51 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:17:04

「申し訳ありません。力が及びませんでした」

 こじんまりとした飾り気のない書斎は、憂いを帯びた空気に包まれていた。
 ある者は目を伏せ、ある者は力なく頭(かぶり)を横に振る。
 室内に居並ぶ人間達の顔色は、いずれも芳しいものではなかった。
 その中でも一際顔色が悪いのは、結果を語った当の本人だ。
 唯一、暴挙を止められたかもしれない立場にいただけに、今回の結果は不本意極まりなかったのだろう。
 情けなさのせいか、その肩は小刻みに打ち震えていた。

「……あまり気に病むな。私の見通しも甘かったのだ。まさかナルヴィク沖からの帰還者である君の言葉にすら耳を貸さないほど増長しているとは思わなかった」

 そう言葉をかけながら、書斎の主である老人は椅子に深く腰掛けなおす。
 窓の外の鬱々とした曇天が彼の目に映る。
 それはまるで、この国が陥っている状況を表しているかのようだった。
 彼は思う。まさしくこの国は病んでいる、と。
 政府は国民の血で軍艦を造ろうとしている。
 この国情を把握してなお、さらなる建艦に踏み切るということは、そういうことなのだ。
 国民を庇護すべき国家が、国軍が、国民を虐げている。
 我が愛すべき祖国は、一体何処まで腐ってしまったのだろうか。
 思わず、肘掛の先を掴む手に力が篭った。

「……やはり、我々が動かねばならないようだ」

「!」

 ぽつりと吐き出された老人の言葉に、居並ぶ人間達は息を呑んだ。

「我々は国民の自由と安寧を護るために存在している。それは昔から変わらない、変わってはならない」

 老人は言葉を続ける。

「故に――このような不義は許されてはならないのだ」

 全ては時間との戦いになる。
 最早、一刻の猶予も許されないだろう。
 無論、自らの行動が吉と出るか、凶と出るかは定かではない。
 だがしかし、このまま座して祖国が朽ち果て、崩れていく様を眺める真似だけは到底我慢ならなかった。
 だからこそ、老人は、彼らは、今ここに集っているのだから。

「おそらくこれが私の祖国に対する最後の奉公になるだろう。付き合ってもらうぞ、諸君」

 そう語る老人――アンリ=オノレ=ジロー退役陸軍大将の眼には、強き意思の光が煌々と宿っていた。

52 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:18:32

 激動の四〇年代も終わりに近づきつつ一九四八年半ば。
フランス共和国――前年、フランス国より改称――の性急過ぎる軍備拡張は、国民生活を目に見えて圧迫するに至っていた。
 その最たる要因は、日々異常な速度で拡充される海軍艦艇にある。
 <パンルヴェ>や<ラファイエット>級といった航空母艦の建造を盛り込んだ空母機動艦隊整備計画の策定後、ひたすら増強されたフランス海軍の戦力は、この時点で戦前の水準を既に上回りつつあったのだ。
 当時の国情を鑑みれば、それがどれだけ異常であるかが判るだろう。
 津波や戦災からの復興を悉く後回しにしていた、という事実も合わせれば尚のことだ。
 しかし、インド問題に端を発する一連の外交失点を取り戻すことに腐心していた当時のフランス政府はそれを押し切った。
 確かに多少自業自得の気があったとはいえ、彼らを取り巻いていた情勢を考えれば、やむを得ない行動であったのも事実だろう。
 ただし許されるのは、あくまで〝多少〟である。
 残念ながら、彼らが〝多少〟から足を踏み外すのは極めて早かった。



     ――― 提督たちの憂鬱支援SS・将軍達の反乱 ―――



 フランス政府が〝多少〟から足を踏み外した原因。
 そこにはフランソワ=ダルラン海軍元帥率いるフランス海軍急進派の存在があった。
 海軍力によって欧州枢軸内におけるフランスの確固たる立ち位置を確保する。
 その方針を帆として掲げた彼ら海軍急進派は、欧州枢軸の事実上の盟主であるドイツや失点回復を狙う政府の思惑を追い風とし、当時のフランスにおいて最大の影響力を持つ集団となっていた。
 だが、短期間で急激な力を得た者達の中には、瞳の輝きを濁らせてしまう者達が少なからず存在する。
 フランス海軍急進派の場合、まさしくこの例に当て嵌まってしまった。
 気づけば、彼ら海軍急進派は己の懐を暖めるために軍艦を造るように成り果てていたのだ。

