ばーか(フーリッシュ)、クズ(トラッシュ)、灰(アッシュ)、金(キャッシュ)……。
私の頭の中を、昔どこかで聞いた歌が巡る。
腐った卵(ジョッシュ)、生理(フィッシュ)、めちゃくちゃ(ハッシュ)、ちくしょう(ガッシュ)……。
切れかけた蜘蛛の糸のように頼りない記憶を辿ると、モヤのかかったような思考の中で誰かの呼びかける声が聞こえた。
『決めるんだ、バロット。もう一度選べ。生きるのか、死ぬのか』
私は、彼の問いかけに応える。
もう二度と間違わないように。もう二度と手放さないように。
私は――
◆ ◆ ◆
雑居ビルの、ある一室で少女は目を覚ました。
ふと見上げると、天井の照明が所在なさげに輝いている。もう夜更けのようだ。
随分懐かしい夢を見ていた、と少女は先程の光景を思い返す。
彼女の名前はルーン=バロット。およそ1ヶ月程前にこの街に招かれた、15歳の少女娼婦である。
バロットとは、卵の中にいるまだ産まれていない雛をそのまま煮殺して食べる料理の名前のことだ。
この街に来る前、自分という殻の中で閉じこもり続けていた彼女は、一匹のネズミに救われた。
ウフコック・ペンティーノ。「煮え切らない卵」の名を冠したこの喋るネズミは、殻の中のバロットに様々なことを教えた。
何気なく街をぶらつくことの楽しみ。規律を守ることの大切さ。力を持つ者の責任。――そして、恋も。
そう、バロットは彼を愛している。だから、一刻も早く元の場所へ戻らなくてはならない。
――あの欺瞞と混沌の渦巻くマルドゥック市へと。
「あれっ。マスター、起きたんだ。おはよー」
バロットが寝ぼけ眼に目をこすっていると、無邪気な声とともに、柱の陰から少年が姿を現した。
Tシャツを裸の上から羽織っただけの、バロットとそう変わらぬ年端もいかぬ少年は、嬉しそうな顔をしてこちらに手を振る。
「ごめんなさい。ずっと寝てたみたい」
バロットの喉元に付けられたチョーカーから、機械的な女性の音声が発せられた。
彼女は以前に車両火災で全身と喉を焼かれた過去から、声を発することができない。
だが、人命救助のために条件付きで科学技術の使用を許可する「マルドゥック・スクランブル-09法」は、彼女に金属繊維の人工皮膚を与えた。
これにより、バロットは常人を遥かに超える空間認識機能と、手を触れることなく電子機器の操作・干渉を行える『電子撹拌(スナーク)』能力を手に入れたのだ。
今回はチョーカータイプの電子発声器を操作し音声を発したが、全身が電子情報端末の彼女にとって、その気になれば街中のネットワークの掌握さえ造作もないことだ。
「もう! ずっと起きないから、俺、お腹減っちゃったよ。今日はマスターが夕飯作る日だけど?」
少年はフライパン片手にバロットを詰る。
見ると、備え付けのキッチンの辺りには炭のように焦げた肉や卵の殻が散らばっていた。
どうやら彼なりに夕飯の調理をしようとしていたようだ。
「分かってるわ。今から作るけど、何がいい?」
バロットは微笑みながらベッドから身体を起こし、キッチンに立った。
スナークでガスコンロに点火し、焦げ付いていない方のフライパンを温める。
「うーんと、俺は『俺』の好きなものが好きなんだけど、今は目玉焼きの気分かな」
少年はバロットのサーヴァントだ。この異界東京都に喚ばれたばかりで、右も左も分からないバロットを陰に日向に色々と助けてくれた。
クラスは『暗殺者(アサシン)』。真名は『怪盗X(サイ)』。
怪盗Xとは妙な真名だが、ステータスにもそう記載されているため、とりあえずバロットは彼を「サイ」と呼んでいた。
彼は、実は彼女でもあり、そして彼でもあった。この怪盗Xは特異体質により、絶えず全身の細胞が常に変化し続けているため、性別・年齢、はたまた人間であるかどうかすら不定なのだ。
そして全身の細胞、というのは脳細胞も含まれるらしく、この1ヶ月間、バロットは主従関係の記憶を失った怪盗Xに何度か殺されかけていた。
だが、バロットはマスターとサーヴァントという関係抜きで、彼を放っておくことができなかった。
