レイモンド・レイ・ファルコーネ(490年~)はアメリア合衆国(USA)の軍人。アメリア合衆国初代大統領。
アメリア合衆国国防総省統合参謀本部長官及びレイユ王国国防顧問。
ウルフ族から猫族を独立に導いた実力者でもある。
経歴
生い立ち
出生地はグライド地方の農村で農夫の父親と母親の間に誕生。二人兄弟の長男坊である。
物心がついた頃には盗みや暴力を働いていた。地元では名の知れた不良であった。
不運な学生時代
小学、中学時代はグライドにて学び、高校からはレイユ王国王都テイジュの王立学園に入学。
しかし荒くれ者の彼は他の生徒に馴染めず問題行動ばかり起こす。そのうち退学処分を受ける。
1年後の506年にレイユ王都のとある宝石店に強盗に入るも駆けつけた自警団により逮捕され本国に強制送還されてしまう。
強制送還後
この頃、隣国のウルフ族との関係が悪化し猫族はウルフ族との開戦を余儀なくされる。
彼がレイユ王国で学生生活を始めた頃には猫族とウルフ族の間で戦争が起きており、1年後の強制送還後に彼は法務省から刑務所にて長い刑期に就くか従軍するか選択を迫られた。
彼は親族の反対を押し切り従軍する事を決めた。
グライドから遠く離れたバーフのベースキャンプにて厳しい訓練を受ける。この時に彼は両親よりも絆の深い相棒と出会う事になる。
前線配置と初戦
ベースキャンプでの訓練を経て国境に近い第2軍第6歩兵師団に配属される。
しかし陸路からの侵攻を危惧したウルフ軍は海峡に架かる大橋を爆破してしまう。
猫族陸軍は当初の作戦を大幅に変更せざるを得なくなり海軍と共同でトルク砂漠からの上陸作戦を発案する。
新兵となった彼は相棒と共にグライド港から輸送船に乗船。トルク海岸に到着すると彼らの部隊は上陸用舟艇に乗り換え浜辺へ上陸した。
ウルフ側の抵抗が激しかった事から彼は戦友の死を何度も目撃した。
この悲惨な状況から海軍艦艇の支援もあってなんとか上陸作戦は成功。前線は内陸のトルク砂漠まで達した。
初戦の後、彼は何度も上陸当時の戦闘の夢を見てうなされたという。
この事が原因で彼は前線後方の守備任務に回される事になる。数日後、後を追うように彼の相棒も志願して同じ守備任務に就く事になった。
敗戦後
トルク砂漠上陸作戦から数年の510年になるとウルフ族の抵抗も激しくなり女皇フィーが密かに進めていた黒魔術計画の第一段階が成功すると猫族の大敗が続くようになった。
1年後にはウルフ帝都エダクトラ近郊まで達していた前線も消失しバーフに現れたウルフの謎の大部隊により猫族は首都のグライドの防衛を迫られた。
この時、彼も相棒も陸軍将官まで昇進しており起死回生の大作戦に抜擢される事になる。
しかし軍幹部と兵力、物資を多く失っていた猫族の防衛も虚しく首都はウルフ族により制圧され敗戦を迎えた。
その後、猫族はウルフ帝国の占領下になり政治指導者、軍の幹部らは女皇フィーによる選別を受ける事になる。
今後のウルフ帝国傀儡政権下の猫族を取りまとめる適合者を見極める中、彼は女皇フィーから好戦的かつ野心家の才能があると直々にお墨付きを貰い適合者として処刑を逃れる事ができた。
だが彼の相棒は不適合者として強制収容所へ連行される。
帝国への反抗
本来なら彼は傀儡政権下の猫族陸軍へ将官として配属される予定であったが女皇フィーは彼を特別気に入っていたようで猫族でありながらもウルフ軍の将軍として任命される。
しかし彼はフィーに感謝するどころか相棒が収容所へ連行された一件でフィーや帝国に対して強い反抗心を抱いていた。
