498 :taka:2012/06/12(火) 18:26:47
第二次大戦でソ連を辛くも打ち破ったナチス・ドイツ。
彼らがロシアから得た領土はバルト三ヶ国、ベラルーシ、ウクライナ。
ヒトラーが目指した完勝(ソビエト全土占領)を考えれば範囲は狭い。
だが、実際に占領地を運営するとなるとこの三つの新領土は果てしなく広かった。
(休戦に渋っていたヒトラーも、終戦後占領地の運営に必要な予算額を見て「あれで止めて良かった」と自分の考えを訂正している)
バルト三ヶ国ではロシア人はソ連側に叩き出され追放されるか奴隷として消費されていた。
特にロシア人に対する敵意の強かったエストニアでの弾圧、追放、奴隷化は苛烈だったという。
リトアニアでもポーランドの痕跡は徹底的に排除され、在住していたポーランド人とロシア人、ユダヤ人は追放か奴隷化の運命を辿らされている。
何れ衛星国として各国は独立させられるだろうが、それはあくまでドイツのひも付きでしかない。
ベラルーシの存在は領土的な問題というよりも、ロシア中枢への睨みとして軍事的な拠点としての意味合いが強かったと言われる。
ベラルーシが独立(衛星、傀儡としてだが)後も中央軍集団と戦後も呼称が変わらなかった強力な機甲部隊を多数要したドイツ軍がソビエト崩壊まで駐留を続けた。
資源的には羊毛などを除けば大したものは無かったが、60年代の調査と採掘で石油とガスが出ると解った途端、ドイツからの扱いがガラリと変わったという。
そしてウクライナ。
ドイツが得た旧ソビエト領土の中で、最も広大であり、可能性を秘めた大地である。
何よりこの三つの新たなる地域で流された血の量が最も多かった大地でもある。
ソビエトの穀倉と呼称された大規模な穀倉地帯。豊富な石炭と鉄鉱石。後に加わるウラン鉱石。
この大地を活用する為、ドイツは自らの支配地域に存在する『不要な人種』をウクライナに送り込み続けた。
この大地を開発する、危険な鉱業などで使い潰す労働力として。
勿論、ソビエト側に逃げ出さずウクライナに留まっていたロシア人も同様の運命を辿った。
彼らに対する扱いは苛酷を極め、最低でも500万人以上の不要人種がウクライナの土となったという。
歴史家の中には「ウクライナの土壌の肥沃さはウクライナで没した人間の数によるもの」とすら表現している。
499 :taka:2012/06/12(火) 18:27:23
1940年代後半 冬
切り開かれた草原は遮蔽物の無いキルゾーンとなる。
それは冬であっても同じだ。ましてや、その手の心得のない余所者達であれば。
渡るのに時間が掛かりすぎれば凍死。迂闊に痕跡を残したり位置をばらす行動をしてしまえば見つかって射殺。
ウクライナ兵達には、赤軍使い古しのシモノフPTRS1941やデグチャレフPTRD1941が供給された。
(故障や暴発が多発した末期型は流石に支給されなかった)
射程四百mのこの対戦車ライフルはモシン・ナガンなどの狙撃銃と組み合わされた狙撃グループとして恐れられた。
なんでわざわざ対物ライフルなんて、威力が過剰な装備をするのかという違和感は、奴隷の収容所近くでの射撃試験で理解させられた。
わざわざ奴隷達の前で射撃訓練を行い、そのえげつのない威力を眼前で知らしめる事で脱走を考えることを抑止するためである。
だが、モシンナガンを愛用するコサックの青年兵にとってそれが意味あるのかよく解らない。
どのみち、最悪の居住環境と食生活、苛酷すぎる労働条件に耐えかねて脱走者は後を絶たないからだ。
職場での死か、脱走中に撃ち殺されるか凍死するか。何れにしても死ぬ、だが、それでも逃げる者は発生する。
交代の時間となり、決められた雪道を通って集結地点へと戻る。
他の道を勝手に歩くと銃を突き付けられたり撃たれたりする危険があるから要注意だ。
ドイツ軍から払い下げられたシチュー砲と呼ばれる野戦炊事車が煙を出し、炊事班がせっせと炊事をしている。
少し大きな天幕で上官(義勇保安師団の大尉、ウクライナ人)に交代の報告をした後、煙草を吸いながら食事を待つ。
他にも焚き火に鍋をかけお湯を沸かし、薄いお茶を飲みながら干し果物を囓っている者達も居る。
世間話をしていた友人に煙草(ドイツ兵から貰った)を一本分けながら、青年兵は紅茶を啜る。
今年は夏が短く、紅茶の甘味に欠かせないジャムの材料となる果物の育ちが悪かったと実家に帰ったとき祖母がぼやいていた。
他にも砂糖の値段が高騰していて、漸く戦争が終わっても一息付けないよと誰も彼もが愚痴をこぼしていた。
全くままならないものだと青年は思う。
だが、そういう風に考えられている余裕があるだけ幸せなのだとも考えている。
奴隷には思考は許されないからだ。奴隷はただ単純な労働力として消費され、ウクライナの大地へと還る。
恨みや無念、嘆きや絶望などを白い雪の下に隠して。
「飯が出来たぞー、並べー」
長蛇の列から食事を確保出来たのは30分後だった。
雑穀がメインのカーシャ(お粥)とサーロ(豚の脂身の塩漬け)を炙ったもの、馬鈴薯がゴロゴロ入ったボルシチだった。
質としてはあまり上等とも言えないが量は多い方なので、お腹一杯食べられるだけ幸せというものである。
サーロを一口囓ってからカーシャを口に入れようとした時、腹に響くような銃声が聞こえた。
何人かの兵士が無言で銃声の方を仰ぎ見る。どうやら、シモノフPTRS1941を誰かが撃ったらしい。
直ぐに次発が撃たれなかったところを見ると、一撃で仕留めたようだ。相手が誰であるかは言わずもがなである。
(こりゃ、運が悪ければ死体を片付ける羽目になるな)
シモノフPTRS1941で人間を撃てばどうなるか。
それは一度実物を片付ける羽目になった青年兵が良く知っていた。
嫌なイメージの所為で飯が少し不味くなった事に不愉快感を覚えながら、青年はカーシャを口に入れ咀嚼した。
おはり
最終更新:2012年06月12日 21:30