【沿革】
当社は、株式会社インテック(実質上の存続会社)の株式額面を500円から50円に変更するため、昭和55年4月1日を合併期日として、同社を吸収合併しました。合併前の当社は休業状態であり、したがって、法律上消滅した株式会社インテックが実質上の存続会社であるため、別に記載のない限り、実質上の存続会社について記載しております。
昭和39年1月 経営上の諸計算並びに諸統計の受託代行業務等を目的として、富山市入船町31番地に資本金10百万円をもって、株式会社富山計算センターを設立。
昭和43年2月 東京都に計算センター(事業所)を設立。以後、全国的に計算センター(事業所)を展開。
昭和45年10月 社名を株式会社インテックと変更。
昭和47年6月 株式会社札幌電子計算センターと提携。(現・株式会社北海道インテック・連結子会社)
昭和48年8月 広告・調査・印刷の株式会社アドインテックを設立。(現・株式会社スカイインテック・連結子会社)
昭和50年1月 不動産管理事業の株式会社インテック興産を設立。(現・連結子会社)
昭和50年10月 株式会社日本インテック技研を設立。(現・株式会社インテック ソリューション パワー・連結子会社)
昭和54年6月 株式会社北陸インテック技研を設立。
昭和55年4月 額面変更のため、株式会社インテック(形式上の存続会社)に吸収合併。
昭和57年11月 名古屋証券取引所市場第二部に上場。
昭和57年11月 公衆電気通信法に基づく臨時暫定措置に関する省令により、中小企業VAN(付加価値通信)業者として郵政省に届出。
昭和58年5月 株式会社インテックシステムズを設立。(現・株式会社アイ・ユー・ケイ・連結子会社)
昭和58年5月 株式会社インテックリースを設立。(現・連結子会社)
昭和59年11月 東京証券取引所市場第二部に上場。
昭和60年4月 電気通信事業法に基づく特別第二種電気通信事業者として郵政省に登録。
昭和61年9月 東京証券取引所および名古屋証券取引所市場第一部に上場。
昭和64年1月 不動産賃貸事業の株式会社マイシティを設立。(現・連結子会社)
平成元年3月 研究開発部門を分離して、株式会社
インテック・システム研究所を設立。
平成3年4月 データエントリーサービスの株式会社ウィズインテックを設立。(現・連結子会社)
平成8年7月 株式会社西日本インテック技研を設立。
平成8年8月 一般人材派遣業の株式会社ヒューマを設立。(現・連結子会社)
平成10年6月 ネットワーク・エンジニアリング部門を分社化し、ネットワークサービスの新会社「株式会社
インテックコミュニケーションズ」を設立。(平成17年1月、当社との合併により解散)
平成10年10月 日本アイ・ビー・エム株式会社と
アウトソーシング事業に関して業務提携。
平成12年1月 株式会社日本インテック技研(現・株式会社インテック ソリューション パワー・連結子会社)は、株式会社西日本インテック技研、株式会社北陸インテック技研と対等合併。
平成12年12月
インテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクス株式会社は、東京証券取引所「マザーズ」に株式を上場。
平成13年9月 TSS(電話料金一括割引サービス)事業を株式会社
インボイスに営業譲渡。
平成14年5月 次世代インターネット研究、開発事業の株式会社インテック・ネットコアを設立。
平成15年3月 ITソリューション事業の株式会社INTEC LG CNSを設立。(現・持分法適用会社)
平成15年10月 中国遼寧省大連市に大連センターを開設。
平成15年11月 中国湖北省武漢市にソフトウェア事業の英特克信息技術(武漢)有限公司(インテック武漢)を設立。
平成17年1月 株式会社
インテックコミュニケーションズを吸収合併し、また、株式交換により株式会社
アイ・ユー・ケイ、株式会社インテック ソリューション パワーの両社を完全子会社化。
平成17年7月 株式会社インテック ソリューション パワー北陸本部を新設分割方式により会社分割し、株式会社高志インテックを設立。(現・連結子会社)
平成17年11月15日 名古屋証券取引所上場廃止。