153 :グアンタナモの人:2012/05/27(日) 00:40:29

「帰れ。今すぐに」

 鰾膠(にべ)もない言葉が、酒代わりに彼らへ投げつけられた。
 投げつけたのはカウンターの向こうに半目の店主。
 その形相は、いつになく必死なものであった。


     ――― BLACK LAGOON The Gloomy Edition #4 ―――


 イエローフラッグ。
 それはグアンタナモという掃き溜めに蔓延る諸悪の牙城――ではなく、元華南連邦軍人の男が営む大衆酒場だ。
 もっとも諸悪の牙城という表現自体は強ち間違いではない。
 チンピラにマフィア。娼婦にヤク中。傭兵に殺し屋。
 グアンタナモの外れの位置しているせいか、イエローフラッグは中心部の〝息苦しさ〟を避ける無法者達に好まれる傾向があったからだ。
 ともなれば、その店主であるバオがそんなどうしようもない人種の相手に慣れてしまうのも必然だろう。
 しかしながら、今日ばかりは少々勝手が違った。
 流石の彼でも、半島危機の再現を目論むテロリスト一行の相手だけは断固拒否である。

「つれないこと言うなよ、バオ。最期の酒くらい美味いもん飲ませてくれや」

「俺の店に核弾頭を持ち込んでおいて何ふざけたこと抜かしてやがる。半島危機の次はキューバ危機か? いいからとっとと帰れ」

 カウンターに拳を叩きつける音が、がらんとした店内に虚しく響く。
 そう、イエローフラッグはがらんとしていた。まさに書き入れ時だというのに。
 その理由は単純にして明快。
 全てはカウンター席を陣取っているテロリストことラグーン商会一行のせいである。
 彼らが来店したのは、十分ほど前。
 当時、書き入れ時真っ盛りだった店内は多くの酔客達が犇きあっていた。
 だが来店した一行の口から事情が漏らされるや否や、誰も彼も波が引くかのように店を立ち去った。
 普段はベルゼブブが来ようと酒盛りを続行するような連中が一人残らず、だ。
 されど、かつて華南連邦軍に属し、相当数の修羅場を潜り抜けてきたバオには、彼らの気持ちが手に取るように判る。
 誰だって聖書にしか載っていない大悪魔より、目に見える〝核弾頭〟の方が怖いに決まっている。
 閑古鳥でさえ、今この場に鳴きに来るような真似はしないだろう。

 ちらり、とバオは目線を横に向け、火中の〝核弾頭〟を見やる。
 カウンター席に座る見慣れたラグーン商会の面々。その間に挟まれた、見慣れぬ東洋人――岡島緑郎の姿を。
 正直に言おう。やはり帰ってもらいたい。可及的速やかに。なおかつ穏便に。

「あのな、ダッチ。お前らがお得意様だってのもこの際認めるし、最後の晩餐にうちを選んでくれたのも涙が出るくらい嬉しいさ。だが、それとこれは別だ。頼むから出て行ってくれ」

「おーい、バオ。この酒貰うぞ」

「レヴィ! てめぇ、今の話聞いてたのか!? 耳の穴十倍に増やしてやろうか!?」

 より一層必死さが増したバオの横合いをすり抜ける人影。
 勝手に酒瓶が並ぶ陳列棚を漁り始めたのは、無事に呪術師を卒業したレヴィだ。
 苦言を当然の如く右から左に聞き流し、〝ニュー=バカルディ〟と銘されたラム酒を嬉々と手に取る。
 そんな彼女の様子を見て、バオは殴りかかりたい衝動に駆られた。
 先ほどまでの文句は、何もラグーン商会のボスであるダッチだけに向けられたものではない。レヴィを含む一行全員に向けた文句なのだ。
 それを聞き流されたとなれば、はらわたは煮えくり返るに決まっている。
 今ならきっと、煉獄の業火にも劣らないに違いない。
 しかし哀しきかな、衝動に身を任せて殴りかかったところで逆に返り討ちにされるのは確実である。
 レヴィは二挺拳銃(トゥーハンド)の異名を持つ、この町屈指の腕利きなのだから。

154 :グアンタナモの人:2012/05/27(日) 00:41:38

「運が悪けりゃ、天下の陸戦隊が百倍に増やしてくれるさ……さて、と」

 現実と憤慨の板挟みに遭っているバオへ投げやり気味に言葉を返しつつ、ダッチが席を立った。
 向かう先は店の奥に置かれた一台の公衆電話だ。

「ちょっとお伺いを立ててくる。ロック、好きに飲んでおけ」

「……ミスタ・ダッチ。その呼び方はなんだ?」

「ロクロウだから、ロック。クールだろ?」

 耳慣れない渾名に首を傾げる岡島――ロックへ手をひらひらと振り、ダッチが公衆電話に向かう。

「ロックねぇ……」

 ぼんやりとダッチの後姿を眺めながら、呟くロック。
 その鼻先に、不意にラム酒が並々と注がれたグラスが突きつけられた。
 突きつけたのは、店主に無断で〝ニュー=バカルディ〟を拝借していたレヴィであった。

