ぽつり、ぽつりと降り始めた雨。
まったく当たらない天気予報に舌打ちし、龍宮は足早に帰路につく。
雨はスナイパーとしての勘を鈍らせる。
護身用に持ち歩いている銃が雨で濡れてしまうのも嫌だった。
そんな理由で普段使う公道ではなく、多少の近道である公園へと龍宮は足を踏み入れる。
学園より寮よりの公園はやけに広い。
子供が普通に遊んでも飽きないくらいの遊具と、大人の憩いの場としての沢山の緑。
こう広い公園が寮付近にあるため、生徒の多くはここを通る。
しかし、龍宮は違った。
こんな小さな林のような場所に、敵が隠れていてもおかしくはない。
仕事から命を狙われやすい龍宮は、何気ない生活にも気を使う。
しかし一番の理由は“他人を巻き込みたくない”という、切実な想いからだった。
ましてや、憂いを求めてこの場に来たものを。
雨のせいで人がいない公園を全速力で駆け抜ける。
誰もいないからといって、油断してはいけない。
明日になればまたここは癒しの地に戻る。
その地を汚してはいけないのだ。
生きている価値があるとは思えない…自分のせいで。
ようやく広大な公園の出口に差し掛かったその時、龍宮は小さな気配を感じ取った。
悪意がしないものの、それが“何か”という事を確かめずにはいられない。
幼い頃から戦地の第一線にいた為の、もはや癖といっても良いものだった。
龍宮は気配を消し、背の低い木々の中を覗く。
「・・・・・くぅん」
緑に包まれながら、小さなそれらはいた。
天の恵みに喜んで葉を広げている木々とは異なり、無様にも雨粒という弾丸を受ける彼ら。
少しでも濡れる面積を狭めようと、互いに身を寄せ合っている。
そんな一匹と不覚にも龍宮は目を合わせてしまった。
あれからどの位 時がたったのだろうと、龍宮はふと思う。
天候が天候だけに、時刻の感覚が巧く掴めない。
芝生の上に無造作に広げた上着に軽く視線を落とす。
上着はちょうどその大きさに膨らんでいた。
その中から時折小さな鳴き声が聞こえ、もぞもぞと不規則に動く。
龍宮はうっすら笑みを浮かべ、上着の膨らみをゆっくりと撫でる。
中の生物はくすぐったいのだろうか、龍宮の手を上着越しに押し返す。
先程よりも雨が強くなり、上着は元の色を留めていなかった。
きっとこんな薄い布では中の小さな命は守れていない。
それでも多少の防御にはなっている。
その事実がやけに安心できた。
自然の恵みに同じ自然物である木々は歓喜を上げているのに対して、人工的に作られた遊具は悲鳴を上げていた。
人によって織られた制服の上着も。
そして自分の意思に反して、龍宮の身体も。
(ターゲットがいないというのは…結構 辛いものだな)
小刻みに震える体を抱き、龍宮は思う。
敵を攻撃するためにその場と同化し、身を潜めるのは得意だ。
例え銃弾の嵐でも、鮮血が止まない雨でも、一週間は持ち堪える自信があった。
しかし一端逆の立場になってしまうと、こんなにも情けない。
辺りが暗くなってきたとはいえ、まだ半日も経っていないではないか。
時間が経つのがやけに遅く感じる。
弱い自分にとてつもなく腹が立つ。
くやしい。
大きなモノでも 小さなモノでも、命は命。
奪うのはいとも簡単なのに、どうして守るのは大変なのだろう。
命あるものは常に戦っている。
人間でも動物でも植物でも。
その瞬間の息吹を守っている。
死と隣り合わせの戦地……自分の命を惜しまない場でしか生きられない自分はいったい、何なのだろう。
“生きる”という生物の摂理を放棄している、自分はいったい。
「私は・・・・・やはり、生きる価値がないのだな」
小さな呟きと共にため息が漏れた。
「生きる価値がないモノなど、この世にはいないでござるよ」
頭上から降ってきた声に龍宮は身体を強張らせる。
同時に小型の銃を引き抜き、腕を地面と垂直に構える。
地上より離れた所から声を発した人物が、先刻までなにもなかった銃口の前に立っていた。
“さすが”というように頭を軽く掻き、そのまま濡れた手で冷たい銃先を握ったのは、龍宮の級友の長瀬だった。
龍宮は声が聞こえて直に長瀬だとわかった。
判断の基準は声色でも特徴的な口調でもない。
龍宮は長瀬…長瀬の気配だけは決して間違えない。
たとえ 声色や口調が変わっても。
