No.774:2011/08/27(土) 02:26:49.21
- そんな感じで来るべきネット社会への期待にうきうき胸膨らませつつ
開けた1995年にはタイショックな「SIM CITY」に
「スキューバリサイクル」 このタイミング、ぐるっと一回りしてる感あるかも