野手転向も視野に入れたドラフト外入団だったが、打撃投手でも全力投球したり、電車でもつま先立ちをして筋力を鍛えたりするなど、野球への真摯な姿勢と並外れた練習量が実を結び、3年目には8勝を挙げた。80年から85年まで二桁勝利。自宅のガス爆発で夫人が重傷を負った81年には18勝を挙げ、沢村賞を受賞した。89年に中日にトレードされると、その年に20勝で初の最多勝を獲得。逆境に強い性格と足を高々と上げるフォーム、そして絶妙な制球でバットの芯を外し右打者の懐深く食い込むシュートが魅力だった。
【参考資料】
「プロ野球60years 剛球&魔球 投手の怪物伝説」
最終更新:2010年04月23日 10:51