53 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:20:13

 勿論、そうした彼らの動きに疑問呈する者、または否を突きつける者が居なかった訳ではない。
 されど政府中枢に深く食い込み、主客転倒すら引き起こしていた彼らを押し止める手立てを持ち合わせている者まではいなかった。
 故にそういった動きを見せた人々は海軍急進派の手で逆に排除され、障害を退けた海軍急進派の横暴は加速度的に高まっていくこととなる。
 それが頂点を迎えたのが、一九四八年六月末。
 海軍急進派は議会に第二次空母機動艦隊整備計画――航空母艦や補助艦艇のさらなる追加建造を行なう案を認可〝させた〟のだ。
 謳い文句は多数の空母機動艦隊をもって北米航路や植民地航路の安全を確保すると共に日英海軍を牽制するというものだったが、その内容は明らかに常軌を逸していた。
 ある筋から概要を知った極東の島国では無理だろ、正気か、これが許されるのは米帝様だけ、と漏らす人間が居たほどである。

 そして当然の如く、さらなる生活の圧迫が確約されたも同然となったフランス国民達も大きな反発を見せた。
 燻っていたビスケー問題――大西洋津波被災地の復興遅延に伴う対立――がまたも燃え上がったことに加え、一応は安定していたはずの都市部でも暴動が続発。
 最早海軍急進派の言いなり状態であるフランス政府はこれを国家警察や国家憲兵隊をもって鎮圧に乗り出すも、勢いを衰えさせるどころか、より一層燃え盛らせてしまう。
 パリなどの主要都市ではバリケードが築かれ、市民達は鎮圧に対して徹底抗戦の構えを見せる。
 かくして、このままフランスという国家が焼け落ちるかと思われたその時、それは起こった。

 フランス政府は――いや、海軍急進派はついぞ知らなかったのだ。
 国民と同様に静かに反感の気炎を燃やす集団が、すぐ傍らに存在していたことを。
 後に将軍達の反乱。もしくは第二次ブリュメールのクーデターと呼ばれる事件は、こうして幕を開ける。

54 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:21:38

「降下開始!」

 不安定なパリの治安問題を理由に未だフランスの暫定首都として留められていたヴィシーの街を時ならぬ轟音が切り裂いたのは、一九四八年七月二七日早朝の出来事だった。
 轟音で叩き起こされた市民達は何事かと家々を飛び出し、まだ夜も明けきらない薄暗い空を見上げる。
 そこで彼らが目の当たりにしたのは、オーヴェルニュの空を飛び行く多数の輸送機の機影と、幾重にも咲き乱れる落下傘の姿であった。
 戦争だ。まだ誰の記憶にも生々しく残っている言葉を、搾り出すように誰かが呟く。
 刹那、市民達は今し方飛び出してきた家の中へ一斉に取って返した。とにかく、身を護るために。
 しかし、全員がそうも機敏に動ける訳ではない。恐怖のあまり、右往左往している市民達が居る中へ、幾つかの落下傘が舞い降りる。
 市民と、降り立った一団の指揮官らしき男との目が合う。男の手には銃床が折り畳まれた短機関銃が握られていた。
 その銃口が口を封じるためにこちらを向く。そう、市民が覚悟した瞬間。

「早く家に戻った方が良いぞ」

 男の口から、慣れ親しんだフランス語が放たれた。

「……総員、傾注! 我々の目標は官庁街、臨時議事堂だ! 可及的速やかに制圧せよ! 状況開始!」

 ぽかんとする市民の前で、降り立った兵士達が隊伍を組んで駆けていく。
 完璧に統率されたその動きは危なげなく、相当な錬度を持つ部隊であることが窺い知れた。
 そのまま時たまに市民へ建物の中に戻るよう促しつつ、彼らは市街地のさらなる中心へと向かっていった。

55 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:22:19

 実のところ、この日ヴィシー市内に降り立ったのは異国の侵略軍などではなかった。
 彼らの正体は、フランス陸軍第二五落下傘師団に属する正規の二個落下傘連隊。
 数十分ほど前に師団のアルジェリア移駐の先遣隊として、国内の空軍基地から輸送機で出立したはずの部隊である。
 だが、その名目はカモフラージュ。
 彼らの真の目的は〝決起〟と同時に空挺強襲で行政府を速やかに制圧することであった。
 そして作戦は彼らの目論見通りに運ばれていく。
 フランス政府にとって、軍の反乱は寝耳に水であり、ましてや事前に周到な準備が成された空挺強襲ということもあって、なんら有効な手立てを打てなかったからだ。
 警備していた国家憲兵隊――この頃、指揮権は内務省に完全移管されていた――による散発的な抵抗こそ行なわれたものの、完全武装の落下傘歩兵達を前にやがて沈黙。
 一時間のうちに行政府は陥落し、政府の要人や海軍急進派の将官が軒並み捕縛されてしまうこととなる。
 また同様の光景は、パリでも見られた。
 容積の問題で暫定首都に移駐されず、パリ市内で業務を続けていた一部の官公庁を目指し、第一標騎兵落下傘連隊を含む三個落下傘連隊が降下。
 すわ強制排除かとバリケードの中で色めきたった市民達を横目に、官庁街を襲撃したのだ。
 さらにマルセイユやトゥーロン、シェルブール、ルアーヴルといった都市でも決起軍が政府機関や海軍急進派の捕縛を実行。
 フランスの中枢は瞬く間に決起軍の制圧下へと置かれていった。

