473 :ひゅうが:2012/04/13(金) 02:06:18
新島誕生世界の第2次大戦までの道のり?考察
――そもそもの発端は、1923年に太平洋上に出現した「瑞穂島」と呼ばれる日本列島の四つの島と同等の大きさを持つ巨大な島嶼だった。
この島の出現と同時に、太平洋を隔てた
アメリカ西海岸では地震が多発しはじめた。
シアトル沖合からは300年ぶりに長さ200キロにわたるプレート境界が破壊され大津波が西海岸北部を襲った。
続いてサンフランシスコでは再び直下型の大地震が発生し、とどめとばかりにアラスカ沖で発生した大地震はアラスカ半島を壊滅させたあと大津波でもってハワイ真珠湾を炎と汚泥で埋め尽くした。
これらの大災害の結果、北米西岸は瓦礫の山と化したが合衆国がわいていた好景気と世界大戦の結果拡大していた生産能力はそれを補って余りあるものだった。
結果として1934年の末に至るまでアメリカ合衆国は好景気を持続させ、アメリカ合衆国大統領ハーバード・フーヴァーは「アメリカ合衆国最高の大統領」として歴史にその名を刻むことになったのである。
好景気を後押ししたのはこれら復興需要だけではなかった。
瑞穂島を手に入れた太平洋の向こう側の「友邦」日本帝国はその維持に合衆国の機械を必要としており、日米が共同経営する満州鉄道株式会社をはじめマンチュリアにおける影響力の拡大をストップさせていたのだ。
結果、復興需要が一段落したアメリカ財界は国内からマンチュリア、そしてチャイナへと投資の行く先を変えていったのである。
このため、1934年12月に個人投資家たちを没落させた「悪夢のクリスマス」以降もしばらくは経済はゆるやかな下降路線をたどっていったが、国内製造業は軒並み干上がっておりただ海外投資のみがそれを下支えしている状況に変わりはなかった。
緊急経済対策を開始したフランクリン・D・ローズヴェルト政権はこれに続く1938年に生じた「第2次大暴落」と、中国国民党政権が名実ともに崩壊したために生じた翌年の「第3次大暴落」により史上初の大統領弾劾を経て崩壊。
1940年には挙国一致政権としてダグラス・マッカーサー政権が誕生するに至る。
時をほぼ同じくして、ソ連崩壊(1925年)以来東へ領土を拡張していたポーランド共和国においてクーデターが発生。
「対独警戒軍事評議会」による軍事独裁政権が成立するに至る。
これは、1940年のウィルヘルム2世死去に伴い帰国を許されたウィルヘルム皇太子(3世)とそれを主導したアドルフ・ヒトラー政権、ひいてはドイツ復活への恐怖心が生み出したものだったといわれる。
欧州には戦火の香りが再び漂い始めた。
マッカーサー政権はフランスとともにポーランド支持を明言。
ドイツは英国と友好関係を構築するという奇妙な事態が生じた。
そして太平洋では、マッカーサー政権が「統治能力を失った中国国民党にかわり満州自治政府が中国全土を統治する」ことに支持を表明。
見返りに在満米軍の大幅拡充を日本の頭ごなしに認めさせていた。
これは、マッカーサーをはじめとするアメリカの「満瑞交換論」に立脚した措置であった。
彼らにしてみれば「瑞穂島」という有望な資源地帯と広大な領土を手に入れた日本はそれで満足すべきであり、今こそ門戸開放に協力しチャイナを明け渡すべきというわけだった。
そしてマンチュリアを基地とすれば、米国は日本本土に直に圧力をかけられるようになり自然に太平洋における米国の覇権は完成する。
そうなれば日米は運命共同体として次代の世界新秩序を主導できる。アメリカに都合のいい設定ではあったが彼らは彼らなりの「善意」で行動したのだった。
だが、これを認められるほど日本人はお人よしではなかったし、大英帝国も
アジアを放棄する意思は持っていなかった。
今やロシアをも支配するに至ったポーランドは、そのあふれる復讐心をドイツに向けつつありそれにフランスもまた同調しはじめている。
太平洋の緊張は頂点に達しつつあり、日米両軍は満州で、そして西太平洋上でにらみ合いつつあった。
時に、西暦1947年・・・
世界は第2次大戦を迎えようとしていた・・・
最終更新:2012年04月15日 06:28