10 :①:2012/06/02(土) 00:36:21

一発屋の①です
前の音楽話の続きです
面白くないかもしれませんが読んでやってくらはい





1.
 その日、世界から戦火は止んだ。

 ここドイツの帝都ベルリンは、ようやく長く苦しい戦いが終わってほっとした気分に満ちていた。

何かにつけ「偉大なるドイツの為に!戦争に全てを!」

と言っていたナチスも、今や自分たち一人の力で戦争を戦い抜き、勝利を掴んだように宣伝していた。

もっとも口がさないベルリンっ子たちはBBCのおかげで

「なに、優秀なるアーリア人は大英帝国とやっとこさ、東方のフン族(ロシア)にはアップアップだったが、
その大英帝国とフン族をおちょくってうまい汁を吸い、大西洋の植民地人(アメリカ)を滅ぼしたのはモンゴル人(日本人)じゃねーか。」

と、自嘲気味に語っていたが、何がともあれやっと堅苦しい生活から解放されるのには素直に喜んでいた。

 そしてちょうどその日、ベルリンのベルンブルガー・シュトラーセにある「フィルハーモニー」ではコンサートが行われようとしていた。


本来ならただの定期コンサートだった。

しかも客の入りが多いベートーヴェンチクルス

「レオノーレ序曲第三番」
「バイオリンコンチェルト」
交響曲7・8番

の予定だった。

が、その日は違った。

ゲッベルス率いる宣伝省によって、定期コンサートは急遽

「第三帝国大戦争大勝利完遂終結記念コンサート」

と芸術のセンスのかけらもない、宣伝そのままの冠をつけられ、ナチス要人がごり押しでワーグナーチクルスに変えられ、
ラジオによって全世界に中継されるという、ナチスの一大コンサートイベントに成り代わってしまったのだ。

11 :①:2012/06/02(土) 00:37:15

2.

「いけませんマエストロ…ここは病欠を奴らに伝えてコンサートを…」

「ダメだ、ここで私が逃げ出せば、ここぞとばかりあの豚どもはこのベルリンフィルを自分たちの格好の宣伝オーケストラとするだろう。偉大なるドイツ音楽を奏でるべきベルリンフィルが、ナチスの豚どもと同一視される。それに私は耐えられない…」

「さりとてこのままマエストロが指揮すれば…」

「私も豚どもと一緒ということになるな、ラジオによって全世界に宣伝されるわけだ」

ベルリンフィルの終身指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは沈痛な面持ちで
ベルリンフィルの支配人であるヴェスターマンと話していた。

二人は単なる定期コンサートがナチスによって戦勝記念コンサートにされるのに抵抗してきたが力及ばず、この日を迎えたのだ。

そして同時に訃報を受け取ったのだ。

アメリカで、フルトヴェングラーの旧友であり、偉大なるドイツ音楽の継承者の一人でもあるブルーノ・ヴァルターが亡くなったことを、副指揮者のレナード・バーンスタインから中立国経由の手紙を彼らは受け取っていた。

「しかしマエストロ、このままではマエストロどころか…」

「わかっている。このまま私が指揮すればドイツ音楽はナチスと同一視される…偉大なるドイツ芸術が全てナチスと関連付けられる…ドイツはナチスと違うのだ…ヴァルターがアメリカ人たちにアメリカ芸術を守るように言って逝ったのに、私はドイツ芸術を汚す手先になるだろう」

 フルトヴェングラーは戦争中でもベルリンフィルを率いてコンサートを行った。時には工場での慰問コンサートも行った。
 それでナチスを嫌って亡命したドイツ人からは批難を受けた。フルトヴェングラーはナチスの手先であると。
 しかしそれはフルトヴェングラーにとっては決してナチスへの迎合ではなく、偉大なるドイツ音楽を守る為であり、オーケストラと聴衆を守る為でもあった。
 しかしそれも今夜台無しになるかもしれない。

