私は涙を持ち合わせてはいない。
形式的に流す為の涙こそあれど、心の底から流す涙など、ない。
誰かの為に流す涙も、自分の為に流す涙も…
悲しみという感情など忘れてしまった。

私は誰とも交われない。
私は誰も愛せない。
私は誰からも愛されない。
そうでなければならない。
クラスメイトの談笑にも混ざることは出来ない。

【Persona】

「悩みすぎでござるよ」
糸目のおとぼけ忍者と付き合い出して暫くした頃。
彼女は前ぶれもなく口を開いた。
「何が。」
「何に対しても…でござる。」
そういって細い目をさらに細くする。
「真名は何でも一人で抱え込むのが好きでござるな…マゾというやつでござるか?」
「それ以上無駄口を開くな。撃つぞ?」
人が真剣に考え事をしているというのに、楓は人の顔を覗き込んでくる。
「あまり怒ると体に悪いでござるよ?」
怒らせているのは誰だ。
頼むから人の邪魔をするな。
「まぁ拙者とて独り言を言いたくなることもあるのでござるよ。気にしては駄目でござる。」
だったら他所でしゃべってくれ。
わざわざ私の横で独り言をつぶやくこともないだろう。
私の思いとは裏腹に楓は口を開き続ける。
「せっかく拙者が傍にいるというのに、真名は何も相談してくれないのでござるな。流石に寂しいでござるよ。」
「確かに拙者は馬鹿でござる。それは拙者も認めるでござる。宿題など相談されてもわからないでござる。それはわかっているでござるよ。でも今真名が考えてるのは宿題や仕事のことではないでござろうに…そんなに拙者は頼りないのでござるか?」
「真名と付き合い始めたころは拙者もうれしかったのでござるよ。でも最近の真名ときたらそんなに構ってもくれぬし…そろそろ泣いてもいいでござろうか?」
「大体拙者たちはまだ20にもなってないのでござるよ?何でも背負いすぎなのでござるよ…30過ぎた大人ですら抱えきれるかどうかわからぬ悩みを真名一人で解決できるわけないでござろうに。何のために拙者が傍にいるのか思い出してくれてもいいでござろう…」

とうとういじけ始めた楓に我慢できず、私は口を開いた。
「楓。」
「なんでござるか?」
待っていましたといわんばかりのうれしそうな顔。
やられた、と思ってももう遅い。
仕方なく私は言葉を続ける。
「いいたいことがあるのなら聞いてやる。お前の独り言は耳に障る。」
「真名はそんなに何を怯えているのでござるか?」
怯える?私が?
「怯えるというと少し違うでござるな。恐れるというのでござろうか。」
私が何を恐れるというのだ。
自らの手が汚れることを厭わない。
自らの命が奪われることさえ厭わないこの私が。
「真名は回りに壁を作っているように見えるでござる。もちろん人間は皆それなりに壁を持ってはいるのでござるが…何というか真名はその壁が厚いのでござるよ。」
そういって楓は私に腕を伸ばす。

「万人に壁を無くせなどという無理なことは言わぬでござる。
そんなこと、拙者にも無理でござるよ。
でもせめて、拙者にだけでもその壁を溶かしてくれぬでござるか?」
「そんなものなど…」
「だったらもっと拙者を頼ってほしいでござる。
真名の話を聞きたいでござる。
頼りないかも知れぬでござるが…拙者は真名の一番傍にいるのでござるよ?」

今でも十分に話している。抱きたいときは抱く。抱かれたいといわれれば楓を抱いている。
それ以上私に何を望んでいるのだ、楓は。

「真名はいつも肝心なことを話してくれないでござる。真名の傍にいても…拙者はいつも独りきりでござる…」
「そんなはずはないだろう。」
「そうなのでござるよ。拙者が何をしても真名の心の中には触れられない。何をしても虚しいだけでござる。」
「私は何をすればいいんだ?何をすれば楓は満たされるというんだ?」
自分でも驚くほど大声が出ていた。
なぜ私が責められなければならないのか。
私は楓の気に障るようなことをしたつもりはない。
楓は私に何を求めているのだ。

「…拙者を…長瀬楓を愛してほしいでござる。
その代わり、拙者も…真名を愛するでござるから。
誰よりも、真名を愛するでござる。
どこにいても、真名を忘れないでござる。
真名を、独りにはしないでござるから。
たとえ何があっても、拙者だけは龍宮真名を見続けるでござる、信じ続けるでござるから。」

楓に目尻から流れた一筋の涙。
何故かそれがひどく心を締め付けた。

「楓」

私はたまらず楓の名を呼ぶ。

「私は…私がわからない。
龍宮真名という人間は一人の殺し屋であって、それ以外のなんでもない。
殺し屋にとって不要なもの…たとえば感情だとかそういうものは持ち合わせていない…はずだった。
だが、今楓の涙を見て苦しいと思った。これは、何なのだ?私にはわからないんだ。すまない…」

不意に楓の温かい腕が、私の体を包んだ。

「たぶんそれが、真名の拙者に対する愛なのでござるよ。
愛しいという感情なのでござるよ。
真名が、拙者を大切に思ってくれている証拠でござるよ」

愛しい。
この気持ちが、愛しいということなのか。
目の前で楓が涙した。
私のことを見放さないと、私を信じ続けると。

「拙者が傍にいるでござる。
感情を持ち合わせていないと真名が言うのであれば、それを取り戻していけばいいだけのこと。
大丈夫でござるから。壁はゆっくり溶かしていけばいいだけでござるよ。」

楓の優しい笑顔がとても印象的だった。



「龍宮さん、最近表情が豊かになったね。」

クラスメイトの何気ない一言が、私と楓の進む道が正しいことを教えてくれた。



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最終更新:2007年06月17日 00:31