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軍事参議官@元帥 - (2005/10/18 (火) 18:39:10) の1つ前との変更点

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<p><strong>前置き</strong></p> <p> 最近、いろいろな方から質問をされることが多いのですが、なかなか時間やスペースの都合もあって全て答えることができません。</p> <p> こんなことを言うのも、実は、私も自分で「歴史教科書」を執筆しようとしていました。</p> <p> これも何かの縁かと思いますので、この場をお借りして、こっそり「歴史」について簡単にまとめてみようかと思います。</p> <p> (いったいどの位、時間がかかるやら。長い目で見て下さいね。)</p> <br> <p><日本史と世界史という分け方></p> <p> まず、皆さんあまり知らないことですが、「日本史」と「世界史」というように、高校などの高等教育において自国の歴史と世界の歴史を分離しているのは日本だけです。</p> <p> どの先進国も、人類の誕生から始まって現在に至るまでの時間を、ひと繋がりの一貫した意味を持った存在として、自らの国家および国民の歴史を主体的に記述しています。</p> <p> つまり、その国の歴史=世界史という訳で、教科書も「歴史」一冊しかありません。</p> <br> <p> もし、日本が世界のなかで堂々と自己を主張し、真に世界史的意義のある役割を果たそうとするならば、このように自国の歴史と世界史を分離するといった、根拠のない領域区分をこそ、まず廃止するべきでしょう。</p> <p> ところが、昨今の教科書論議を見ても分かるとおり、事はそう簡単にはいきません。</p> <br> <p><戦後の教科書執筆者></p> <p> 戦後、日本の歴史記述を担ったのが、マルクス主義の唯物史観の影響を受けた「進歩的」歴史学者たちであったのは言うまでもありません。</p> <p> 彼らの基本的なスタンスをまとめると次の2点に要約されます。</p> <p> 国土および文化の徹底的破壊をもたらしたあの敗戦は、</p> <p> ① 革命を担い進歩させるべき「市民」の不在、「市民社会」の未成熟がもたらした結果である。</p> <p> ② 「アジア的な封建制度」が近代にまで残存し、「ファシズム」を許容した結果である。</p> <br> <p> このように考えると、民主主義によって勝利を収めた西洋諸国の歴史学では取り扱うことのできない、ある「歪み」をもった異質な要素を持つものとして、日本の歴史は位置づけられてしまうことになります。</p> <p> 日本が独自の歩みをしていたのは確かですが、そうすると、逆に、西洋世界の方は「標準的な」発展を遂げていたことになってしまい、両者を結びつけることは原理的に不可能になってしまうのです。</p> <p> 大学受験にまで及ぶ「日本史」選択か、それとも「世界史」選択かといった、まったくもって不可解な区分のこれが由来です。</p> <br> <p><明治人の時代意識></p> <p> また、問題はもうひとつありました。日本の近代の端緒である明治を担った人々のなかにも、自分たちが「古代」国家の復興を成し遂げたのだ、という意識があったことです。</p> <p> ここでいう「古代」とは、自分たちのお手本となり、モデルとすべき時代という意味で、天皇を中心とし朝廷が政治を行っていた「奈良・平安」を指しています。</p> <p> つまり、武家が政治をおこなった「鎌倉」以降「江戸」に至るまでを、武士が権力を簒奪し、封建制度のもと野蛮な暴力によって支配が行われた暗黒の時代として、西洋の中世に比肩すべきものとしてしまったのです。</p> <br> <p>(つづく)</p> <br> <br>
<p align="center"><strong>前置き</strong></p> <p> 最近、いろいろな方から質問をされることが多いのですが、なかなか時間やスペースの都合もあって全て答えることができません。</p> <p> こんなことを言うのも、実は、私も自分で「歴史教科書」を執筆しようとしていました。</p> <p> これも何かの縁かと思いますので、この場をお借りして、こっそり「歴史」について簡単にまとめてみようかと思います。</p> <p> (いったいどの位、時間がかかるやら。長い目で見て下さいね。)</p> <br> <p><日本史と世界史という分け方></p> <p> まず、皆さんあまり知らないことですが、「日本史」と「世界史」というように、高校などの高等教育において自国の歴史と世界の歴史を分離しているのは日本だけです。</p> <p> どの先進国も、人類の誕生から始まって現在に至るまでの時間を、ひと繋がりの一貫した意味を持った存在として、自らの国家および国民の歴史を主体的に記述しています。</p> <p> つまり、その国の歴史=世界史という訳で、教科書も「歴史」一冊しかありません。</p> <br> <p> もし、日本が世界のなかで堂々と自己を主張し、真に世界史的意義のある役割を果たそうとするならば、このように自国の歴史と世界史を分離するといった、根拠のない領域区分をこそ、まず廃止するべきでしょう。