それは、本当の自分が分からなくなって子犬のように震える彼を見たからでも、かけがえのない記憶を失って月夜に涙する彼を知ったからでもなく、彼が自分に似ているからだ、とバロットは考えていた。
殻に閉じこもりすぎて自分(なかみ)が分からなくなった雛料理(バロット)と、自分(なかみ)が分からないから他人を壊してでも隅々まで知ろうとする怪盗(サイ)。
こじつけかもしれないが、不幸な生い立ちのせいで社会から爪弾きにされたという点で、自分と彼はなんとなく似ている、とバロットは思っていた。
「ねえ。マスター、今日もクイズやろうよ」
そんなことを考えながらサニーサイドアップの目玉焼きを焼いていると、怪盗Xがいつものクイズ勝負を持ちかけてきた。
サーヴァントになる以前、彼の従者をしていた女性と好んで食事の前にやっていたらしい。
それは彼にとって儀式であり、きっと大切だったであろう『彼女』を忘れないため、変化を続ける自分の脳細胞に対する必死の抵抗なのだろう。
バロットは味見のために目玉焼きの白身をかじりながら、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ問題! 2つの内、どちらかが魔界行きの門でどちらかが地上行きの門。
それぞれの前に立つ門番はどちらかが嘘しか、どちらかが本当のことしか喋らない。
たった1度だけ質問が許される場合、どちらの門番にどんな質問をしたら地上に帰れる?」
バロットは手を止めて沈思黙考する。
「うーんと、そのまま『あなたは地上行きの門番ですか?』って質問は……ダメか。
地上行きの門番が嘘つきだったら『いいえ』って答えるし、正直者だったら『はい』って答えるから……」
「悩め悩め~。ちなみにこの謎、俺のライバルは一瞬で解いちゃったからけど?」
この食事を作る前の僅かな時間に怪盗Xが提出する『謎』にバロットが悩んだり困ったりすると、彼は本当に嬉しそうな顔をする。
それは、待ち遠しいご飯にありつける喜びと、自分の作った中身(なぞ)が他人によって紐解かれる瞬間を目にする楽しさの、両方を味わえるからのようだ。
また怪盗Xが言うには、嘘か真か、生前の彼には魔界の謎を全て喰らいつくした魔人探偵なる永遠のライバルがいたらしい。
彼との戦いの記憶について嬉しそうに語る彼の姿を見るのも、この異界東京都でのバロットの数少ない楽しみの一つだ。
「あ、毎回言ってるけど、スナークでこっそり検索するとかは絶対ナシだからね」
考えすぎて頭がこんがらがりそうになるバロットに、怪盗Xが追い打ちをかけてくる。
「う、うう……。ギブアップ……」
バロットはたまらず降参を申し出た。
すると、怪盗Xは自慢げに謎の答えを語ってくれる。これが食事前のいつものルーティンだ。
こんな平穏な時間を過ごしていると、マルドゥック市へ帰ることが怖くなっている自分がいることに気づく。
――でも、帰らなくちゃダメだ。
これまで幾度となく、バロットはそう己に言い聞かせてきた。
彼女が異界東京都に来てから約1ヶ月、ウフコックもドクター・イースターもきっと心配しているだろう。
もしかしたら自分のいない今、彼らの身に危険が降り掛かっているかもしれない。
だから、バロットは帰らなくてはならない。
何の確証も持てない賭けだけど、他の主従を全て倒しても突き進まなくてはならないのだ。
たとえその扉の先が、もう後には戻れない魔界行きへの道だとしても。
◆ ◆ ◆
腐った卵(ジョッシュ)、壊す(クラッシュ)、皿(ディッシュ)……。
私の頭の中を、昔どこかで聞いた歌が巡る。
洗う(ウォッシュ)、磨く(ブラッシュ)、潰す(マッシュ)、おやおや(ゴーッシュ)……。
切れかけた蜘蛛の糸のように頼りない記憶を辿ると、モヤのかかったような思考の中で誰かの呼びかける声が聞こえた。
『決めるんだ、バロット。もう一度選べ。生きるのか、死ぬのか』
私は、彼の問いかけに応える。
もう二度と間違わないように。もう二度と手放さないように。
私は――
……光(フラッシュ)。
「――私は、生きたい」
力強くそう叫んで、私は殻を破った。
【クラス】
アサシン
【真名】
怪盗X@魔人探偵脳噛ネウロ
【ステータス】
