33 :グアンタナモの人:2012/05/18(金) 00:27:59
大日本帝国東京都新宿区。
帝都のほぼ中心に位置する世界屈指の一大オフィス街の一角に、旭日重工の本社ビルは建っている。
三菱重工や倉崎重工といった老舗の有名どころに比べれば歴史は浅いものの、旭日重工が日本有数の大企業であることに変わりはない。
それは五万名もの社員を擁する点や、こんな一等地に拠点を構えている点が証明しているだろう。
つまり、旭日重工は日本を代表する企業の一例として恥ずかしくない企業だと言える。
――いつ潰えるかも判らぬ、砂上の楼閣でさえなければ、だが。
――― BLACK LAGOON The Gloomy Edition #3 ―――
「何故そういうことをもっと早く言わんのだ! 藤原君ッ!」
「申し訳ありません、専務ッ! 私の監督不行き届きであります!」
その朝日重工本社ビルの一室。
そこには二人の人間の姿があった。
一人は眼鏡を掛けた壮年の男。そして、もう一人は同じく眼鏡を掛けた気弱そうな中年の男だ。
「実は私も先ほど知ったばかりでして……機密を明かせる連絡社員が少ないため、正確な情報を知る手立てがなかったんです」
「もういい。残念だが今更、どうしようもない」
上質の革が張られた椅子に座る壮年の男――朝日重工専務は話を打ち切るようにそう言った。
彼と机越しに向かい合う眼鏡を掛けた中年の男――同社資材部北米課長の藤原は専務の態度に思わず萎縮してしまう。
「それで……ええと、名前は……なんだっけ?」
「……岡島です、専務。岡島緑郎です」
専務に問われ、藤原が恐縮気味に答える。
岡島緑郎は藤原直属の部下である。今回の一件に関しても、彼が岡島に出張を命じたのだ。
しかし、その結果が今回の事態。
岡島が乗っていた貨物船はジャマイカ海峡付近で現地の海賊らしい一団に襲撃され、彼はそのまま海賊達の手に落ちてしまったのである。
当然ながら、そのしわ寄せは上司である藤原へと向かった。
もっとも藤原には、専務の機嫌が必要以上に損なわれぬようにとにかく謝罪する他はないのだが。
34 :グアンタナモの人:2012/05/18(金) 00:28:46
「そうか。彼には気の毒なことになるが、我が社の置かれている状況は逼迫している。そしてエクストラ・オーダー社も既に動いた。今回はやむを得んな」
専務は手元に持ってこさせた岡島の社員情報を見ながら、投げやりにそう語る。
彼の口振りに何やら不穏な気配が漂っているように思えるのは、勿論気のせいなどではない。
端的に言ってしまえば、専務は……いや、旭日重工は岡島緑郎という社員の〝切り捨て〟を決めたのだ。
何故、自社社員が誘拐されているのに、彼らは救助に動かないのか。
それは彼ら旭日重工が御上の傍に居を構えながら、御上に背く行為をしているためである。
旭日重工は追い詰められていた。欲に抗えず行なった無茶な投資が失敗し、多額の負債を抱えてしまっていたからだ。
本来ならとうの昔に破綻していたはずなのだが、彼らは往生際が悪いことに、粉飾決算を重ねることで今日まで会社を生き長らえさせていた。
だが、ついにそらすらも限界に近づく。
そうしてにっちもさっちも行かなくなった彼ら旭日重工が最後に選んだのは、禁制品指定された精密機械製品の不正輸出だった。
大日本帝国が世界に先駆けている航空宇宙産業に深く係わると同時に、使い方次第では軍事転用すらも可能な代物。
禁制品の中でも特に危険性が高い物品であるが、その分実入りも大きいと考えられた。
状況は旭日重工が潰えるかどうかの瀬戸際。形振りは構っていられない。
故に彼らは不正輸出を強行した。
そして不幸にも、旭日重工が行なった暗い策謀の片棒を、岡島は知らず知らずのうちに担がされていたのである。
「……ところで専務。景山部長はどちらに?」
「ん? ああ、彼か。彼なら事態の対処に当たるためにカリフォルニアに――」
専務が藤原の問いに答えようとした時、唐突に彼の机に置かれていた内線電話が鳴った。
