855 :taka:2012/05/22(火) 05:54:01
久し振りにSSでも書いてみる。この人の夢幻はかなり鬱です。
あちこち書き込みのある設計図を手に、その日アルベルト・シュペーアはベルリンは総統官邸。その地下に存在する総統地下壕で作業をしていた。
1935年に完成したこの地下壕は対英戦で何度かのベルリン空襲時に要人が避難した時ぐらいにしか使用されなかった。
対英戦が終結した後の戦線は東欧からロシアの大地であり、そこからソ連軍の重爆撃機がベルリンを空襲する事は無かった。
精々が停電対策用の官邸専用の発電器置き場として使用されていた位である。
しかし、メキシコでの核爆弾使用で再びこの地下壕に人の手が入る事になった。
「万が一に備えて地下壕を強化しておいてくれ」
そうヒトラーから頼まれた彼は、老朽化した地下壕のチェック、強化案の為に地下壕を訪れたのだ。
(尤も、都市を丸ごと焼き払うような爆弾を凌ぐ地下壕を作っても、ベルリンがそんな事態に陥ったら既に戦争には負けているだろうな……)
身も蓋もない事を考えつつ、シュペーアは大きく欠伸をした。
どうにも疲れを感じ、近くのソファに身を預ける。定期的に清掃がされているせいか埃は溜まっていなかった。
(戦争が終わっても我がドイツには問題が山積している。広大な帝国の版図を維持する為の軍事力、軍事力を維持する為の軍需産業。
軍需産業以外の内需を産むための産業、本国の産業と雇用、衛星国や直轄占領地の産業と雇用、食糧から資源、石油の流通。
はぁ……何時になったら定時で上がれる様になれるものか。仮眠室まで作る羽目になるとは……うーん)
頭の中を問題が流れ込んでは吐き出され、その度に眠気が強まっていく。
ここで寝るのは駄目だ。地上の執務室にある最近新設した仮眠室で寝ないと……と思うが既に身体が動かない。
意識が落ちる前、脳裏に何かが映った。良く見知った総統執務服を着た、彼の困った友人である。
何故かヒトラーが良い笑顔で以前より何故かサイズが大きくなっているフォルクス・ハレの模型と設計図らしきスケッチブックの山を抱えていた。
『シュペーア、見てくれ。フォルクス・ハレの改装案だ! 国民会議場のみではなく、欧州の国々全ての代表をベルリンに招いて会議を行える会議場も追加した。
これでこそ、欧州が我がドイツによって導かれる証であり、ユーラシアの中心である象徴となる! どうかな、素晴らしいとは思わないかね?』
(ええ、素晴らしいですな……作るだけの予算があれば、ですが)
寝入りはなかなかに最悪だった。
不愉快な地鳴り、遠いサイレンの音色でシュペーアの意識が覚醒した。
辺りを見渡すと、其処は地下壕の一室の様だった。しかし、彼が見て回った様子とは随分違う。
最低限の机や椅子などしか置かれていなかった地下室には、多くの家具が運び込まれていた。
しかも生活臭を感じる。誰かが何日も寝泊まりしているのがありありと解った。
見れば、自分の服装も替わっていた。はて、何時着替えたのだろうか?
ぼんやりと室内と自分の服を見比べていると、せっかちなノックの後でドアが開いた。
「こちらにおられましたか。総統閣下がお呼びであります」
(オットー・ギュンシェ……)
総統の個人副官であるオットー・ギュンシェがドアを開けてこちらを見ていた。
ただ、シュペーアの知る彼の顔付きではない。
押し殺したような何か破裂しそうな雰囲気を秘めていた。
「解った。直ぐに向かう」
口が勝手に喋り、腰掛けてたソファから身体が動いていく。
オットー・ギュンシェの後に続き、シュペーアの身体は部屋の外へと勝手に出ていく。
(これは……一体? 私の身体なのに、私が動かせない!?)
