996 :ヒナヒナ:2012/05/28(月) 20:59:59

お久しぶりです。
なんか文の繋ぎがおかしい気もしますが、リハビリと言うことでご容赦を。




○鰻にまつわるエトセトラ


197×年 憂鬱日本 帝都内某所

質素で落ち着いた和室で、二人の老人が香の物をつつきながら談笑していた。
その席は店の奥にある座敷で、酒や料理を運ぶ女中以外は来ない部屋だ。
料理をまっていたのは年老いたとはいえ、未だに政・軍に影響力を持つ嶋田と辻だった。

「国連で公海上での稚魚の保護と輸出を規制しようとする動きがある?」
「欧州でヨーロッパウナギの保護条約を各国が批准したのに合わせての動きです。」
「今日我々の腹に収まる予定の鰻だって、孵化段階で囲い込みされたら、
漁獲量が落ちて、天然物は当然、養殖物だって値段が釣りあがります。
粋の食べ物だから知識人や有力者なんかの声の大きい輩からの反発が来そうですね。」

年齢と後進を育てるという意味で、政治や夢幻会の第一線を退いたこの二人だが、
多くの夢幻会の同期(?)達が鬼籍に入った今も、腐れ縁として定期的に会っている。
無視できない影響力を持つだけあって、使えるものは親でも使え標榜する夢幻会に、
未だに厄介ごとを持ち込まれ、その度に解決に勤しむことになっている。
まあ、今回は近況報告に近い比較的穏やかなもので、
危急の案件が無いことから雑談のような会話が続けられた。

「江戸っ子の粋といわれる食べ物だからな。また文化人気取りから文句が出そうだ。」
「確かに鰻はここ10年で減少傾向ですし、日本の漁獲量が群を抜いているのは事実です。
あくまで野生生物保護が目的と言い張られれば、日本だけが強硬姿勢をとるのは危険ですね。」
「鰻ごときで外交カードを用いるのは避けたいものだ。」
「面倒なことをしてくれたものです。」

「鮪も史実ほどではないにしろ、最近漁獲量が減っていますし、
日本だけが食料を独占しているという印象を持たれるのは避けたい。」
「日本は戦後の食料危機のときに色々悪評を立てましたからね。」
「誰の立案でしたっけ? まあ、食料の確保は国の政策の基礎ですし、当然ではありますが。」

日本政府、というより夢幻会は未来知識や自らの行動の結果として、
大戦後の世界的な気温低下やそれに伴う食料危機を予想していたため、
多くの政治カードを切ってでも食料の確保に躍起になった。
取引上当然とはいえ、自国の食料が危ういのに日本に輸出せざるをえない
中国や、オーストラリアを中心とする各国からは不満が上がった。
当時、食料を買い漁る飽食の国というイメージを持たれなかったのは、
日本の対応以上に、当時必死に日本にラブコールを送っていた英国情報戦の成果でもあった。

しかし、凋落していたイギリスも復帰の兆しを見せ、
世界帝国の意地で諜報や情報部門などの特定分野では力を取り戻して来た。
日本の対英感情も、10年単位での緩和政策の結果、不信感は残るものの以前ほどではなくなった。
複雑なる世界情勢のなかで、イギリスは日本追従だけでなく、独自の路線も歩み始めている。
ここで無条件にイギリスを当てにするのは危険だろう。何しろ腹黒紳士の国だ。

「鰻か、無体な漁獲制限が付けられるのはゴメンだが、
無闇に消費すれば、漁獲量が目減りしていくのは前世的に明らかという事もあるしな。」
「嶋田さん。殴って黙らせる的な発想は防いでくださいね。
あのあたりは複数の国の利権を跨ぐこともあるので五月蝿そうです。」
「ああ、やっと軍も好戦的気質を抑えられてきたのに、こんなことで不意にしたくない。」
「まあ、この件についてはもっと平和的な解決が……おっと、お待ちかねのものが来たようです。」

廊下から近づいてくる衣擦れの音を聞き、二人は一旦話を打ち切った。
静かに引き戸が開き、和服姿の女中が重箱を2つ持ってきた。
二人の前に配膳し終わると、「ごゆっくりお寛ぎください」と一礼して去っていく。

綺麗な蒔絵が施された蓋を開けると、湯気が上がる。
中には茶色いタレの掛かった白米と、その上に乗った大きな蒲焼。
他の物は無い。真っ向勝負なのだ。
瓢箪に入った山椒を一振りすると、
香ばしさとスパイスの効いたなんともいえない香りが、唾液腺を刺激する。
横に置かれた小さな黒い椀には肝吸い。
澄まし汁の中に肝と鞠麩、三つ葉が添えられていて見た目も楽しませる。
こちらは主賓を邪魔しない上品な香りだ。

うな重を食べる姿は昭和の元老などではなく、二人の老人だった。




997 :ヒナヒナ:2012/05/28(月) 21:00:52


この食料問題(と言う名のバランスゲーム)について、日本が実力行使するのではないかと
わくわく、もしくは戦々恐々として待っていた世界であったが、特にそんなことはなかった。
しかし、水面下ではちゃくちゃくと事態は動いていた。
その結果として10年ほど経つころには日本の食卓に上がる鰻、そしてエビや鮪といった
海洋食料資源の多くが、ほぼ養殖物に置き換わっていたのだ。
東南アジアに対する投資した日本企業や、日本への輸出を睨む現地企業が養殖場を多数設置していた。
その結果、多くの海洋食料資源が養殖物で賄える様になっていた。
もちろんそれによるマングローブ林の伐採などによるゴタゴタも起こったが、割愛する。


この事態の発端は農水省だった。
特に鰻については、保護条約制定騒ぎあたりから、水産庁と大学の合同調査チームが、
執念ともいえるべき熱心さで鰻の産卵場所を特定し、数年にわたる学術研究の末、
孵卵からの鰻養殖技術を確立した。
初めは水産試験場で、後には民間養殖業者を巻き込んでの国家事業のようになっていた。

世界の一部の国は当初「また日本が何かこそこそやってやがる」と、
国費をつぎ込んで、熱心に何か研究する日本の様子を注視していた。
しかし、それは彼らからすると斜め方向の発想だった。
「日本人はそんなにしてまで、ヌルヌルのキモイ魚を食べたいのか」と呆れ、
一部はそんなことに国費を注げる日本をうらやんだ。

憂鬱世界の海洋食料資源事情の一端であった。




「怒ると、腹が減りますから食のために怒るのは非効率的ですね。
それより、どうやったら長期的かつ安価に食糧を確保できるかを考えるべきです。」

かつて、大蔵省の重鎮はそう語ったと伝えられている。


(了)


○あとがき
本当はイギリスを絡ませて(鰻ゼリー的な意味で)、もっと「食べ物の恨みは……」みたいな
ドロドロした世界を書こうとしたのですが断念しました。尻切れトンボなのはその所為です。
しばらく、書いていないと文章が下手になりますね。
まあ、そんなことよりおなかがすいたよ。

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最終更新:2012年05月28日 23:34