長嶋茂雄が「芸術品」と絶賛したという超スローボールと、カーブ、スライダー、シンカーの多彩な変化球に類い稀なる投球技術で先発もリリーフもこなし、阪急黄金時代の礎を築いた。入団してから2年間は0勝で、61年までは通算3勝だったが、62年に先発投手として起用されて4勝すると、翌年は17勝を挙げ7年目にして一軍に定着。その後は米田哲也、梶本隆夫とともに阪急投手陣の三本柱として活躍した。64年に28勝、65年に21勝を挙げ、67年には防御率最下位ながら最高勝率を記録。選手生活の後半では、アンダースローに転向した。
【参考資料】
- プロ野球60years「剛球&魔球」投手の怪物伝説
最終更新:2010年04月23日 02:14