856 :taka:2012/05/22(火) 05:54:56
廊下はシュペーアの知る状態とは全く異なっていた。
35年に作られた区画を更に広げているらしく、彼の知らない通路や部屋がかなり増えていた。
どうやら本当にこの壕内部で多数の人間が生活している様で、多くの家具やら生活用品が揃えられている。
そして何より異なるのは人の多さである。
完全武装で通路のあちこちに立っている武装親衛隊員。
各省の官僚や大臣達、国防軍から海軍、空軍の将帥達。
看護婦や下士官、壕内を維持する為の技術者や使用人達。
そして総統個人の関係者。個人秘書を務めているトラウドゥル・ユンゲと先程擦れ違った。
シュペーアは彼らをみて、1つの共通点を見出した。それは絶望だった。
崖に追い詰められた、猛獣に追い詰められた、仇敵に押さえつけられた、そんな終わりの前の刹那に浮かべる形相。
怒り、憎しみ、焦燥、不安、恐怖、悲しみ、開き直り、根拠もない希望。
様々な負の想念が壕内を渦巻いていたが、何より強かったのは絶望。
ヒタヒタと近寄るソレを壕に篭もってやり過ごそう、そんな感じすらシュペーアは見て取れた。
やがて、一室にギュンシェとシュペーアはたどり着く。
ギュンシェがドアを開け、シュペーアが中に入る。
(ああっ!!?)
シュペーアは、文字通り声にならない声を挙げてしまった。
室内にいた人物。その中でも最重要人物である、彼の友人の姿を見て叫んでしまった。
白髪が多く混じりパサパサになった髪。
顔は皺だらけになり、落ちくぼんだ眼窩からはギラギラとした眼光が放たれていた。
机に置かれた左手は細かく痙攣し続け、右手も忙しなく何かを掴もうとでもしてるかの様に動いていた。
それはアドルフ・ヒトラーだった。
彼の良く知る、ドイツ第三帝国の頂点に立つ総統だった。
だが、シュペーアの知る彼とは似ても似付かない、廃人のような男だった。
その男は、嗄れた、しかし狂気が篭められた高い声音で叫び続けている。
著しく東西を浸蝕されたドイツ本土の地図の上に拳を叩き付けている。
米英軍の進撃を阻止できない西部戦線の指揮官達を無能だ更迭だと罵り。
雪崩の如くベルリンに迫る赤軍に蹂躙される東部戦線を嘆き、出来もしない反撃を目の前にいる将星達に求めていた。
薄暗い会議室に犇めく陸海空軍の将軍達は、ただ時たま声を返すだけでヒトラーの望む答えを返すには至らない。
否、望む答えを出せるような戦力など、既にドイツには残されてないからだ。
もはや、このドイツには東西から反ドイツ戦力に嬲られ、磨り潰されていく運命しか残されてないとシュペーアは悟った。
明るい要素など何一つ無い報告が終わり、ヒトラーの怒声がひとまず止んだ。
僅かに蹌踉めくような仕草の後、ヒトラーは椅子から立ち上がり散会を宣言した。
どこかほっとした空気で足早に会議室から去っていく将軍達を横目に、ヒトラーは腰を屈めたままシュペーアを呼んだ。
シュペーアの眼前には模型が整然と並べられていた。
世界首都『ゲルマニア』。それの完成図を予想した模型群だ。
この模型は彼にとってなじみ深いものだ。
何故なら、今現在、ベルリンはこの世界首都を実現する為に大規模な都市計画を遂行中なのだから。
彼の知るヒトラーはベルリンを第二次世界大戦後のユーラシアに冠する中心都市に相応しいメガロポリスへと変えようとしていた。
シュペーアも厳しい予算やどこまで現実的に実現出来るか妥協するか等と胃壁と神経を磨り減らしながら、ゲルマニア計画を推進していた。
しかし、それが出来たのはドイツが戦争における勝者だからだ。
日本こそが真の勝者であるとしても、北はバルト海から南は黒海まで、東は大西洋西はウクライナまでに到る影響力と支配地。
本土はアルザスからポーランド、衛星国や影響下においた欧州各国は数十に達する。欧州の覇者であり枢軸国の盟主たるドイツだからこそ可能だ。
しかし、『このドイツ』は既に死に体だ。
彼の知る歴史であれば既に滅んだ米国と単なる歴史の積み重ねだけが残された英国、国力と領土を大きく削り取られたソ連に滅ぼされかけている。
会議中にヒトラーが叫んだような、七年戦争の奇跡は起きはしない。
フリードリヒは生き残り勝者となったが、眼前の男は敗者となり永遠の弾劾を受けるだろう。
857 :taka:2012/05/22(火) 05:56:18
嗄れた声音で、ヒトラーはシュペーアに語り続ける。