「付き合えよ、ジャパニー……いや、ロック。酔っ払って嫌なことは忘れちまおう」

「どうして俺なんだよ? あっちのベニーとやらじゃ駄目なのか?」

「最期の晩餐なのに、あの辛気臭い顔見ながらか? あたしはクライスト様みたいに酔狂じゃないんだ」

 レヴィが親指で指す先を見ると、カウンターの端で諦観の顔つきで酒を呷るベニーの姿。
 彼女の言うとおり、今の彼と顔をつき合わせて酒を飲むのはちょっとした苦行に思える。
 ちなみに店主のバオも、ベニーと同じく全てを諦めたかのようにカウンターの端でグラスを一心不乱に磨いていた。
 もう俺は関係ない。もう俺は部外者だ。もう俺に構うな。もう俺に触れるな。もう俺を巻き込むな。
 バオの全身から放たれるオーラが、そう雄弁に語っている。
 なるほど。確かにレヴィの相手を出来そうな人物は店内にロック以外は見当たらなかった。

「それに、だ。栄えある臣民と酒を酌み交わした、なんて言えば地獄でもウケるかもしれないだろ?」

 そう言ったレヴィは、貨物船の船上で見た不敵な面構えに戻っていた。
 どうあっても、彼女は酒の相手をさせるつもりらしい。

「……まあ、良いか」

 思わず溜め息が漏れそうになった口に、ロックは受け取ったラム酒を流し込んだ。

155 :グアンタナモの人:2012/05/27(日) 00:42:08

「そいつはすげぇな。一体全体、どんな魔法を使ったんだ?」

『生憎だけど、それは企業秘密よ』

 レヴィ達が最期の晩餐を楽しんでいる一方で、ダッチは蜘蛛の糸を手繰り寄せつつあった。
 ダッチと彼率いるラグーン商会に糸を垂らしてくれたのは、今回の件における彼らの雇い主。
 グアンタナモに存在する〝ホテル・モスクワ〟の頭目、バラライカである。

『確認するわ。受け渡しは明朝、ポルトー=プランス。運んでもらう荷物は一品追加よ』

「追加料金、と言いたいところだが、流石にそんな寝言を言ってる猶予はなさそうだ」

『どうしてもと言うのなら、〝オオクラショウ〟にでも問い合わせてみれば?』

「……いや、遠慮しておこう。逆に尻の毛まで毟られかねない」

『それが懸命ね』

 絵面が妙に想像できてしまい、ダッチは苦笑いする。
 いくら蜘蛛の糸を引き寄せたとはいえ、未だに彼らの立場が危ういことに変わりはないのだ。
 清々しく笑えない冗談を頭の隅に追いやり、ダッチは今一度告げられた事項を確認する。
 運び屋たる彼らに任された積荷は、二つ。
 一つは元からの積荷であるデータディスク。そしてもう一つ、新たに加わったのが〝彼〟である。
 その二つをしっかり丁重に運べば、あの大帝国が慈悲を与えてくれる。バラライカはそう言っていた。
 暗澹たる思いだったダッチにとって、吉報も吉報であろう。

『後、業務連絡がもう一つあるわ』

「なんだ?」

 だが生憎、世の中は無情で、憂鬱だ。
 耳に入るのが、吉報だけとは限らない。

『貴方達が運ぶ荷物を狙って動き出した連中が居るわ。狙いは両方共ね』

「何処のどいつだ? まさか国家憲兵特殊介入部隊や海軍特殊作戦群、S特あたりが一足先に動いたのか?」

『だったら悪いけど、この話は始めからなかったことになっているわ』

 ダッチが挙げた名前はいずれも、泣く子も黙り、死神が裸足で逃げ帰るような面子ばかりだ。
 確かにもしも彼らが動いていたのなら、バラライカの言うように迷わず〝蜥蜴の尻尾切り〟をするのは正しいだろう。
 そしてそれをわざわざ告げてくれたからには、そうした最悪の事態だけは免れていると判断できる。

『動いているのは、エクストラ・オーダー社。傭兵輸出が主要産業の東海岸諸国の中でも、一等ぶっ飛んだメリーランドの戦争屋よ――ダッチ。くれぐれも用心して』

「ああ、そうするさ」

 用心を促す彼女にそう返し、ダッチが受話器を公衆電話に戻した直後。
 店のガラスが砕け散り、何かがイエローフラッグ店内へと投げ込まれた。


(続)

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最終更新:2012年05月27日 02:15