- 779:トゥ!ヘァ!:2025/08/11(月) 18:03:45 HOST:FL1-60-236-166-101.kng.mesh.ad.jp
- 歩行機械世界 英国義勇軍!前へ!!
1942年末。大英帝国は敗北した。ドイツと停戦合意。後に講和。
実質的な条件付き降伏となった。
支援を約束していた
アメリカがすっぽかしたからというのもあるが、昨年末ごろよりそのアメリカが合衆国が日本に宣戦布告。暴れ始めたのだ。
最初はアメリカ優勢だった戦局も現在では日本に巻き返され始めており、こりゃ駄目だ感が溢れている。
元々
アジア・オセアニア植民地は日本が律義にも保護してくれていたが、現在では名目上とは言え彼らの占領下。
同時に日本は同盟相手となった独伊にも律義にしており、インド洋を封鎖。医療・食料品以外の物資は欧州へ回さないようにしていた。
これにより経済、戦力の策源地となっていたアジア・オセアニア方面との交通を絶たれた英国は泣く泣くドイツへの降伏を選ぶ羽目となった。
戦後の指導者は英国ファシスト同盟のオズワルド・モズレーが取ることとなった。
あからさまなナチスへの忖度人事である。
とは言え泣きせどもただでは転ばず、起きることもないのが英国。
腐っても三枚下な国は自国から離反したという体裁で海軍戦力の大半と有力資本をカナダへ逃がし、同時に戦火から離れてもらうというお題目で王室と技術者、研究者たちをオセアニアへ逃がした。
残ったのは度重なる空襲により焼けた本土と本土決戦のためにため込まれていた本土の陸空軍のみ。
いやはや先立つ物もないのでむしろドイツの支援を期待する始末。
ということで土下座と泣き落としで戦後の復興物資、資金をドイツ経済界から提供させた。
何なら新指導者であるモズレー自身がノリノリで行った。
ファシストであるがリスペクト先はイタリアのムッソリーニで、別にドイツの伍長のことを好いていたわけではないからだ。
無論そんなことは態度にも言葉にも雰囲気に欠片も出さない。
ヒトラー相手におべっかも使えば、好きなだけヨイショもする。それで支援がもらえるなら安い物。
彼等は根っから英国人であった。
無論タダではなかった。当時既に始まっていた独ソ戦へ英国の参戦を要求されたのである。
しかし英国は今までのドイツとの戦闘でボロボロ。
敗戦とは言え講和し、一応平和が訪れた中で再び総力戦へ参加しても国民も耐えられないであろう。
ということで義勇軍という体裁で英陸空軍を送り出した。
幸い本土決戦のために温存していた戦力があったので、これを独ソ戦への義勇軍へ流用したわけである。
こうしてロシアの地に派遣されたのが英国義勇軍である。
軍と名が付くだけあり、その数は師団規模。しかも機甲部隊を数多く抱える機甲師団であった。
これとは別に直衛のための専属の飛行部隊が二つ付き、これらをもってドイツからの戦後復興支援の対価とした。
ロシアの地に派遣された部隊の主力は主にカヴェナンター、チャーチル。そしてコンカラー戦車。
航空機はスピットファイアで統一していた。
そしてロシアの地ではついこの間まで戦っていた十字マークと蛇の目マークの航空機が共に赤い航空機を撃ち落とし、地上では四号やパンター、ティーガーと共に英義勇軍のチャーチルやコンカラーがソ連のT-34、KV-2、IS-1相手に戦った。
当初は左程仲のいい間柄ではなかった英独軍であったが、寒い地において英戦車備え付けの湯沸かし器で入れられた紅茶は現場のドイツ兵から非常に評判となり、なんやかんや両者の間柄を繋ぐ切っ掛けとなっていった。
- 780:トゥ!ヘァ!:2025/08/11(月) 18:04:23 HOST:FL1-60-236-166-101.kng.mesh.ad.jp
- また本土決戦のために温存されていただけあり、派遣された英機甲部隊の流石精鋭と呼べる動きを見せた。
