975 :earth:2012/06/21(木) 22:09:14
西暦1948年。小笠原沖に出現した巨大な門によって2つの世界は繋がった。
「気のせいか、これが初めてではないような気が……」
「メタ発言は慎んでください。『転校』、もとい『転勤』することになりますよ?」
「顔芸をしながら言うのはやめてくれ」
首相官邸の中で、嶋田と辻はそんなやり取りをしつつゲートの向こうの世界、史実世界との交流を開始した。
そしてその交流は多くの波紋を2つの世界に広げることになる。
「我が国が人類を脅かすことでもしたと言うのか!?」
B-29の戦略爆撃と核攻撃(それも2発)によって国土を焦土にされた挙句、連合国によって占領された日本を見て日本帝国では
米国への怒りと反感を呼び起こした。そして一部の人間は負けていれば自分達も同じ目に合っていたと冷や汗を流し、
アメリカが完全に
滅びるまで手を緩めなかったのは正解だったと胸を撫で下ろした。そして当然のことだが、東西に分割されたドイツの存在を知った
ヒトラーは激怒した。怒りを諌めようとする者たちに対して、ヒトラーは青筋を立てて怒鳴った。
「植民地人とスラブ民族の暴虐を見逃せというのか!」
しかし日本帝国もドイツ第三帝国も、政府首脳はゲートの向こうにまで出兵し日独を解放することなど不可能と最終的に判断して
宥和政策を行う決断を下した。
一方、アメリカが崩壊したという事実にアメリカ人は激怒したが、巨大津波と疫病の流行という情報に対する衝撃が怒りを凌駕した。
「カナリア諸島を調査せよ!」
「津波対策を!」
アメリカでそんな声が挙がるのに時間は掛からなかった。
そして日本帝国とドイツ第三帝国の許可もあって、限定的にだが被災地の現地調査を許されたアメリカは……すぐに半狂乱状態となった。
世論に押されたトルーマンは、慌てて津波対策に力を入れざるを得なくなり、アメリカは国外に関わる余裕を失った。
そして……それを見逃さないスターリンではなかった。
「帝国主義者を今こそ駆逐するのだ!」
976 :earth:2012/06/21(木) 22:10:03
西暦1950年、世界各地に展開していた米軍の大半が米本土に撤収するのを確認した後、ソ連は活動を開始した。
米国からの支援が無くなった西欧は瞬く間にソ連の軍門に降り、朝鮮半島にあった大韓民国は呆気なく消滅した。だがそれだけで終らない。
ソ連の魔の手は日本本土にも伸びたのだ。日本国内の共産シンパの相次ぐ蜂起、そして北海道に上陸し南進してくるソ連軍の前に時の日本政府
は対応し切れなかった。
さすがに拙いと判断した日本帝国側が出兵したが、ゲートという不安定な品物を経由して大軍を派遣することは躊躇われた。また日本陸海軍の
戦力自体に余裕は無く、大軍を長期間派遣するのは不可能との結論が早期に下された。このため、ここで日本帝国は核のカードを切った。
「我々は対岸が赤くなるのは望まない。そのためには『極めて遺憾』ながら、核の使用も辞さない」
帝国は小型化した核砲弾、さらに強化型原爆、そして連山改の後継機の泰山(ジェット機)によるブラフを張ったのだ。
さらに日本側は劣勢に立たされた史実米国に対して、核を搭載可能な大陸間弾道弾(それもアラスカからモスクワを直撃できる)の技術を
供与する用意があると発表した。
「世界を破滅寸前に追いやった危険思想を駆逐するためなら、並行世界のアメリカとも組む」
だがスターリンはそれを無視した。
そして……破滅の時は訪れる。
「大和と武蔵を送れ」
古賀海軍軍令部総長はそう冷たい声で命じた。門を超えて出撃した日本海軍最強、いや世界最強の2隻の戦艦、そして随伴の空母部隊と
高速潜水艦部隊は日本近海で思う存分に破滅を撒き散らした。
核こそ使用しなかったが、彼らの齎した破壊は常軌を逸していたのだ。
ソ連海軍太平洋艦隊は文字通り消滅。輸送船舶も全滅して日本列島に上陸したソ連軍と蜂起した共産勢力は瞬く間に補給を絶たれた。
この凶報にスターリンは顔を真っ赤にするのだが、彼にとっての凶報はそれで終らない。
「ソ連軍を駆逐せよ!」
猛将と名高い山下大将を総司令官とした帝国陸軍第3軍が日本本土に上陸。残されていたソ連軍を瞬く間に掃滅していった。
関東平野を制圧したはずのソ連軍は、東北方面に敗走することになった。
責任者が次々に銃殺されていく中、スターリンに最後のトドメとなる凶報が飛び込む。
「日米同盟だと?」
日本帝国は不倶戴天の敵とも言えるアメリカとの同盟締結に踏み切ったのだ。
さらに日本帝国側が大陸間弾道弾と水爆の技術さえアメリカに供与することも検討し、米国中枢がそれを用いてソ連を地上から
抹殺することを真剣に検討しているとの報告がスターリンに停戦を決意させた。
977 :earth:2012/06/21(木) 22:10:55
こうして西暦1951年、後に極東戦争といわれた戦いは終った。日本は南北に分断され、東アジアと西欧(英除く)は赤化した。
日本帝国側もソ連との殴り合い(限定的だが)で消耗し、アメリカは大戦で得た物の大半を失った。
だが日米にとって得られる物もあった。この戦いの後、日本帝国とアメリカ合衆国は日米安全保障条約を締結したのだ。
アメリカは日本側から供与される技術を、もともとチート気味の国力でさらに高度な物に昇華させていった。
「さすが天然物のチート国家」
その様は、日本帝国側を震撼させるものであり、日本帝国側の技術革新をさらに加速させる要因となった。
だが軍事的交流と共に、両国は経済交流も深めていった。
日本側にとってはアメリカという失われた大市場は垂涎の的であったし、アメリカ側も日本帝国が抱える勢力圏は魅力的だった。
こうして皮肉なことに、
夢幻会が当初願っていた日米蜜月は次元越しであるが実現することになる。
最終更新:2012年06月24日 16:54