622 名前:侘助×夏希 5[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 23:55:19 ID:a2hFV/vJ
 夏希の話はこうだった。
数学に関しては途轍もない頭脳を持つ健二も、他教科に関しては特別成績が良いって訳でもない。
半年前まで現役の受験生だった夏希が、今年受験生の健二の勉強を看る為に
あいつの家へ行き、夕飯の支度もして手料理をご馳走する事になった。
それが今日だった。

あいつの父親は相変わらず海外に単身赴任中、母親も仕事で忙しく、
その母親も今日明日明後日と出張で不在。
夜までじゃなく、朝になっても二人っきり。

何度かあいつの家に行った事はあるが、確実に二人きりと言うのは今日が初めてだったらしい。
夏希は「覚悟」を決めてあいつの家を訪れた。

だがあいつは手を出してこない。
昼から夕方まで、時に密着しつつ勉強している時も、
夕食後にソファで隣り合って座って寛いでいる時でさえも。

痺れを切らした夏希が(こいつだってお年頃だからな)思い切って
「健二君…今日はずっと二人きりだね」とあいつの肩に頭を載せてもたれ掛かる。
あいつは「はっ、はい、そうですね」しどろもどろに答えて固まり、
夏希が「私たち、付き合い始めてもう一年になるんだね」と、
そっとあいつの手に自分の手を重ねても何のアクションもなし。

挙句、「あ、先輩、お茶のおかわり持ってきますね!」と夏希から離れようとする。
慌てた夏希が立ち上がりかけたあいつのシャツの裾を掴むと、バランスを崩して夏希の上に倒れ込む。
いわゆる押し倒してるって体勢だ。
そのまま行っちまえばいいのに、奴さん、「すすす、すみません!」なんてあっさり夏希の上からどいちまう。

623 名前:侘助×夏希 6[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 23:59:15 ID:a2hFV/vJ
「なんかもう、悲しくて悔しくて情けなくて腹立たしくて…恥ずかしくて」
すくっと立ち上がると、「健二君のバカぁ!!」とビンタ一発かまして、飛び出してここに来ちまったらしい。
夏希のビンタ…さぞやキいただろうな。
ちょっと身震いする。
だが、女の夏希の方から一歩踏み出したってのに、
その手を振り払うような男にさほど同情はできない。


「ねえ、侘助おじさん…私そんなに魅力ないのかな…」
そこに戻るか。
まじまじと夏希を見つめる。
顔もスタイルも抜群だ。高校のアイドル的存在だったってのにも全く頷ける。
性格は―――成長してからは、日本に帰ってきてから一緒に過ごした短い間しか知らない。
それでも小さかった頃の、向日葵みたいな夏希が
両親や親戚、周りの人間に愛情を注がれて、まっすぐに成長したのが感じられた。


「お前は充分魅力的だよ、夏希。あの夜、あの家の縁側で十年ぶりにお前を見た時、
一瞬本気で誰だか分らなかったぜ。こんなにいい女、この家に居たか?って思ったよ」
「本当?侘助おじさん」
「ああ、本当だ。けどな」
「けど?」
「あいつみたいな、かなり大人しい、内気な奴は、押したら押しただけ引いちまうんじゃないか?」
「でも、一年付き合ってこれなんだもん…」
「その一年もな。さっきも言ったけど、俺が思うにあいつはお前の事、
気を遣いすぎる程に気遣ってたんじゃないか。何てったって、お前、大学受験生だったんだぞ。
合格したらしたで、生活は大きく変わるだろ。
俺ですら気ぃ遣ってロクにお前と連絡取らなかった位だ。ましてやあいつみたいな奴は――」

624 名前:侘助×夏希 7[sage] 投稿日:2009/09/05(土) 00:02:59 ID:kK3wfS9u
「侘助おじさん…」
…いかん、言うはずのない事まで喋っちまった。

「ま、とにかく!そういう事だから!」
「そう言う事って何よ」くすくす笑いながら訊かれる。
「うるせえ!…あー、お前にはもどかしいかもしれないけどな。
直截的なアプローチはしないで、じっとあいつの目を見つめるくらいにしてみろ。
『目は口ほどに物を言う』って言うだろ」
「ん…わかった。そうしてみるね」
「よし。じゃあもう遅いんだから帰れ。タクシー呼んでやるからまっすぐ帰れよ」

え~~まだおじさん家の探検終わってないのにー!と不満げな夏希を無理やり立たせる。
何が探検だ、ったく。
泣いたカラスがもう笑うとはこの事だ。


OZを通じて頼んだタクシーは、最短距離にいる空車が2分でつく手筈だ。
もう下に降りててもいいか。
「んじゃ、出るぞ」
夏希が玄関口で立ち止まる。
「どうした夏希――」
振り向きざま、首に抱き着いてくる。
「やっぱり侘助おじさん大好き!」
じゃあね、ありがとう!と、身動きできない俺を残して、夏希は帰って行った。
…まあ、これで丸く収まるだろ。

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最終更新:2009年09月05日 01:56