高校時にロッテから指名を受けるが拒否し、80年のドラフト会議で広島に1位指名され入団。83年に15勝を挙げて先発として定着する。球威のある速球と落差の大きいカーブで三振の山を築きあげ、87、89、91年と最多奪三振をマーク、6年連続で二桁勝利も挙げた。ただ制球には難があり、最多与四球を5度も記録。通算暴投数のセ・リーグ記録保持者でもあった。広島時代は巨人キラーとしても有名だったが、家庭の事情もあり広島球団初のFA権行使をして、95年から巨人でプレー。リリーフで起用され、胴上げ投手も経験した。
【参考資料】
「プロ野球60years 剛球&魔球 投手の怪物伝説」
最終更新:2010年04月23日 10:59