</p> <p> ところが、昨今の教科書論議を見ても分かるとおり、事はそう簡単にはいきません。</p> <br> <p><戦後の教科書執筆者></p> <p> 戦後、日本の歴史記述を担ったのが、マルクス主義の唯物史観の影響を受けた「進歩的」歴史学者たちであったのは言うまでもありません。</p> <p> 彼らの基本的なスタンスをまとめると次の2点に要約されます。</p> <p> 国土および文化の徹底的破壊をもたらしたあの敗戦は、</p> <p> ① 革命を担い進歩させるべき「市民」の不在、「市民社会」の未成熟がもたらした結果である。</p> <p> ② 「アジア的な封建制度」が近代にまで残存し、「ファシズム」を許容した結果である。</p> <br> <p> このように考えると、民主主義によって勝利を収めた西洋諸国の歴史学では取り扱うことのできない、ある「歪み」をもった異質な要素を持つものとして、日本の歴史は位置づけられてしまうことになります。</p> <p> 日本が独自の歩みをしていたのは確かですが、そうすると、逆に、西洋世界の方は「標準的な」発展を遂げていたことになってしまい、両者を結びつけることが原理的に不可能になってしまうのです。</p> <p> 大学受験にまで及ぶ「日本史」選択か、それとも「世界史」選択かといった、まったくもって不可解な区分のこれが由来です。</p> <br> <p><明治人の時代意識></p> <p>また、問題はもうひとつありました。</p> <p> 日本の近代の端緒である明治を担った人々のなかにも、自分たちが「古代」国家の復興を成し遂げたのだ、という意識があったことです。</p> <p> ここでいう「古代」とは、自分たちのお手本となり、モデルとすべき時代という意味で、天皇を中心とし朝廷が政治を行っていた「奈良・平安」を指しています。</p> <p> つまり、武家が政治をおこなった「鎌倉」以降「江戸」に至るまでを、武士が権力を簒奪し、封建制度のもと野蛮な暴力によって支配が行われた暗黒の時代として、西洋の中世に比べるべきものとしてしまったのです。</p> <br> <p><時代区分のズレ></p> <p> すると、ここに日本と西洋における重大な時代区分のズレが生じます。</p> <p> それにはまず、西洋で何が「古代」や「中世」、また「近代」と考えられているかを知らないといけません。</p> <p> 西洋諸国においては「古代」が時代区分の原点になっています。</p> <p> それは、エジプトやメソポタミアで誕生した文明が、ギリシアを経てローマ帝国へと受け継がれ、地中海世界が統一された時代を指しています。</p> <p>日本の歴史教科書の最大の問題点がここです。</p> <p> つまり、「近代」という時代意識のなかには、「古代」帝国の復活の意識があり、西洋各国は、それぞれがローマ帝国およびその文明の継承者を自認している、ということなのです。</p> <p> もはやこれは、たんなる時代区分の問題ではなく、まさに「歴史」的意義の問題であり、日本側の視野の狭さが目立ちます。</p> <p>両者の時代意識を対比すると次のようになります。</p> <br> <p> <strong>西欧諸国 </strong>                                    <strong>日本</strong></p> <p><strong>古代</strong>=文明の時代</p> <p> (都市国家としてのローマの建国から西ローマ帝国の滅亡まで)</p> <p>紀元前753年~紀元後476年 [約1000年]</p> <br> <p> <strong>中世</strong>=暗黒の時代                               <strong>古代</strong>=朝廷政治の時代</p> <p> (西ローマ帝国の滅亡から東ローマ帝国の滅亡まで)           (聖徳太子の治世から鎌倉幕府建国まで)</p> <p> 紀元後476年~紀元後1453年 [約1000年]                 紀元後593年~紀元後1192年</p> <br> <p> <strong>近代</strong>=復活の時代                               <strong>中世</strong>=武家政権の時代</p> <p> (東ローマ帝国の滅亡から現在まで)                     (鎌倉時代から江戸時代まで)</p> <p> 紀元後1453年~現在      [約1000年?]                紀元後1192年~紀元後1868年</p> <br> <p>                                            <strong>近代</strong>=古代王朝復活の時代</p> <p>                                            (明治維新以後)</p> <p>                                            紀元後1868年~現在</p> <br> <br> <p>(つづく)</p> <br> <br>

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