表面上はウルフ帝国への忠誠を誓っているように装い裏では相棒を救出する作戦を猫族レジスタンスと協力して進めていた。
513年に救出作戦が決行され彼は相棒を救出する事に成功した。レジスタンスには報酬としてウルフ帝国の機密情報を明け渡した。
だが数カ月後、レジスタンスの女皇暗殺計画が失敗すると彼との繋がりが明るみに出てしまい彼は軍法会議にて死刑判決を受ける。
死刑判決を受けて1ヶ月後、女皇フィーは彼の才能を高く評価しており彼を今後の計画にも役立たせるため死刑判決から1ヶ月の謹慎処分に取り下げた。
相棒に関しては彼の強い要望により彼の補佐として任命した。
フィーの死とレイユとの開戦
1ヶ月の謹慎処分から数年の520年。彼はウルフ帝国軍の最高指揮官に任命される。補佐として彼の相棒の他に新たに将軍のハイフィルト、フィローナが就いた。
だがこの時、女皇フィーは謎の病により亡くなる。
次期後継者を決める会議では帝国軍最高指揮官の彼も交えて大臣らが話し合った後、正式な後継者として女皇はフィーの娘ケーノラ、皇帝は夫のカイフに指名された。
ケーノラは女皇に就任後、母の長き野望を果たすべく幾度と無く彼を呼び出しレイユとの開戦を計画した。
524年にケーノラが
レイユ族に対し宣戦を布告すると同時に彼は迅速に作戦を進めた。
相棒の死
そんな中、彼の相棒が帝国の情報をレイユへ流していると疑われ逮捕される。開戦当初の作戦が難航している事も起因し彼の相棒は外敵に対し情報を密かに送っていたと軍法会議にて死刑判決を受けた。
彼は傀儡政権下の猫族の信頼できる政治指導者、軍幹部らを頼り相棒の死刑を取り消す事をケーノラに願い出た。
結局、死刑方法が残虐な方法から軽い方法へ変更される事しか願いが叶わず相棒は処刑される。
独立戦争
彼は相棒を失った後、帝国に対しての不忠誠を疑われ軍を解任される。作戦は彼の部下であったハイフィルトに引き継がれた。
グライドへ戻った彼はレジスタンスらと協力しウルフ帝国に忠誠を誓う猫族の政治指導者、軍幹部らを暗殺しアレキサンダー卿(後のアメリア合衆国2代大統領)を含める反ウルフ派らを取りまとめ独立戦争を仕掛けた。
レイユとの戦争の最中、突然の猫族レジスタンスの決起によりウルフ帝国は大混乱に陥った。
ハイフィルト、フィローナら将軍はレイユ最前線に赴いているため帝国に残った将軍と兵力は極僅かであった。
密かに最新兵器も生産し前線に配備させた猫族は北部のバーフも奪取し大橋も修復後に陸路からウルフ帝都まで進撃を果たす。
帝都陥落まで後一歩のところでケーノラは
レイユ族と猫族に対し降伏を宣言。
猫族は国家独立を果たしケーノラが行方不明になるとウルフの政権は親レイユ派に生まれ変わった。
初代大統領就任
独立後間もなく彼は解放の父としてアメリア合衆国初代大統領に就任。この時、独立戦争前に救出したレイユ王国でも王宮と深い繋がりを持つ財閥の令嬢と結婚。
彼は過去の過ちを教訓に独立後の国家主体を強化する事に奮戦した。
しかし彼の野心は昔から変わらずアメリア合衆国を
ハイバーハでどの国よりも膨大な力を持つ国家へ導きたいとレイユ、ウルフをライバル視するようになる。
独裁者から解任まで
国家の経済、産業、科学、軍事に至るまで彼は莫大な資金を投資していたため国民の生活は苦しくなる一方で彼は独裁者と貶される事になる。
中には大統領府に抗議デモを起こす者もいた。