「ナチス・ドイツ戦勝記念コンサート」を「フルトヴェングラー」が「ベルリン・フィル」を指揮し、全世界に放送される。まさに「手先」のレッテルが貼られる格好の舞台。そしてすぐ後にはウィーン・フィルを率いてウィーンで同様のコンサートが行われる。


逃げられない罠をナチスに仕掛けられたようなものであった。


「このままでは豚どもの思い通りになる…、一か八かでやるしかないな…今日は演目を変更しよう」

「え?彼らは既に曲目を…」
「ワーグナーもやる、しかしドイツ音楽と共にやるべきものがある」

フルトヴェングラーは曲目をヴェスターマンに伝えた。

「マ、マエストロ、それらの曲は…」
「大丈夫だ、彼らも偉大なるドイツ音楽の一部だ。それにこれは賭けだよ、冒頭にヴァルターの死を伝えて曲目変更を告げる。それでも彼らはコンサートを中止させないだろう、何しろ世界放送だからな。もっとも終わった後にゲシュタポが私を逮捕しに来るかもしれないが。それでも彼らは私を殺せないだろう、戦争も終わってそんなことをすればナチスは終わりだ」

「しかし万一…」

「その時はオーケストラとエリザベートを頼むよ。それに今ここで私が体を張らないでどうして偉大なるドイツ芸術が守れるか。ヴァルターは芸術の為に体を張った。他の彼らからも臆病者といわれたくない」

フルトヴェングラーは目の前の指揮棒と写真を見ながら言って指揮台に向かった。

12 :①:2012/06/02(土) 00:40:03

3.

 ドイツ宣伝省大臣ヨーゼフ・ゲッベルスはフィルハーモニーの最前列中央で青ざめ、ほうけ、そして圧倒されていた。

 目の前ではフルトヴェングラーがベルリンフィルを率いて最後の演目である曲を火の出るような情熱をこめて演奏していた。
 本来の演目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」のはずであった。

 ベルリン・フィルがホルストヴェッセルリートを奏で、ゲッベルスがドイツ戦勝の演説をぶち、フルトヴェングラーがワーグナーチクルスで閉める。
 それを全世界に放送することにより、ナチス・ドイツの戦勝・優秀性を大いに宣伝するつもりだったのだ


(全部、この機械仕掛けのような指揮者が壊しやがった…)


 ゲッベルスの演説の後、聴衆はフルトヴェングラーを熱狂的な拍手で迎えた。
 観客からは「ドイツ万歳!」と声が出るほどだった。
その聴衆にフルトヴェングラーは冷や水を浴びせるようにブルノ・ヴァルターの死を伝えた。
 その瞬間、聴衆は熱狂が薄れ、水を打ったように静かになった。
 追放されたユダヤ人の名はここベルリン、特にこのフィルハーモニーに集まっているベルリンっ子にとっては忘れられない名前であったのだ。
 間髪いれずフルトヴェングラーはコンサートを始めた。

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死」

 この調べを聴いてヴァルターがここで、そしてベルリン国立歌劇場で奏でた同じでしかしフルトヴェングラーとは違う調べを思い出さない聴衆はここにはいない。

 そして二曲目は

リヒャルト・シュトラウス 「メタモルフォーゼン(変容)」

 ほぼナチスに追放されかけているシュトラウスが、津波で消えたボストンのシンフォニーホール、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、リスボンのサン・カルルシュ国立劇場、戦争で破壊されたロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスを偲んで、ベートヴェンの交響曲第3番「英雄」の葬送行進曲をモチーフに作曲した曲

 もはや戦勝気分ではない、亡き人をしのぶ雰囲気になってしまった。

 そしてゲッベルスはここで放送を中止すべきだったと後悔した。

そして三曲目で聴衆は動揺し始めた。思いもしない曲が演奏されたのだ

フェリックス・メンデルスゾーン「バイオリン協奏曲」

ナチスが禁止したユダヤ人の曲、長らく聞いていない曲をフルトヴェングラーが振っている。明らかにナチスに対する反逆であった。

とどめは4曲目だった。

グスタフ・マーラー 交響曲第6番イ短調「悲劇的」

 ヴァルターがもっとも得意とし、フルトヴェングラーがもっとも不得意で似合わないマーラー。
 そしてこれも禁止されたユダヤ人の曲。
 それをフルトヴェングラーは全身で尚且つ情熱をこめて指揮している。
 この行為が何を意味するかゲッベルスも聴衆もはっきりとわかっていた

