332:戦車の人:2025/07/29(火) 20:02:53 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
帝国陸軍の戦車との繋がりはかなり早く、少なくとも日露戦争以降には独自開発を開始した痕跡が伺える。
それは菱形戦車に近い塹壕や鉄条網を突破し、火力で敵陣地を制圧し歩兵を雪崩込ませる、やや旧弊なものではあった。
しかしここで戦車というものの基本を作り上げ、試験的な部隊運用を積み重ねることで兵器としての方向性や実用性を洗練。
最初の世界大戦で派兵された遣欧軍の各師団には、早くもルノーFT同様の全周砲塔を備える戦車が大隊単位で配備された。
無論、機械的信頼性などから後々ほどの性能や衝撃力には至っていないが、柔軟な火力発揮による敵陣地の突破。
あるいは相当な無理をする形になったが、自動車化歩兵を伴う機動突破さえ複数回成し遂げ、世界に衝撃を与えた。
同盟国の英軍にも相当数の国産戦車の供与、技術提供が行われ、多くの人命を浪費した塹壕戦打開の鍵の一つとなった。
なお日本、英国、フランスなどの戦車運用に最も衝撃を受けたのがドイツで、それこそが第二次世界大戦時における装甲部隊。
欧州大陸を席巻し英本土さえ占領した鉄の猛獣を生み出したのだから、歴史というものは皮肉に満ちている。
世界大戦後も日本の戦車開発は進んだ。かの総力戦で戦車という兵器が歩兵支援、機動突破双方で大きな役割を果たした。
嘗ての騎兵の役割さえ果たすことが可能となった新兵器は、新しいものを好む日本人の性質にも適合していたのかもしれない。
この新世代の鉄牛にして騎兵を開発、量産できるだけの重工業基盤も構築され、比較的順調に開発が進んだことも幸いした。
同時に最大の開発継続が認められた理由は兵器輸出であった。当時の中国や満州は国共内戦やソ連により不安定化。
タングステンなど希少資源の取引先にして、満州の租借先-大まかに言えば大家の国民党崩壊は最も避けるべき状況であった。
敵対する共産党へソ連の武器供与が進んだのみならず、米独の国府軍への武器輸出打診も無視できるものではなかった。
少なくとも当時は付加価値の大きい戦車、航空機と言った兵器は外貨や資源とバーターになる有力な商品であった。
そこに合衆国やドイツという国府の意向を左右しかねない大国の影響は看過できず、その一環として戦車開発も進められた。
同盟国である英国とも技術交流は積極的に行われたが、彼らはまず自国の軍隊の回復と近代化にそれを必要とした。
無論、戦間期に現役とされた国軍15個師団への配備も進み、そのうち3個師団は戦車師団へと改編されてもいる。
現役師団の数を抑え軍の火力と機械化向上を目指す方針は間違いなく、残る12個師団の自動車化も急速に進んでいる。
そして中国大陸市場の競争で磨かれた戦車、野戦重砲、航空機などは総じて高性能なものとなった。
戦車においては八九式戦車という国軍最初の3名砲塔を備え、限定的とは言え電気溶接工法を採用した戦車が完成。
砲には歩兵直協と当時としては対戦車能力も高い75ミリ短カノン砲を持ち、エンジンも空冷ディーゼル方式を用いている。
装甲も避弾経始こそいまだしだが正面で50ミリに達し、機動力もそれまでの国産戦車に比べ相当な向上を果たした。
この八九式で中国国民党軍の日本戦車への信頼を確固としたことも、後述する九七式以降の開発順調を支えている。
輸出商品としてタングステンなどの希少資源や外貨の獲得は、本来の顧客である国軍機甲部隊にも利益を与えたのだ。
以下においては第二次世界大戦前から戦間期、第三次世界大戦直前までの国軍中戦車について記してゆきたい。
333:戦車の人:2025/07/29(火) 20:03:39 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