筋力:C 耐久:C 敏捷:B 魔力:E 幸運:D 宝具:C+
【属性】
混沌・善
【クラススキル】
気配遮断:B
サーヴァントとしての気配を絶つ。
完全に気配を絶てば発見することは難しい。
【保有スキル】
変化:A
自身の細胞を操作し、子供から老婆、果ては犬にまで姿を変える。
変化の際、体積はある程度無視されるが、生物以上に複雑な存在に変身することはできない。
天性の肉体(偽):E
生まれながらにして生物として不完全な肉体を持つ、遺伝子操作により誕生した生物兵器としての器。
絶えず変化する脳細胞によって記憶が安定せず、定期的に過去の記憶を失う。
基本的にはマイナススキルとして働くが、確率で精神への状態異常を無効化する。
戦闘続行:B
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
ただし霊核が損傷した場合は耐えることができない。
【宝具】
『X(サイ)』
ランク:C+ 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1
この宝具を発動することによって、通常状態では不可能な魔人やサーヴァントなどの特異な存在にも変身することが可能になる。
変身の具体的な手順としては、対象を観察することによって記憶を読み取り、記憶を再現してそのモノに成る、という流れ。
サーヴァントに変身した場合、宝具や逸話などの再現も可能になるが、変身の最低限の条件として対象の真名看破が必要になる。
あくまで「変身」部分のみが宝具に当たるため、観察を事前に済ませておけば、状況に応じての発動も可能。
【weapon】
素手。常人程度なら軽く叩き潰せる。
【人物背景】
世界的犯罪者。普段は白髪の幼い少年のような姿をしている。
『怪』物(monster)+強『盗』(robber)と、それに未知を表す『X』に不可視(invisible)を表す『I』を合わせた『怪物強盗X・I』を縮め、『怪盗X』と呼ばれている。
全身の細胞が常に変化し続けているため、その変化の方向を操作することで形式問わず様々な人物に成り代わることができる特異体質。
「作った奴の中身が全部詰まった」美術品を盗んだり、その過程で出会った人間を殺害後、箱に加工して観察して自分の正体(なかみ)を理解しようとしている。
生前は従者として「アイ」という名の女性がいた。彼女とは、日によって主人、子守り、友人、恋人、兄弟、姉妹、他人のいずれかの関係だったが、ある事件によって死別している。
【サーヴァントとしての願い】
もう一度、怪盗Xとしての自分(なかみ)を取り戻す。
【マスター】
ルーン=バロット@マルドゥック・スクランブル
【マスターとしての願い】
死にたくない。
【能力・技能】
『電子撹拌(スナーク)』
バロットがマルドゥック・スクランブル-09の適用によって獲得した能力。
全身に移植された金属繊維の人工皮膚により、手を触れることなく電子機器の操作・干渉や高度な空間スキャンが可能。
作中では、ハッキングだけに留まらず、車の運転や監視カメラに偽の映像を映す等の操作も自在に行っていた。
【人物背景】
15歳の少女娼婦。
3年前に父親に強姦され、それを知った兄が父を重障害者になるほどまでに痛めつけて一家離散。
少女情婦に身をやつしていたが、店の摘発を機にカジノ経営者のシェル・セプティノスの情婦になる。
その後、シェルの資金洗浄取引の一環として突然彼に車ごと焼き殺されかけて重傷を負ったところを救出され、一命を取り留める。
その際に、人命保護のために科学技術の使用を許可するマルドゥック・スクランブル-09によって、全身に電子干渉機能を持つ金属繊維で作られた人工皮膚を移植されている。
大火傷を負った際に声帯を喪い、肉声で喋ることができないが、近くにスピーカー機器があればスナークして発話することができるため、あまり不便は無い。
普段は能力を隠すためもあって、チョーカータイプの電子発声器を身に着けている。
【方針】
帰還を目指す。
とりあえずはスナークで他の主従の様子を探る。
最終更新:2022年06月30日 18:45