ハワイ生まれの二世選手として、1938年来日、イーグルスに入団した。速くて重い球質で、直球と変わらないスピードで大きく曲がるカーブに、各チームの打者は悩まされた。
だが、もっと悩まされたのは、亀田の荒れ球であった。キャッチャーではなくバックネットが止めてくれるから、と言わんばかりにひたすら投げ込んでくる重い球は、どこに行くか分からない。打者は恐怖心を覚え、ついついバッターボックスでも腰が引けてしまう。
だから、四球も多いが三振も多かった。38年の春は、137奪三振で三振奪取王。かと思えば、翌年には与四球280個のシーズン記録を打ち立てる。適当に球が散ったときは大投手で、ノーヒットノーランを2度も達成した。ただし、それぞれ9個、6個の四球を出している。
ほかにも7回途中までに12人の走者を歩かせたことがあれば、1イニングに6四球を2度、あるいは1イニング4押し出しなどもあった。
アンパイアをマスクの上からノックアウトしてしまうほどの剛速球投手。国際情勢が緊迫した41年、米国政府から二世選手に対し帰国命令が出て、亀田は生まれ故郷・ハワイへと帰って行った。
【参考資料】
「プロ野球70年 GREAT RECORDS 不滅の金字塔大全集」
最終更新:2010年04月19日 21:02