昭和12年に正式採用された中戦車であり、バスケット構造の3名砲塔や上部転輪付クリスティーサスペンション。空冷ディーゼルエンジン等を採用。
砲塔と車体も完全な電気溶接工法で製造されており、正面は良好な避弾経始を有し、当初より強く対戦車戦闘を意識した戦車である。
故に車体重量は25トンへ達しているが、産業革命以来の着実な工業化とインフラ近代化により、全く無理なく運用できる車体規模に収まっている。
全幅2.7メートル、全高2.6メートル、全長5.75メートルと同世代の戦車の中では大きく、25トンと規模相応の戦闘重量も有している。
車内レイアウトは概ね人間工学デザインに即しており、砲塔内部に砲手、車長、装填手の3名。車体に操縦手と無選手の2名が乗車する。
空調装置こそ有さないが機力式換気装置は備えられており、砲・機銃連続射撃時の一酸化炭素中毒の危険性を大きく減じている。
駆動系は空冷12気筒400馬力ディーゼルと油圧補助シンクロメッシュ変速機を一体化した、パワーパック方式で動力効率を効率化している。
車体底部にドライブシャフトを通す必要が消えたことから、車内容積も効率化され、同時に車高の低減に一役買っている。
サスペンションは上部転輪付クリスティーサスペンションであり、幅広の履帯と併用することで操縦性と機動力双方を向上させている。
武装には主砲として歩兵科速射砲と同一の54口径57ミリ戦車砲を、垂直砲安定装置や効率化された駐退機と一体化し搭載している。
砲照準器も垂直安定装置を備え、人間工学に則った乗員配置から発射速度も平均で毎分20発以上と素早いものとなっている。
主な砲弾は被帽付徹甲弾と榴弾で前者を用いた場合、初速毎秒840メートルにして射距離1000メートルで垂直90ミリ以上を貫通する。
砲及び照準器双方に垂直安定装置を備えることから、躍進射撃の即応性も高く、低速ならば行進間射撃もけして不可能ではない。
ただし対戦車戦闘では躍進射撃が基本であり、如何に軽量高初速砲弾を高速射撃可能とは言え、無駄弾を浪費することは戒められている。
主砲弾薬搭載数は80発以上とされ、後々には英国(英連邦)と共同開発で装弾筒付徹甲弾も少量だが配備された。
砲以外の武装は車載機関銃で、チェコ製ZB53を日英共同7.7ミリ弾に適応させた九七式車載機関銃を砲同軸、車体正面に各1挺搭載。
また歩兵科で分隊支援火器として大量配備されている、やはりチェコZB26を7.7ミリ共通弾に対応させた軽機関銃を砲塔上面に搭載。
搭載弾薬は4000発以上とされており、いずれも信頼性と実用性に優れる機関銃として後々の国軍戦車にも搭載されることになる。
装甲防御は全て軽量防弾鋼板の電気溶接工法であり、リベットの類は一切用いておらず、乗員視察手段もペリスコープに統一された。
砲塔正面で80ミリ/70度、車体正面で60ミリ/45度と当時としては堅牢な正面装甲を持ち、側面や背面も45ミリ以上に達している。
正面に限ればシュナイダー75ミリ高初速砲の徹甲弾に耐久可能で、リベットを用いないため内部艤装飛散のリスクも低減されている。
また駆動系には二酸化炭素方式の、車内には散水方式の自動消火装置が備えられ、戦車兵に最も危険な火災リスクを低減。
弾薬庫も含水ゴムに覆われた湿式構造であり、破片や火災による弾薬誘爆の危険性を極力減じている。
まるで「将来を未来視したような」と言われる防御構造であり、後々の日英新型戦車で標準となる防御構造となった。
昭和12年の制式採用以降、現役15個師団(戦車3個師団含)への充足と中華国民党への輸出が並行して行われた。
第二次世界大戦では本土脱出と共に多数の戦車を失った英軍へ、のべ2000台以上が供与され重装備の不足を補っている。