レイユ、ウルフでも暴走する彼と強大な力を持ったアメリア合衆国に危惧したのか彼を止めるあらゆる外交政策を考える大臣らもいた。
しかし529年にウルフがレイユ領レインレールへテロを起こすという事件が発生する。
この事件は悪化の一途を辿りグライドに住むウルフ族が行方不明だったケーノラと起こした騒動だと諜報部が情報を掴むと彼は責任を問われる事を恐れ隠蔽工作を企てる。
だがレイユの少年らに情報が渡ってしまい
ハイバーハの各国メディアは彼が事件をもみ消そうとしたと報道。
ケーノラがウルフ国の親レイユ派を虐殺し再び政権を取り戻した事も起因し彼は責任を問われ大統領を解任される。
合衆国議会は彼の犯した罪はこれまでに残虐な行為と判断し死刑判決を下した。彼自身、相棒の元へ逝ける安堵と家族を残す無念で複雑な気持ちだったという。
しかしレイユ王国の国王テュラの願いにより彼の死刑判決は取り消された。
統合参謀本部長官就任
死刑判決が取り消され第2代大統領に就任していたアレキサンダー卿によりある程度権力が回復すると彼はアメリア合衆国国防総省統合参謀本部長官に任命された。
レイユでも政権が再び帝政に戻ってしまったウルフ帝国に危惧し国王テュラは彼のこれまでの才能を買いアレキサンダー大統領と協議し彼をレイユ王国の国防顧問として招待した。この時に彼は住まいをグライドからレインレールの山の麓に移したという。
人柄と性格
幼少期より荒くれ者であり学生時代でも悪事に手を染めていた彼だが正義感も少なからずあった。
野心家で好戦的なところは父方の祖父に似たという。
誰彼構わず取っ掛かり女皇フィーやケーノラ、アレキサンダー大統領も彼を手懐けるのに苦労したという。その為か彼はトップに意見できる唯一の人物として知られるようになった。
しかし妻や娘、妻の両親に対しては優しい一面の方が多いのだ。
相棒との絆
両親とは疎遠だった彼がバーフのベースキャンプで出会った同期であり彼が唯一、相棒と呼べる存在。
戦場では彼が危機に陥った時には身を挺して彼を助ける一面も多かった。
相棒が死刑判決を受けると彼は作戦行動中でも何度も収容所へ面会へ訪れたという。
処刑前日。彼はレジスタンス活動地の教会に通い、神に「自分の命はどうなってもいいから、どうか相棒だけは助けてやってくれ。」と何度も祈ったという。
そして相棒が処刑されるとレジスタンスらと協力して収容所の遺体安置所から相棒の遺体を回収してレジスタンス活動地の教会にて火葬。
統合参謀本部長官に就任後、新しい住まいの庭に相棒の墓を作ったという。
テュラとの関係
レイユ王国国王テュラとはレイユ王立学園では先輩後輩での関係で猫族で1人しかいなかった彼を貶して除け者にしていたという。
彼がレイユをライバル視するようになったのはこの事が原因であり現在でも少なからずテュラを嫌っている。
しかしテュラが524年に亡くなると猫族レジスタンスと共に密かに遺体を回収し独立戦争前に開発していた蘇生装置へ遺体を保存したという。
527年に蘇生実験が成功しテュラが生き返ると彼はテュラの存在を大統領府へ隠し通した。それでも彼はテュラを丁重にもてなした。
529年に初代大統領の彼が解任されるとテュラはレイユ王国へ帰国。正式に王の座へ就くと死刑判決を受けていた命の恩人の彼の死刑判決を取り消すため大統領議会に掛け合った。
彼曰く「命の恩人だか知らないが余計な事をしてくれたもんだ。」と小言を放ったがレイユ王国国防顧問への招致には承諾したという。
最終更新:2022年08月29日 19:52