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大司教の持論

tanasinnは人間の遥か高位に位置する、存在かも概念かも分からない偉大なる”もの”。 (概念という見方が主流)

tanasinnはインターネットを媒介に我々の世界に現れ、ミームという形でその存在を広めていった。

一般的にそれは悪ノリによる偶然だと考えてられているが、実際はtanasinnの導きによる必然である。

我々が互いの考えるtanasinnを主張しあうことで幾つもの解釈があるいは消え、あるいは混ざり、残った意見がwikなどに載り、後世に語り継がれていく。

そして最終的にはただ一つだけの真理が残る。

それこそがtanasinnの真実だ。

そう、完全なるtanasinn。我々は論争によってtanasinnを理解できるのだ。



そしてtanasinnを完全に理解した者は大いなる安息を得ることができる。

何故そんなことが言えるのか? tanasinnはそういうものだという解釈が残っているからだ。

多くのwikやss、掲示板で語られている。

tanasinnの存在を知ったものはその存在を恐れるが、完全に”飲まれた”者は大いなる安息に包まれていた。


tanasinnは概念かも存在かも解らない偉大なる何か

tanasinnは論争によって完成される

tanasinnを完全に理解した時、人は大いなる安息が得られる

2012年1月27日
最終更新:2012年01月27日 21:02