素直な車体構造から派生型も多く自走架橋や戦車回収車、自走榴弾砲や自走高射機関砲等も開発生産されている。
334:戦車の人:2025/07/29(火) 20:04:23 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
ドイツの異常とも言える(
夢幻会が誘導した)国際条約を全て無視した軍拡を前に、九七式就役と前後し開発を開始。
潤沢な工業力と余裕ある国内インフラを用い、向こう5年の独ソ中戦車に対抗可能な35トン級中戦車としてコンセプトを策定。
国軍造兵廠及び民間企業複数により設計と開発を行い、概ね開発目的を達したとされたのが百式中戦車である。
基本的には成功した九七式の拡大改良型であり3名バスケット構造砲塔、電気溶接傾斜構造、パワーパック駆動系を踏襲。
その上で次代相応に進歩した技術及び仮想敵に対抗可能な性能を盛り込んだ戦車で、概ね堅実な開発路線に則っている。
日本陸軍が欲したのは生産性に劣る高性能戦車ではなく、実用性と生産性を両立させた大型中戦車であった。
車体規模は全幅3.1メートル、全高2.6メートル、全長6.7メートルと九七式に比較して一回りほども大型化している。
戦闘重量も35トンと10トンほども大きく、本戦車開発と並行して同一車体の戦車回収車や自走架橋も実用化された。
一方で国内交通インフラを用いる場合の無理は少なく、日本という国家がどれほど大国化したかが伺える戦車である。
駆動系は空冷12気筒550馬力ディーゼルと半自動変速機を一体化したパワーパック、上部転輪付クリスティーサスペンションから攻勢。
幅広の履帯を踏襲したこと、変速機の半自動化により操縦がレバーハンドル方式となったことで、操縦性も平易なものとなった。
パワーウェイトレシオや信頼性も良好なものであり、少なくとも九七式に劣るものではなく、整備性や信頼性も良好である。
乗員は砲塔内部に3名配置は変わらないが、上に述べた効率的な駆動系で砲塔旋回速度が向上。安定装置の標準搭載。
そのような要素から車体は操縦手1名のみであり、車体機関銃という正面装甲を穿つ構造も廃止された。
乗員は操縦手、砲手、装填手、通信主兼任車長の4名であり、車載無線機の高性能化も省力化をある程度助けている。
主砲には高射砲兵が多用するボフォース高射砲の車載型を採用、53口径75ミリと九七式に比較して格段の火力増強となっている。
被帽付徹甲弾を用いた場合は射距離1000メートルで垂直130ミリ相当を貫通し、発射速度も平均毎分15発と早い。
砲・照準器に適用される安定装置も垂直水平二軸方式に進化し、より躍進射撃時における即応性と命中精度改善を得ている。
装甲防御はニセコ軽量鋼板の電気溶接工法を砲塔、車体に完全適用したことに変わりはなく、完成度の高さが伺える。
正面装甲は砲塔で100ミリ/.60度、車体で80ミリ/40度と大きく強化され、ドイツ製75ミリ戦車砲に十分耐えるものであった。
側面や背面の装甲は50ミリ前後と九七式と大差ないが、重量過大の抑制と諸兵科連合で補えると判断し割り切られた。
駆動系や車内への自動消火装置の適用、湿式弾薬庫方式の採用もやはり九七式から踏襲されている。
加えて高分子ライナーが戦闘室内部に適用され、徹甲弾直撃時の内部戦闘艤装脱落や飛散の防止措置も施された。
総じて昭和15年に正式化された35トン級中戦車として考えれば、出色の出来であったと評して差し支えない。
初陣は第二次大戦の北アフリカ戦線であり、日本陸軍だけでなく英軍にも相当数が供与され、ドイツ軍相手に勇戦。
欧州や英本土で優位に戦いを進めてきたドイツ装甲部隊を機動防御で痛打し、その突撃衝力を大いに漸減している。
