1947年に始まった第二次世界大戦。ヨーロッパではポーランドがドイツへ宣戦布告し、フランスもこれに
同調するように宣戦布告をしたためドイツは2方面からの圧力を受ける形になっていた。
しかし、当時の世論が予想したドイツの早期降伏は果たされず、逆に2国が多大な損害を受ける事になった。
理由はいくつも考えられるが特に兵器運用と兵站において勝負が決まったと言われている。
ポーランド軍の主力戦車は14TPやフランスのS35戦車という47年当時では旧式に属する兵器であった。
これは東方進出政策によって新規開発予算が減らされ、道路が碌に整備されていないロシアの大地では
騎兵のほうが重要視され、しかも本格的な対戦車戦が冬戦争時の限定的な事例しかなかったためであった。
そのため兵站も一部は自動車化が始まっているとはいえ基本馬匹に頼るため進撃スピードは鈍く、
日本戦車の影響などで劇的な進化をしていたドイツのパンター戦車などを使った機動防御の前に
あっさりと敗退するしかなかった。
フランスのほうは
アメリカからのM4中戦車の購入などある程度の戦力は整えていたが
マジノ線を出ての戦いは想定されておらず軍の運用も旧態のままであり、
相変わらず伝令や伝書鳩に頼る情報伝達やポーランドと同じく馬匹に頼る兵站を見事に突かれてしまった。
ドイツ軍では日本の九七式などに影響を受けてパンター戦車の生産・改良など新兵器開発に余念がなかった。
そして兵站ではドイツは防御側であるために負担が少なく、イギリスからの援助で送られたチャーチル歩兵戦車やセンチュリオン
巡航戦車などの足の遅い戦車も活躍でき、空軍との立体作戦にて勝利を収めた。
この戦闘において追撃などを含めて連合は数々の装備を放棄して敗走、ドイツ空軍による鉄道や道路への爆撃による
後退の鈍化などにより多数の部隊が取り残され捕虜となった。
そしてそれ以上に連合は「ドイツとの戦いは数週間で勝利するだろう」などプロパガンダを積極的に喧伝していたため
かつてない大敗北によって世論は大混乱に陥った。フランスでは元々纏まってなかった議会で責任の擦り合いが行われ
ポーランドでは折からドイツによって密輸されていた武器によりドイツ系やユダヤ系を中心に大規模なテロルが多発し
戦力再編のために東方から部隊を引き抜いたことでロシア系までが反乱を起こし、ポーランド各地で血で血を洗う
泥沼に陥っていた。
そしてドイツでは着々と侵攻準備が進められ、日本の貫通爆弾を多用したマジノ線突破作戦までに必要十分な
戦力を蓄える事になる。
最終更新:2012年04月15日 06:30