- その戦果はすさまじく、ドイツの将軍たちから直接称賛を受けるほどであった。
- 大量の戦車がひしめく独ソ戦においても英機甲部隊は戦史に乗るほどの目覚ましい活躍を遂げた。
無論その代償も戦果に比例するものであった。
英義勇軍機甲部隊は幾度も壊滅的な出血を得る場面があったが、その度に本国からの人員、兵器の補充を受け続けた。
幸いと言っては何だが本土決戦のためにため込んだ各種兵器や人員は大量に余っていたからである。
その後1945年初頭にソ連が降伏するまで英国義勇軍はロシアの地で戦い続け、流した血の量と挙げた戦果を数だけ本国の復興資金を稼ぎ続けた。
この戦いの最中で培ったドイツ軍関係者とのパイプは後のドイツ分裂時にラインドイツを成立させる際に活かされることとなる。
戦後の話をしよう。
第二次世界大戦、そして独ソ戦と辛い戦いを生き抜いた英国軍は、その消耗と比例するように数多くのノウハウと伝手を得た。
全部で4度にも及んだバトル・オブ・ブリテンはレーダーと航空機の運用、開発ノウハウをもたらし、長く苦しかった独ソ戦は大規模機甲戦と戦車開発の得難い経験を習得させた。
特に戦車を中心とした陸上兵器開発ではドイツ及びソ連の進んだ戦車を参考にすることができ、戦後の戦車開発に大きな影響をもたらすこととなる。
度々ソ連戦車、航空機の残骸、または鹵獲品を戦場から拾ってきては本土に送ったりもしていた。
その際に戦場で捕まえたソ連の兵器乗りや都市部で拾ってきた技術者ごと送ったりもしていたが、これは英国的な偶然(偶然ではない)である。
後に英本土に送られたソ連技術者、戦車兵たちは後に英国または仏国の兵器開発で度々活躍することとなる。
共に対独戦を戦い、同じく独ソ戦でも轡を並べたフランス軍とは弾薬を中心に様々な物の共通化が進んだ。
まあ独ソ戦参戦の際に英国から旧式戦車が数多く供給され、ドイツからの接収を免れ残っていた仏戦車と共に仏国義勇機甲部隊を形成していたのだからさもありん。
この動きは戦後も続き、主要弾薬の共通化は継続され、一部では兵器の共同開発にまで発展していくこととなる。
意外だが独ソ戦の最中でドイツに次ぎ仲を深めたのがイタリアであった。
同じファシスト陣営ながらもナチスからはある程度距離を取っていたイタリアは目聡く英仏に目を付けたのである。
独ソ戦の最中では数少ない物資から美味い料理を作るイタリア兵は英国義勇兵たちから重宝されていたにも両者の仲を深める一因だったかもしれない。
戦後のイタリアは分裂するドイツをしり目に英仏との協力体制を構築し、軍民問わず交流を深めていくこととなる。
特に空海軍関係では英仏と共に近海防衛用護衛艦や迎撃戦闘機の共同開発を行うほどであった。
ドイツとの関係も表面上は改善していた。
なんやかんや言って多大な出血をした英国義勇軍を評価していたからだ。
度々悪い扱いもされたが、戦場で挙げた戦果というのは誰も否定できない真実である。
特に轡と鍋を並べた戦友たちからの支持は当初悪かった扱いを改善するための最大の援護となった。
この英独軍の奇妙な関係は戦後も続き、ドイツが分裂した際に独陸軍将軍たちが支持するラインドイツことドイツ共和国の支援するための繋がりとなった。
以降は戦車開発や航空機開発でもラインドイツとイギリスは懇意の間柄となる。
冷戦中も常にラインドイツには英国軍の駐留部隊が存在しており、駐留部隊が撤退した2055年現在においても英国とドイツ陸軍との関係は良好である。
そんな2055年現在。イギリス陸軍は島国の陸軍でありながらも奇妙なまでに戦車部隊の質、量が揃っている軍隊として知られている。
- 781:トゥ!ヘァ!:2025/08/11(月) 18:05:39 HOST:FL1-60-236-166-101.kng.mesh.ad.jp
- 投下終了
降伏後の英国(と仏国)がどうやって独伊の信頼を勝ち取っていったかのお話。
最終更新:2026年04月16日 22:59