私―龍宮 真名―が、好意を寄せた相手は…  筋金入りの鈍感女  だった。


「キス、しても良いか…?」

長い髪を掻き揚げ、あらわになった可愛らしい耳にそっと低く囁く。
吐息が優しく耳たぶに掛かり、楓はぱっと顔を赤らめ龍宮を恥らうように見上げる……
…はずだった。


「んー?真名、お主がどんな男の人とキスしたって拙者は構わないでござるよ?」

龍宮に囁かれた本人は見事に期待を裏切り、手元の雑誌から目を上げようともしない。
しかも正確に言葉が通じなかったらしく、返事はおかしなものだった。
龍宮はこみ上げる羞恥心と脱力感、楓の鈍感さへの怒りなどを必死に押しとどめ、もう1度やり直した。
今度は1度目よりも丁寧に。


「私が、お前にキスしても良いかってことだ」

流石に通じたらしい。
楓はパッと顔を上げると、龍宮を見てニコッと笑顔を見せた。
好反応に胸を躍らせる龍宮に、楓は口を開く。



「拙者、真名がそういう関係に疎いって事知ってたでござるけど…」

「………は?」

「キスっていうのは、好きな男の人とするものでござろう?」


知らなかったのでござるか、と笑いながら楓は龍宮の頭をポンポン叩いた。

 プツン。

龍宮の羞恥心が臨界点を突破した。


「…ええいこの鈍感馬鹿忍者が…ッ!!」


沸点の低い龍宮は爆発し、楓の腕を振り払うとソファから立ち上がる。
死ぬほど緊張しまくってやっと言えた言葉が、あっさりと空振りに終わってしまったのだ。
プライドの高い彼女はとうとう堪え切れなくなったらしい。

隣で興奮し始める龍宮を、楓はポカンと見上げた。



「真名、お主疲れているのでは…」
「黙れ!いいか…鈍感馬鹿忍者のお前から、この私に教えられることなんて何も無いんだ…」
「この雑誌見たかったののでござるか?貸してあげるからそう怒るんじゃ…」
「黙れと言っているーッ!!」


龍宮は怒鳴りながら、楓の尻尾のような髪の毛をむんずと掴んで引っ張った。
引きずり立たされた楓の顎を掴んで、素早くその唇に唇を寄せる。
龍宮は大きく開かれた楓の瞳を縁取る睫毛、1本1本を数えられるほど接近した。

 そして―…


「ッな?!」


…ところがどっこい、相手は戦闘能力の優れた忍者。
額に楓の手刀を喰らった龍宮はガクンと仰け反り、ソファに倒れこむところを支えられる。
楓は龍宮をソファに再び座らせると、ポリポリと頭をかいた。


 「…とりあえず、落ち着いた方が良いでござる」
「………」
「いつもの真名らしくないでござるよ」


誰のせいだ、と心の中で吐き捨て、龍宮は平常心を取り戻そうと深呼吸した。
―冷静さを失ったら負けだ。


「…お前は、他人とキスしたいと思ったことがあるのか」
「えっそれは…」


どうにか落ち着いた龍宮が問いかけた言葉に、楓は頬を赤くする。


「誰だってあるのでは?真名だって男の人と仲良くしたいとか思うでござろう?」
「……男と仲良く?下らんな…」
「真名、男性は大切にしなければいけないでござるよ。」


それにしても変な真名でござるなぁ、と照れ隠しに笑い雑誌に再び目を落とす楓。
龍宮は内心頭を抱えた。

どうやら楓の恋愛対象は男性でしっかり固定されているらしい。
…いや、まぁそれが当たり前なのだが、龍宮にとってはとても困ったことだ。
初めて抱いた恋心を失恋という結果で壊したくなかった。

この勝負…絶対に負けられない。


「あ、そうだ。真名にお願いがあるでござる」

一人で燃え上がっていた龍宮は、楓の言葉に咄嗟に返事が出来なかった。
楓のほうを向くと、はにかんだような瞳が下から見上げている。


「ん~。その、真名の服を貸してくれぬでござるか?」

「…私の服、だと?」


どういうことだ?と思いつつも心臓は勝手に躍りだす。
上目遣いで私の服を貸せ、だと?