 フルトヴェングラーはナチスに抗議しているのだ。

もっとも当のフルトヴェングラーは「偉大なるドイツ音楽を演奏して何が悪い!」という意味だったのだが…

 ラジオのアナウンサーは沈黙している。曲名が紹介できずにいたのとフルトヴェングラーの指揮する曲に圧倒されていた。

ラジオはただフルトヴェングラーがつむぐ調べを世界に流すだけだった。

 ゲッペルスは放送を取りやめたかったが出来なかった。

 フルトヴェングラーがつむぐ曲のすばらしさに、彼も他の聴衆と同様に動けなくなっていたのだ。

それだけ今夜のフルトヴェングラーとベルリン・フィルは鬼気迫った音楽を奏で続けていたのだ。

まるでドイツ音楽に殉じる覚悟で…

オーケストラが最後の調べを奏で終わったとき、フィルハーモニーは沈黙していた。


やがて、拍手が一つ二つ出てきて、やがてそれは大波のような拍手に変わっていた。
みな感動して、体が動かなかったのだ。ゲッベルスも拍手していた。

それはユダヤ人もドイツ人もない、「音楽」が勝利した瞬間。
フルトヴェングラーの控え室の机の上に飾られた写真もそれを聞いていた。

写真の中の今は亡きブルーノ・ヴァルター、アルトゥール・トスカニーニ
亡命中のエーリッヒ・クライバー、オットー・クレンペラー、
そしてフルトヴェングラー自身が移った戦前の黄金期ベルリン

あの時代に戻ったような、偉大なるドイツ音楽が甦った瞬間だった。

13 :①:2012/06/02(土) 00:41:23

4.

解説
0.元ネタはヒンデミット事件をもじったようなものです。
ただ憂鬱世界でもフルトヴェングラーがここまでやっちゃったら命の保障が…
夢幻会のフルトヴェングラーファンは、なんとしてでも助けるように

1.ナチス時代ユダヤ人作曲家の音楽は禁止されていましたが、
実はメンデルスゾーンなどの人気曲は「作曲者不詳」で演奏されてたそうです
フルトヴェングラー指揮マーラー6番なんて想像もつきませんが…
もし録音あったら聞きたいですねぇ~

2.リヒャルト・シュトラウスはナチス時代いろいろ要職についていましたが、
息子の嫁がユダヤ人で、協力せざるを得ない立場だったようです。
ということで、憂鬱世界では息子の嫁がユダヤ人ということでほぼ追放されたという設定にしてあります
ちなみに「メタモルフォーゼン」は史実では空襲でドイツの歌劇場やホールが焼けたのを偲んで作曲しています

3.表題の「写真」はトスカニーニがニューヨークフィルを率いてベルリンに来たときの写真です
参考:ttp://members.macconnect.com/users/j/jimbob/classical/bigfive.html
左からヴァルター(西川のりおではありません)、トスカニーニ、クライバー、クレンペラー、フルトヴェングラー

4.前に書いたヴァルターの話もそうですが、フルトヴェングラーの大戦中のブラームスを聞いて思いついたものです。大戦中のフルトヴェングラーの凄さは録音聞いていただければ。

参考:ttp://www.nicozon.net/watch/sm16253123

これ聞いて他の人のブラームスが聞けなくなりました。尋常じゃない音楽です。まあベルリン陥落の4ヶ月前ですから…でもフルトヴェングラー凄すぎ…
それでも大戦中の1945年1月23日のベルリンの録音って…それでこの音質ですからドイツはやはり凄い…

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年06月05日 19:45