イニングが深まるにつれ、球速が増し、球筋は内外角へ散ってゆくという剛球派の典型だった。捕手がミットの下にスポンジを入れていても、手のひらが真っ赤に腫れ上がるほどストレートに威力があり、しかも球質が重かった。
1943年5月26日、大和戦でノーヒットノーランをやってのけたが、1952年6月15の松竹戦ではあと1人でパーフェクト樹立という土壇場で最後の打者に打たれて快挙を逸した。
別所の夢を砕いた代打・神崎安隆はプロ入り2年目のブルペン捕手。プロ生活4年間で打った安打はその1本だけだった。
「オレは肩を痛めたことがない」と豪語する天性の強靭な肩と柔らかい筋肉。ストレートとカーブだけで46年、48年とグレートリング、南海にペナントをもたらした別所は、26勝を挙げた48年暮れ、二ヶ月間の出場停止という条件付きで巨人に移籍した。
南海は新婚の別所に家1軒プレゼントするのを惜しんで3年間に75勝したエースを失い、巨人は剛腕エースの加入によって戦後初めて49年になって優勝することができた。
巨人の第2期黄金時代の中心となった別所は52年に33勝、56年には27勝をマークしてMVPに選ばれ、55年の日本シリーズでは3勝して栄光のトヨペットを手に入れた。
59年10月、念願だった通算300勝をマークしたが、これはあと1勝となってから5度目の登板だった。その日、別所に渡された賞金の袋はマネージャーが長い間持ち続けていたため手垢で汚れていたという。
60年、310勝の大記録を最後にユニフォームを脱ぎ、川上監督の1年目にヘッドコーチとして鬼軍曹役をつとめた。だが、62年、名古屋の宿舎でビールを飲んでいた中村稔投手を殴ったことから退団に追い込まれた。ピッチングだけでなく管理職としても剛腕をふるった直情径行型の別所は川上野球がV9するための捨て石であったかもしれない。
1979年に殿堂入り。
【参考資料】
「プロ野球を創った名選手・異色選手400人」
最終更新:2010年04月22日 21:05