640 :アドニス:2012/06/15(金) 07:27:14

ネタSS 『憂鬱日本のアニメソング』



1994年
大戦が終了して半世紀が過ぎ、戦争の記憶が薄れていくこの時期、日本ではアニメが大いに栄えていた。
夢幻会の活動、主に萌えを追求するMMJの暗躍もあり、事実よりも早くDVDやブルーレイが実用化したこともあり、日本のアニメは日本の勢力圏を超えてドイツやイギリスでも広まっていた。

しかし、そんなアニメであったが史実との相違点は勿論ある。
夢幻会が余りにも歴史を変えすぎてしまったために、世界情勢はあまり影響しない作品はともかくそうでない作品は設定が大いに変化してしまっているし、その上アニメソングにも史実には見られない変化があった。

そもそもの始まりは、日本が列強筆頭にして世界最強となったことだ。
それまでの日本は、明治維新から西洋文化をやたらありがたがって受け入れていたが、これに伴って日本文化が再評価されて見直されるようになった。
つまり史実のように無闇に英語をありがたがる風習はなくなったわけである。
これにはアメリカ滅亡で英語の国際的な地位の下落してしまう一方で、日本の繁栄により日本語の地位が上昇したことも大いに影響していた。

その為、アニメで使われる主題歌、挿入歌、イメージソングなどの所謂アニメソングの歌の曲名や歌詞が日本語で統一されるようになった。
つまり、史実のように日本の歌なのに曲名が英語だったり、歌詞に英語が混ざっていたりしていないのだ。
ちなみにこの変化はアニメソングだけでなくゲーム音楽やその他の音楽も同様である。

「アニメソングがここまで変わってしまうとはな」
史実アニメソング派の男は史実との変化に頭を痛める。
彼としては史実のアニメソングの方が良かったのだか、夢幻会の大多数は現在のアニメソングを支持する日本式アニメソング派で、彼はこの世界では少数派にすぎない。
おまけに国民の世論も多数派を支持しているのでどうしようもない。

そもそも夢幻会は早くからアニメを文化発信手段として着目していた。
それゆえ、文化的な面を重視すると、史実みたいに「カッコいいから」とかいう理由で歌詞に英語を入れて意味が通らなくなったりするなどは認めれず、あくまで日本文化として重視するが故に文化的な乱れは好ましくない。
あくまで日本の歌ならば日本語であればいいし、英語の歌を聴きたければイギリス音楽でも聴けばいい。(アメリカ音楽は絶滅状態)

「こればっかりはどうしようもないな」
男は現状に溜息を零した。

おわり

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最終更新:2012年06月17日 07:20