沢村と同じ宇治山田出身
出身は
沢村栄治と同じ三重県宇治山田市で、西村は厚生小学校、沢村は明倫小学校の、ともにエースだった。
その二人が1937年から投げ合った。この頃は春秋2シーズン制だったが、37年秋から38年春にかけて西村は巨人に9連勝。37年秋は防御率1.48、38年春は1.52で、連続して防御率1位。37年秋は15勝3敗で最多勝に輝いている。
酒仙投手
「酒仙投手」の異名を取った第1号がこの西村。飲兵衛であり、タイガースの主戦投手だったから、主戦をもじって「酒仙投手」と名付けられた。
とにかく酒が好きだった。当時東京遠征といえばタイガースは神田駿河台下の「竜明館分館」を定宿にしていたが、西村は到着すると食事前にフラリと宿を出て、近所の飲み屋で酒をあおった。翌日は酒の匂いをプンプンさせて巨人相手に完投勝ちしたりした。
石本監督との武勇伝
西村には、監督・石本秀一との武勇伝もある。当時タイガースは門限破りと麻雀の禁止令が出ており、西村はよく門限破りで石本監督からとっちめられていた。ところがある夜、石本らがひそかに麻雀しているところを目撃。「監督がご法度の麻雀をやるとは何事だ!」と取っ組み合いになった。酒に酔っていた西村は簡単に組み伏せられた。しかしその後、石本から喧嘩のお咎めはなかったという。
やがてこの快男児は、投げすぎで肩を壊したのと豪快な二升酒がたたって1940年限りで退団。45年にフィリピン・マタンガス島で戦死した。1977年に野球殿堂入り。
投球スタイル
どちらかといえば気合いで投げるタイプだったが、カーブなど変化球の切れもよく、頭脳的でもあった。
【参考資料】
「プロ野球を創った名選手・異色選手400人」
最終更新:2010年04月19日 16:59