 この一連の決起に参加したのは、陸軍や空軍の主流派。
 加えて、マルセル=ブルーノ=ジャンスール海軍大将を中心とする急進派と袂を別った海軍中道派――ナルヴィク沖からの帰還者である彼が歯止めに回らざるを得なかったという事実が、海軍急進派の暴走を最も象徴していたと言えるだろう――であった。
 また決起の初動には参加しなかったものの、その後の呼びかけで同調した将兵――海軍で特に顕著だった――も存在しており、最終的には連絡の行き届かなかった植民地軍を除いたフランス本国軍の過半が、なんらかの形で決起に同調したとされる。
 海軍急進派の高級将校の中には、決起に後から同調した自らの従兵に取り押さえられた者も居たほどであった。

56 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:22:58

『フランス国民の皆様、そしてフランス軍将兵の諸君。どうか私、アンリ=オノレ=ジローの話に耳を傾けていただきたい』

 そして決起より半日後。
 決起が全土に知れ渡り、さらなる軍拡を狙ったものではと危惧した一部の市民が諸都市で政府機関を封鎖した決起軍と睨み合いを始めた最中、ヴィシー市内の国営放送局に現れた決起軍総司令官、アンリ=オノレ=ジロー退役陸軍大将はマイクロフォンの前に立った。
 決起の真意を、国民に告げるためである。

『我々、フランス共和国は一七八九年以降、常にフランス国民の安息と安寧を護るために存在しております。故に今回、軍の一部が政府と結託し、国民を虐げていた現状は許されざる背信行為でした。そのため、我々は〝自浄〟を行なうことで国民に対する背信の責を取ることにいたしました。本日の決起は軍の一部と結託した政府の過剰な軍拡姿勢を取り止めさせ、国内の復興を優先させるために起こしたものであります』

 彼の言葉はあらかじめ決起軍が持ち出していたラジオと拡声器によって、市民達へと届けられた。
 初めは殺気立っていた市民達も一人一人に語りかけるように続くジローの演説により、徐々に沈静。
 やがて彼らは手にしていた武器を下ろし、演説を聞き入る態勢に移っていく。
 史実において、純然たる愛国者と称されたジローの切実な言葉が、彼らの心を掴んだのだ。

『これよりフランス国政は一時的に軍の下に置かれます。しかし、これは宣言した国内の復興を確実に履行するためのものです。復興が完了次第、国政は軍の下を離れることをこの身にかけて約束いたします』

 一拍置き、彼はこの言葉をもって演説を締め括った。

『国民の皆様、どうか我々の行動を理解していただきたい。フランスが、フランスのままであるために』

 後に歴史家は語る。
 この日、フランスは二度目の春を迎えたのだと。

57 :グアンタナモの人:2012/07/08(日) 23:23:53

 この演説より数日後、決起軍はフランス共和国全土を完全に掌握。
 蚊帳の外に置かれていた植民地もフランス新政府の掲げた植民地政策が従来とあまり変化がないことを理由にこれを認め、フランス共和国は第二軍政下フランスと呼ばれる体制に移行し、ようやく復興の道を歩み始めた。
 未だ沿岸に残っていた大西洋津波の爪痕も徐々に払拭され、巨大防波堤こそ築かれなかったものの、なんとか大日本帝国から導入した防災計画に基づいた津波防災が順次整備されていくこととなる。
 また、あまりの早業に介入の機会を逃した――介入する余力がなかったのもあるが――ドイツやスペイン、イタリアといった隣国も、新政府が引き続き欧州協調を謳ったことで一先ず矛先を収め、当面は監視に努めるという選択を選んだ。
 もっとも新政府もそれは予想していたため、下手に動くような真似はせず、後に新政府の方が旧政府よりも信用に足り、なおかつ突飛な行動を取らないと諸国が判断するまで大人しく国内復興を続けていく。
 ただし先の混乱のどさくさに紛れ、国内分裂を煽ろうとしたイギリスへの〝お礼参り〟だけは忘れず、建造済みだった海軍艦艇を随時ドーヴァー近辺の軍港に貼りつけ、彼らを一時的にだが青息吐息にさせたのだが。

 兎にも角にも、迷走し続けていたフランス共和国は荒療治を経て、とりあえずながらしっかりと道を定めて歩き始めた。
 彼らが歩き進む先に何があるのか。それを知る者はまだ誰も居ない。
 しかしながら老人の望み通り、フランスという国家が朽ち果てる未来を回避したことだけは確かであった。


(終)

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最終更新:2012年07月09日 23:14