量産の上で多数の派生型を生み出し、同時に英17ポンド砲を搭載した一式改が昭和17年以降の主力生産型となった。
335:戦車の人:2025/07/29(火) 20:05:02 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
北アフリカ戦線及びロシア戦線に昭和18年から出現し始めた5号中戦車系列は、間違いなく恐るべき主力戦車であった。
70口径75ミリ戦車砲の火力、適切な避弾経始による強固な正面装甲、高い機動力とMBTと称すべき性能を有していた。
更には固定式に71口径88ミリ砲を搭載し、より良好な避弾経始を持つ正面装甲を誇る駆逐戦車型も確認された。
統合航空軍や砲兵の支援を受け撃破した車体を内地、満州などに持ち帰り研究した結果は恐るべきものだった。
単純な性能だけではなくエンジン、変速機などにも十分余裕が持たされ、機械的信頼性でも日英の戦車に劣らぬものだった。
恐らくヒトラーと国防軍が装甲兵力強化に関し、合理的な見解一致の末に開発に成功したと判断して間違いない。
そして今後北アフリカ戦線の打通ないし、日英がパナマ運河の軍艦通行権を有さぬが故に艦隊を展開できぬカナダへの侵攻。
その陸上兵力の主力となることは確実視され、現行の一式や一式改での対抗は不可能でなくても困難と彼らは判断。
当面は一式改(17ポンド砲搭載)の増産を行ないつつも、新型戦車開発を前倒しで急ぐこととなった。
戦車の一義は火力であり他の性能がどれほど優れようと、敵戦車を撃破出来なくては意味がないのは今や常識である。
日英同盟は次世代に向け緩やかなペースで開発の進んでいた17ポンド砲の拡大改良型、20ポンド砲の実用化を急いだ。
66口径83.8ミリと格段の長砲身戦車砲で、それ故に砲はともかく車体大型化とあわせ設計ペースが緩やかだった。
並行して3名配置の新式の鋳造砲塔も開発され、電気溶接に比べ重量効率の最適化と過大重量抑制も図られた。
防御力でやや電気溶接式に比べ劣るが装甲厚を自在に変更可能で、五式以降の国産戦車で長く使われることになる。
防楯、砲塔、後部バズルの3つの鋳造モジュールから構造され、日英の冶金技術の大幅な進歩が伺える。
その新型砲塔に収まる20ポンド砲は被帽付徹甲弾で射距離1000メートルより210ミリを貫通し、1020メートルの高初速を誇る。
無論、砲及び照準器には新開発の電気2軸安定装置が常備され、乗員レイアウトも戦闘動作に支障のないものとなった。
測距儀は従来通りの光像一致式だが夜間戦闘に備え、赤外線暗視装置と投光器が新たに搭載されている。
5.5メートルもの長槍を構えるだけに車体も大きく全幅3.4メートル、全高2.6メートル、全長7メートル、戦闘重量48トンに達する。
砲塔は上に述べた通り鋳造式、車体は従来通りの電気溶接工法で、正面だけでなく側面も避弾経始に優れている。
また成形炸薬弾対策に就役当初からスカート装甲を備え、鹵獲したパンツァーファウストを用いた試験では一定の効果が確認された。
駆動系はロシア車載ディーゼルを参考とし、製造公差や適用素材、冷却装置等の改善を図った水冷12気筒720馬力ディーゼルである。
従来の空冷からついに水冷に移行し、やや複雑だが冷却効率や出力、発達余裕に優れ、概ね信頼性も実用に足るものだった。
これをやはり新開発のトルコン自動変速機と組み合わせ、48トンの巨体に見合わぬ軽捷さと平易な操縦性を実現している。
一方でサスペンションは改良型クリスティーというべき、上部転輪付コイルスプリング方式で、トーションバー式に比べれば劣る。
しかし20ポンド砲を搭載した上でトーションバーサスペンションを採用すれば、車高は3メートルに迫るためやむなく採用された。
外装式故に整備性は良好であり、機動力も最大毎時45キロかつ路上巡航30キロで航続距離300キロと過不足はなかった。
