6 :ヒナヒナ:2012/05/30(水) 21:18:24
○バードマン達の熱い夏


「そうだ、琵琶湖へ行こう!」
「お父さん、いい加減に年を考えてください。」
「三菱だって負けませんぞ、倉崎の。」

未だに飛行機製作の現場に顔を出し続ける倉崎重蔵と、それを諌める倉崎潤一郎。
そして、対抗心を燃やす三菱陣営というすでに見慣れた光景が続けられていた。
しかし、今回は何処か軽いノリだった。
今回、航空機関係者が集められての集会で話し合っていた内容が原因だ。
彼らの後ろに掲げられた妙に気合が入った墨字の横断幕には、こう書かれていた。

“鳥人間コン○ストを開催する会”




日本中のバードマン達を熱狂させる夏
日本最大の湖である琵琶湖で行われる祭典
それが鳥人間コン○スト選手権大会。

日○レの番組として1977年に始まったこのコンテストは、
人力飛行機でプラットホームを飛び立ち、最後に水面にダイブするまでの距離を競う競技だ。
諸事情により中断することもあったが、史実日本での空への夢を育んできたイベントだ。
が、例のごとく、逆行者達は待ちきれなかった。

夢幻会の一部では、これから官民で需要が予想される航空機関連技術を持った人材を確保するため、
民間、特に若年層からの取り込みを図ることにした。
第二次大戦勝利での喧伝に加えて、少年誌などへの飛行機漫画の連載や、
飛行士が主人公の映画の作成し(イタリアが舞台の赤い飛行艇乗りの話が混じっていたりした)、
その中の一つとして、空への夢を抱かせる企画として持ち上げたのが、この企画だった。




「ゴッサマーアルバトロスが飛ぶより先に琵琶湖を横断するぞ。」
「今の情勢でドーバー横断は無理でしょう。てか琵琶湖横断って何キロあると思っているんです?」
「まだ琵琶湖大橋もできていないから、折り返し飛行なんていけずをしなくても済む。」
「人の話を聞いてください。……死人がでるようなのはやめて下さいね。」

航空技術者(前世)かつ、空海立体戦術の先駆者という経歴を持つ嶋田は、
勝手に周囲にこの企画について責任者にされてしまった。が、やはり倉崎と三菱が暴走していた。
すでにやる気モードに入ってしまった倉崎老に忠告することを諦めて
嶋田は周囲を見回して言った。

「作成期間もありますし、行き成り民間から募集は掛けられませんので、
今回はプレ大会としますから余裕のある倉崎と三菱で機体の作成をします。
一応記録はとりますが、くれぐれも宣伝ということを忘れないでください。」

倉崎と三菱の関係者を集めた集会でなんとか取りまとめた嶋田だが、すでに皆自分の世界に入っている。

「今まで暖めてきた、二重反転プロペラを人力で……」
「おっと、うちの班もかませて貰おう。ここで、ケツプロペラ機の有用性を」
「俺も飛びたいから二人乗りを作ろう。」
「地面効果を効果的に使えば…平均高度は1.5mくらいを設定しよう。」
「カーボンが使えないから重い。あと翼の強度が足りないぞ。」
「既存の自転車パーツは重過ぎる。自前で作ろう。」

そこは目がイっちゃっていたり、設計図を持ち出してニヤニヤしている変態達の巣窟だった。

「機密を持ち出さなければいいや。もう勝手にやってくれ……。」

こうして、自重しない第一回(プレ)鳥人間コ○テスト選手権大会が開催された。




史実では一部例外はあるものの、大体が最長人力機記録保持機ダイダロスに習った構造
の機体が大勢を占めるようになったが、この時代にはそんなセオリーはなかった。
二重反転プロペラ機、人力双発(二人乗り)機、ケツペラ機、無尾翼機など……
こうして真面目な変態機のオンパレードとなっていく。

果たして第一回を終えたが、軍の航空関係者からすら
「お前らやり過ぎ」とか「こんなものを飛ばして喜ぶk (ry」などとドン引きされ、
倉崎や三菱など大規模航空企業の主要開発部門はマークされ、書類審査を課すようになった。
そして、当初の予定通り両者がスポンサーとなり、次年以降は主催者側にまわることとなった。

また、後には出場チームへの大型企業の参加は禁止され、
個人グループや町工場からの参加、高校大学生たちアマチュアが主流になる。
また、後年には外国勢も参加するようになり、
お茶の間を熱狂させる長寿イベントとなっていった。


全国のバードマン達が燃えあがる熱い夏が今年もやってくる。


(了)


こんな、早くに人力飛行機が出来るわけがない。
いや、倉崎なら、という思考がありました。
まあ、年代については想像にお任せします。

7 :ヒナヒナ:2012/05/30(水) 21:19:58
しまったあああ。
ネタssの方に投稿しようと思ったのに……
……もう、このままでいいや

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最終更新:2012年05月31日 22:53