たとえ 姿・形が変わっても。
『自分より強い』
そう認めた物を、龍宮は間違う筈がないのだ。
だからこそ銃を声がした頭上ではなく、今構えているこの場に向けていた。
こいつは強い。
まともに戦ったら、きっと勝てないほど 強い。
生涯の天敵・・・ライバルと言っても良い。
龍宮がそこまで意識する相手はそういない。
彼女自身 自分の力量がある程度のものだと分かっているし、実際にその力があるからだ。
ではなぜ、こうまで長瀬を意識するのか。
それはとても簡単なことで、龍宮も感づいていた。
長瀬は『守れる』のだ。
自分の命を。
他のモノの命を。
素早く木の上から降りたのもそのためだ。
経験上 銃口をそこに向けられる…殺されると分かっているから降りたのだ。
相手が龍宮だからこそ、距離を取っても意味がない。
だからこそ自分の身を守りながら交戦できる、彼女の目の前に降りた。
銃を素手で握った行為の意図を龍宮には理解できなかったが、それも自分を守るためなのだろうと想う。
雨が地を、自分たちを叩く音だけが響き渡る。
龍宮はゆっくりと口を開いた。
「いつからいた」
長瀬は少し考え、言葉をかえす。
「今さっきでござるよ」
その言葉に龍宮の口元がひくつく。
今来たばかりの者が、自分の上着と同じ色の服を着ているものか。
長瀬の足を持ってすれば、たとえ ゆっくりと歩いたとしてもそこまでは濡れない。
もし「寄り道していた」と誤魔化したとしても、冷めきった金属の銃を触り何も言わないのは、身体が冷えている証拠だ。
つまり長瀬は、自分と同じ分だけ雨を受けているのだ。
それなのに平然とした顔で長瀬は、今の発言を繰り返す。
怒りを覚えた龍宮は迷うことなく空いている手で予備の銃を抜き構え、長瀬の胸目掛け発砲した。
“利き手ではない”ということは関係ない。
今できる最大の攻撃を仕掛けたのだ。
しかし長瀬は何食わぬ顔でそれをよける。
腕の薄皮一枚分避けきれず、身体が遅れて反応する。
布の切れ目から一滴の朱が流れ落ちるが、雨によって癒され色を失う。
「やっぱり真名はすごいでござる」
本気で避けたでござるよ?
と笑いながら言う長瀬に龍宮は舌打し、龍宮は銃をしまった。
何が“本気で避けた”だ。
自分は“本気で殺しにいった”というのに。
やはり楓は強い。
そう龍宮は実感していた。
わざとやっているようにしか思えないほどに雨水を掻き鳴らしながら歩く龍宮。
それとは逆に音も立てずに近づき、長瀬は龍宮の肩を掴む。
「あれがないと、明日 学校で困るでござるよ?」
自分の制服を指差す長瀬のほうを一瞥した。
盛り上がった制服は、ぴくりとも動かない。
ほら、やはり自分は守れないではないか。
龍宮は 自嘲気味に言葉を投げる。
「必要ない」
仕事上、服の代えはいくらでもある。
しかし中のモノの代えなど、どこにもないのだ。
「私は……弱いな。
お前より、そいつらより はるかに弱い。
弱いものは嫌いだ。
全部 無くなってしまえば良いのに」
それきり龍宮も長瀬も口を開くことはなかった。
さっきまでの雨が嘘のようにゆっくりと雲が引き、うっすらと月の明かりが差し込む。
「強くなりたいんだ」
一言だけ残すと、龍宮は寮へと向かっていった。
一人残された長瀬は先程の木陰に戻り、龍宮の重みで少しへこんだ芝生に腰を下ろす。
「真名は強いでござるよ」
世辞からではなく、長瀬は本当にそう思っていた。
常に先を読みながら仕掛ける攻撃。
それを避けるのが、どんなに大変なことか。
先程の銃傷が忘れていたように口を開き、シャツを染める。
なんとなくだが龍宮の考えていることが、分かる気がしていた。
昔聞いた“龍宮の過去のパートナー”の存在を知っているからかもしれない。
長瀬は地面に広げられた上着をめくる。
「攻撃は最大の防御でござる。
死にたい…死なせたい、殺したい……
心の底からそう思う者など、ないでござる。
それなのに・・・・・」
どうして真名は自分を追い込んでしまうのだろう。
長瀬はその場に寝転がり、月光に照らされた小さな命を見やる。
そこには龍宮の上着によって守られた、子犬が三匹。
何も知らずに、気持ちよさそうに寝息を立てているのだった。
fin
最終更新:2007年06月17日 00:06