自分がこのゲルマニアにどんな思いを込めているのかを。
ゲルマニアが完成してこそ世界の頂点である千年帝国が完成し、その光の元でアーリア人種は永遠に繁栄し続けるのだと。
だが、もはやそれは夢想だ。
予算だの期間だの問題ではない。夢破れて死に果てる寸前に見る妄想に過ぎない。
『こちらのシュペーア』も耐えきれなくなったのか、ヒトラーに挨拶をし部屋を出る。
出る前にシュペーアの意識だけが室内を振り向いた。
ヒトラーは振り返る事もなく背を丸めたまま、実現する事もない都市の模型の方を凝視し続けていた。
やがて、シュペーアは壕内を出る事になった。
簡単な手荷物を詰め込んだトランクを片手に、彼は黙々と壕の廊下を歩く。
意識が覚醒した当初よりも、壕内の空気は重く殺気立っていた。
多くの将軍や要人達は既に脱出か今も尚脱出を続けている。
変わりに疲れ果て尚も戦おうとする兵士達と、終わりを見据え無気力か自棄を起こしている人々が壕内に溢れかえっていた。
去る間際に個人的交遊があったゲッペルスとその婦人マグダと話す機会を得た。
マグダに切々と脱出を促したシュペーアであったが、ヒトラーが脱出を拒み主人もそれに追随する以上、彼女もベルリンから離れる事は無かった。
夫妻へ別れを告げた後、彼らの子供達にもシュペーアは別れを告げ頭を優しく撫で再会とお土産を約束した。
敗者の要人の子供である六人がどうなるかはシュペーアには理解出来た。
先週、一家とベルリンのレストランで食事と歓談を楽しんでいただけに胸に言いようのない悲しみが込み上げた。
例え、これが自分の知る夫妻とその子供達とは異なるにしても。
最後に総統の執務室へと赴き、部屋の主と別れを告げる。
シュペーアの口は開いた。総統、ベルリンから脱出しましょう。今一度ドイツを立て直すにはそうするしかありません。と。
ヒトラーは静かに首を横に振り、シュペーアの言葉を拒絶した。
そしてゆっくりとシュペーアに近付くと、別れの言葉と右手を差し出した。
握り締めた彼の手は信じられない程に小さく、年老いた老人のような弱々しさだった。
シュペーアは中庭に通じる階段を上がる。
敬礼をして見送る親衛隊兵に少しだけ頷き、ドアに手をかける。
大きく息を吐き、ドアノブを捻ってシュペーアは外に出た。
……そこは総統官邸だった。
切りそろえられた芝生と木々に手入れをしている庭師、ベンチに座って寛ぐ官僚や官邸関係者達。
官邸の建物も優雅な佇まいをみせ、執務時間中な為か軍服姿や背広姿の男達が書類を手に窓の向こう側の廊下を行き交っている。
遠くからは多くの自動車が動く音と都市の生活音、パトカーのサイレン音が聞こえる。
彼の良く知る、独逸帝国首都、ベルリンの日常を形作る風景そのものだった。
慌てて壕内を振り返る。
確かに居た筈の見張りが居ない。
階段を降り、壕内に戻るが誰も居ない。
1つ1つ部屋を巡るが、人間どころか家具すら置かれていない。
唯一人がいる発電室に駆け込み、当直の技術者に変な顔をされた。
呆然として、シュペーアは総統官邸の廊下を歩く。
あれは何だったのだろうか。自分は白昼夢をみたのだろうか。
考え込みながら執務室に向かっていると、トラウドゥル・ユンゲが自分を呼びにやって来た。
彼女の顔をまんじりと見詰める。あの『壕内』で見た憂鬱と憔悴は見られなかった。
ドアをノックし、室内へと入る。
「丁度良いところに来たなシュペーア、見てくれ。閃きを得て考案したフォルクス・ハレの改装案だ!
国民会議場のみではなく、欧州の国々全ての代表をベルリンに招いて会議を行える会議場も追加した。
これでこそ、欧州が我がドイツによって導かれる証であり、ユーラシアの中心である象徴となる! どうかな、素晴らしいとは思わないかね?」
『あのヒトラー』とは似ても似つかぬ、活力に満ちた声がシュペーアを出迎える。
そして、彼の肩越しに見えるゲルマニアの計画モデルである模型の幾つが、先週見た時と比べて巨大化したり増加しているのを見て少しだけ目眩を覚えた。
隣りに居るユンゲの方をチラリと見やる。ユンゲは苦笑して肩を竦めて見せた。
シュペーアは内心で深く溜息を付きながらも、彼の友人に対してこう言い放った。
「ええ、素晴らしいですね(作るだけの予算が足りれば、ですが)」
尚も熱心に都市計画を語り続けるヒトラーと曖昧な相槌を打つシュペーアを、ユンゲは生暖かい目で見守っていた。
おはり
最終更新:2012年05月22日 17:33