「ねえねえ,佐々木先輩にはもうあげたの?」
「ううん,これからなんだけど……受け取ってくれるかなあ」
女の子達が騒いでいる。クラブの先輩に渡すチョコレートの話のようだ。制服から察するに,同じ中等部の子だから
渡す相手も女の子なのだろう。
「バレンタイン,か」
その光景を自室の窓から見ながら,私――龍宮真名は,呟いた。そして,ひとつため息をつく。
バイアスロン部の芹沢部長には,もう渡してある。今はもういないあの人。その面影のある部長に,その時食事に
誘われたが,予定があると言って断った。……そして,私の机の中にはもう一つチョコレートが入っている。
それを取り出して,口元でゆらゆらさせながら私は考えた。“彼女”は,これを受け取ってくれるだろうか。
そんなことを考えていると部屋の外で足音がしたので,素早く中にしまう。
戸を開けて入ってきたのは刹那だった。両腕にチョコレートを抱えている。
「刹那,どうしたんだ? そのチョコレートの山は」
「……ああ,剣道部の後輩に貰ったんだ」
戸惑った様子で,自分の机の上に置く。
「まさかこんなにくれるとはな。私は,彼女らの好意にどう応えたものだろう」
「あんまり深く考えることはないだろう。先輩への憧れが形になったものだ。来月には,お前が返してやれば
きっと喜ぶぞ」
このように生真面目な性格が,刹那の弱点でもあり良いところでもある。
「そうか,そうだな。ありがとう龍宮」
そう言うと刹那は,引き出しの奥から綺麗に包装された紙包みを出した。赤いリボンがかけられ,可愛らしい
キャラクターのシールで留められている。
「それは?」
私が尋ねると,
「これは,このちゃ…このかお嬢様になんだ。まあ,その,なんだ。たまには人並みにこういうイベントに
参加してみようかと思ってな」
はにかんだ様子で,刹那は部屋を出て行った。
「お嬢様ねえ……」
一人残された私は,ドアの方を見て呟いた。そんな風に気軽にやりとりできる彼女らの関係を,素直に羨ましいと
思ったのだ。
そして夜。時間も廻り,2月14日も残すところ後一時間ほどになった。
遅くに帰ってきた刹那は,とても嬉しそうだった。今もお嬢様からもらったチョコレートを,にこにこしながら
眺めている。
「ちょっと風に当たってくる」
私はそう言うと,気付かれないようにチョコレートを机から出して寮の外に出た。
そして私は,世界樹のある丘に来ていた。
ここから見る麻帆良の眺めはとても良い。いつも落ち合うこの場所に,もしかしたらいるかもしれない。そう
思ったのだが。やはり“彼女”――長瀬楓はいなかった。
楓は鳴滝姉妹と同室だ。今頃チョコレートを交換して,楽しく盛り上がってるのかもしれなかい。そんな風に
想像すると,私は少し寂しくなった。
「ふう……」
息をひとつついて,世界樹に背中をあずける。遠くに見える寮が,ちょっとだけ滲んで見えた。
しばらくぼんやりしていたが,草を踏む音に私は顔を上げた。背の高いシルエットが近づいてくる。あれは……。
「楓!」
思わずその名を呼ぶ。
「やっぱり,ここにいたでござるか」
ゆっくりと歩いてきたのは,長瀬楓その人だった。
「部屋を訪ねていったら,留守でござったからな」
「鳴滝姉妹といっしょかと思ったが」
「彼女らは,はしゃぎ疲れてもう眠りについたでござる。それと……」
いつもと変わらぬ調子で,彼女は言う。
「真名の口に合うか判らぬが,チョコレートを買ってみたでござるよ」
後ろに廻していた楓の右手には,四角い箱が載っていた。
「これを?私にか?」
つい口元が緩んでしまうのを,私は必死で抑える。
「ああ」
「そういうことなら,貰っておこう。礼を言うぞ」
まったく,我ながら素直じゃない。少しは刹那の態度を見習いたいものだと思った。
そこで私も,持ってきたチョコレートを渡す。
「これはお前にだ。甘さは控えめだが,美味しいらしい」
つい,ぶっきらぼうに押しつけてしまう。これでも,楓が好みそうな物をあちこち探して選んできたのだ。
「ありがとうでござる。真名,お主の気持ちは確かに受け取った」
にっこりと笑う楓。
その笑顔に,思わずどきっとする。私はこの表情に弱いのだ。
二人並んで,木の根元に座る。楓から貰ったチョコレートを開けて,一つ口の中に放り込む。じんわりと
甘さが広がった。
「うむ,おいしいな」
思わず,顔がほころんでしまう。
私は体の力を抜くと,楓に寄りかかった。緩やかな夜の風に,髪が流れていく。
「そういえば,真名はあんみつが好きでござったろう?新しく出来た和風喫茶に,真名好みのメニューがあった
のだが行ってみぬか?」
「ふふ,そうだな。二人で偵察に行くか」
そこでこちらから話しかけようと,楓の方に顔を向けたとき。
同時に楓もこちらを向いて,二人の唇と唇が重なってしまった。
「んんっ!?」
「おや,接吻を致してしまったでござるな。拙者初めての経験だが……真名の唇は柔らかいでござる」
「いや,その,な,何を言ってるんだお前は」
手を当てるまでもなく,頬が熱くなってくるのがわかる。ふと,クラスの連中が言っていたことを思い出した。
世界樹に関する伝説,それは――。
『世界樹の下でキスをした二人は,必ず結ばれる』
楓の唇の感触を思い出しながら,私はほんのり甘い予感を味わっていた。
END
最終更新:2007年04月10日 04:18