玉川急行電鉄100形電車とは、かつて玉川急行電鉄が保有していた鉄道車両である。
この車両は、戦災復興車両として製造された車両である。大橋急行電鉄(当時)は主要車両基地が付近に駒沢練兵場などの軍事施設が多くある大橋にあり、当然の様に車庫も空襲による被害を受け、同車両基地の車両の7割近くが焼失した。この車両は、それの補完用として製造された車両である。
1946年12月に第一編成が投入され、そこから1962年5月まで4両編成用が280両70編成(車番・100,1100,1200番台)・2両編成用が40両20編成(車番・1300番台)の計320両114編成が製造された。 15次車以降の車両は一部地方鉄道に譲渡されたが、14次車以前の旧性能車はほぼ全て廃車された。
1946年12月から1948年1月まで投入された車両。半鋼製車両で、駆動方式は吊り掛け駆動で制御方式は抵抗制御を使用している。1985年6月16日運用離脱
1948年10月から1949年12月にかけて投入された車両。1989年5月3日全車運用離脱。
1950年6月から1951年2月にかけて投入された車両。1992年9月7日全車運用離脱。
1951年9月から1953年3月にかけて投入された車両。1996年2月21日全車運用離脱。
1953年7月から1954年9月にかけて投入された車両。100番代仕様。1999年7月15日全車運用離脱。
1954年10月から1954年12月にかけて投入された車両。最後の半鋼製車両である。2002年2月19日全車運用離脱。
1955年1月から1955年9月にかけて投入された車両。この代から全鋼製になり、車番は200番台になった。2005年1月17日全車運用離脱。
1955年10月から1955年末までに投入された車両。2003年6月16日全車運用離脱。
1956年1月から1956年4月にかけて投入された車両。
1956年5月から1956年8月にかけて投入された車両。
1956年9月から1957年12月にかけて投入された車両。
1958年1月から1958年5月にかけて投入された車両。
1958年6月から1958年7月にかけて投入された車両。
1958年8月から1958年9月にかけて投入された車両。
1958年10月から1958年12月にかけて投入された車両。この代以降から直角カルダン駆動車となり、大幅に構造が異なる事から新100形とも呼ばれる。4両用が1500番台、2両用が1300番台。
1959年2月から1959年9月にかけて投入された車両。
1959年12月から1960年2月にかけて投入された車両。
1960年4月から1960年6月にかけて投入された車両。
1960年11月から1961年2月にかけて投入された車両。
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1961年3月から1961年10月にかけて投入された車両。2015年12月10日全車運用離脱。
1961年11月から1962年2月にかけて投入された車両。100形の中で最後まで運用された仕様の車両である。2016年5月8日の「恵比寿〜根原間の急行列車」のラストラン分を持って運用離脱した。
1962年3月から1962年5月にかけて投入された車両。2016年2月13日に全車運用離脱。