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921 :ひゅうが@風邪薬ないとやばい:2014/07/07(月) 20:46:44 戦後夢幻会ネタ――その0.3「インタビュー 1946年」 ―「アメリカ海軍の名将?ベスト3? そうだな。まずは、ウィリアム・F・ハルゼー大将だな。 なに?ブルズランの悪名高い提督だ? バカを言っちゃいけない。彼はあの東京奇襲攻撃を実施し少ない戦力で太平洋を所狭しと暴れまわった猛将だぞ? わが軍の痛いところ痛いところへ痛打を浴びせかけたその確かな戦略眼がわが機動部隊のインド洋遠征を中断させ、やがてミッドウェーで攻守を逆転させたのだ。 それにブルズランとやらでも、小沢機動部隊を結局は壊滅させ、沖縄沖でもわが艦隊にひとつの選択肢を強制したのだ。 彼がいなければあの戦争は2年は長引いていたよ。 次に、レイモンド・スプルーアンス大将。 なに?またマリアナで失敗した提督? これもまさかだよ。彼の周到を極める準備こそ、当時掛け値なしに世界最強を誇った機動部隊をミッドウェーで壊滅させた原動力なんだ。 その後も隙はほとんどない。 結果、わが海軍はその堅い守りを崩すために宝石より貴重な熟練搭乗員を消耗し、水上艦艇群に耐えがたい消耗を強いたんだ。 陸海軍の連絡不足につけこんで、やっとマリアナに防衛線を築きあげるのがせいぜいだったというのがあのマリアナ沖海戦の実態だよ。 事実、機動部隊は洋上行動艦こそ無事だったものの、結局はエンガノ岬沖で囮となるしかないほどの大消耗を強いられたのだ。 あれを日本側大勝利などといっているが、何のことはない。われわれは後のないじゃんけんであいこを出すことができただけなんだ。 事実、大西洋へ転出してからは護衛空母群の指揮官として未だ健在だったUボート群や陸上部隊へ機動部隊による波状攻撃という離れ業を成し遂げているじゃないか。 その手腕は、我々がいうのも何だがサマール島沖の再現を許さないというまさにアメリカの『過去に学ぶ』姿勢を体現しているようだったよ。 あのまま沖縄でも機動部隊の指揮をとっていたら英海軍に攻撃をかけるという戦力分散を起こさざるを得なかった我々の窮状につけこんで逆に九州の航空基地群は壊滅していただろうよ。 922 :ひゅうが@風邪薬ないとやばい:2014/07/07(月) 20:47:17 そして筆頭はチェスター・ニミッツ元帥だ。 え?地味? 苦労人? 部下の責任をとらされた? 派手な海戦を行わず、着実にわが海軍とひいては日本列島を締め上げた名将だよ?彼は。 彼は潜水艦に造詣が深かった。 おかげで1942年にかけてはわずか16隻の潜水艦でわが海軍の補給線を断つという大戦果を挙げているね。 そして南方航路も。 もしも魚雷が改善されるのがもっと早ければ、わが海軍はソロモン諸島で立ち往生していたはずだよ。 だから青くなってわが海軍は護衛艦艇の量産と対潜装備の改良に血道を上げたんだ。 そのあたりについては阿部君が詳しいよ。 彼なんかは『ニミッツ元帥がいなければもっと楽ができるのに』といつもボヤいていたなぁ。 え? そうだよ。阿部俊雄、当時中佐。 君たちも知っているだろう。あの『信濃』の艦長だ。 おかげで沖縄沖のときに『信濃』は間に合わなかったし、それと同時期に進水くらいはしているはずだった『阿蘇』『生駒』以下の雲竜型空母計6隻はドック上にキールを据えただけで解体だ。 信濃型空母2番艦になれるかもしれなかった111号艦なんて、船体の一部が浮桟橋になったあとはみんな護衛艦艇やタンカーに消えていったんだ。 1943年以降にギリギリ南方航路を維持させた結果が、沖縄沖での壊滅、8月あたりまで戦争が続いていたら我々は伊勢 日向と長門という無傷の戦艦3隻に空母8隻で、その4倍はいるアメリカ海軍に立ち向かわなければならなかったんだ。 しかも、海上封鎖されてじわじわ減っていく油と、機雷でいっぱいの港湾、さらにニミッツ元帥が作り上げた40隻の潜水艦群に迎えられてね。 あと50隻も潜水艦が投入されていれば――戦わずしてわが海軍はもとより大日本帝国は立ち枯れを余儀なくされていたところだ。 そして忘れちゃあいけない。 ニミッツ元帥がたてた方針通り、ソロモン、ギルバート、マーシャル、マリアナ、パラオ、硫黄島、そして沖縄が着実に制されたからこそ日本はその動脈を締め上げられ、両手を上げざるを得なかったんだ。 そして先に挙げたハルゼー、スプルーアンスといった猛将名将を束ねて攻守を逆転させ、我々に最後に打ち勝ったのはニミッツ元帥だ。 その方針にワシントンや米本土あたりから入った横やりこそが我々の唯一の助けだったといってもいい。 だから、君。一度の敗北で一人の提督を判断しようとしたり、うしろから罵声をあびせるんじゃあない。 あの東郷元帥も日露の戦役の折には初手の旅順奇襲に失敗しさんざん旅順艦隊に苦しめられている。 だからこそ最後の勝利を得ることができたのだ。 我々、一時は世界第二ともいわれた海軍を完全に壊滅させ大勝利を手にした君たちが勝者を評価しないでどうするんだね?」 ――1946年 元日本帝国海軍大将 南雲忠一 米誌のインタビューに答えて

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