「この服が着たいということか?今ここで脱げと?」

「違う違う違うでござるよ!その…ジーンズ?とか、そういう動きやすい格好がしたいでござるよ。」

「…お前がか?」

「そう、…似合わないでござるかな」


龍宮は想像力を羽ばたかせた。
いつも女性らしい服に身を包んだ楓に、細身のジーンズとシャツを脳内で着せてみる。

「………何故だ?」


必死に熱を冷ますように龍宮は冷たく言った。

その龍宮の反応に、がっかりした楓は首を振る。


「いや…真名が嫌ならいいでござる。他の人の服はサイズが合わなくて借りれなくて…」

「誰も貸さないとは言っていないだろう。何故だ、と訊いているんだ」

「貸してくれるのでござるか!?」


嬉しそうに顔を上げ、楓は龍宮にありがとうと言った。
そして照れくさそうに、一言。


「明日のデートに着て行きたいんでござるよ♪」




 次の日。

龍宮はベッドの中で楓が出るまで寝たふりを決め込んだ。
昨夜渡した服を、楓が着て鏡を覗き込んだりしている気配を感じながら、目を閉じる。
やがて、行ってくる、という声を残して楓は部屋から出て行った。
足音が遠ざかり、少し経ってから龍宮は起き上がり、フンと鼻を鳴らす。
相手を幻滅させるため、楓に酷い服を渡してやろうかと思ったりもしたが結局やめた。
しつこく相手は誰だと追及しようと思ったりもしたが、結局やめた。


「…所詮下らない男にうつつを抜かすような、そんな奴だったということだ…」


勝手に相手を“下らない”と決め付け、龍宮は楓の空のベッドに軽蔑の眼差しを投げてやる。
服を着替え、部屋のドアを開いたら刹那と古菲がいた。
部屋から出てきて、龍宮が出てくるまで廊下で待機していたらしい。


「おはよーアル!なあ龍宮、楓に服貸したアルか!?」
「おはよう龍宮、楓さんとっても似合ってたな。」
「でーとってやつアルな!!」
「デートだ古菲。まぁ確かに楓さんはスタイルいいし男性の一人や二人、
いるだろうな」
「オォ!楓はモテモテアルな♪」


うらやましぃーと笑う刹那と古菲の鼻先で、龍宮はドアを閉めた。鍵も閉めた。
ワンテンポ遅れて、ドンドン叩かれるドア。


「今日は気分が悪い。一人にしてもらうぞ」


刹那と古菲の声とドアを叩く音に被せるように、龍宮はそう言ってベッドに逆戻りする。

…楓には……男性が……一人や二人……

 龍宮の頭の中で、刹那の言葉が切れ切れにリフレインした。
ドスンとベッドに腰を下ろし、手元にあった枕を楓のベッドに投げつける。
龍宮の枕は、楓の枕の上に叩きつけられバウンドする。


「―…くそ…ッ」


頭を抱えて唸った龍宮の耳に、廊下の会話が聞こえてきた。

「どうしたんだ?龍宮の奴…」

「気にしちゃ駄目アル。龍宮はきっと、今とっても心を痛めてるアル。
楓がデートだから」

「?何で楓さんがデートすると、龍宮の心が痛むんだ?」

「やきもちアル!龍宮だって、大切なクラスメイトが自分そっちのけで、
男の人と遊んでたら嫌アル?」

「(お嬢様が私そっちのけで異性と…)確かに、そう言われると嫌だ」

古菲が刹那を促して廊下を歩いていく音が途切れた時、龍宮はベッドから立ち上がった。

変なとこで鋭いな古菲の奴…

いつもの服を脱ぎ捨て、スーツを着る
後ろ髪は結び、ポニーテールにする
最後に革靴を引っ掛け、サングラスをしてドアを開けた。


窓から、龍宮が走っていくのを古菲が見つけた。


「龍宮~頑張るアル~♪」
「え?龍宮?何処だ?」


ニコニコと手を振る古菲の隣で、刹那がきょろきょろと龍宮を探していた。



夕方近くになっても、楓は見つからなかった。
そもそも何処に行くかも訊いていないのに、見つけられる方がおかしい。
龍宮はもう探すのを諦め、人波に身を任せてぶらぶら歩いていた。

―…まったく、どうかしている。

貴重な一日を、こんなことに使ってしまい馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
そろそろ帰ろうかと身を翻した時、目の端をちらりと髪の長い女性が横切った。

…楓、か?

