168 :earth:2012/05/27(日) 12:29:28

 北フランスの返還。
 それはヴィシーフランス政府にとって悲願であった。このためドイツ第三帝国から同地方を返還してもらった際には
ヴィシーフランス政府内部では喝采が挙がった。
 しかし彼らはすぐに難題にぶつかることになる。

「津波対策か……」

 北フランス沿岸地方は大西洋大津波によって大打撃を受けていた。 
 インフラへの被害だけでなく、漁業は壊滅し、農業も塩害によって暫く作付けが不可能になっていた。
 さらに市民は津波への恐怖から防波堤の構築を求める始末だった。しかし大西洋大津波に備えられるような防波堤など
容易に構築できるわけが無い。

「強制疎開しかない」

 フランス政府は主要都市を除いて北部沿岸地域の住民を強制的に内陸に疎開させることを決定した。
 しかしそれもまた難事業だった。おまけにフランス人、特に南部の人間の間ではイギリスへの復讐を目論む者が少なく
なかった。彼らはイギリスとの再戦に備えて軍備の増強に力を入れることを主張した。
 だがそんな主張は、郷土から無理やり避難させられ窮乏生活を強いられる者達の感情を逆撫でした。

「軍艦建造よりも、俺達の生活を何とかしてくれ!」
「銃よりも、今日を生きるためのパンを!」

 こうして生活改善を求めるデモが頻発する。政府は軍を投入して鎮圧したが、彼らの怒りは収まらない。
 政府は憎きイギリスを打倒するために必要なことだと主張し、イギリスを打倒すれば生活も改善できると喧伝した。
フランス政府は国民の反英感情を利用するためにそんな喧伝をしたのだが、これに慌てたのはドイツや日本、イタリアだった。

「「「インドでアレだけ問題を起したのにまだ懲りていないのか?!」」」

169 :earth:2012/05/27(日) 12:29:59

 イギリスは感情的に動くフランス人が如何に御しにくいかを独伊に吹き込んでいく。
 フランス国内向けに対しては、フランス政府が国内復興を疎かにしてアフリカにどれだけの投資をしているかを宣伝した。
 日本人に対してはアフリカでの民族浄化で森林に潜むゲリラを殲滅するために化学兵器さえ使用したことを伝え、インド問題と
絡めてフランスがいかに狂犬国家であるかを喧伝した。また過去に幕府軍を支援して、今のような強国・日本の誕生を阻害していた
とも言ってフランスへの不信感を煽った。
 その結果、日独伊から浴びせられる視線は日々冷たくなった。
 さすがに日独伊の冷たい視線に耐え切れず、フランスは方針転換を余儀なくされた。だがアフリカ開発をトーンダウンさせて
国内復興に力を入れようとすると、現地軍を中心とした反対勢力が台頭する始末だった。
 またイギリスへの復讐を主張する南部住民は現政府の方針転換を非難し、自分達の生活改善ばかりを主張する北部からの避難民を
批判する。
 そこでイギリスは南部住民に北部住民のことを「イギリスに利する売国奴」と呼ばせるように仕向けた。勿論、これに北部からの
避難民は猛反発。その対立は津波からの復興に四苦八苦する北フランス住民と南フランス住人との対立に繋がった。
 本国政府と植民地政府、南部と北部の対立は激化。さらに指導力のある人間がいないこともあり、問題は深刻になる一方だった。

「このままでは我々は立ち遅れる一方だ! 惰弱な政府を排除するべきだ!!」

 そして何も進まない政治、停滞する経済、分裂する国内に苛立つ者たちは本国政府に不満を抱く植民地軍や本国軍の一部と組んで
クーデターを敢行する。さらにパリ市民の一部がクーデターに協力したためにパリで市街戦が繰り広げられることになった。
 最終的にクーデターは独伊の協力で鎮圧されたが、フランスの国際的地位はますます低下することになり、その発言力は地に
落ちることになる。

「フランスが輝いていたのは、ナポレオンの時代までだな」

 ヒトラーにそう酷評されることになったフランスが、再び強国として復活できる日がくるのか、それは誰にも判らなかった。

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最終更新:2012年05月27日 13:24