774 :SARU ◆CXfJNqat7g:2012/04/24(火) 23:41:06
とある球技の歴史

鎧球(がいきゅう:Armor Ball)というマイナースポーツがある。文字通り鎧じみた防具を付けた選手達が攻撃と守備に別れ、ラグビーのそれに似た楕円形の球を敵陣に届ける事による得点を競う球技である。
概ねラグビーに似てはいるのだが、偏執的な迄に分業化された選手達は攻撃と守備で各々別個の班に分かれて互いに分を侵したりはしない。それどころか球を蹴る選手やその球を保持する選手までが別個に存在するというパラノイアぶりである。
一説によると攻撃側の陣形(フォーメーション)は二百以上存在すると言われ、一見して横隊で押し合っているだけに見える選手ですらそれらを一瞬の内に把握・行動しており、高い教育と訓練が必要とされている。
そして攻守の交代は基本的に攻撃の失敗か得点によって行われ、事細かく定められた制限時間と共に一見の観戦者には非常に解りづらい(例えば、試合時間が残っているのにまるで決着がついたかの様に振る舞う、等)一因となっている。

この珍妙な球技は合衆國時代の旧米では米式蹴球(通称“アメラグ”:American Football)と呼ばれ、主に大学で盛んだった。各々の選手に厳格な役割が与えられ、時には死者が出る激しい接触が常態化した為、時の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトが防具の強化とこの国民的球技の灯を絶やさない努力をすべきという異例の発言を行った程である。
しかし大西洋大津波と日米戦争、アメリカ風邪をきっかけとした合衆國崩壊によってこの用具も人手も教育も大量に必要とする球技は急速に廃れていった。

鎧球復活のきっかけは旧ユタ洲の大半を実効支配していた末日聖徒派が伽洲共和國成立を期にディザレット聖法國を建国・自立した事である。周囲の旧米諸勢力とは余りにもも異質なこの宗教国家は、拠り所となる球技として嘗ての米式蹴球に焦点を当てたのだ。
“アメリカ”が負の遺産として認識されている為に組織蹴球(Organized Football)と改められた物の、ブリガム・ヤング大学を初めとして国内の全大学に鎧球倶楽部が置かれ、聖都ソルトレイクシティーに世界組織蹴球協会(World Organized Football Assosiation:WOFA)が結成された。
どちらかと言えば保守的と言うか白人優位的な場所でもにわかに鎧球ブームが巻き起こり、特にテキサス共和國ではディザレットに張り合うが如く職業鎧球団までもが誕生した。
逆に西海岸諸国を始めとしたリベラルな土地やそもそもそうした余裕の無い場所ではより手軽な球技である野球や蹴球(サッカー)が普及し、鎧球は知る人ぞ知るマイナー球技という位置付けで知名度は泰馬來式籐球(セパタクロー)よりも下である。

世界的な周知度も電影放送網で取り上げられる事が殆ど無く、運動専門放送局でも鎧球の試合を解説する手間を考えると撞球や投矢、ポーカーの世界選手権放映が優先するので推して知るべしである。
ディザレット・テキサスの両国が半ば持ち込む形で大学選手権や“国際戦”を放映する事もあるが、その扱いは本邦のかなまら祭りや御柱祭、高尾山の火渡りの録画放送と大して変わらない言わば“旧米の奇祭”である。

そんな鎧球が世界的注目を浴びた事例がある。
濠洲映画『マッドマックス』で鎧球用具を改造した衣装が話題となったのだ。資源の枯渇によって旧米並の秩序崩壊が全世界に広がった近未来を象徴する防具だらけの装束は本邦の漫画にも多大な影響を与えた。
顕著な例としては渋谷の宮益坂や道玄坂を闊歩した“ヒャッハー族”に凡んで駅前の中心街が“鎧球通り”と呼称された史実が挙げられる。

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最終更新:2012年04月26日 17:53