そちらの方を向き、じっくりと相手の後姿を観察する。
白いレザージャケットにブーツカットデニム。尻尾のような長い髪。
多分自分の服だろうし、あんな変わった髪型の女が楓以外にそういるはずがない。
だがどうも、いつもの楓と印象が違いすぎる。
服一つで変わるもんだな、と龍宮は怒りを抑えて考えた。

―なんと楓は二人の男と一緒だったのだ。

龍宮の燃えるような視線に気付いている様子もなく、楓は楽しそうに笑っている。
三人の後をこっそりつけながら、龍宮はどうやって話しかけようかと煮えたぎる頭で考えた。
龍宮が話しかけられないうちに、楓が二人に目の前の建物を指差し、何かを言う。
二人の男は楓に頭を下げ、名残惜しそうに建物の中に消えていった。
そして一人残った楓は、くるりと向きを変ると龍宮の方に歩いてくる。
突然のことに何も言えず立っている龍宮の横を、楓が通り過ぎようとする―…


「おい」


龍宮はとっさに楓の腕を掴んで引き止めた。
楓はギョッとして龍宮の手を振り払い、数歩下がって身を低くした。
そして龍宮の顔をまじまじと見た楓の瞳が、驚いたように見開かれる。


「…真名?真名でござるか!?」

「フン。クラスメイトの顔も覚えられないほど馬鹿とはな…」

「なっ!だって真名のスーツ姿なんて初めて見たでござるし…誰かと思ったでござるよ!」


本当に驚いた、と笑う楓


「真名、すっごくカッコイイでござるよ」


 目元を少し赤くして、楓がふふっと笑って言った。

人の気持ちも知らないで、そんなこというな。という言葉が
龍宮の口から出掛かって引っ込んだ。


「…で?大いに男と楽しんでいたという訳か?お前は」

「ん?…ああ、そうか。拙者、真名にデートって言ったでござるか」


龍宮がぷいとそっぽを向いて言った言葉に、楓が頭を掻く。
その悪びれもない様子に、龍宮はギロリと楓を睨んだ。
楓の、その笑いをこらえているような口元が憎らしい。


「あの男達のどっちがお前の本命だ」
「へ?さっきの見てたでござるか?あの人達には道案内してただけでござるよ」
「フン。下手な嘘を…」
「本当でござるよ!」
「ほーう。それにしちゃ楽しそうに顔を緩めていたようだが?」
「楽しそうになんかしてないでござるよ…」
「お前は付き合っている奴以外にも、男であれば愛想を振りまくんだな」


ついつい挑発するような言葉を使ってしまい、龍宮がしまったと思った時にはすでに遅し。
楓の顔から、笑顔が拭い去られた。


「…向こうが話しかけてきただけでござる。それに拙者が誰と話そうが、
真名にとやかく言われる筋合いは無いと思うでござるよ」


楓は龍宮から顔を背け、不機嫌そうに低い声で言った。

「真名だってめかし込んで、怪しいでござるよ?」
「…………」
「昨日の夜にキスがどうとか言ってたのは、
今日のために練習でもしようとか思ってたのでござろう?」
「……違う」
「あ…申し訳ないでござる、ちと言い過ぎたでござるな…。先に帰るでござる」


しょんぼりと肩を落とし、楓は龍宮から離れて足早に歩いていった。
龍宮はそのままじっと立っていたが、拳を握り締めると踵を返す。
走って追いついて、楓の肩を掴んでこっちを向かせる。
暗い顔をした楓に、龍宮は素っ気無くならないようにと慎重に口を開いた。


「……ただ、妬いているだけだ。別にお前が悪い訳ではない」
「…………」
「お前が私達をほっといて、男と遊んでるのが少し嫌だったんだ。八つ当たりして悪かった」
「……真名」


