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概要

墨もしくはインクを針につけて肌に刺すことで色を定着させる行為
一般的には針の点つなぎで肌に絵を描くことを指す

歴史

江戸以前の刺青

今から一万年前の縄文時代には刺青の存在を示唆する土偶や土器が見つかっており、魔除けや狩猟の祈願だったのではないかとされています。
弥生時代、 魏志倭人伝には、倭人が体に文身(刺青)を施しているという記述があります。これは、魔除けや海での安全を祈る意味があったとされています。
飛鳥時代〜平安時代には、刺青が刑罰として使われるようになりました。特に罪人や奴隷に対して、顔や腕に刺青を施すことで彼らを社会から区別する目的がありました。これを「入墨」と呼びました。
鎌倉時代〜室町時代も引き続き犯罪者に対する刑罰としての刺青が行われていました。ただし、一部の地域や階級では、信仰や風習として刺青が施されることもありました。

江戸時代の刺青

火消しや職人の間で刺青が娯楽としても広まるようになりました。個性や忠誠心を示すために刺青を施すことが一般的になりました。浮世絵師が描いた絵を身体に彫ることが始まった時期で、現代における和彫のルーツとなっています。

明治時代の刺青禁止令

明治政府は西洋化政策の一環として、1872年に刺青を禁止しました。しかし、刺青文化は地下に潜り、密かに続けられました。特に火消しや侠客(ヤクザ)の間では、刺青は忠誠や男気を示すシンボルとして重視され続けました。

現代の刺青

現代の日本では、刺青は再びアートやファッションの一部として受け入れられるようになっています。しかし、ヤクザ文化との結びつきから、公共の場での刺青は依然として偏見や制限が伴うことがあります。
グローバル化とともに、海外のタトゥーカルチャーの影響を受けて、日本でも新しいスタイルや技法が取り入れられています。若者を中心に、ファッションとして刺青を楽しむ人々が増加しています。
日本における刺青は、時代や文化、社会的背景によってその意味や役割が大きく変わってきました。現代では、個人の表現の一部としての刺青が再評価される一方で、依然として社会的な議論の対象でもあります。

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最終更新:2024年08月14日 17:37