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G.バッキー

マイナーリーガーだったが、テストを受けて合格し阪神に入団した。当初は制球難に苦しむも、下半身強化の猛練習と、同僚の小山正明のフォーム研究でコントロール開眼したという。上手、横手からの変幻自在の投法にナックルが決め球で64年には29勝、防御率1.89で最多勝と最優秀防御率、外国人初の沢村賞に選ばれた。翌年にはノーヒットノーランを記録し5年連続で二桁勝利を挙げたが、68年の王貞治への危険球を巡り巨人の荒川博コーチと乱闘した際、利き腕の右手親指を骨折。翌年、近鉄に移籍したが球威は戻らず、現役を引退した。


【参考資料】
「プロ野球60years 剛球&魔球 投手の怪物伝説」

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最終更新:2010年04月23日 11:03
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