楓は目を丸くして、そして物凄くすまなそうな顔をした。


「違う、真名。申し訳ないでござる」
「何が違うんだ」
「…いや…デートって言うのは、実は……う、嘘でござるょ…」


「………は?」


龍宮の目が点になった。

一瞬の空白を埋めるように、言葉の流れが氾濫を起こす。
―嘘だと?何だ?今までやきもきしてた私はいったい何だ?
何で私はこんなにも悩んでいたんだ?は?嘘?何…


「…ほ~私に嘘をついたのか…お前は…!!」
「ま、真名落ちつくでござるよ!」
「うるさい!!人の苦労も知らないで!!」
「ち、ちょっと冗談のつもりで。その、真名が男の人と仲良くするのは、下らないと申すから…」
「………」

「さっきまで、ネギ坊主と会ってたでござるよ修行で。
驚かせようとして真名のこの服を着てったら、ネギ坊主に似合うって言われたでござる」
「…………」
「えっと、だから…その…ほ、本当に申し訳ないでござる!
笑い事にするはずだったのに、真名と喧嘩みたいなことになって…っ」

拙者は本当に馬鹿だ、と楓は言いながら龍宮を拝むポーズをした。
龍宮は、しばらくじっと低姿勢の楓を眺めていた。
そして龍宮の長い指が伸ばされ、楓のおでこがビシリと弾かれる。
楓が痛さに奇声を上げて、龍宮に混乱したような瞳を向けた。


「…ああ、本当にお前は馬鹿だな」
「っうぅ~そんなきっぱり肯定しなくても…」
「ネギ先生のこと好きなのか?」
「え?いや、恋愛感情の好きではなくて、こう弟子として好きというか…」
「やっぱりお前は馬鹿だ」
「ま、真名?笑ってるでござるか?」


くっくっく、と口元を押さえて肩を震わせる龍宮に、楓はきょとんとする。
龍宮は楓の返事を聞き、安心したのだ


「冗談ですまないだろうが…まぁいい。
お前の言うことなんて、これから二度と信用しないことにするよ…」
「なっ!たかが拙者がデートするとか言っただけでっ…」


私には大問題だ、という言葉を飲み込み、龍宮は楓の腕を掴んで歩き出した。
まだ楓が何かを言っているが、黙殺する。
気がつくと日はとっぷり暮れていて、気温が下がってきた。


それにしても、とんだ一日だった―…
ちらと横に視線を送り、まだ隣でブツブツ言っている楓に、さり気なく言った。

「似合ってるぞ」

「ん?この格好がでござるか?」
「…他に何がある。まぁでも、普段どうりの格好も似合っているけどな」
「真名に言われると、何か物凄く照れくさい気がするでござるな…」
「何故だ?」
「ん~?よく分からないでござる。兎に角ありがとうでござるよ
服貸してもらえて嬉しかったでござる」


にっこり笑って礼を言う楓の頬に、人差し指をめり込ませてやる。


「馬鹿忍者。私は騙されて全然嬉しくなかったぞ…」
「も、申し訳ないでござる!それに、拙者忍者では…」

龍宮が人差し指に力を込める
「い、いたたたた!痛いでござるよ真名~!」
「当たり前だ。痛くしているからな」
「う~…あ!そういえばどうして真名はスーツ姿でうろついてたのでござるか?」
「フン!どうでもいいだろう早く帰るぞ!」
「ええっ教えてくれないのでござるか?」
「煩い!つべこべ言わずさっさと歩け!」

「やっぱりデートでござるか?何だ、真名の方が拙者より進んでるでござるなぁ」
「違うと言っているだろう。」
「ほ~本当でござるかな?」

悪戯っぽい瞳で楓が覗き込んでくるが、龍宮はそっぽを向いて聞こえないふりをする。
お前を探しに来たんだ、と言ったらこいつはどんな顔をするだろう?


寮に戻り、少し経ってから龍宮の部屋に入ってきた楓と、目が合った。
何かを言いかけるのを防ぐように、龍宮は先に口を開いた。


「なあ」


初めてのことばかりで、混乱しているのは確かだ。
でも。
きっと、これが―


「キス、しても良いか?」



 ―“青春”ってやつなのかもしれないな。


END

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最終更新:2007年11月27日 15:44