413 :taka:2012/07/18(水) 13:14:03
何かおかしい事になったものだと思いながら、老人はレストランの席についていた。
老人はつい先程まで、自宅である山荘の周辺で日課の散歩を楽しんでいた。
時折、ゆらりと意識が揺らぐのを堪えながら、その度に傍にいる護衛達に支えられながらも彼は散歩をしていた。
もう、自分には時間が無い事を老人は悟っていた。この散歩が、ひょっとしたら最後の散歩になるかもしれないという事も。
人の最期とはなんと呆気ないものだと苦笑する。彼が見送ってきた人間の中にもそういう者達は居たと納得してみた。
ふと、東屋で休みたくなり、ドアを開けて中に入る。
何故か、そこはレストランだった。どうやらフレンチらしく、壁にはフランス国旗が飾ってある。
ヴィシーではないのはおかしいなと首を傾げていると、眼鏡をかけた東洋人のシェフと具足を付けた女性給仕に出迎えれた。
彼らは老人の顔をまじまじと見やり、こういった。以前、当店へ来店されませんでしたか?と。
ややアルザス訛りの女性給仕の問いに首を横に振ると、店の壁に飾られた写真の数々を示された。
そこには確かに自分が居た。見た感じ五十代、しかし、妙に老けている印象がする。
他人のそら似にしてはおかしいと老人は思ったが考えるのを止めた。
そもそも、このレストラン自体がおかしいのだ。どうして此処に自分が招かれたのかは知らないが。
ともあれ、食事をなさっては如何ですか?とシェフに勧められ、好奇心に駆られた老人はこう注文した。
その同じ自分らしき存在に出した料理を頼む、と。
出された前菜、そして『自分が望んだ』とされる料理を、老人は美味そうに食べた。
あの写真に写っている自分はどんな気持ちでこれを食したのかと考えながら。
老人は思った。少なくとも、これを美味いとは感じただろう。食べ終わってからの感想は異なっていても。
ノンアルコールビールを飲み干し、食後の感慨に浸っていると犬の鳴き声が聞こえた。
どこか聞き覚えがあると思い、席を立って窓の外を覗く。
「ヴォルフ……?」
そこには彼が愛した犬の一匹とそっくりな犬が、老人を見て尻尾を振っていた。
老人の目が懐かしそうに細められる。どの様な運命かは知らないが、この不可思議な場所に確かに別の自分は招かれたのだろうと確信した。
支払いをしようとして財布にドイツの紙幣しかない事に気付き、懐中に入ってた特注品のランゲ&ゾーネ懐中時計をシェフに差し出した。
「もう、私の旅も終わる。これからの旅にこれは必要ないから君にあげよう。
しかし、最後の食事にも日本人にしてやられるとは……最後まで食えない人種だ。ふふ、まぁ、悪くは無かったかな」
老人は軽い足取りで店の入り口のドアを開く。愛したヴォルフの声が大きくなり―――
翌日、欧州の一時代を築き上げた指導者の死を、欧州の盟主国は全世界に発表した。
最終更新:2012年07月18日 21:56