台詞を遮られた専務は一瞬むっとした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直し、受話器を取る。
「私だ。どうした?」
『こ、こちら一階の受け付けです。今、そちらにお客様が……』
「客? 今日は特に予定が入っていないはずだが?」
『い、いえ、それが……』
専務に電話を掛けてきたのは、どうやら一階の受け付けカウンターのようだ。
しかし電話をわざわざ掛けてきた割には、受付嬢の歯切れが悪い。それもどういう訳か、若干の脅えを孕んだ声色だった。
そんな受付嬢の様子を訝しく思う専務だったが、数秒後に彼はその理由を理解せざるを得なくなった。
突如、部屋の扉が乱暴に開かれ、大勢の人間がどかどかと室内に踏み込んできたからだ。
そのうちの数人は拳銃を手にしており、室内に居た専務と藤原に対し、素早い動きで銃口の狙いが定められる。
内から帝国の安寧を揺るがそうとする者を決して逃がさぬように。
「特別高等警察だ。全員、その場を動くな」
いくつもの銃口と、抜き身の刀の如き鋭い視線に射竦められた二人を、冷たく、重い言葉が見舞った。
35 :グアンタナモの人:2012/05/18(金) 00:29:28
「……ええ、そうです。対象物と一緒に〝念のため〟確保した、との報告を受けています。五体満足、心身ともに健康だそうです」
物は言い様だ、とキャリアウーマン然とした妙齢の白人女性は思った。
最初に事の報告を聞いた時は流石に頭痛を覚えたが、そこは怜悧な彼女。
先方に伝える際、言葉巧みに虚実を混ぜ込んだ。
かつてウラルの山麓に居た頃、政治将校相手に培った経験が活きてきた。
今となっては思い出すのも億劫になった話だが、まさかこういう形で使う羽目になるとは、当時の自分は考えてもいなかったに違いない。
もっとも今も当時も、彼女がやっていることの根本は変わっていないが。
「ほう、なるほど。既に連中が動いている、と? 解りました。しっかりと〝対処〟致します。では、到着までには必ず」
言い終え、女性は手にしていた携帯電話の通話を切った。
ピッ、という軽い電子音。携帯電話を懐に仕舞い、椅子を回し、立ち上がる。
そして椅子の背に掛けてあった、古びた軍用コートを彼女は羽織った。
元々はいろいろな識別章が付いていたらしいそれは、今や〝大尉〟を示す階級章以外の全てが毟り取られている。
まるでそれ以外の全てを捨ててきた、とでも言うかのように。
「さて同志諸君、聞いたな?」
彼女の言葉に、室内に居並んでいた厳しい男達が頷いた。
「散らばっている部隊に連絡。陽動警戒の必要はもう無い。東海岸の傭兵(ろくでなし)共が動いた。久しぶりの戦争だぞ、諸君。よもや〝マフィアごっこ〟で鈍ってはおるまいな?」
「「「いいえ(ニェット)」」」
「よろしい。では状況を開始せよ」
兵は拙速を尊ぶ。
それを体言するかの如く、男達はすぐさま動き出した。
彼らは一斉に踵を返し、足早に部屋を出て行く。
その整然たる動きは、下手な軍隊よりも優れているとさえ感じられた。
いや、実際に優れているのだと彼女は信奉している。
かつて祖国に裏切られ、行き場をなくし、極限まで追い詰められた。
そんな時でさえ、彼らは最後まで彼女に付き従い続けたのだから。
「私達も行こうか、軍曹。タケナカを待たせる訳にはいかない」
「……は」
同じく長年付き従ってくれた副官を脇に、女性は部屋を辞す。
彼女は三つの顔を持っている。
表向きは、カリブ海はキューバ島、グアンタナモに居を構える貿易商社、ブーゲンビリア貿易社長。
裏向きは、巧みな手際で魔女釜の底、グアンタナモの一大勢力となった軍閥上がりのロシアンマフィアの長。
そして〝真は〟ロシア帝国国家保安庁防諜局、非公式外局こと〝ホテル・モスクワ〟米南支部長。
彼女の名前は、バラライカ。
大恩ある新たな主、双頭の鷲(ロシア帝国)の止まり木を護る、一人の防人である。
(続)
最終更新:2012年10月13日 21:15