防御力は砲塔に鋳造防弾鋼板、車体に軽量防弾鋼板を用い、特に前者は砲塔全周で良好な避弾経始を実現している。
砲塔正面で湾曲200ミリ以上、車体正面で120ミリ/45度と一式の倍近いもので、側面や背面も重厚である。
鹵獲した独駆逐戦車の71口径88ミリ砲の徹甲弾射撃を受けても、少なくとも1000メートルまでなら貫通を許さなかった。
無論、戦闘室内部の高分子ライナーや湿式弾薬庫の採用。駆動系を含めた自動消化器の搭載も怠りない。
北アフリカなどの戦訓から仮に1発、2発と貫通弾を受けた後でも何名かは生き残るもので、1人でも多く生還させるのは義務であった。
また車体底部が緩やかな船底形状であり、対戦車地雷の炸裂を外部に逃すことで、内部被害抑制にも努めている。
高価大型な新型戦車故に当初は生産可能な工場が日本と満州のみで、当面は日英戦車師団への配備を優先。
機動歩兵師団、自動車化歩兵師団は一式改を当面は併用しつつ、段階的な戦車工場の刷新も必要となっている。
とはいえそれだけの価値のある戦車であり、5号系列を完全に優越し、その後継の8号系列とも互角に戦える性能を発揮した。
336:戦車の人:2025/07/29(火) 20:06:00 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
無論、上に述べた戦車群は夢幻会が戦国時代から培った国力に対し、段階的な未来技術の開放を行った結果である。
もしも幾らか信頼性や生産性を代償にして良いなら、日露戦争の段階で九七式相当の中戦車は十分生産できた。
しかしその結果がどのような玉突き事故を起こすか。特にRSBC世界では分かったものではない故に慎重なものとなっている。
最終的には第一次世界大戦でルノーFTと同等品を量産し、それに対する諸外国の軍隊の反応を試金石とした。
結果として最も強く影響を受けたのが将来の敵国ドイツ、世界の孤児ソ連で、史実以上の戦車開発促進が確認された。
九七式以降の戦車はドイツ・ソ連(後にロシア)に半歩から一歩性能で、二歩ほど信頼性や生産性で優るを目標としている。
信頼性と生産性に関しては本国陥落が確定の英軍が、コモンウェルスや満州の工場で自前で生産配備できること。
それすら追いつかない場合は日本からレンドリースで供与することも前提としている。
生産性や信頼性に長けたオーソドックスな車体構造により、各種自走砲など派生型開発を容易とすることも視野に入っている。
…ここからは普段の口調になりますが一つだけ困ったこと。ドイツの戦車が凶悪化する?それは対応できます、こっちも化け物は作れます。
北アフリカ以南のドイツ進軍を許しておらず、未だに日英の保護国であるスエズ運河やポートサイドは健在です。
統合航空軍や海軍の遣欧艦隊も依然展開しています、下手にイタリア海軍に突破されても困りますし。
カナダや合衆国に侵攻する時に「後顧の憂いを断つ」ためにドイツが反応弾を使ったら、これが一番面倒くさいですね。
ヒトラーならインドに弾道弾、あるいはジェット爆撃機を前進させ原子爆弾攻撃くらいならやるかなあ、と。
中立法を強固としている合衆国の態度が豹変するかもしれませんが、そこはドイツ人ですから。
そこはこちらも核実験を成功させ抑止力とすることでしょうが…ちょっと話題が戦車から離れましたね。
最後の五式は外観はM48っぽいなにかです。少なくともパンターF型や88ミリ砲新型中戦車(E50系)なら戦えます。
主砲が20ポンドですのでL7相当の105ミリ砲の開発、換装も可能です。APDSを潤沢に使えるかはタングステン調達次第ですが。
wikiへの転載はご自由にお願いします。
最終更新:2026年04月09日 22:17